松本清張_  紅刷り江戸噂(第五話)

〔(株)文藝春秋=全集9(1972/10/20):【紅刷り江戸噂】第五話〕 

No_265

題名 紅刷り江戸噂 第五話 術
読み ベニズリエドウワサ ダイ05ワ ジュツ
原題/改題/副題/備考 ●シリーズ名=紅刷り江戸噂
●全6話=全集(6話)
1.七種粥
2.
3.突風
4.見世物師
5.
6.役者絵
本の題名 松本清張全集 24 無宿人別帳・彩色江戸切絵図/紅刷り江戸噂■【蔵書No0134】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1972/10/20●初版
価格 880
発表雑誌/発表場所 「小説現代」
作品発表 年月日 1967年(昭和42年)11月号〜12月号
コードNo 19671100-19671200
書き出し  葉村庄兵衛は西国の浪人ということである。何処の生まれで、何藩に仕官していたかは当人が語らないので、はっきりしなかった。
しかし、訛に九州弁があるので、九州のさる藩に仕えていたであろうことは推察できる。
彼が寝泊まりしている神田の旅宿の旅芸人の話では、九州でも南のほうに近いということだった。
あるいは豊後あたりの小藩に仕えていたことがあるのかもしれぬ。豊後には小さな大名が多い。
前の素性はともかくとして、いまの葉村庄兵衛は女房もいない、子も居ない。年齢はすでに三十路を半ば近く越しているらしい。
もっとも、彼の風貌がむさ苦しいので、実際以上に老けてみえるのかもしれなかった。眼が大きく、鼻の頭がひしゃげ、唇が厚い。
まる顔で色が浅黒い。このような顔は南国の系統で、情に奔りやすい。
女とことを起こしやすく、それで身を誤ることがある。
どうじゃ、あんたには思い当たるところがあるじゃろうと、庄兵衛と一緒に広小路に出ている易者が彼に云った。
庄兵衛は笑っていた。そうだとも、そうでないとも答えなかった
あらすじ感想   面白かった。
葉村庄兵衛が最初から怪しいのだが、話の展開をかなり引き延ばしている感じがして、
途中で謎解きの「探偵役」なのかと迷わせられた。
結末は一ひねりあり楽しめた。「くるま宿」・「左の腕」・「」・「白梅の香」等の清張作品(時代物)に
通じるものがある。
私の好きな作品群でもあるのだろう。

葉村庄兵衛は、誰が見ても過去に何かありそうだった。三十四,五になるので女房が居ないはずは無い。
西国の浪人というふれ込みだが、神田の木賃宿に泊まり、夜は広小路で商売をしている。
九州訛りがあるので、元は豊後あたりで仕官していたのだろうとの噂だった。
広小路での商売とは、大道で居合抜きを見せ、貝殻に詰めた薬を売るのだった。
早い話、「ガマの油売り」なのだが、庄兵衛が売るのは粉薬で、大道商人用の品を卸す店がありそこから
買ってきたものなのだ。
彼の大道芸は見事で、その秘密を聞き教えを請う者も居たが、「術」だと言った。カラクリは何もなかった。
根が善良で、酒も飲む。木賃宿には様々な同宿者がいたが、「居合抜きさん」で皆に慕われていた。

【ガマの油売り】


庄兵衛は厳しいところもあった。
秘訣を売る香具師が現れ、「水に入って溺れぬ方法」なるものを冊子にして売っていた。
その男は、二十七,八で色の蒼白い痩せた顔だった。
「ガマの油売り」も落語にあるが、この秘本売りも同様の話がある。
「秘本」は買ってもその場で見てはならぬ、ただで盗みをするケチな奴がいる。必ず家に帰ってみるようにと念を押す。
帰って開けてみると、白い紙に《水に入って溺れない心得は、膝頭から上は水に入らぬことなり》
下手な文字が一行しるしてあった。
たいていのものは、安い物だし、たちの悪い人相の男を思い諦めるのだが、馬鹿にしている、騙されたと
文句を付けに行くものが居た。
「秘本」売りの男は、
「何だと。なにもこっちは深みに入って溺れね法とか、海の真ん中に落ちても溺れねえ秘訣とは云っちゃいねえ。...」
これで勝負は付いた。他に文句を言いにきた者も黙ってしまうことになる。
庄兵衛は、そのやり取りに口を出した。
「おまえさん。さっきから聞いているが、そいつは少しおまえさんにむりがあるようだ。」
九州訛りの言葉で云った。
「何を」男は蒼い顔で睨みつけた。
庄兵衛は怯むことなく続けた。
「いや、お互い同業者だから遠慮しようと思ったがな...術の売り方が少しまやかしすぎる。あれではイカサマだ」
庄兵衛の言い分は、同業者であり、俺の薬は効かないかもしれない。
だが、おれは自分の腕に傷を付けて血が止まる「術」を
売っている。客はいわば俺の術を買っている。お前のはイカサマだと云うのである。
喧嘩を売られた感じになった男は、大道で居合抜きなんかしやがって、薬を売りつけている。
おいらと変わりないじゃないかという。仲間の仁義を知らない奴だと言い返した。
相手が侍、さすがに殴りかからなかったが、庄兵衛に唾を吐きかけた。
庄兵衛が除けたと同時に、男は抛り出された。男は地面にうずくまったまま立てなかった。懐から匕首が落ちた。
「仲間の仁義は心得ている」
鮮やかである。時代劇の啖呵はスカッとする。「だが、イカサマは仲間じゃない」庄兵衛は見下して追撃の言葉を加えた。
男の名は源六と云って、向島の平造の子分だと、今まで見て見ぬふりをしていた香具師や大道物売りが教えてくれた。

明くる朝、庄兵衛の泊まる木賃宿へ入れ墨をチラつかせる輩が十人ばかり押しかけてきた。
薬売りの居合抜きに遇いたいと短刀や棍棒でせまった。
宿屋の亭主の知らせで、二階から降りてくる庄兵衛を見つけた昨日の男が飛び出してきて「こいつだ、こいつだ」
「礼に来るにしては人数が多いな」
ここでのやり取りは芝居がかっている。
黒澤明監督の映画、「用心棒」・「椿三十郎」に登場する三船敏郎に葉村庄兵衛を演じさせてみたい。
「親分さんには、おれのほうから遇いにいこう」
心配する二階の仲間や亭主を後に、博徒の平造の子分たちに囲まれて表に出て行った。
二刻ほどして庄兵衛は何事も無かったように帰ってきた。
仲間は庄兵衛の武勇出を聞かされ納得した。

秋の晩、木賃宿で仲間と酒を飲んでいるとき、捨首の噂があるのを知っているかと話し始める男がいた。
二,三の男は、聞いていると答えた。
庄兵衛は知らなかった。
武士の屋敷に生首を置いて帰るらしい。屋敷では大騒ぎ、番人を出すやら辻番を夜通し立て見張るやら。
庄兵衛は、武家屋敷に生首を置いて帰ることはそんなに悪いことでは無い。屋敷の主人は、屋敷に生首とは縁起が良い。
と喜んだらしい。侍となると、そういう考えをする者なのかと皆は感心した。
庄兵衛は続けた。
屋敷の前に生首を置くとは、どうせ遺恨があっての仕業、家名に疵を付けられるのを嫌った主人の強がりで体裁だろう。
庄兵衛の見立てが正しいのだろうが、その噂の生首の話は本当なのか?
生首の話を始めた男は子細を話し始めた。
実は、結末に関係ある伏線が語られる。(ネタバレになるから割愛)
庄兵衛は、「奇態な話があるものだ」と云ってから、それから後の話は聞かなかった。

そんな雑談があった日から2日後の朝、土地の岡っ引きが、子分を連れてやってきた。
岡っ引きは、亭主を呼んでくれと女中に頼んだ。その前に、居合抜きの浪人がいるかと確認した。
浪人の名前を葉村庄兵衛と聞いて、亭主を呼べと伝えた。
岡っ引きは亭主に庄兵衛の素性を問いただした。亭主との話に切りを付けて、葉村庄兵衛を呼べと云った。
庄兵衛が降りてきた。「わたしに用事だそうだが、何ですな?」
岡っ引きは庄兵衛の日頃の行動を子細に聞いた。庄兵衛の答えは岡っ引きを納得させるものだったらしく、疑いは晴れた。
岡っ引きは、庄兵衛との話で、庄兵衛の人柄が分かったようだ。
岡っ引きの疑いは、「生首事件」の詮索だったのだ。居合抜きの腕が目を付けられたのだった。
庄兵衛は、それほどの腕では無いと謙遜しながら、岡っ引きに首切り事件の子細を聞いた。
話は、木賃宿での話より、より具体的だった。
普通辻きりの仕業なら、肩から袈裟懸けに斬るのだが、三件とも首を切り落とされている。
しかも、両手を後ろ手に縛られている。
庄兵衛も首をかしげる。
「それはまた覚悟のいいことだ。ふつうの辻斬りだと、ふいに出て襲うはずだがな」
「それでわっちらも戸惑っているんです。なぜ縛られているかとね」
「はじめ刀で脅して、両手を縛ったのじゃないかな?」

さらに首を切られた方は穏やかな顔をしている。なかにはうす笑いをしている者もいる。と岡っ引きは話す。
生首を持ち歩く人の噂があるが、首は現場に転がっている。しかも、持ち歩く噂の方が先にあるというのだ。
この事件の特徴が岡っ引きによって語られる。
斬られた人間の暮らし向きはあまりよくない。三人貧乏人ばかり。
首切りの場所は本所と深川そして淺草。わりと人家の多いところ。二件は昼間の事件
夜殺されたのは淺草。と忠七は話した。ここで初めて、岡っ引きの名が忠七と出てくる。
一通り話を聞き終えた庄兵衛の言葉が岡っ引き達をおどかせた。
>「わたしも自分が疑われたから云うのではないが、少し考えてみよう。今の話のことをね」
庄兵衛は、殺された人間達がなぜおとなしく縛られていたのか、その上、助けを呼ぼうとしなかったのか、
柔和な顔で首を切られたのか、これらが解ければ、下手人の目星が付くのでは無いかというのである。
しかも、明後日にもう一度来てくれないかとまで云った。

約束通り、二日後、忠七は庄兵衛いる木賃宿を訪ねた。忠七は一人で来ていた。
庄兵衛は先に幾らか手がかりがついたか聞いた。
忠七の「...なかなか目星がつかねいので困っています」の返事を聞いて
「困ったことだな」と返した。忠七は、もう一度来てくれと言いながら、いい思案が浮かばないのだなと思った。
素人の居合抜きの浪人に分かるはずが無いというのが本音だった。
しかし、庄兵衛は、これから出掛けるので、忙しくなかったら広小路まで付いてきてくれと云った。
少し渋った忠七に、少し思いついたことがある。見せたいものがある。それから私の考えを述べようというのだった。

昼間の上野広小路には、大道商人が道端に店を開いている。
庄兵衛はいつぞやのイカサマ香具師の話を、「術」の持論を絡めて話した。
なかなか話を進めない庄兵衛に忠七は、じりじりして首切りの件の目星を聞いた。
首を斬られたものは、金目当てはないかと話した。しかし、それでは金目当てでおとなしく首を切られる者はいない。
普通は逃げるし、騒ぎ立てる。
今日のところはこれまでと云うように、庄兵衛は商売に取りかかった。
「ささ、お立ちあい.....」庄兵衞の見事な居合抜きを後ろから眺める岡っ引きの忠七だった。

また首切りがはじまった。
忠七は同心の高村龍助に愚痴をこぼして顔をしかめた。
同心も下手人の見当が付かなくて困っているのだった。
新しく首切りがあったのは、淺草の馬道で、岡っ引きは定吉の縄張だったが、高村龍助は、
あまり信頼していないようだった。
忠七は、「金目当て」ではないかと、同心の高村に話したが、高村相手にしなかった。
それは、庄兵衛や忠七の疑問でもある、おとなしく縛られ、苦悶の表情もナシに斬られている事実を解決できないからだ。
忠七は、淺草馬道の首切りの時の庄兵衛のアリバイを子分に確認させた。葉村庄兵衛の無関係は証明された。

二日後、本所で事件は起きた。岡っ引きの縄張りは、粂蔵
今度は女が斬られた。眼を剥き、歯を食い縛っていた。
縄張り外だったが、忠七は高村龍助に呼び出され出掛けていった。
殺された女の亭主は、倉橋三左衛門といい西国の浪人と云った。殺された女房の名前はお絹
亭主は、女房は恨まれる筋合いはないと云ったが、当てにはならない。
調べてみたが、評判は決して悪くはなかった。夫婦仲も良いが子供はいなかった。
縄張りの粂蔵は、先代が岡っ引き仲間で、忠七も世話になっていた。
粂蔵は二十八の若造で、忠七は、手柄を立てさせてやりたいとも思っていた
粂蔵は、忠七が探している首切りと同じ下手人か忠七に問いかけた。忠七はハッキリ答えることは出来なかった。
同じようであり、違うところもあるので、忠七自体五里霧中なのだ。

翌る日、忠七が高村の所に顔を出すと、高村は、「昨日の本所の一件だが、下手人が割れたらしいよ」と云った。
若い粂蔵にしてやられたと思った。「で、下手人は誰です?」
「殺された女の亭主だ」
昨夜通夜をしたきり、行方をくらましたらしい。粂蔵が浪人の後を追っているとのことだった。
それから三日後、忠七は、葉村庄兵衛から呼び出しを受けた。
昨日も深川で首切りがあったばかりだった。

「親分、どうやら見当がついたよ」庄兵衛は云った。
庄兵衛は想像を話す前に確かめるから付いてきてくれと忠七を伴って出掛けた。
庄兵衛の謎解きは具体的行動を伴って忠七に見せるのだった。
首を切られた、貧乏人を人選する。
人選された貧乏人を後ろ手に縛る。それを難なくやってのける。
一芝居打って土下座をさせ首をはねるのだった。もちろん実際に首をはねる訳では無い。
なかなかの謎解きである。
忠七は唸った。そして駆けだした。「葉村の旦那、後でお礼にあがりますよ」の言葉を残して。
葉村庄兵衛は本所の女房殺しの件は知らないようだった。

結末の一ひねりが際立つ。
忠七は、はっと思いつく。庄兵衛も西国の出身...
忠七が葉村庄兵衛を訪ねて、木賃宿へ行くと、三日前にここを引き払って出られた。広小路の商売もやめたそうだ。
庄兵衞の行方不明の理由は、浪人倉橋三左衛門の妻が殺されたことに関わっているのでは....
これ以上書くとネタバレ。

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岡っ引きの名前が沢山出てくる。()内は、縄張り
定吉(淺草馬道)
粂蔵(本所)
肝心の忠七の縄張りがハッキリしない。木賃宿は神田にあり、地元の岡っ引きが訪ねてきたとある。
忠七の縄張りは神田なのかもしれない。



2024年05月21日記   
作品分類 小説(短編・時代/シリーズ) 21P×1000=21000
検索キーワード 木賃宿・居合抜き・大道芸・西国・浪人・広小路・イカサマ・首切り・女の被害者・出奔・岡っ引き 
登場人物
葉村庄兵衛 西国から流れてきた浪人。居合抜きの技を見せて、粉薬を売る。岡っ引きの忠七と首切りの下手人を探す手伝いをする。
謎解きを実地で見せて忠七を納得させる。しかし、行方をくらます。
忠七 岡っ引き。縄張りは神田付近らしい。高村龍助が忠七担当の同心。
葉村庄兵衛の助けで下手人の目星を付ける。お礼に庄兵衛を訪ねるが、庄兵衛は行方不明になっていた。忠七は、葉村庄兵衛の暗い影を感じていた。
高村龍助 忠七の担当同心。いろいろ登場する岡っ引きの中でも忠七を信頼していた。
粂蔵 忠七が世話になった岡っ引きの後取り。二十七歳の若造。
定吉  淺草馬道の岡っ引き 
源六  大道で商売をしているが、葉村庄兵衛に注意をされ逆恨みで、木賃宿の庄兵衛の所へ押しかける。
平造 源六の親分。博徒。葉村庄兵衛が押しかけてきた源六を伴い遇いに行く。顛末は何も書かれていないが、庄兵衛の武勇伝で終わったようだ。
倉橋三左衛門 殺された女の夫。西国の出身。女房のお絹と出奔したようだ。女房が殺された原因に心当たりがあり、失踪する。
失踪したことで、妻殺しの疑いを掛けられる。
お絹  倉橋三左衛門の女房。首を切られて殺される。確定的に書いてはいないが、葉村庄兵衛の元妻。 






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