松本清張_万葉翡翠  影の車(第二話)

(副題=求めて得まし玉かも)

〔(株)文藝春秋=松本清張全集1(1971/04/20):【影の車】第三話〕

No_062

題名 影の車 第二話 万葉翡翠
読み カゲノクルマ ダイ02ワ マンヨウヒスイ
原題/改題/副題/備考 【重複】〔(株)新潮社=(駅路) 傑作集短編(六)〕
●シリーズ名=影の車
(副題=求めて得まし玉かも)
●全8話
1.
確証〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕
  
確証〔(株)新潮社=黒地の絵 傑作短編集二〕
2.万葉翡翠〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕
  
万葉翡翠〔(株)新潮社=駅路 傑作短編集六〕
3.
薄化粧の男〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕
  
薄化粧の男〔(株)新潮社=駅路 傑作短編集六〕
4.
潜在光景〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕
  
潜在光景〔(株)新潮社=共犯者〕
  
潜在光景〔(株)角川書店=潜在光景〕
5.
典雅な姉弟〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕
  
典雅な姉弟〔(株)新潮社=共犯者〕
6.
田舎医師〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕
  
田舎医師〔(株)新潮社=宮部みゆき選〕
7.
鉢植えを買う女〔(株)文藝春秋=松本清張全集1〕
  
鉢植えを買う女〔(株)角川書店=潜在光景〕
8.
突風〔中央公論新社:文庫(中公文庫)〕
●全集(7話)
1.
潜在光景
2.
典雅な姉弟
3.万葉翡翠
4.鉢植えを買う女
5.
薄化粧の男
6.
確証
7.
田舎医師




※「
突風」が未収録
本の題名 松本清張全集 1 点と線・時間の習俗【蔵書No0022】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1971/04/20●初版
価格 800
発表雑誌/発表場所 「婦人公論」
作品発表 年月日 1961年(昭和36年)2月号
コードNo 19610200-00000000
書き出し 「ぼくはね、万葉考古学をやりたいと思っていた時期があったよ」S大学の若い考古学助教授の八木修蔵は、研究室で三人の学生と雑談しているときに云った。三人の学生というのは、今岡三郎、杉原忠良、岡村忠夫である。三人とも考古学を専攻しているのではなく、趣味として八木教授のところに出入りしているのだった。「神社考古学というのがありますね?」今岡三郎が云った。「ああ、ある。宮地直一先生が唱えられたものだ。神社の祭器だとか遺蹟、それに神籬、磐境だといわれている神籠石などを考古学的に解釈する学問だね。神社には、古代の形式が伝承されている。それから古代生活を探求しようとするのだ」「先生の万葉考古学というのも、おもしろそうですね」杉原が云った。「万葉の歌に織り込まれた字句から、古代の生活を探求しようというわけですね」「まあ、そういったところだな」
あらすじ感想   物語は、万葉集(巻十三 三二四七 作者未詳)の歌
>渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも
が、全てである。

S大学の若い考古学助教授の八木修蔵が、研究室で三人の学生と雑談をしていた。
学生は、「今岡三郎」・「杉原忠良」・「岡村忠夫」の三人。
三人とも考古学を専攻しているのではなく、趣味として八木教授のところに出入りしているのだった。
助教授の八木が、神社考古学の話を例に、万葉考古学とでも云うものを遣りたいと思っていると言い出す。
※宮地 直一(みやじ なおかず):1886年(明治19年1月24日) - 1949年(昭和24年)5月16日)は、日本の内務官僚、神道学者。
  蛇足的研究では、実在したが、本小説とは無関係と、書いたが実のところよく分からない。

教授は少し勿体ぶって、興味があるなら、少し調べて、明日、ぼくに調べたことを報せてくれ給え。と、話した。

興味を持った三人は、早速資料を集め、翌日教授のところに集まった。
その資料は、
契沖の『万葉集代匠記』
鹿持雅澄の『万葉集古義』
橘千蔭の『万葉集略解』
佐佐木信綱の『万葉事典』
武田祐吉の『万葉集全注釈』
折口信夫の『口訳万葉集』

「これで目ぼしいところは、ざっと出揃ったね」
助教授は云った。
最後に、 八木助教は、吉田東伍の『大日本地名辞書』を引用して、渟名河の場所の特定を試みた。

この話の展開は、門外漢の私には、ついて行けない。清張の得意分野と云える。
この話が結果として、推理小説になるのである。
歌に詠まれている
>「...求めて得まし玉かも...」
の「玉」が、何にだろうか?の、推理から始まる。
「勾玉」であろうとの結論から、さてその材質はと推理が続く。歌を手がかりに、「翡翠」では、との結論が導き出される。

少し推理小説じみてきた。

助教授は、
>「ひとつ、それを実証するために、現在のヌラカワに行き、探検してみてはどうでしょうか?」
>「もし、君たちにその希望があったら」

三人は教授の話に興味を持ち、教授の提案に乗ることになった。
夏休みを利用して、探索に出ることになるが、探索の候補地は三人三様になった。
今岡三郎は、吉田東伍説の、西頸域郡を主張した。岡村忠夫も同調したが、結果は別の川を想定した。
杉原忠良は、東頸域郡の奴奈川村を候補に選んだ。

今岡三郎には、許婚者の芝垣多美子がいた。今岡が吉田東伍説の、西頸域郡を主張したのは、多美子のが多分に影響していた。
芝垣多美子は、別の大学の学生で、今岡から聞いた、八木助教授の話に、ひどく興味を持った。
ふたりは、探索の場所を特定しようと話し合った。
「姫川」付近を想定した。多美子は同行できないことを残念がった。

【姫川】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水系 一級水系 姫川
種別 一級河川
延長 60 km
平均流量 22.33 m3/s
(山本観測所)
流域面積 722 km2
水源 白馬岳
水源の標高 2,932 m
河口・合流先 日本海

奴奈川姫
姫川(ひめかわ)は、長野県北安曇郡および新潟県糸魚川市を流れ日本海に注ぐ河川。一級水系の本流。

水源は長野県北安曇郡白馬村の親海湿原の湧水である。
古事記や出雲国風土記には、高志国を治めていた豪族の娘、沼河比売(奴奈川姫)に八千矛神(大国主命)が
出雲から求婚しに来たという神話が残されている。
この奴奈川姫が姫川の名の由来とされる。
またこの二柱の間に生まれた子・建御名方神が姫川を遡上して諏訪入りしたとの伝承もある。
白馬村においては、白馬連峰に端を発する支流の松川や平川が扇状地を成し、平坦な盆地(白馬盆地)を形成している。
ただ、流域の大半は白馬岳を始めとする標高2,000 mを超える山々が連なり、非常に急峻である。


 

今岡が、多恵子との推理を岡村に話すと、同じ西頸域郡(ニシクビキグン)説の岡村は疑問視した。狙いを付けた川は別だった。
杉原は、松之山温泉もあるし..温泉につかりながら、ヌナカワの地名が残っている、東頸域郡一帯を調べてみると云った。
結局、三人は思い思いの地域の探検に出かけることになった。
植物採集を趣味にしている杉原は、そちらの方でも楽しみにしているようだった。。

今岡、岡村、杉原の三人は一週間後東京での再会を約束して、旅立ちの前に八木教授に挨拶に出向いた。
「よいよいくのかね」八木助教授は愉しそうだった。
新宿から長野方面に向かう遅い列車に乗った。芝垣多美子がそれを見送った。多美子は、岡村と杉原とも共通の友人だった。

一週間は経過した。
約束通り、多美子を含めて、三人の男は集まった。
期待通りの成果が得られなく、三人は憔悴していた。
道なき道の探索の報告を受けながらも、多美子は、「行ってみたい」と言うのだった。
「行ってみたい」と言う多美子に、今岡は「歩くだけならね」と答えた。
登山やハイキングでも無い探検の危険を説明され、多美子も心配になった。
>「怪我をしても、すぐに見つけて助けてくれる人は居ないし、どうなるんでしょう?」
「そのときは、世間から失踪のまま、当人だけはひっそりと谷間で骨になっているんだな」
岡村が、多美子の心配を冷やかすように言った。

二日の休養ののち再び新宿駅を出発した。前回の探査で、探検の厳しさを感じた彼らは、それなりの重装備で望んだ。
多美子も見送りに来た。
予定は、早朝に松本駅に着く、そこから信濃大町行きに連絡、大町から大糸線で終着駅の新潟県糸魚川駅に着く。
松本で、杉原だけが長野方面に向かう。今岡と岡村は大糸線の小滝でバラバラになる。

新宿で乗り込む列車の時間はまだある。杉原はトイレに行くと列から離れる。
多美子は今岡に、みんなでで食べてもらうため、食べ物でも、買ってくると言い列を離れる。その多美子に雑誌でも買ってきてくれと今岡が頼んだ。

売店に向かった多美子は、待合室からちょっと離れた所で、杉原忠良が、十五,六ばかりの少年と立ち話をしているのを目撃した。
芝垣多美子は、三人を見送った。

車内で、岡村は寝ていたが、今岡と杉原は情報交換をした。杉原は目星を付けたような口ぶりだった。今岡は小滝付近での探索を考えていた。
松本駅で、杉原とはお別れだ。杉原は信越本線、飯山線と少々面倒なコースを予定していた。
杉原忠良は、予定していた列車には乗らなかった。松本駅で別れた、岡村忠夫や今岡三郎の乗った列車に一本ずつ遅れて後を追った。

>杉原忠良は、その日、ある場所で、ある行為をした。
>彼が東頸城郡松之山温泉の旅館に現れたときは、日の昏れどきだった。
>彼は落ち着かない様子をしていた。顔色も普通ではなかった。


事件は突然起きた感じだ。
旅館の部屋で事件の後始末をする杉原忠良は、ズボンのポケットから出てきた、植物の種子を見て、その始末の困った様子だったが、
燃やしてしまうことにした。その種子らしきものは、杉原忠良が、新宿駅で少年に会いもらったものだった。
杉原忠良は、部屋で石の破片を電灯にかざして眺めた。断面は深い透明な碧色が塗ったように付いていた。艶こそ無いが、翡翠だった。
ちょうど、芝垣多美子がその現場を目撃していた。

一週間後の再開の場所に今岡三郎だけが来なかった。
心配する、多美子、岡村忠夫、杉原忠良。とりわけ、多美子は落ち着かなく遅れても来るであろう今岡を待っていた。
今岡三郎は、来なかった。
連絡も無かった。その日も、三日も、四日も彼は戻ってこなかった。
今岡三郎が行方不明になって一年経った。秋になった。
芝垣多美子は、今岡三郎の死を受け入れざるを得ない時期になりつつあった。多美子は短歌をやっていた。以前に増して短歌に打ち込んでいた。
次の一首が彼女の眼をひいた。
「越の山ほろか来にけり谷川に のぞきて咲けるフジアザミの花」

雑誌に掲載された作品だったが、選者は作者の心象風景を読んだののだろうと選評していた。
それは、「フジアザミ」が、詠まれた場所では咲くことの出来ない花だったからだ。不自然だというのだ。
その選評に作者の反論があった。作者は、桑原みち子。
作者は、この眼で見たというのだ。

八木助教授も参加した、四回目の捜索隊が雪の積もる前の小滝川渓谷に向かった。
その捜索隊の中には、芝垣多美子が頼んだ、桑原みち子が加わっていた。
捜索隊の、もう一つの特徴は警察が加わっていたことだった。

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【 フジアザミ】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
特徴
日本産のアザミの中では最も大きな花を咲かせる種類であり、高さは20?100cm、葉は長さ30?70cmに達する。
茎の先端に付く頭花の大きさは子供の拳ほど(直径5?10cm)と非常に大きい。
小花は細い筒状花で紅紫色をしており、稀に白花の個体も見られる。総苞片は紫色で、先端は鋭く尖っている。
花期は8?10月。

分布
富士山および富士山周辺の山地の山地帯〜亜高山帯に分布する。
砂礫地や崩壊地周辺で多く見られる。そのため基準標本は富士山のもので、日本の固有種である。
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※難読な地名
頸域郡(クビキグン)
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※@素朴な、どうでもよい、蛇足的な疑問
八木助教授は何歳くらいだろうか・
若い考古学者で、助教授だから四十代半ばか...なぜか、年齢が示されていない。
彼は、
>「まあ、ひとつ、やってみるんだね。なにしろ、ぼくは、もうやの中や水の中にはいって行く元気がないのでね。
>そういう探検は、君たちにお願いするほかなかろう」

謙遜もあるだろうが、三人の学生に語っている。
探検を嗾けた手前もあったのだろうが、今岡三郎の探索に参加している。

※Aトリックとしての種子
万葉翡翠』では、「フジアザミ」の種子がトリックとして使われているが、記憶違いで無ければ、たしか『火と汐』でも植物の種子が鍵を握っていた。
ズボンの裾に入り込んでいた、小石とか植物種子とか、鞄や靴に付着した土などいろいろある。
これも興味の範囲ではあるが、手を付けると泥沼にはまりそうだ。



2022年03月21日 記 
作品分類 小説(短編/シリーズ) 22P×1000=22000
検索キーワード 考古学・助教授・玉・ぬな川・翡翠・姫川・登山客・新宿駅・フジアザミ・植物採取・種子・短歌・小滝川谿谷
登場人物
八木修蔵 S大学の若い考古学助教授。出入りしている三人の学生は、考古学を専攻しているわけではないが、万葉考古学を説く。興味を持たせる。
今岡三郎 八木助教授に影響を受けて、玉を求めて探検に出る。吉田東伍説の、西頸域郡の小滝村付近に目星を付ける。芝垣多美子は許婚者
杉原忠良 八木助教授に影響を受けて、玉を求めて探検に出る。
東頸域郡の奴奈川村付近を候補に選んだ。が、今岡の探す方面が有力と感じていた。植物採取が趣味。
村岡忠夫 八木助教授に影響を受けて、玉を求めて探検に出る。途中まで今岡と同行するが、小滝駅で別れ、糸魚川方面に向かう。
芝垣多美子 今岡三郎の許婚者。今岡と相談しながら場所の特定を推理する。短歌に詠まれた「フジアザミ」で事件の真相に迫る。
桑原みち子 事件解決のきっかけになる「フジアザミ」の花を発見する。短歌を詠み雑誌に掲載され、芝垣多美子の眼に止まる。

万葉翡翠




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