清張作品に登場する
書き出しの名前に関する考察
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2021年12月21日:改訂登録
□■□■□■□■□■□■□■□驚きました。その数の多さに!■□■□□■□■□■□■□ 抽出の条件は、フルネームで記述があること。そして、書き出しであること。 長編の下巻・時代物・エッセイ・ドキュメント・評伝・対談・私論等は除きました。 例えば「夕暮れの道を、松本清張は歩いていた。」とか、「松本は雨の中を駅に向かっていた。」の表現の場合は、除きました。 62作品です。一割程度。 人名が登場する一つのセンテンスまでを書き出してみました.。 特殊な場合として、物語での登場人物ではなく、筋書きの説明上、名前が登場する例があった。 「史擬」の『新井白石』・「火の虚舟」 の『中江兆民』がその例であるが、例外とも言える。 名前の後は、【○○□□は、】と、後に「は」が続く。「てにをは」は、「は」が圧倒的に多い。そのほかに、「に」・「が」・「の」。 特殊な場合で、「氏」「先生」が各一回登場。 当然なのだろうが、同姓同名の登場人物はいない。(同一人物の「山辺澄子」は除く)。 当ホームページの【登場人物事典】でも、同姓同名は見当たらない。 小説では、500作品に近い作品群です。名前を付けることでも一苦労だったのではないだろうか? ●参考【清張作品の内訳/(小説のみ・古代史、評伝、ノンフィクション等は除く)】(素不徒破人:当HPの主宰者) 全479作品(時代物を含む)■短編:331 中編:34 長編:114 |
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作品名 | 紹介済み作品 (2022/04/21) |
書き出し |
「影の地帯」 | 田代利介は、福岡の板付空港発十二時五十分の日航機に乗ったが、機が離陸してまもなく、 北九州の空にさしかかるころから、シートに崩れかかるように寝込んでしまった。 |
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「暗線」 | 三浦健庸先生。先日は、突然お邪魔に上がって失礼しました。 | |
「数の風景」 | 板垣貞夫は東京から米子空港に午前十一時ごろに着いた。 | |
「蒼ざめた礼服」 | 片山幸一は、気のりのしない生活を送っていた。 | |
「蒼い描点」 | 椎原典子は、新宿発午後四時三十五分の小田急で箱根に向かった。 | |
「延命の負債」 | 村野末吉は若いときから心臓がよくない。 | |
「花実のない森」 | 梅木隆介は所沢街道を田無の方面に走っていた。 | |
「翳った旋舞」 | 三沢順子は、去年の春、東京のある女子大を卒業して、すぐに現在のR新聞社に入った。 | |
「点と線」 | 安田辰郎は、一月一三日の夜、赤坂の割烹料亭「小雪」に一人の客を招待した。 | |
「美しき闘争」 (上) | 井沢恵子は門を出た。 | |
「子連れ」 | 八田圭介は、小説を書くのを職業としている。 | |
「ゼロの焦点」 | 板根禎子は、秋に、すすめる人があって鵜原憲一と結婚した。 | |
「確証」(影の車:第一話) | 大庭章二は、一年前から、妻の多恵子が不貞を働いているのではないかという疑惑をもっていた。 | |
「田舎医師」(影の車:第六話) | 杉山良吉は、午後の汽車で広島駅を発った。 | |
「鉢植えを買う女」(影の車:第七話) | 上浜楢江は、A精密機械株式会社販売課に勤めてているが、女子社員としては最年長者である。 | |
「突風」(影の車:第八話) | 葉村明子が夫の寿男の浮気に気付いたのは、それがはじまって三月ばかり後だった。 | |
「鴎外の碑」(黒の図説:第三話) | 浜村幸平は、これまで著名な文学者の著作や、その人物について考証してきた。 | |
「聞かなかった場所」(黒の図説:第七話) | 浅井恒雄がそれを知らされたのは出張先の神戸であった。 | |
「高台の家」(黒の図説:第十二話) | 山根辰雄は、東京の或る大学に法制史の教師としてつとめ、同じく講師として他の二つの大学にも出講している。 | |
「球形の荒野」 | 芦村節子は、西の京で電車を下りた。 | |
「小町鼓」(絢爛たる流離:第二話) | 谷尾妙子の家は明るさを取り戻した。 | |
「百済の草」(絢爛たる流離):第三話) | 伊原雄一は昭和十×年の春に、新妻寿子を伴って朝鮮全羅北道金邑の鈴井物産工業所に赴任した。 | |
「夕日の城」(絢爛たる流離:第六話) | 山辺澄子にその縁談があったのは、秋の半ばだった。 | |
「灯」(絢爛たる流離:第七話) | 山辺澄子は、毎日、父親の経営する骨董店の店先にぼんやりと座っていた。 | |
「殺人行おくのほそ道」(上) | 倉田麻佐子に一つの記憶がある。 | |
「坂道の家」(黒い画集:第三話) | 杉田りえ子がはじめて寺島小間物店の店先に姿を見せたのは、夏の終わりかけであった。 | |
「市長死す」 | 田山与太郎は九州のある県の小さな市の市長であった。 | |
「死の発送」 | 岡瀬正平が七年の刑を終えて出所した。 | |
「偽狂人の犯罪」(死の枝:第二話) | 猿渡卯平がその殺人計画を立てたのはほぼ一年前からであった。 | |
「史擬」(死の枝:第四話) | 新井白石の著作「史疑」が現存していると伝えられた最初は、 ある新聞社の学芸記者が北陸一帯をほかの取材で歩いて東京に帰ったときだった。 |
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「年下の男」(死の枝:第五話) | 大石加津子は、ある新聞社の交換手として十七年間勤めていた。 | |
「不在宴会」(死の枝:第十話) | 魚住一郎は中央官庁の或る課長だった。 | |
「事故」(別冊黒い画集:第一話) | 高田京太郎は、或る朝、寝床の中で朝刊を開いていたとき、「あ、やっている」と声を出した。 | |
「熱い空気」(別冊黒い画集:第二話) | 河野信子は渋谷の道玄坂上の「協栄家政婦会」というのに所属している。 | |
「獄衣のない女囚」(別冊黒い画集:三話) | 服部和子は午後四時ごろに会社を出た。 | |
「寝敷き」(別冊黒い画集:第七話) | 森岡源次はペンキ職人であった。 | |
「美の虚像」 | 石浜庫三氏の事業が思わしくなくなったことは、かなり前から新聞などにも出ていた。 | |
「地方紙を買う女」 | 潮田芳子は、甲信新聞社にあてて前金を送り、『甲信新聞』の購読を申しこんだ。 | |
「弱気の虫」(黒の様式:第五話) | 川島留吉は或る省の役人をしている。 | |
「反射」 | 霜井正雄が、雨宮スミ子に殺意を起こしたのは、全く金が目当てであった。 | |
「連環」 | 笹井誠一が南栄堂という印刷所に勤めてから、一年近くなる。 | |
「人間水域」 | 長村平太郎は湯壺から出た。 | |
「霧の旗」 | 柳田桐子は、朝十時に神田の旅館を出た。 | |
「火の虚舟」 | 中江兆民のことをお話しします。 | |
「菊枕 ぬい女略歴」 | 三岡圭助がぬいと一緒になったのは、明治四十二年、彼が二十二歳、ぬい二十歳の秋であった。 | |
「断碑」 | 木村卓治はこの世に、三枚の自分の写真と、その専攻の考古学に関する論文を蒐めた二冊の著書を遺した。 | |
「顔」 | 井野良吉の日記 | |
「声」 | 高橋朝子は、ある新聞社の電話交換手であった。 | |
「共犯者」 | 内堀彦介は、成功した、と自分で信じている。 | |
「鬼畜」 | 竹中宗吉は三十すぎまでは、各地の印刷屋を転々として渡り歩く職人であった。 | |
「二階」 | 竹沢英二は、二年近く療養所にいたが、病状はいっこうに快くならなかった。 | |
「携帯行」 | 森村隆志は外から会社に帰ってきた。 | |
「駅路」 | 小塚貞一が行方不明になったのは秋の末であった。 | |
「皿倉学説」 | 採銅健也は六十五歳になる。 | |
「理由」 | 和島秀夫は妻の多樹子と結婚して八年になる。 | |
「愛と空白の共謀」 | 勝野章子はふた月に一度ぐらいで、ひとりで一週間を過す。 | |
「足袋」(隠花の飾り:第一話) | 津田京子は、某流の謡曲の師匠であった。 | |
「記念に」(隠花の飾り:第八話) | 寺内良二は福井滝子のことをそれとなく両親へほのめかした。 | |
「再春」(隠花の飾り:第十話) | 鳥見可寿子はペンネームで、本名は和子である。 | |
「春田氏の講演」 | 春田令吉は評論家である。 | |
「赤い白描」 | 原野葉子は、その年の春、××美術大学図案科を卒業した。 | |
「八十通の遺書」 | 大森秀太郎が自殺した。 | |
●名字&名前のみの場合 遠くからの声 金環食 九十九里浜 湖畔の人 三味線 火の記憶 張り込み 白い闇 発作 点 虚線の下絵 愛犬(隠花の飾り) 与えられた生 老春 |
民子が津谷敏夫と結婚したのは、昭和二十五年の秋であった。 石内は、上野の坂を登った。 古月は、夏のある日千葉県九十九里浜町片貝、前原岩太郎という差出人の一通の封書をうけ取った。 矢上は四十九になった。 隆介は、息子の順治から結婚したい女がいると打ち明けられたとき、まだ少し早いなと思った。 :頼子が高村泰雄との交際から結婚にすすむ時、兄から一寸故障があった。 柚木刑事と下岡刑事とは、横浜から下りに乗った。 信子の夫の精一は、昭和三十×年六月、仕事で北海道に出張すると家を出たまま失踪した。 田杉は十時すぎて眼をさました。 伊村は、冬のはじめ、足かけ四年ぶりに九州のK市に帰った。 久間は、夕方の六時ごろ、倉沢の家の前まで行った。 おみよさんは京橋近くの会席料理店「初音」の会計係をつとめている。 桑木は三ヵ月ほど前に、内臓外科専門のA病院で胃癌の切除手術を受けた。 栄造は、産地から送られてきた桶の荷を解いていた。 |
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●時代物 軍師の境遇:毛利につくか? 織田に味方するか?---播州御着の城主小寺籐兵衛政職は、迷いつづけていた。 術(紅刷り江戸噂):葉村庄兵衛は西国の浪人ということである。 吉田織部(小説日本芸譚):古田織部が、千利休の追放の報らせをきいたのは、その当夜の天正十九年二月十三日の晩である。 小堀遠州(小説日本芸譚):小堀作介政一に一つの記憶がある。 世阿弥(小説日本芸譚):世阿弥が、後小松天皇と前将軍足利義満の前で申楽を演じたのは、応永十五年三月十五日の夜であった。 千利休(小説日本芸譚):利休は雪の中を大徳寺から帰った。天正十九年の閏正月の末である。 雪舟(小説日本芸譚):雪舟が、京都相国寺の春林周藤のもとに弟子入りしたのは、永享三年の秋、十二歳の時であった。 止利仏師(小説日本芸譚):伊村は締切を明日に控えて、煙草を喫いながらぼんやりしている。 調略:毛利元就は芸州吉田から興った。 九州征伐(私説・日本合戦譚):豊臣秀吉の九州征伐は、運命を決するような大勝負でもなく、華々しい合戦があったあけでもない。 関ヶ原の戦(私説・日本合戦譚):豊臣秀吉は、慶長三年八月十八日、六十三歳で伏見城内に死んだ。 疑惑:伊田縫之助は、近ごろ妻の瑠美と浜村源兵衛との間に、疑惑を持つようになった。 柳生一族:上泉伊勢守は上州の人で、神陰流の祖である。 疵:黒田甲斐守長政が豊前中津から筑前福岡に国替えになって、まもないころである。 ひとりの武将:佐々与左衛門が、はじめて前田孫四郎の名を知ったのは、このようなことからである。 野盗伝奇:秋月伊助の言葉で四人いた同輩が四人とも、顔色を変えて彼の方を睨みつけた。 廃物:大久保彦左衛門忠教は八十歳を一期として静かに死の床に横たわっていた。 群疑:石川数正が、主人家康の使として、初めて羽柴秀吉に会ったのは、天正十一年の五月であった。 逃亡者:細川藤孝が明智光秀の応援として丹後に出兵したのは、天正七年のことであった。 かげろう絵図:家斉は眼をさました。 乳母将軍(大奥婦女記):お福が竹千代の乳母になったのは二十六の歳であった。 京から来た女(大奥婦女記):家綱は画が好きであった。 献妻(大奥婦女記):綱吉は学問が好きであった。 元禄女合戦(大奥婦女記):綱吉の夫人は京都の関白鷹司家の女で信子といった。 転変(大奥婦女記):綱吉には遂に男子の出生がなかった。 山師:家康が秀吉から関八州を与えられて江戸に遷ったのは天正十八年で、それから二,三ねんたった年の春のことである。 異変街道(上):三浦銀之助の耳に奇怪な話が伝わった。 |
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●ドキュメント・評伝・私論等 岸田劉生晩景:岸田麗子の書いた「父岸田劉生」には、次のような文章がある。 形影 菊池寛と佐々木茂索:菊池寛は昭和二十三年三月、数え年六十一歳で死んだ。 北一輝論:北一輝は、外見的には社会主義者として出発し国家主義者として終わった。 私論 青木繁と坂本繁二郎:青木繁と坂本繁二郎の主な作品は、福岡県久留米市の石橋美術館にある。 江戸川乱歩論:江戸川乱歩は、明治二十七年、三重県名張町で生れた。 「スチュワーデス殺し」論:ベルメルシュ神父の帰国 |
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●長編の下巻 迷走地図(下):土井信之は、タクシーで浅草三丁目に向かった。 熱い絹(下):小川華洋は、そこに立ちどまって、前方を見ながら通訳にむかって、はじめて短く発言した。 風の息(下):宗介は鎌倉から戻った翌日、新聞社の伊東論説委員に電話した。 隠花平原(下):修二は、翌朝十時ごろ、東京駅に行った。 雑草群落(下):和子から庄平に電話がかかってきたのは、牧村憲一に会ってから六日目だった。 天保図録(下):水野越前は、すでに天保一二年の暮れに十組問屋の廃止を政令で発した。 殺人行おくのほそ道(下):麻佐子は郡山に引き返した。 西海道談綺(五):恵之助は山伏の後ろ姿が向こうの山陰に消えて行くのを眺めていた。 |
有名作品の書き出し 以下参考までに ●夏目漱石(吾輩は猫である) 吾輩(わがはいは)猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当(けんとう)がつかぬ。 ●川端康成(雪国) 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 ●森鴎外(高瀬舟) 高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。 ●芥川龍之介(羅生門) ある日の暮方の事である。一人の下人(げにん)が、羅生門(らしょうもん)の下で雨やみを待っていた。 ●太宰治(人間失格) 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 (走れメロス) メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王を除かなければならぬと決意した。 |