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検索キーワードに見る清張作品の傾向と対策?

(その七:弁護士)

清張作品の書き出し300文字前後からあぶり出すキーワード!


ページの最後


●警察官・刑事・検察とくれば「弁護士」でしょう


捜査圏外の条件」(1957年)
霧の旗」(1959年)
やさしい地方」(1963年)
種族同盟」(1967年)
奇妙な被告」(1970年)
作家の手帖T折々のおぼえがき」(1980年)
疑惑」(1982年)


「弁護士」だから現代ものです。

●キーワードで「警察官」・刑事・検察
火神被殺」・草の径 第七話 「老公」・「生けるパスカル」・「留守宅の事件
憎悪の依頼」・黒の様式 第二話 「犯罪広告」・「日光中宮児事件」・「上申書」「神々の乱心(上)」・「告訴せず

●キーワードで「刑事」
死の枝 第七話 ペルシャの測天儀・霧の旗・張込み・日光中宮祠事件

●キーワードで「検察」
草の陰刻・憎悪の依頼・夜光の階段(上)


書き出しだけでは、警察官・刑事・検察と並んで「弁護士」が登場する事は
ほとんどない。

組み合わせでは、
刑事と弁護士=「霧の旗
警察官と検察=「憎悪の依頼



2008年09月19日


題名 「弁護士」
●「捜査圏外の条件 .......殿   殿とだけ書いて、名前が空白なのは、未だに宛先に迷っているからである。あるいは警視庁の捜査官あての名前になるかもしれぬ。あるいはしかるべき弁護士の名を書き入れるかもしれぬ。もしかすると、このまま空白でおくかもしれない。その決着はこの手紙の最後まで書かないと今の自分には決心がつかない。そのうえ、これが手紙であるか、手記であるか判然としない。手紙とすればはなはだ蕪雑な字句で不遜である。手記とすれば、宛名の部分を設けて個人あての体裁にすぎる。宜なるかな、文章を両股に掛けているのは、もっと別な意味にもなろうかとの仮構である。これを書くにあたって、まず昭和二十五年の四月のことから記さねばならない。今から七年前である。当時、自分は東京××銀行に勤めていた。三十一歳であった。勤務先の銀行は日本でも一流であった。独身だし、環境に不足はなく、生活は面白かった。前途に人並みの希望をもった。自分は阿佐ヶ谷の奥に一軒家を借りて、妹とともに住んだ。今はどうなっているのか知らないが、当時はまだ近所に小さな雑木林が残っていて、無理に嗅げば、武蔵野の匂いがなくはなかった。自分は心たのしく通勤した。
●「霧の旗 柳田桐子は、朝十時に神田の旅館を出た。もっと早く出たかったが、人の話では、有名な弁護士さんは、そう早く事務所に出勤しないだろうということで、十時になるのを待っていたのだ。大塚欽三というのが、桐子が九州から目当てにしてきた弁護士の名であった。刑事事件にかけては一流だということは、二十歳で、会社のタイピストをしている桐子が知ろうはずはなく、その事件が突然、彼女の生活を襲って以来、さまざまな人の話を聞いているうちに覚えたことである。桐子は一昨日の晩に北九州のK市を発ち、昨夜おそく東京に着いた。神田のその宿にまっすぐに行ったのは、前に中学校の修学旅行のとき、団体で泊まったことがあり、そういう宿なら何となく安心だという気がしたからだ。それから、学生の団体客を泊めるような旅館なら、料金も安いに違いないというつもりもあった。
●「やさしい地方 今から十三年前、沼地恭介はある高名なA弁護士の事務所に所属していた。その頃、彼は三十歳だった。今でもそうだが、当時から女房も居ず、酒も呑めなかった。だが、女好きで、事務所もとかく怠けがちだった。彼は目先が利く性質で、カンもよかった。事件の弁護を担当させられると、記録書類を概略見ただけで要点をつかんだ。また奇妙にそこからアナを見つけ、有利な弁護の足がかりにした。その点はほとんど天才的だった。法廷では、胸を張って堂々たる弁論をぶった。大きな声で美辞麗句を連ね、壮麗な論旨を展開した。しかし、このようなやり方をA先生は好まなかった。どちらかというと地味で堅実なA先生は、沼地恭介の方法をハッタリだと批判した。そんなことで、沼地恭介は一緒に働いているほかの同僚よりはぱっとしなかった。しかし、彼は弁護士として将来大成する意志はなかったから、高名な弁護士のもとで冷遇されても、その方面で腐ることはなかった。それよりも彼はもっと派手な世界を眼前に描いていた。
●「種族同盟 人間の不仕合せは、ほんのちょっとしたはずみから起きる。あたかも空気中には見えない菌が浮遊していて、指の一端に接触するようなものだ。私の場合、それは東京地裁の廊下で起った。何かの用事で歩いていると、向うから同業の楠田弁護士が小脇にふくらんだ風呂敷包みをかかえ、忙しそうにくるのに出遇った。私たちは、そこで立ち話をした。「だいぶん忙しいそうだね?」「うん、国選弁護を少し引受け過ぎた」楠田弁護士は小脇の風呂敷包みをゆすりあげて見せた。もちろん、事件書類が詰まっているのだ。「君は精力家だから、何とかこなせるだろう?」「それはいいのだが、少し困ったことができた。仙台の母親が危篤なんだと云ってきた。永いこと床についている年寄りで、今度はいけないかもしれない。それで、僕も二、三日は帰ってきたいのが、この通り仕事をかかえているし、弱って・./seityou_g/004_sei_giwaku__01.htmlなことから、私は彼を手伝うことになったのだ。
●「奇妙な被告 事件は単純に見えた。秋の夜、六十二歳になる金貸しの老人が、二十八歳の男に自宅で撲殺された。犯人は老人の手提金庫を奪って逃げ、途中で金庫を破壊して中の借用証書二十二通の中から五通を抜き、その手提金庫は灌漑用の溜池に捨てて逃走した、というものである。住宅の造成がすすんでいる東京の西郊だが、そのへんはまだ半分は田畑が残っているという地帯だった。若い弁護士の原島直己が、所属する弁護士会からこの事件被告の国選弁護を依頼されたとき、あまり気がすすまないのでよほど断ろうかと思った。ほかに三つの事件(これは私選の弁護)を持っているので相当に忙しい。それを理由に辞退してもよかったが、弁護士会の事務長が、実は所属の他の弁護士がいったん引き受けたのだが、急病で断ってきた、公判も間もなくはじまる予定で裁判所も当惑しているから、できるなら引きうけていただきたい、事件は単純だから適当にやってもらって結構、と、あとの言葉は低くいった。
●「作家の手帖T折々のおぼえがき ○ボス弁護士                                借地の立ち退きを地主から迫られた杉並区高円寺居住の杉野由利子(未亡人。四十歳前後か=仮名)は、東京弁護士会の大物江藤円次郎(元社会党代議士=仮名)に、紛争の調停依頼をなす。しかし、ラチがあかないため江藤弁護士に手紙を出す。それに対する同弁護士の返答。《前略。御書面を拝見しました。奥さまのお気持ちはよく分かります。男と男(注。由利子の亡夫)との立派な約束が相手方の不幸に乗じて弊履の如く破られることに義憤を感じます。私も男の一人として、恥ずかしい思いをします。しかし、ご主人が亡くなられたばかりに、女子供とあなどって、こんな仕打ちに出る宮田氏(地主)のような男は、日本人の中にそう多くはないのです。昔から”人を見たら泥棒と思え”という言葉があるかと思えば”渡る世間に鬼はない”という言葉もあります。私は後のほうを信じるものです。
●「疑惑 十月の初めであった。北陸の秋は早くくるが、紅葉まではまだ間がある。越中と信濃とを分ける立山連峰のいちばん高い山頂に新しい雪がひろがっているのをT市から見ることができた。T市は県庁の所在地である。北陸日日新聞の社会部記者秋田茂一は、私立総合病院に入院している親戚に者を見舞ったあと、五階の病棟からエレベーターで降りた。一階は広いロビーで、受付や薬局の窓口があり、長椅子が夥しくならぶ待合室になっていた。そこには薬をうけとる外来患者がいつもいっぱいに腰をかけていた。名前を呼ばれるまでの無聊の時間を、横に据えつけたテレビを見たりしていた。ロビーから玄関の出口に歩きかけた秋谷の太い黒縁眼鏡の奥にある瞳が、その待合室の長椅子の中ほどにいる白髪の頭にとまった。頸が長く、痩せた肩が特徴で、後ろから見ても弁護士の原山正雄とわかった。原山はうなだれて本を読んでいた。

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