松本清張_役者絵  紅刷り江戸噂(第六話)

〔(株)文藝春秋=全集24(1972/10/20):【紅刷り江戸噂】第六話〕

No_266

題名 紅刷り江戸噂 第六話 役者絵
読み ベニズリエドウワサ ダイ06ワ ヤクシャエ
原題/改題/副題/備考 ●シリーズ名=紅刷り江戸噂
●全6話=全集(6話)
1.七種粥
2.
3.突風
4.見世物師
5.
6.役者絵
(初出の【紅刷り江戸噂】シリーズでは対象外)
●発表雑誌=「別冊宝石」(1967年1月号)

〔(株)文藝春秋=全集24(1972/10/20)で
【紅刷り江戸噂】第六話として集録〕
本の題名 松本清張全集 24 無宿人別帳・彩色江戸切絵図/紅刷り江戸噂■【蔵書No0134】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1972/10/20●初版
価格 880
発表雑誌/発表場所 「別冊宝石」
作品発表 年月日 1967年(昭和42年)1月号
コードNo 19670100-00000000
書き出し 天保年間のことである。二月に入って春になったとはいえ、江戸はまだ寒い。ことにその年は例年になく寒気が強く、二日の灸の日は大雪であった。江戸の風習として、年に二回、男女とも灸点を行うのを例とした。二月二日と八月二日である。これを「二日灸」といった。「春もややふけゆく二月二日あたりははらにもぐさの萌ゆる若草」という狂歌は二月二日の灸のことをいった。灸を据えつけている者は、自分でもぐさをその個所に置けるが、そうでない者は、しかるべき人に灸点をおろしてもらわねばならない。そういうのを寺で行うことが多かった。二月二日が近づくと、小さな寺の門前には「二日灸」の貼り紙が出たものだ。谷中に浄応寺というあまり大きくない門徒寺があった。ここも例に洩れずに二日灸をした。灸を頼みにくる者も、町の按摩などに火をつけてもらうより、住職に灸点してもらったほうが何だか有難く、一年中、無事息災でいられそうであった。
あらすじ感想     内容とタイトルの「役者絵」に少し違和感がある。
言われてみればと云う感覚であるが、この作品は、最初から「紅刷り江戸噂」の作品として書かれたものではない。
舞台の時代は最初から明示してあり、他の作品と同時期のものと言ってよい。
天保年間。場所は谷中の「浄応寺」。蛇足的研究でも書いたが、実在の場所では無いようだ。
浄応寺は谷中にあった。二日灸で賑わっている浄応寺に宗太が現れる。
寺には、先客がたくさんあり、十足余りの下駄が並んでいた。その中にちょっと贅沢な女物の黒漆の下駄が眼についた。
下駄の持主らしい女が中にいた。女はひときは目立っていた。
女好きらしい隠居が、何かと話しかけている。
素人ではないらしく、笑顔にこぼれるような色気があり、隠居を適当にあしらっていた。
女が、灸を据えて貰う番になり、「お先」に声をかけ、次の部屋に向かった。
しばらく待つと宗太も小僧から呼ばれ、三文渡し次の部屋に向かった。
灸を終えた女とすれ違うように、宗太が住職の前で片肌を出した。
宗太の目には灸を終えた女が後衿を直す仕草が暗い中でも見えたような気がした。
住職は宗太に向かって「ご立派な体格ですな。どういうご商売で?」と訊いた。
「へえ、炭屋で働いておりますので...」
本当は鎌倉で河岸に着く舟の荷揚げ人足だった。半分は博徒が渡世の男だった。
宗太は、もう灸などどうでも良かった。
住職にどのくらい時間が掛かるか聞いた。「まだ、腕と、脛と、蹠(あしのうら)とがあるので....」
時間が掛かるという。
「そんなら、このくらいで結構です」宗太は住職が止めるのも聞かず、急に用事を思い出したと、
呆れ顔の住職を残して玄関に出た。
宗太は、先に灸を済ませた女を追ったのだ。

「先ほどはどうも」
「おや、もうお済みですかえ?」
あいにくの雪である。下駄の雪は時々落とさないと歩きにくい。肩に手を掛けさせ、下駄の雪を取ってやる。
細かい描写はないが、宗太が、女をモノにする切掛になった。

女の「どうするの?」の声が成り行きを暗示する。
女の名は、お蝶という。
あの日から二月も経つと宗太は三日に一度は女の住まいに泊まるようになった。
女は役者絵が好きと見えて、屏風などに役者絵がベタベタと張ってあった。
お蝶は囲われ者で、旦那は、淺草の袋物問屋美濃屋六右衛門。五十八歳、お蝶は二十二歳で、葭町に出ていた。

「どうするの?」とは、女が一緒に逃げてくれと云うことだった。
お蝶は、宗太に逃げてくれと話を持ちかけるが少々思い詰めているようだ。
このシリーズの作品(紅刷り江戸噂)は、女の色欲が濃く描かれている。
荷揚げ人足ので鍛えた二十六の宗太の身体はお蝶には離れられない物になっていた。
宗太もお蝶と一緒になりたかったが、生活の心配があった。お蝶は何としても働くと言うが、
それほど働き者には見えなかった。
水商売から、囲われ者になった女だ、なり振り構わず働くとは思えなかった。
お蝶は見透かしたように「あんた、金のことを心配しているのだろう?」
「そんなことなら気遣いはいらないよ」
お蝶の言葉に反応した宗太は、「どういうのだ、聞こう」
「わたしと一緒に死んでおくれ」お蝶の言葉に、「心中か。冗談はおいてくれ」
「あんた、そんなに薄情だったの?」
お蝶は、死ぬ覚悟があれば何でも出来ると言いたかったのだ。
死ぬ前に、生まれた甲斐のあるような愉しみや贅沢がしたいという庄太に、
「その愉しみをおまえとしたいから云っているんだよ」
お蝶は計画を話し始める。
お蝶の旦那の六右衛門は、五日に一度か、七日に一度くらいしかこない。十五日の掛け取りの帰りに必ず寄る。
その時は、十両や二十両の金を持っているというのだ。
「おめえはいい度胸だ」と云う宗太に、「あたしゃ本気で云っているんだよ」とお蝶は答えた。
お蝶は度胸が据わっていた。
考え抜いたであろう計画を宗太に話す。
お蝶と宗太の関係を知るものはいない。

美濃屋六右衛門は首を絞められて殺された。
お蝶と六右衛門の関係は知れ渡っていた。まずお蝶が疑われた。
調べたのは、縄張りにしている岡っ引きの文五郎という。
女手で一人で、六右衛門を殺せる訳はない。
お蝶も殊勝に文五郎の調べに応じた。お蝶の家に乗り込んだ文五郎は、屏風に役者絵が貼られていたのをみた。
「おや、おめえは芝居絵が好きかえ」

四,五日経って文五郎の子分が耳寄りの情報を聞き込んできた。
谷中の屋根町に宗太という荷揚げ人足がいる。小博奕打ちだが様子がおかしいというのだ。
殺しの下手人に見当がつかないと、土地の不良が目を付けられる。宗太はそんな一人だった。
宗太は徹底的に調べられる。お蝶という女を知らないかと責め立てられる。
勿論知らないという。お蝶も別の場所で宗太を知らないかと責められた。
二人は打ち合わせ通り、白をきり通した。
文五郎の方も特段証拠がある訳でもない。
いつまでも、番小屋の柱に縛り付けておく訳にはいかない。
文五郎は庄太を釈放せざるを得なかった。
文五郎は、証拠も何もなかったが、彼の勘からくるものだったが理屈を超えて宗太を疑っていた。
思案で眠れぬ夜を過ごした文五郎は、朝になると、二人の子分を呼んで指示をした。
「仙八。おめえの家の四畳半を今夜貸してくれ。それまでに買い物をしてくれ、調えて置いていえtもらいたいものがある」
「寅。おめえはおれと一緒に宗太とつき会ってくれ。おめえは飲めるほうだ」
戸惑う二人に「なんでもいい。おれの云う通りにしろ」

文五郎は、宗太の帰りがけを捉えて、声をかけた。
「この前は、とんだ迷惑をかけたな。今、帰りかえ?」
宗太は気味が悪かったが、子分の寅を連れていて、寅吉はにこにこ愛想を向けていた。
詫びのしるしに祝い酒を奢らしてくれと誘った。
六右衛門殺しの下手人が捕まったと話を続けた。さすが、宗太は驚いて「えっ、下手人が?」
下手人は、佐渡から逃げ帰った無宿人だという。「おめえには申し訳なかった、勘弁してくれ」
下手に出る文五郎だった。
宗太は狼狽えたが、「いえ、まあ、めっそうもない...」

散々酔っ払った宗太を寅吉が担ぎ込んできた。
宗太が担ぎ込まれた家は、仙八の家で、役者絵が屏風に貼られている。仕掛けが出来ていたのである。
酔った宗太は、ボンヤリした頭で眼が醒めた場所を考えた。てめえの汚い蒲団ではなかった。
「緋の夜具」「枕も違う」「女の着物をかけた行燈も別のもの」全く見覚えのないものでもない。
それどころか、見慣れたものだった。
ぼんやりした頭は結論を出した。お蝶の家だ!
宗太は自分に都合良く経緯を整理して安堵し、喉の渇きを収めようとした。
「お蝶、お蝶。水をくれ」
彼は大声で怒鳴った。

入ってきたのは、お蝶ではなかった。
「おう、宗太」
文五郎は笑いながら云った。

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タイトルの「役者絵」が少々違和感があると冒頭に書きましたが、それは、シリーズ第三話の「」と同様の違和感です。
この「役者絵」でも、小道具として「役者絵」が「役者絵」である必要をあまり感じないのです。
「張り子の虎」や「こけし」でも、他のモノでもいいのではでしょうか。
こんなことを言ってしまえば、身も蓋もないと云えるかも知れませんが、
タイトルにすべきキーワードになるのだろうかという疑問です。
「役者絵」では即物過ぎる。
清張的なタイトルなら、『下駄の雪』とでもしたいと思いました。
まさに蛇足的思考の戯言でした。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鎌倉河岸(かまくらかし)は、東京都千代田区内神田1、2丁目にあった河岸である。
■名前の由来
江戸城築城の際に鎌倉からの石材をここで陸揚げしたことに由来する。
1889年(明治22年)に神田区の公式町名となり、1935年(昭和10年)には鎌倉町へと編入された。
2019年現在の内神田1、2丁目にあたる。
■場所
現在の千代田区、日比谷通りの神田橋のたもと付近に存在した。
河岸のあった日本橋川は外濠と隅田川を結び、江戸の外湊と内湊をつないでいた水路である。
当時、鎌倉河岸は江戸城本丸に最も近い荷上場であったため、多くの物資が荷揚げされ、問屋街の形成につながった。
それに隣接する町は鎌倉町と名付けられ、1657年(明暦3年)の
「新添江戸之図」には、すでに「かまくら丁」の名が記載されている。
現在その地域は1966年(昭和41年)の町名変更により内神田の一部となっている。


鎌倉河岸の遺構

●葭町【よしちょう】
東京都中央区の町名。現在は日本橋人形町。
湿地帯だったが江戸初期に埋め立てられ,1618年各所に散在していた遊里を集めて葭原(吉原)と称した。
陰間茶屋もあり,以後,東隣の人形町とともににぎわった。
遊廓は,1657年浅草(現在の台東区千束の地)に移転され,以後浅草の新吉原に対してこの地を元吉原と呼んだ。



2024年05月21記 
作品分類 小説(短編・時代/シリーズ) 11P×1000=11000
検索キーワード お灸・浄応寺・下駄の雪・鎌倉河岸・袋物問屋・屏風・行燈・囲われ者・葭町・無宿人・酒飲み・祝い酒・岡っ引き 
登場人物
宗太 小悪党の遊び人。鎌倉の河岸の荷揚げ人足をしている。二日灸に行ってお蝶を見つける。
色男なのか、お灸の帰りにお蝶と馴染みになり、三日とあけず入り浸りになる。お蝶に持ちかけられ、六右衛門殺しを手伝う。
お蝶 美濃屋六右衛門の囲われ者。二十二歳。六右衛門の殺害を、宗太と共に計画するが、首謀者はお蝶。
美濃屋六右衛門 五十八歳。淺草で袋物問屋を営んでいる。お蝶を囲っている。毎月十五日の集金の日にお蝶の家に顔を出すが、その金を目当てに殺される。
文五郎 六右衛門殺しを担当する岡っ引き。子分に仙八と寅吉がいる。
お蝶の家で「役者絵」を見て一計を案じる。子分に指示して、宗太を罠に掛ける算段をする。見事にはまって事件を解決に導く。
仙八 文五郎の子分。文五郎に指示で、役者絵を集め、自分の部屋をお蝶の部家に設える。
寅吉 文五郎の子分。文五郎の指示で宗太を酒に誘う。酒の強い寅吉は、宗太を前後不覚まで酔わせ、お蝶の部家に仕立てた仙八の部家に宗太を連れ込む。

役者絵




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