松本清張_再春 隠花の飾り(改題)(第十話)

(原題=清張短編新集)

No_490

題名 隠花の飾り 第十話 再春 
読み インカノカザリ ダイ10ワ サイシュン
原題/改題/副題/備考  【清張短編新集】第十話として発表
シリーズ名=隠花の飾り
(原題=清張短編新集) 
●全11話=隠花の飾り(11話)
 1.
足袋
 2.狗
(改題=愛犬)
 3.北の火箭
 4.見送って
 
5.誤訳
 6.
百円硬貨
 
7.お手玉
 8.
記念に

 
9.箱根初詣で
10.
再春

11.
遺墨
● .あとがき
  
本の題名 隠花の飾り【蔵書No0150】
出版社 (株)新潮社
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1979/12/05●初版
価格 800
発表雑誌/発表場所 「小説新潮」
作品発表 年月日 1979年(昭和54年)2月号
コードNo 19790200-00000000
書き出し 鳥見可寿子はペンネームで、本名は和子である。短大にいたころ校内の同人雑誌に出していた小品の筆名をそのまま使ったのだった。二年前、彼女が中央の文学雑誌に出した小説が新人賞となり、つづいてその年の或る文学賞となった。その文学賞は相当な権威があったので、鳥見可寿子の名は土地で一躍有名となった。そこは中国地方第一の都市だった。和子はこの市に生まれ、やはりこの市に生まれた鳥見敏雄と十年前に結婚した。夫は東京に本社がある広告代理店につとめていた。子供がないので、三年前から時間をみては小説を書いていたが、それはじぶんだけの愉しみであり、夫に言わせると「女房の玩具」だったし、土地の文学グループにすすんで入ることもなかった。短大のときに歴史学の教授が市民のあいだにつくった郷土史会に和子は顔を出していたが、北原茂一郎というその教授が定年退職したのちも彼女はときどき北原家に出入りして郷土史の話など聞いていた。
あらすじ感想 「再春」の元ネタは、「春の血」である。
「春の血」は、●初出 「文藝春秋」1958年(昭和33年)1月号。
「再春」は、
●初出 「小説新潮」1979年(昭和54年)2月号.
「春の血」が、20年の歳月を経て「再春」として書き直されたと言ってよい作品です。
ここらの事情は、【■徹底検証●「春の血」と「再春」再登録●】に譲る。

−−−−−−−−−以下は、『@「春の血」と「再春」問題提起』の一部改変−−−−−−−−−
(2021年12月21日)−−−−−

主人公の主婦「鳥見可寿子」(本名:和子)が、中央の文学雑誌に出した小説が新人賞になり、注目される。
彼女の広告代理店に勤める夫は、「女房の玩具」としてひやかしていたが、文学賞の評判を人から聞かされる。
本店(東京)での女房の評判を聞き、「作家の夫」として、自身の東京転勤を夢見る。
彼女は現状にたいした不満もなく「このままでいい」と思っていた。

けれども、状況が変わってきた。
彼女にも原稿の依頼が来はじめる。
締め切り日に追われる彼女は、知人の家庭裁判所の調停委員をしている「川添菊子」から小説のヒントを得る。
「鳥見可寿子」は、R誌に「再春」という小説を発表した。

この小説こそ
春の血」である。

「再春」発表後、思いがけない非難が「鳥見可寿子」を襲撃する。
「再春」は有名な「トーマス・マン」の短篇「欺かれた女」のテーマをそのまま使っているというのだ。
彼女は、「トーマス・マン」の「欺かれた女」を知らなかった。
彼女は確認した。
テーマは同じだった。「主題の盗用」と言われてもしかたなかった。
彼女に疑惑が起こった。
「川添菊子」である。
川添菊子は、「欺かれた女」を読んでいなかったのか?

問題は、「春の血」である。(「再春」の挿入小説が「春の血」)
作中小説である「再春」は「春の血」なのである。
登場人物、「新原田恵子」「海瀬良子」も同じ
会話も、肝心の部分で共通。
ねえ、あなた、まだあれあるの?
あるわよ。どうして?

と、同じ
そして、なぜか
文藝評論家が、「もちろんトーマス・マンの文章が格段に上質であることはいうまでもない」
と、酷評している。(もちろん作中であるが)
この酷評は、清張が、清張に向けたものなのか?
「春の血」は「文藝春秋」1958年(昭和33年)1月号の作品、「再春」は「小説新潮」1979年(昭和54年)2月号
時は、およそ20年を経過している。
「春の血」発表時に
「再春」発表後、思いがけない非難が「鳥見可寿子」を襲撃する。
と、同様
非難が、松本清張を襲撃したのだろうか・・・?
無知な私は
いままで、聞いたことがない。

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上記の問題提起は別にして「再春」(松本清張作)を読み進む。

中国地方第一の都市に住んでいる鳥見可寿子(本名=和子)は、広告代理店の夫と二人暮らしで、小説は和子の自分だけの楽しみだった。
夫に言わせると「女房の玩具(おもちゃ)」だった。
地元の文学仲間のグループにも属せず。短大時代の縁で、郷土史会に顔を出すのが唯一の社会参加だと言えた。
文学グループは、中央でも中堅作家として活躍している有田玄吉がリーダーだった。
有田は在京のため、その友人や後輩が中心となって同人雑誌『陽海文学』を発行していた。
有田も宣伝をかねて度々書いていた。全国の同人誌では有名だった。
陽海文学会は、同人と呼ぶ5人程度の幹部会員と一般会員とに分けていた。同人誌の『陽海文学』に掲載する審査は5人の同人の合議にかけられていた。
5人は、有田が地元にいた時代の同級生や文学仲間で四十歳を超えていた。
有田の友情からか、有田の小説や随筆に5人の実名がよく登場して、東京の作家や編集者にその名はかなりゆきわたっていた。
一方で、和子が参加する郷土史会は、和子の短大時代の御師、北原前教授が主催していた。
二つの文化団体は没交渉だった。

ペンネーム、鳥見可寿子は、短大にいたころ校内の同人雑誌に出していた小品の筆名をそのまま使ったのだった。
二年前、彼女が中央の文学雑誌に出した小説が新人賞となり、つづいてその年の或る文学賞となった。
その文学賞は相当な権威があったので、鳥見可寿子の名は土地で一躍有名となった。

和子の文学賞受賞は、夫である鳥見敏雄の会社でも知られることになった。
夫は、会社の支店長会議に出席した支店長から、転勤の希望があるなら考えてみるとの話が伝えられた。
それは、妻の文筆活動も東京の方が活躍できるのではとの配慮からであった。
夫の眼は輝いた。地元採用の彼は、東京に転勤できる可能性に子供のように喜んだ。
本社から来て、再び本社へ栄転する幹部を駅で見送り、万歳をする万歳要員だと自嘲する夫を見ても、和子は拒絶した。
とてもそんな自信は無い。
夫の気持ちも分かるが、和子にはとても自信が無かった。

和子の基準では、中央の文学賞よりも、地元の『陽海文学』が、和子の作品になにも触れないことが気がかりだった。

そんな和子に希望を抱かせる状況が生まれた。
受賞後三作品目が、これまでのどの作品より出来が良い。次作の原稿依頼が届いた。
他の文芸誌からも原稿の依頼が来た。

夫は益々その気になった。文筆活動をする妻を全力で支える。東京での生活を夢見て和子に語るのだった。
和子も、なんとなくその気になり始めていた。

文芸雑誌三誌からほとんど同時に原稿の依頼があった。
和子には書くべき材題が何もなかった。材題が無いことは作家にとって致命的だ。

和子はふいに思いついた。家庭裁判所の調停員をしている川添菊子を思い出した。

川添菊子は郷土史会の会員だった。
菊子の夫は婿養子で、菊子の父親の経営している会社に勤めていた。父親は、市議会の議長をつとめ子供は娘ばかりだった。
菊子は長女。五十歳前で、よく肥っていた。才気煥発で、短歌の結社をつくっていた。中央歌壇の主流で、その幹部委員でもあった。
川添菊子は、地元の名士夫人である。(この時、なぜか「ゼロの焦点」の室田佐知子を思い出した。)

和子は北原邸で菊子に始めて会った時のことを思い出した。和子が文学賞を受賞した後のことだった。
>「あなたが文学賞を獲得なさったのは、陽海文学に加入なさっていないからだと思いますわ」
>まるまると肥った川添菊子は、上品な言葉をきれいな声で言った。

さらに
>「陽海文学も、そう言っちゃなんですけれど、有田さんの威光で保っているようなものですわ。
>同人の人たちは有田さんが若いときからのお友達なので威張っていらっしゃいますけど、ほんとうは才能のないお側集的存在ですわ。
>わたしもあの人たちとはつき合っていますから、こんなこと言いたくありませんけど、あの人たちがつまらない文学論をぶって上から
>若い人を押さえています...」

菊子は辛らつな言葉で「陽海文学」を批判した。北原前教授も同席していたが何も言わなかった。が、肯定していることは分かった。
根底には、地方都市に存在している二つの文化団体の、ある種のライバル関係が反映しているとも言えた
菊子の陽海文学批判は、和子には好意的であり、激励であり励みになった。和子の作品に対しても好意ある感想を寄せてくれた。

そんな折
>「小説のヒントになるようなお話ししてさしあげられるかもしれませんわよ」
の言葉をお思いだし、川添菊子を訪ねていく気になった。

>「そうね、家裁の話はちよっと困りますわね」
和子はうっかりしていたが、家裁の調停委員は公務員同様職務上知り得た内容については守秘義務があった。
題材を求める焦りもあって、菊子の好意を勝手に解釈した自分を恥じる和子であった。
菊子は、家裁の話は無理だが、何か役に立つ事を思い出すかも知れないので、二、三日考えてみると言った。

三日後、菊子夫人から和子に電話があった。
川添菊子は小説のヒントをくれた。
菊子は、自分の友人の話として和子に伝えた。
話は、トーマス・マンの「欺かれた女」の内容に近い内容だった。
もちろん、菊子はその事は告げなかった。あくまで、自分の友人の話として伝えた。
そもそも、菊子が、トーマス・マンの「欺かれた女」を読んでいたか否かも分からない。鳥見和子も、トーマス・マンの「欺かれた女」を知らない。

鳥見可寿子は、川添菊子の話をヒントに、「再春」のタイトルで小説を発表した。
小説の内容は、右記に譲る。(「春の血」と「再春」の比較

「再春」が、R誌で発表されたほぼ一ヵ月あと、思いがけない非難が「鳥見可寿子」を襲撃してきた
これは
「春の血」が、発表されてほどなく、思いがけない非難が「松本清張」を襲撃した。
と、書き直すことが出来る。

『再春』の作中小説である「再春」(鳥見可寿子作)は、清張が先に物にした『春の血』である。
『春の血』騒動のアンサー小説なのかも知れない。(ここらの経緯は、【■徹底検証●「春の血」と「再春」再登録●】で説明)

私の独善的読後感であるが、「春の血」の方が面白い、「再春」はその結末も、なんだかものたりない。
ただ、「川添菊子」が、悪意(知っていながら)で「鳥見可寿子」に話したことは想像に堅い。
動機は、地方都市の名士であり文化人としてのプライドが、「川添菊子」の見栄と自分の地位を脅かしそうな存在になってきた和子に対する嫉妬だろうと、
さらに独善的な結論に至った。


トーマス・マン『欺かれた女』


 ●松本清張は「春の血」で「鳥見可寿子」を経験していた。

「清張自身の苦い経験」の具体的内容が分かりました。
「松本清張全集 42」に、「着想ばなし(7)」という清張自身が
解説している付録のようなものがついていました。
そこで「隠花の飾り」11作品についてエピソードを語っていました。
以下が再春について述べられた文章です。

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「再春」は、わたし自身の苦い経験である。まだ小倉市(現・北九州市)に居た
ころ、家裁調停委員の丸橋静子さん(故人)から聞いた話を「文藝春秋」に「春
の血」として発表したところ、トーマス・マンの「欺かれた女」をそのまま取っ
たといわれた。わたしは「欺かれた女」を読んでいなかった。「春の血」はわた
しの小説集にもい入れず、「全集」(第一期)からも削除している。




2021年12月21日 記
※作中小説で「春の血」(1958年(昭和33年)文藝春秋1月号)が使われている。/2006年7月10日発見
作品分類 小説(短編/シリーズ) 16P×580=9280
検索キーワード 春の血・トーマスマン・文学賞・新人賞・陽海文学・短歌・結社・郷土史会・同人誌・家庭裁判所・調停委員・市議会議長・広告代理店・文筆業・襲撃・盗作・作中作
登場人物
鳥見和子(ペンネーム:可寿子) ペンネーム鳥見可寿子。地方都市で文学団体には属しないが小説を書いている。夫には「女房の玩具」と言われる。中央の文芸雑誌の新人賞を受賞。
鳥見敏雄 鳥見和子の夫。広告代理店に勤める。地方採用のため本社勤務は諦めていた。妻の思わぬ受賞で、文筆家の夫としての本社勤務を夢見る。
北原茂一郎 鳥見和子の短大時代の御師。地方都市で郷土史会を主宰している。鳥見可寿子もその会に参加している。
有田玄吉  中央でも中堅作家として活躍している。有田がリーダーで、同人誌の『陽海文学』を発酵している。運営は、地元同人である文学仲間に任せている。
川添菊子 家庭裁判所の調停委員。五十歳前で、よく肥っていた。才気煥発で、短歌の結社をつくっていた。中央歌壇の幹部委員でもあった。地元の名士夫人。

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