清張作品の書き出し300文字前後からあぶり出すキーワード!
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| ●岡っ引き 今回は少し特殊なケースになる。 「西連寺の参詣人」に登場する岡っ引きは与助だが、この作品だけが紹介作品として取り上げていない。 しかも、書き出しの中で岡っ引きが登場する。他の作品では書き出しの中では登場しない。 時代物とは言っても、江戸時代を舞台として書いた作品では、「岡っ引き」が必ずと言って良いほど登場する。 勿論例外はある。 以下、作品名と岡っ引きの名前 「西連寺の参詣人」:与助 「鬼火の町」:藤兵衛 「逃亡」(原題:江戸秘紋):梅三郎 ●彩色江戸切り絵図 第一話「大黒屋」:惣兵衛 第四話「三人の留守居役」:惣兵衛 第五話「蔵の中」:碇屋平造 ●紅刷り江戸噂 第一話「七種粥」:文七 第二話「虎」:文吾 第四話「見世物師」:文吾 第五話「術」:忠七・粂蔵・定吉 第六話「役者絵」:文五郎 ●無宿人別帳 第十話「左の腕」:麻吉 彩色江戸切り絵図の第一話「大黒屋」と第四話「三人の留守居役」に登場する岡っ引きは惣兵衛と共通するが同一人物と思われる。 子分の「幸八」・「権太」も共通する。シリーズ作品としての「彩色江戸切り絵図」は、惣兵衛捕物帖と言っても過言ではないと思う。 「蔵の中」に登場する碇屋平造は惣兵衛の知り合いの岡っ引きとして登場する。 紅刷り江戸噂の第二話「虎」と第四話「見世物師」の岡っ引きはどちらも文吾。これも同一人物だろう。 腕利きの岡っ引きが同心などの力を借りながら事件を解決していく。 その中で、「左の腕」の岡っ引きの麻吉だけが悪党の岡っ引きである。 岡っ引きは、縄張りの場所で神田の○○とか、淺草の▲▲とか呼ばれている。 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽ 「逃亡」が清張時代劇作品の集大成ではと早とちりをしました。 「鬼火の町」も面白い。清張時代劇のエキスが詰まっている感じがします。読み比べで清張作品を堪能できる。 シリーズ作品で、「彩色江戸切り絵図」・「紅刷り江戸噂」少し毛色は違うが「無宿人別帳」が時代劇作品として際立つ。 「半七捕物帳」(岡本綺堂)・「伝七捕物帖」・「鬼平犯科帳」などテレビドラマなどで人気だった作品も有り、清張も「惣兵衛捕物帖」・「文吾捕物帖」 として、作品をモノにしてほしかった。(彩色江戸切り絵図や紅刷り江戸噂は、捕物帖とも言える) ■書き出しでは、「西蓮寺の参詣人」以外では岡っ引きは登場しないが、紹介作品のキーワードで岡っ引きが登場している。 さらに、その他の登場人物を比較すると面白い。
岡っ引きの名前の共通も注目ですが、「お蝶」が、「逃亡」と「役者絵」に共通して登場します。 「お絹」・「熊五郎」・「お秋」・「幸八」・「権太」も同名で登場。「幸八」「源八」「仙八」・。 役割はかなり違うのですが、登場人物の名前には苦労している感じが見えます。なんとなく似つかわしいモノが多いです。 これだけの作品数になれば仕方の無いことでしょう。
清張は時代物の作品を数多く書いています。(参考:時代物) ▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△ 2024年06月21日 |
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| 題名 | 「岡っ引き」 | 上段は登録検索キーワード |
| 書き出し約300文字 | ||
| 「西蓮寺の参詣人」 | ※まだ紹介作品ではない | |
| 嘉永年間のことだが、下谷二丁目に諸国銘茶や茶道具の小売りを商っている与助という者がいた。しかし、商いは女房にやらせているので、与助自身は町奉行所に出入りして与力や同心の指図をうけている小者、俗にいう岡っ引きであった。与助は三十を五つ六つ越した男で、これまで度々面倒な事件を解いた手柄があり、仲間うちでもいい顔だった。この世界でも実力がないと羽振りが利かない。下谷の与助といえば、奉行所の役人の間でも確かな男だという評判をとっていた。桜と一緒に三月の花見月が終わると四月に入り、朔日からは袷を着る。江戸の人はこんなことには几帳面で、五月五日の端午には一斉に単衣に着替えるのである。江戸の生活ほど季節感を鋭敏に行事にとり入れたものはなかった。その四月朔日の昼間、与助が遅い朝飯を食っていると二人の客が訪ねて来た。一人は浅草の馬道にいる綿屋で彦六といって与助の知り合いだった。もう一人は彼の知らない人物だが、五十に手の届きそうな、横鬢が少し薄くなった男だった。 | ||
| 「左の腕」(無主人別帳第十話) | 入墨・松葉屋・奉公・飴細工・押し入り・蜈蚣・料理屋・十手・包帯・火傷・料理屋・飴売り・悪徳岡っ引き | |
| 深川西念寺横の料理屋松葉屋に、この一月ほど前から新しい女中が入った。まだ一七だったが、小柄でおさない顔をしている。しかし、苦労しているらしく、することが何でも気が利いていて、よく働く。おあきという名だったが、一二,三人も居るこの家のふるい女中たちからはすぐに可愛がられた。松葉屋は、おあきと同じ日に六十近い老人を下男に雇い入れた。庭の掃除や、客の履物番、風呂焚き、薪割り、近くへの使い走りなどの雑用をさせる。卯助といって、顔に皺が多く、痩せた男である。あまり口かずを利かないが、これも精を出して働く。のっそりとして動作が鈍いのは年齢のせいだろうが、仕事に陰日向がない。おあきと卯助とが同時に松葉やに奉公したのは、二人が親子だからである。実をいうと、卯助は近くの油堀を渡った相川町の庄兵衛店の裏長屋に住んで、それまでは飴細工の荷を担いで売り歩いていた。飴細工は葭の茎の頭に飴をつけ、茎の口から息を吹いて飴をふくらませ、指で鳥の形などをこしらえて子どもに買わせる荷商いである。 | ||
| 「逃亡」(原題:江戸秘紋) | 江戸の大火・賭博・岡っ引き・無宿・下谷・向島・大山詣り・講中・赤馬・隅田川・仏壇屋・船宿・湯島天神下・松葉屋・梅の屋・脱獄・番屋・贋金造り・飴売り | |
| 文政十二年(一八二九年)三月二十一日の巳の刻(午前十時)に江戸神田久間町河岸から火が出た。この朝一時間前にちょっとした地震があったが、ちょうど、出火の起こったころは、西北の風が土砂を吹き立てて、あたりが夜のように暗くなっていた。おりから佐久間町河岸の材木商尾張屋徳右衛門の材木小屋の前では職人たちが焚火をしていた。三月の末というと、すでに上野の桜も散ったあとだが、この日は奇妙な天気でうすら寒かったのである。材木屋の本宅では昼食の用意が出来たといって職人たちを呼び集めた。火を囲んでいた者たちは焚火のあと始末を十分にしたつもりだったが、どこか不十分なところがあったとみえ、残り火が強風にあおられて横の鉋屑に燃え移った。その火はさらに隣のは葉莨屋に移った。材木屋で気がついたときはもう手がつけられないくらいに火が燃え上がっている。激しい風は炎を横倒しに噴きつのらせ、火の粉を霰のように飛散させた。 | ||
| 「鬼火の町」 | 天保・水死体・岡っ引き・大奥・銀煙管・屋根職人・大川・徳川幕府・女義太夫・円行寺・片目の男・納所坊主 | |
| 天保十二年五月六日の朝のことである。隅田川の上にあつい霧が白く張っていた。浅草側の待乳山も、向島側の三囲い神社も白い壁の中に塗り潰されたようである。「えれえ霧だ。一寸先も見えねとは、このことだ」と、独り言を呟いた小舟の船頭がある。夜が明けたばかりで、六ツ(午前六時)を少し回っていた。舟は千住のほうから来たのだが、折からの上げ潮にさしかかっているので、水の流れも湖水のように動かない。うっかりすると、方向を間違えて、どこかの岸にぶつかっりそうだった。現在なら汽笛でも鳴らすところだが、当時のことで、鼻唄でも唄うほかはなかった。船頭が警戒したのは、不意に、その厚い霧の中からほかの舟が正面に現れることだった。もっとも、朝が早いのでほかの舟も少ないに違いないが、しかし、一艘でも衝突の危険は同じだった。 |
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| 「大黒屋」 (彩色江戸切り絵図第一話) |
文久2年・甲州屋・浄験寺・贋金・穀物問屋・炭屋・団扇・古着屋・堀江町・馬道・乞食橋・加賀・納所・岡っ引き・子分・三題噺 | |
| 文久二年正月一五日の八ツ(午後二時)ごろのことだった。日本橋堀江町の通りを二十七,八くらいの職人風な男が歩いていた。この辺りは焼芋を売る店が多い。その匂いが寒い風に混じって流れていた。この焼芋屋は冬の間だけで、春になるとすべて団扇屋に早替わりする。役者の似顔絵の団扇も、この堀江町から売出されたものだ。秋風が立つと団扇が駄目になるので、団扇が焼芋屋に早替わりするわけである。また、この辺りには穀物問屋がならんでいる。職人がふと足を停めたのは、それほど大きくない穀物問屋の店から、三十一,二くらいの大きな男がふらりと出て来たからだった。その男は酒気をおびている。十五日というと、まだ正月気分が抜けずに振舞酒を出すところもあるから、これはふしぎではない。ただ、その職人が男に眼をつけたのは、酔った彼の人相がよくないのと、その男の出ていったあとで四十七,八ぐらいの雇女が塩を撒いていることだった。 | ||
| 「三人の留守居役」 (彩色江戸切り絵図第四話) |
小笠原家・阿部家・稲葉家・挟箱・貸衣装屋・付箋・芸者・料理屋・札差・櫛・笄・簪・財布(紙入れ)・戯作者・岡っ引き | |
| そろそろ夏に向かう四月末の八ツ刻(午後二時)ごろのことだ。両国に甲子屋藤兵衛という大きな料理屋がある。その表に駕籠が三挺連なって到着した。挿み箱を持った供は居るが、三人とも三十から四十ぐらいの間で、立派な風采をした武士だった。だが、この茶屋の馴染みではない。はじめて顔だから女中が走り寄って、「どちらさまで?」と丁寧に訊いた。甲子屋は、この辺で聞こえた名代の茶屋だからむやみと客を通さない。「われわれはさる藩の留守居の者だが、暫時座敷を借りて寄合いをしたい」と、その中で年嵩たかな男が告げた。帳場の中から様子を見ていたおかみも、藩の留守居役と聞いて心にうなずいた。風采が立派なだけでなく、その渋い中にも粋好みがみえる。とても普通の武士ではこのような呉服の高尚さは分からない。 | ||
| 「蔵の中」 (彩色江戸切り絵図第五話) |
浅草龍玄寺・報恩講・お斎・祝言・一人娘・備中高梁・穴・河豚の毒・民間療法・土左衛門・戯作者・岡っ引き | |
| 十一月も半ばを過ぎると、冷え込みがひどくなる。雪もちらついてくる。「報恩講」が来たから寒いはずだと江戸の者は云った。十一月二十一日から二十八日まで行われる行事である。「報恩講」は「お講」とか「お七昼夜」などともいって、親鸞聖人の忌日を中心にして真宗各寺では法要を行なう。信徒は寺にも参詣するが、家でも仏壇を飾る。十二月近くともなれば、指の先がかじかんでくる。奈良の「お水取り」は春の兆しとされているが、「報恩講」は冬に入ったことを告げるのである。嘉永二年の十一月二十二日のことだった。日本橋本銀町二丁目に畳表や花筵の問屋で備前屋庄兵衛という店があったが、その夜に一大椿事が突発した。庄兵衛は今年五十四になる。元来が一向宗の信徒だから、この日は午前から浅草の龍玄寺に詣って、遅くまで法要の席に列していた。 | ||
| 「七種粥」 (紅刷り江戸噂第一話) |
なずな売り・若い後妻・手代との仲・好色な内儀・食中毒・トリカブト・岡っ引き・関東織物・世話焼き女房・嫉妬 | |
| その年正月六日は雪であった。「よく降るな」と、庄兵衛は炬燵の中にまるくなりながら、中庭の松の上に積もった雪を見て云った。広い家の中だが、しんとしている。「七種が明日にきて、やっと正月らしい気分になったわな」と、お千勢は庄兵衛に茶を淹れながら答えた。「うむ、おおきにそうだ。三ガ日は、まるで休んだような心地がしなかったからの」と、庄兵衛は若い女房のお千勢から渡された湯呑を手で囲いながら、軒から落ちる白いものを眺めた。庄兵衛は、日本橋掘留でかなり手広く商売をしている関東織物の問屋であった。今年四十九の小厄だ。先妻は七年前に死んで、いまのお千勢を五年前に迎えた。年は二十くらい違う。その器量を望んで庄兵衛が川越からもらった。お千勢の親は川越の地主だが、いったん嫁に行ったのが亭主の若死で家に戻ってきていたのだった。 | ||
| 「虎」 (紅刷り江戸噂第二話) |
鯉幟・渡り職人・張子の虎・町医者・男色・身代・人形屋・好色・火事・岡っ引き・笹子峠 | |
| 甲斐国甲府の町に皐月屋という鯉幟製造の旧い問屋があった。亭主は平兵衛といって、当時五十だが、三代目だった。甲府は今では勤番支配となっているが、その前は大和郡山に所替えになった柳沢美濃守吉保が居たり、徳川親藩の城下だったりした。昔は、いうまでもなく武田信玄の本拠であったから、武家風の習慣が盛んであった。また、甲州は甲府のほかにこれといった町も無く、したがって甲府の商売は奥が広かった。皐月屋もかなり手広く販路をもっていた。鯉幟はむろん五月の節句の間だけだが、これを作るのにほとんど一年中かかっている。皐月屋も内職人のほか、町の職人にも仕事を出していた。二月半ばのことである。皐月屋の表に旅姿の一人の若い男が入ってきた。彼は店先の上がり框に両手をついて番頭に云った。「てまえをこちらで雇っていただけませんか」その男は渡職人であった。たいてい店の人手不足のところを見込んで、いきなり雇ってくれと飛びこんでくるのだが、そうした渡り歩きの職人には腕の立つ者が多かった。 | ||
| 「見世物師」 (紅刷り江戸噂第四話) |
蛇使い・一本足・ろくろ首・大鮑・豊虎・大狼・湯文字・けころ・瓦版屋・嫉妬・同業者・神田の岡っ引き・文吾 | |
| このところ、両国の見世物小屋はいい種がなくてどこも困っていた。見世物小屋は両国と浅草の奥山とが定打ちだった。常設となれば、年じゅう新しい趣向を探していなければ客足が落ちる。両国橋を隔てた東と西の両側がこうした娯楽地だった。両方とも娘義太夫、女曲芸、講釈、芝居といった小屋がかかっているが、見世物もその一つである。ほとんど一年じゅう休みなしに興行をつづけているので、いつも同じものを見せてはならない。観客を飽きさせないように、ときどきは出し物の種を変える必要がある。この前は蛇使いを見せたから今度は一本足を見せる、次はろくろ首、その次は一つ目小僧、夏は化物屋敷きというように趣向を変えた。だが、客のほうはどうせマヤカシものとは分かっていながらも木戸銭を払って見てくれる。しかしどうしても新趣向の見世物小屋へ客足が集まるのは人情だ。 | ||
| 「術」 (紅刷り江戸噂第五話) |
木賃宿・居合抜き・大道芸・西国・浪人・広小路・イカサマ・首切り・女の被害者・出奔・岡っ引き | |
| 葉村庄兵衛は西国の浪人ということである。何処の生まれで、何藩に仕官していたかは当人が語らないので、はっきりしなかった。しかし、訛に九州弁があるので、九州のさる藩に仕えていたであろうことは推察できる。彼が寝泊まりしている神田の旅宿の旅芸人の話では、九州でも南のほうに近いということだった。あるいは豊後あたりの小藩に仕えていたことがあるのかもしれぬ。豊後には小さな大名が多い。前の素性はともかくとして、いまの葉村庄兵衛は女房もいない、子も居ない。年齢はすでに三十路を半ば近く越しているらしい。もっとも、彼の風貌がむさ苦しいので、実際以上に老けてみえるのかもしれなかった。眼が大きく、鼻の頭がひしゃげ、唇が厚い。まる顔で色が浅黒い。このような顔は南国の系統で、情に奔りやすい。女とことを起こしやすく、それで身を誤ることがある。どうじゃ、あんたには思い当たるところがあるじゃろうと、庄兵衛と一緒に広小路に出ている易者が彼に云った。庄兵衛は笑っていた。そうだとも、そうでないとも答えなかった | ||
| 「役者絵」 (紅刷り江戸噂第六話) |
お灸・浄応寺・下駄の雪・鎌倉河岸・袋物問屋・屏風・行燈・囲われ者・葭町・無宿人・酒飲み・祝い酒・岡っ引き | |
| 天保年間のことである。二月に入って春になったとはいえ、江戸はまだ寒い。ことにその年は例年になく寒気が強く、二日の灸の日は大雪であった。江戸の風習として、年に二回、男女とも灸点を行うのを例とした。二月二日と八月二日である。これを「二日灸」といった。「春もややふけゆく二月二日あたりははらにもぐさの萌ゆる若草」という狂歌は二月二日の灸のことをいった。灸を据えつけている者は、自分でもぐさをその個所に置けるが、そうでない者は、しかるべき人に灸点をおろしてもらわねばならない。そういうのを寺で行うことが多かった。二月二日が近づくと、小さな寺の門前には「二日灸」の貼り紙が出たものだ。谷中に浄応寺というあまり大きくない門徒寺があった。ここも例に洩れずに二日灸をした。灸を頼みにくる者も、町の按摩などに火をつけてもらうより、住職に灸点してもらったほうが何だか有難く、一年中、無事息災でいられそうであった。 | ||