〔(株)文藝春秋=松本清張全集1(1971/04/20):【影の車】第七話〕
題名 | 影の車 第六話 田舎医師 | |
読み | カゲノクルマ ダイ06ワ イナカイシ | |
原題/改題/副題/備考 | 【重複】〔(株)新潮社=宮部みゆき 戦い続けた男の素顔:松本清張傑作選〕 | |
●シリーズ名=影の車 ●全8話 1.確証〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕 確証〔(株)新潮社=黒地の絵 傑作短編集二〕 2.万葉翡翠〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕 万葉翡翠〔(株)新潮社=駅路 傑作短編集六〕 3.薄化粧の男〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕 薄化粧の男〔(株)新潮社=駅路 傑作短編集六〕 4.潜在光景〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕 潜在光景〔(株)新潮社=共犯者〕 潜在光景〔(株)角川書店=潜在光景〕 5.典雅な姉弟〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕 典雅な姉弟〔(株)新潮社=共犯者〕 6.田舎医師〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕 田舎医師〔(株)新潮社=宮部みゆき選〕 7.鉢植えを買う女〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕 鉢植えを買う女〔(株)角川書店=潜在光景〕 8.突風〔中央公論新社:文庫(中公文庫)〕 |
●全集(7話) 1.潜在光景 2.典雅な姉弟 3.万葉翡翠 4.鉢植えを買う女 5.薄化粧の男 6.確証 7.田舎医師 ※「突風」が未収録 |
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本の題名 | 松本清張全集 1 点と線・時間の習俗■【蔵書No0022】 | |
出版社 | (株)文藝春秋 | |
本のサイズ | A5(普通) | |
初版&購入版.年月日 | 1971/04/20●初版 | |
価格 | 800 | |
発表雑誌/発表場所 | 「婦人公論」 | |
作品発表 年月日 | 1961年(昭和36年)6月号 | |
コードNo | 19610600-00000000 | |
書き出し | 杉山良吉は、午後の汽車で広島駅を発った。芸備線は広島から北に進んで中国山脈に突き当たり、その脊梁沿いに東に走る。広島から備後落合までは、普通列車で約六時間の旅である。良吉は、この線は初めてだった。十二月の中旬だったが、三時間ばかり乗りつづけて三次まで来ると、初めて積雪を見た。三次は盆地になっていて、山が四方を囲んでいる。昼過ぎに出た汽車もここまで来ると、夕闇の中を走ることになった。三次駅では大勢の乗客が降りた。白い盆地の向こうに、町の灯りが見える。汽車から降りた黒い人の群は、厚い雲の垂れ下がった黄昏の中を急ぐ。汽車は駅ごとに停った。その駅名のなかに、良吉が父から聞かされた地名もあった。庄原、西城、東城などがそうである。この辺りまで来ると、広島を発つときは一ぱいだった乗客もほとんど降りてしまって、その車輌には良吉のほか五,六人が座っているにすぎない。 | |
あらすじ&感想 | ![]() ●芸備線 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 芸備線(げいびせん)は、岡山県新見市の備中神代駅から広島県三次市の三次駅を経て広島県広島市の広島駅に至る 西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。 書き出しは、もっぱら沿線風景。 登場人物は、杉山良吉。タイトルが「田舎医師」だから、彼は医者なのだろうか? 芸備線を広島駅から、備後落合まで、「普通列車で約六時間の旅」。相当の長旅である。 杉山良吉は、清張と全く関係ないが、良吉の目線は明らかに清張の目線であり、 「良吉が父から聞かされた地名もあった」は、清張に置き換えることが出来る。『父系の指』に通じる。 広島の中心地から、山陰にかけてのコースは清張の得意?な地方だと思う。 紹介作品として、最近取り上げた『駅路』も「可部」が登場する。芸備線から伯備線に回れば、備中高梁。備中高梁なら『蔵の中』。 芸備線から木次線では『砂の器』の「亀嵩」。 出雲、石見銀山方面では『数の風景』、『火神被殺』も上げることが出来る。 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ ここまでは、蛇足的研究から ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ この作品は、清張の自叙伝的作品の一つとされているが、清張自身が自叙伝と銘打って書いた『半生の記』(原題=回想的自叙伝)の内容と細部がかなり違う。 小説としての肉付けが見られる。 『半生の記』は、雑誌「文藝」に1963年(昭和38年)8月号〜1964年(昭和39年)1月号に、連載された。 『田舎医師』は、雑誌「婦人公論」に1961年(昭和36年)6月号に掲載された。 書かれた時代が、『田舎医師』の方が少々古い。 ということは、『半生の記』で書かれた事実を、まだ、清張が知らなかった可能性もある。小説と自叙伝の違いもあり、内容の相違は問題にならないだろう。 だが、一応対比させながら、読み進んでみよう。 杉山良吉は、医師では無かった。彼は出張の仕事が早く片付き、父の生まれ故郷に立ち寄ってみることにした。突然の思いつきであった。 十二月中旬、広島駅から芸備線で目的地に向かった。三次あたりで積雪を見た。 突然の決意で全く計画などなかった。備後落合駅で木次線に乗り換えるはずだったが、連絡の列車も無く、備後落合で泊まることにした。 父の思い出話が綴られている。 父の名は、猪太郎。猪太郎は、東北のE町で死んだ。(猪太郎と良吉は同居していたのだろうか?) 生まれ故郷は、島根県仁多郡葛城村。猪太郎は、六十七歳の生涯を終えるまで、故郷を忘れたことは無いし、故郷に帰ったことも無い。 良吉は、父から生まれ故郷の話を聞かされた。叩き込まれたと言ってもよい。猪太郎の葛城村の話は多分に美化されていた。 父の「いまにお前を石見に伴れてってやるけんのう。」の口癖が耳に残る。 だから父の故郷に向かう列車の旅の途中に出てくる地名や、猪太郎の親類縁者など記憶の中に刻みつけられていたものがよみがえった。 木次線で、中国山脈の分水嶺を越えると、八川という駅がある。そこから三里ばかり山奥が葛城村だ。 ![]() 葛城村は存在しないようだ。(岡山県赤磐郡葛城村?は、違うようだ。) 良吉の父、猪太郎の生い立ちが続く。 土地では一,二を争う地主の子の長男に生まれた猪太郎は、幼児期に他家に養子にやられた。 長男でありながら養子にやられ、その家が没落して、猪太郎の出奔となる。 猪太郎には三人の兄弟がいた。跡取りの次男がいたが死亡したため、三男が家を継いだ。 この三男は、東京に出て、事業を興し成功したが、十年前に死亡している。 猪太郎の生涯は、不幸な環境と、その性格から来るのであろうが、 >.....いまにお前を石見に伴れてってやるけんのう。... の言葉が実現できないまま、生涯を果てた。 杉山良吉は、八川という貧弱な駅に降り立った。でも、なぜか限りない懐かしさを感じた。駅前の雑貨店で土地に事情を仕入れた。 杉山俊郎は、医者で、間違いなくまだ開業していた。四十五歳。妻は三十八歳。無医村に近い地元では尊敬と信頼を得ていた。 男の子が二人いるが、今は夫婦二人だけの生活で、看護婦が一人同居している。 雑貨屋の主人の話しに出てくる名前も、良吉が幼い日に父に聞かされた人の名だった。 駅前からバスが出ていた。桐畑まで十二キロの道程。近くに馬木川が流れている。一時間ほど掛かった。 (小馬木・大馬木とかの地名は実在する。馬木小学校・大馬木川もある。桐畑は実在しないようだ) 杉山医院はすぐ分かった。 看護婦を通して、杉山俊郎の妻に会うことが出来た。名刺を見ながら、東京からの突然の闖入者に不審な顔をする。妻は、「秀」と名乗った 手短な良吉の自己紹介で、関係を何とか理解した。 杉山良吉が分家の杉山重市の孫だと云うと、良吉の存在は知らなかったが、猪太郎のことはうすうす聞いているらしかった。 (良吉が分家筋の人間だと云うのだろうか?猪太郎の父がが重市?重市は実父?/家系図を創作してみた。) 主人の杉山俊郎医師は、往診で出かけているとのことだった。 雪深いこの地では、往診に馬を使うのだと俊郎の妻、秀が教えてくれた。 驚く良吉であったが、こんな山間の雪深い地では自動車や自転車に比べて馬の方が合理的と言えた。 次第に打ち解けた妻の秀は、話を続けた。 >「田舎の人は、なるべくお医者にかからないようにしていますから、売薬か何かで間に合わしているんですよ。 >とうとう、どうにもならないときに往診を頼みに来るので、いつも手遅れになります。 >今日頼みに来ると、もう、明日では間に合わないという患者が多いんです。 >そんな事情ですから、頼まれると、本人は夜中でも馬で出かけるんですよ」 今でもある寒村の医療事情とも言える。 秀の話に良吉も同情した。 秀の話は、猪太郎にも触れながら、続いたが、父猪太郎の消息が曖昧でしか伝わっていなかった。故郷では猪太郎は伝説化されていると言える。 医師の杉山俊郎が帰ってこない。 心配する妻の秀。はじめは気丈夫に、その内帰ってくると良吉に云っていたが不安になってくる。 良吉自身も帰る手立てもなくなり、秀の勧めもありあり、思い切って一晩厄介になることに決めた。 帰ってこない俊郎。秀の心配も積もるばかりだった。 八時になった。 杉山医師は帰ってこない。 なにしろ往診に出かけた場所は片壁と云う部落で、六キロぐらい有るという。ここ桐畑よりさらに雪深い奥地で、往復では、大変な難所を 通らなくてはならないという。その難所では、慣れた村人が二人ほど死んでいると秀は云った。 往診に行った患者の家は二軒。大槻と杉山という家だ。 「杉山? すると、こちらの親戚ですか?」良吉は、聞いた。 「主人の従弟ですわ、杉山博一というんです」秀は答えた。 「それだったら、なおさら、その博一という人が御主人を泊めているに違いありません。」良吉は云うと。 >「いいえ、ヒロさんのところなら、主人は泊まる筈がありません」 断言し、それを説明しようとしないのは、良吉に云いにくい事情があるに違いない。良吉は察した。 それから、一時間は経過しただろうか... 急に表の戸を叩く音がした。 駐在所からの使いが来たのだ。秀が、駐在所に出向くというので、良吉も遠慮する秀を説得して同行する。 寝静まった部落の中で、駐在所の電燈は赤々とついていた。消防団の村人も待期していた。 雪道の難所を誰か落ちたらしい、通報者で第一発見者は、ヒロさんらしい、杉山博一は、駐在所の巡査と現場に向かっているという。 ヒロさんが、通報者であることを怪訝に思う秀だが、消防団の三人と秀と良吉は現場に向かった。 事故が起きた。 杉山俊郎医師は、往診の帰り、馬もろとも、あの難所の谷底に滑落したらしい。 現場は懐中電灯の明かりでは確かめることが出来ない。たき火をしながら夜が明けるのを待っている状況だった。 巡査等と合流した、秀や良吉。良吉は此処で初めて杉山博一なる人物の顔を見る。 杉山博一は、四二,三、皺の多い顔をしていた。年はもう少し若いかも知れない。 夜が明けて、谷底に降りて現場を確認した巡査の報告は、悲劇的な結末だった。 杉山医師は本当に滑落して、死亡していた。 第一通報者が、杉山博一なので、彼の行動が怪しそうに描かれているが、決定的な証拠があるわけでは無い。 人間関係が背景として重要なポイントをなしている。 惨憺たる、杉山博一の生活ぶりが執拗に描かれている。それは、この事故が単なる事故では無い事を物語っている。 巡査と博一の家に向かった良吉が目にしたものは、悲惨な生活状況だった。家と言うにはあまりにもお粗末な小屋で、家財らしいものは何も無い。 冬場は、博一が炭焼きをし、暖かくなれば出稼ぎに出ていた。妻のミサ子は、僅かばかりの畑を耕している。 裏手に櫨の木を眼にする。黒い実を手に取ってみる。 (後に、重要な伏線となるが、私は殆ど興味が湧かなかった。博一夫婦の生活ぶりが、葬儀の場面でも執拗に描かれていて、その事が気になっていた。) ●櫨の実:ハゼノキ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 【ハゼノキ】 ハゼノキ(櫨の木、櫨、黄櫨の木、学名: Toxicodendron succedaneum)はウルシ科ウルシ属の落葉小高木。 単にハゼとも言う。別名にリュウキュウハゼ、ロウノキ、トウハゼなど。 果実は薩摩の実とも呼ばれる。東南アジアから東アジアの温暖な地域に自生する。 秋に美しく紅葉することで知られ、ウルシほどではないがかぶれることもある。 日本には、果実から木蝋(Japan wax)を採取する資源作物として、江戸時代頃に琉球王国から持ち込まれ、 それまで木蝋の主原料であったウルシの果実を駆逐した。 ![]() 杉山俊郎医師の葬儀は盛大に行われた。 その場面は、葬儀に参列した杉山博一夫婦の身なりで強烈な対比が表現されている。 仏前にぬかづいて慟哭する夫婦の姿はある種異様でもあった。 思わぬ経緯から、葬儀に参列することになった杉山良吉は、告別式が終わると、秀に別れを告げて汽車の客となった。 木次線を北に向かい、宍道湖方面から山陰線経由で東京に向かった。 車中で回想する良吉。博一はなぜ、俊郎を殺したか。 ズバリ、その、殺害方法が書かれている。が、私には興味の外だった。余りにも急ぎすぎた結論でかなり詳しく記述されているが 独断過ぎはしないだろうか? むしろ、動機の推察に興味が湧いた。 杉山博一の人生模様が、良吉の父、猪太郎に重なる。 決定的な違いは、猪太郎が帰りたくてしかたがなかった故郷に帰れなかったのにたいして、杉山博一は、満州で一旗揚げたが、敗戦で引き上げ 姿開拓者同然(乞食のような姿)で故郷にたどり着いた。地元では、杉山家はみんな田畑を持ち地主としてそれなりの生活をしていた。 田畑を売り払って、満州に渡った博一は、本当は、帰るべき故郷は無かったのである。博一の故郷での生活は惨憺たるものであった。 >...幼友達である俊郎に対して快からぬ感情があったに違いない。それは敗北者の僻みでもあり、嫉みであり、遺恨であった。 小説では、 >彼が殺人を犯す直接の動機は、判らないが、例えば、医療代も充分に払えなかったことや医者がそのために彼に冷淡にしていた。... と、動機らしいものを推理していた。 良吉が東京帰ってから、二ヶ月近くになって秀からお礼の手紙が届いた。 四十九日の法要を済ませた報せと、博一夫婦が家をたたんで村を出て行った、という追伸だった。 猪太郎と博一は、不幸な境遇であったが、猪太郎は、生涯望郷の念を捨てられず、朽ち果てるように東北の地で死んだ。 一方、博一は満州に渡り一旗揚げたようだが、敗戦で、故郷に舞い戻ると、哀れな生活が待ち受けていた。最後にはその故郷を出奔することになる。 汽車の中の杉山良吉は、救いようのない二人の人生を対比させ、幸不幸を考えさせられていた。 読み込み不足なのかも知れないが 猪太郎は、小さいときに養子に出されている。三人兄弟の長男でありながらである。 杉山姓は当然養子先の姓だろう。良吉は猪太郎の子供なので杉山姓は分かるが、杉山俊郎との関係が曖昧のような気がする。 また、杉山重市の孫と名乗った良吉だが、重市は猪太郎の実父なのだろうか? 清張の自叙伝的作品だが、小説として書かれているので人間関係、姻戚関係は曖昧な部分が多い。 家系図を書いてみたが、正確かどうか疑問だ。 ![]() 2022年03月21日 記 |
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作品分類 | 小説(短編/シリーズ) | 19P×1000=19000 |
検索キーワード | 備後落合・三次・仁多郡葛城村・開業医・桐畑・片壁・駐在所・消防団・馬・炭・親戚・従弟・滑落・櫨の木・ハゼ |
登場人物 | |
杉山良吉 | 東京で会社員。分家の杉山重市の孫。良吉は、杉山俊郎を尋ねていく。俊郎との関係が直接書いていない。成り行きから俊郎宅に宿泊することになる。 医師の俊郎が、往診の帰りに、雪の難所で馬もろとも滑落死する事故に遭遇する。葬儀にも列席することになる。 |
杉山猪太郎 | 杉山良吉の父。故郷を出奔して諸国で放浪、東北の地で亡くなる。 良吉が、重市の孫と、杉山秀に自己紹介するので、猪太郎の父が重市だろう。故郷にに帰ることを夢見ながら実現せず放浪の果てに東北のE待ちで死亡。 |
杉山俊郎 | 医者。本家の跡取り。杉山医院を開業、妻の秀と二十四,五の住み込みの看護婦と同居。男の子が二人。 |
杉山秀 | 杉山俊郎の妻。三十八歳。男の子が二人いる。長男は大阪の医大へ、次男は米子の高等学校。 今は夫婦と住み込みの看護婦と三人暮らし。岡山から嫁に来ていた。 |
杉山博一 | 杉山俊郎の従弟。私財をなげうって満州に渡るが、着の身着のままで故郷に帰ってくる。極貧の生活が待っている。 それに引き換え、杉山家はみんな裕福に生活をしている。 |
杉山ミサ子 | 杉山博一の妻。俊郎の葬儀の姿が哀れに描かれている。 |
大槻正吾 | 杉山俊郎の往診患者。吐血をして、杉山俊郎の診察を受ける。 |