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松本清張_遺墨 隠花の飾り(改題)(第十一話)

(原題=清張短編新集)

No_491

題名 隠花の飾り 第十一話 遺墨
読み インカノカザリ ダイ11ワ イボク
原題/改題/副題/備考  【清張短編新集】第十一十話として発表
シリーズ名=隠花の飾り
(原題=清張短編新集) 
●全11話=隠花の飾り(11話)
 1.
足袋
 2.狗
(改題=愛犬)
 3.北の火箭
 4.見送って
 
5.誤訳
 6.
百円硬貨
 
7.お手玉
 8.
記念に

 
9.箱根初詣で
10.
再春
11.
遺墨

● .あとがき
  
本の題名 隠花の飾り【蔵書No0150】
出版社 (株)新潮社
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1979/12/05●初版
価格 800
発表雑誌/発表場所 「小説新潮」
作品発表 年月日 1979年(昭和54年)3月号
コードNo 19790300-00000000
書き出し 神田の某古書店から古本市の目録が出ている。二四〇ページの部厚さで、古書籍のほかに浮世絵などの版画や江戸期いらい現代までの書画も収録され、その一部はアート紙で五〇ページにわたる巻頭の写真版となっていて、豪華なものである。その中に「名家筆蹟」という欄があり、画幅、書幅、草稿、書簡、色紙、短冊の類がある。専門家や書家の筆のほか、政治家、軍人、宗教人、文士、評論家の書いたものが多い、もちろん物故者がほとんどである。競売の目録ではないから各店ごとに値段がついている。この値段と筆者とをくらべて見るのは興味がある。画家や書家は別として、当時権勢ならびなかった政治家の書幅のほとんどは安い値である。軍人の書幅が軒なみ下落しているのは仕方がない。総じて値が高いのはいわゆる文化人の筆蹟だが、これにも微妙な差があって、たとえば生前に高く評価されていた文士のものが案外に値が低かったり、どっちかというとおおかたの批評家などに無視されがちだった不遇な人のに高い値がついているのはいわゆる「棺を蓋て事定まる」(生前の名誉や悪口はアテにならない)を、そのまま値段の数字にあらわしているようで興趣がある。
あらすじ感想 手紙を書いていた。二冊の同じ本についての話です。清張作品の「二冊の同じ本」をダシに説明を書いていたのです。
少し再読していました。
『二冊の同じ本』の書き出しは
>話は古書目録のことからはじまる。神田では毎年何回か古書店が共同して開く古本即売会がある。
>新聞にも取り上げられるくらい評判だが、その会が行われる二週間くらい前には、参加の古書店が顧客先に出品目録を送ってくる。

です。

『遺墨』は、
>神田の某古書店から古本市の目録が出ている。
>二四〇ページの部厚さで、古書籍のほかに浮世絵などの版画や江戸期いらい現代までの書画も収録され、
>その一部はアート紙で五〇ページにわたる巻頭の写真版となっていて、豪華なものである。
共通点と言えば、「古書の目録」だけですが、偶然から強い印象を受けました。

呼野信雄は、哲学者。約10年前に67歳で死亡している。
西洋哲学から東洋哲学を分析した著書が業績で人気があった。
余計なことだが、「二冊の同じ本」で出てくる本の名前は、「東洋研究史」だ。

向井真佐子は、速記者で、呼野信雄に初めて会ったのは、真佐子が30歳で、呼野が58歳の時だった。
向井真佐子の速記者としての評判が良くて、呼野の希望で指名されることがあった。
三度目くらいの座談会で、呼野は、速記者の向井真佐子に声をかけた。
>...あなたはどこの大学で何を専攻していたの...
>真佐子は赤い顔になって高校だけです、と小さく答えた。

速記の正確さから、呼野は驚いた。「よく勉強したものですね」
真佐子の返事は、「先生のご本が好きでよく拝見しているものですから...」
呼野はうれしそうにしていた。
真佐子もますます、呼野の本を読むようになった。哲学的なことは難解で理解出来なかったが、東洋美術関係の理解は深まっていった。
呼野の文章が平明で、哲学者と言うより、文学者としての主張が真佐子を引きつけたのであろう。

呼野信雄の風貌が好意的に描かれている。
雪のような白髪、眉はうすく眼はやさしげに細まり、鼻筋が徹ってうすい口もとはおだやかに締まっている。
西洋的な理知と東洋的な瞑想とが渾然と融合し、礼儀正しい中に魅力的な強い主張がなされているように見えた。
なんだか誉めすぎで、歯の浮くような表現が続く。
さらに、呼野博士の東洋的瞑想の帰結として「孤独」の哲学など、「西行」や「芭蕉」を引き合いに出しての説明が、
「法隆寺」や「秋篠寺」の美を柔熱的に描写するすると、二つは相まって、叙情性好む子女の人気者になった。

一方、向井真佐子は、高校を卒業するとデパートに勤めるかたわら夜間の速記所に通って速記を身につける。
21歳の時、職場結婚した夫に女が出来一年半で離婚。
再婚を諦めた真佐子は、速記で飯を食うために必死で努力をした。そのかいもあって今では所属する速記所のAクラスである。

真佐子が呼野の本を読んでいると言ったのは嘘ではなかった。呼野は真佐子を気に入っていた。
呼野は座談会などで、出席者に真佐子を「よく勉強していますよ...」「仕事がとても丁寧です...」と紹介することがあった。

ある出版社の講演会に向井真佐子は速記者として呼ばれた。出版社は呼野博士の講演集を企画していた。
真佐子が呼ばれたのは、呼野の強い要望でもあった。
このあたりから、呼野と真佐子の仲を男女の危険性含めての表現が出てくる。

京都のホテルで、昼食をご馳走した後に、呼野は、真佐子に仕事を手伝ってくれと切り出す。
年齢と共に執筆が困難になるので、口述するす仕事を手伝ってほしいと頼んだのである。
給料も速記所の1.5倍位は出す。専属の速記者になってくれというわけだ。いわば秘書を兼任するような役回りだろう。

真佐子の返事は「しばらく考えさせて下さい」だったが、心は決まっていた。

真佐子は呼野家を尋ねる。
上背のある大柄な女が妻だった。眼窩がくぼみ、頬の骨が張っていた。銀縁の眼鏡、白粉を真っ白に塗った顔
呼野信雄に対する描写との対比は言わずもがなだった。
お手伝いさんは置かず、派出家政婦の四十女が通いで来ていた。子供は、二男一女いるが、何れも結婚していて他に家を持っていた。

口述とはいえ、文章を生み出す呼野の苦労を横で見ながらの仕事は真佐子にとっても辛い仕事であった。
清張自身後年口述で執筆していたので、産みの苦しみの表現は、清張自身の心情の吐露とも言える。

家人は仕事中の呼野の部家には寄りつかなかった。真佐子は、始め家人の配慮だと思っていたが、主人の仕事に関心が無い
と分かるようになった。
呼野は、夫人の親に学費を出して貰っていた。京都の商家の娘で何不自由なく育っていた夫人について呼野は、子供がそのまま大人になったような女でねと、苦笑していた。
それは、真佐子に聞かせる言葉でもあり、真佐子は夫人の冷淡さを感じていた。夫人は長唄の名取りだったこともあり、呼野の世話をあまりしていない様子だった。それについても、呼野は世話をされるのが余り好きでは無いと弁解するのであった。

呼野は仕事の合間にイロイロ話してくれた。学問上の話、折々の感想も愉しそうに話すだが、それは夫人が外出したとき生気を取り戻したように話すのだった。
仕事は口述の速記だけではなかった、書庫の整理や整頓も始めの約束で仕事のうちだった。

密室の書庫の中で事件は起きた。夫人は外出中。派遣の家政婦の眼の届かないときだった。
呼野の手が、真佐子の肩に置かれた。唇を会わせたのも書庫の中だった。

呼野の仙台の講演を後から追った真佐子は同じ宿に泊まった。
>...同じ宿に泊まり、はじめて抱擁した。呼野家に行くようになって二年後である。
>離婚して十年も経ってるうえに、熟れすぎた彼女の身体は意志の制御を超えていた。
>六十一歳の呼野の肉体も壮年のように若返っていた。

二人の関係は、呼野家での仕事中でもぎこちないものになり、愛欲に溺れることもあった。

真佐子は呼野家に行くことを止めた。夫人に知られることを恐れたからだった。
真佐子は近所にアパートを借り独立して仕事をするようになった。二人の関係はそれでも続いていた。

呼野が自宅で倒れた。心臓発作だった。
夫人は長唄の会で横浜へ行っていた。家政婦が、呼野の手真似で手帖を開き、真佐子のアパートへ電話をした。
生死をさまよいながらも呼野は真佐子に礼を言い、遺品として「風頼帖」と書いてある、画仙紙の画帳を贈ると告げた。
それは、「風頼帖」を金に換え生活の足しにしろと云うことでもあった。財産分けの遺言でもあったのだ。

ここで、呼野が息を引き取れば、誰にも知られなく、勿論夫人にも知られなくて、二人だけの秘めた愛で綺麗に終わるのだった。
私も、終わるのではと思った。

清張はそれを許さない。
適切な処置と病院の手当が良かったのだろう。呼野は一命を取り留めた。

呼野が倒れてから、家政婦に真佐子を呼ばせ、真佐子は救急車を呼び病院に入れるなど献身的な働きをした。
夫人は疑惑を持った。
彼女の調査は、呼野の講演旅行や調査旅行に及び、呼野は追及を受けた。
気の弱い呼野は全てを白状した。
修羅場が始まる。
呼野は、真佐子をアパートに住まわせるなどした事まで知れて、逃げ道は無かった。

夫人は真佐子を呼びつけて、「泥棒猫」と悪罵を投げつけた。
年寄りを誘惑したのは、三十女の真佐子だと言い張る夫人の言葉には説得力があった。

真佐子が「風頼帖」を古本屋に持ち込むが、呼野の筆蹟かも疑われ、呼野家に電話でもしそうだった。
奪うように取り返し、他の店に行ったが同じ事だった。

五年後、呼野は死んだ。
新聞にも特集記事が書かれた。
>けれどもそれは当座のことだった。その一時期の賞賛は火が消えたようになくなった。
>古書目録の「風頼帖」は、「名家筆蹟」の中で最も低い値が付いている。

話は書き出しに戻っている。

蛇足的感想として
妻は強かった。恐妻家の呼野信雄は全てを白状して、妻の軍門に降る。
【見方を変えれば、男の身勝手。それに気づかない女の愚かさ。】かもしれない。
妻の強さは、「余生の幅」に通じる。

2023年03月21日 記
作品分類 小説(短編/シリーズ) 13P×580=7540
検索キーワード 速記者・哲学者・古書目録・古本屋・家政婦・離婚・30女・専属・商家の娘・長唄・座談会・講演旅行・泥棒猫・修羅場・風頼帖 
登場人物
呼野信雄 西洋哲学から東洋哲学を分析した著書が業績で人気があった。夫人は京都の商家の娘。夫人の実家の援助で大学を卒業した。
夫人との仲は、しっくりいっているとはいえなかった。二男一女が居るが結婚して独立している。
58歳の時速記者の真佐子と知り合う。離婚を経験している真佐子は30歳だった。真佐子とは男女の仲になる。
向井真佐子 呼野信雄に初めて会ったのは、真佐子が30歳で、呼野が58歳の時だった。呼野の専属の速記者になり、呼野家に通う。
高校を卒業するとデパートに勤めるかたわら夜間の速記所に通って速記を身につける。21歳の時、職場結婚した夫に女が出来一年半で離婚。
病に倒れた呼野の病院に運ぶなど世話をやく。呼野が一命を取り留めたため、夫人に疑われ修羅場を経験する。「風頼帖」を形見として受け取る。
夫人(呼野信雄の妻) 呼野信雄の妻。京都の商家の生まれ。呼野に言わせれば、何不自由なく育ち、子供がそのまま大人になった感じ。
長唄の師匠をしている。出かけることも多く信雄の世話は通いの家政婦に任せている状態だった。夫婦仲は良好とは言えなかった。

遺墨