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松本清張_老公  草の径(第六話) 

〔(株)文藝春秋=【草の径】(1991/09/30)で第六話として集録〕・全集では一話として集録

No_077

題名 草の径 第六話 老公
読み クサノミチ ダイ06ワ ロウコウ
原題/改題/副題/備考 【重複】〔(株)文藝春秋=松本清張全集66〕
月刊文藝春秋連載

1.ネッカー川の影
2.死者の眼の犯人像(
改題=死者の網膜犯人像
3.
「隠り人」日記抄
4.
モーツアルトの伯楽
5.無限の渦巻文様(
改題=呪術の渦巻文様
6.
老公
7.
夜が怕い

※順番は発表当時の順
●単行本・文藝春秋【草の径】
(全7話)

第一話『ネッカー川の影』
第二話『死者の網膜犯人像』
第三話『「隠り人」日記抄』
第四話『モーツアルトの伯楽』
第五話『呪術の渦巻き文様」
第六話『老公』
第七話『夜が怕い』 
●全集66【草の径】(全7話)

1.老公
2.
モーツアルトの伯楽
3.
死者の網膜犯人像
4.
ネッカー川の影
5.
「隠り人」日記抄
6.
呪術の渦巻文様
7.
夜が怕い
本の題名 草の径【蔵書No0039】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1991/08/01●3版1991/09/30
価格 1300
発表雑誌/発表場所 月刊「文藝春秋」
作品発表 年月日 1990年(平成02年)12月号~1991年(平成03年)1月号
コードNo 19901200-19910100
書き出し 都内の各地域の中小の古書店が連合して神田の古書会館で展示即売会の「古書市」を催しているが、開催日三週間前くらいにその目録が送られてくる。わたしはある新聞社の文化部を定年退職してから三年になるが、たまに雑誌に雑文を書いている。去年の三月だった。それは目黒のほうの古書店連合の展示会目録だったが、四十ページばかりの小冊子にぎっしりとつまった活字の中に「西園寺公爵警備沿革史 静岡県警察部 1万円」というのが目にとまった。わたしの胸は針金で突かれたように動悸がうった。静岡県警察部編の西園寺公邸警備といえば興津の座漁荘にきまっている。非売品にちがいない。というのは、戦前に出た司法研修所資料とか警察研修所資料といったものはたいてい検事か警察官の執筆で、検事だと事例を引いての犯罪の分析とか、ときには外国の犯罪研究の翻訳が載ったりする。警察官だと著名犯罪を引用しての捜査の検討とか反省といったものが書かれている。表紙にはどれも「部外秘」の囲いが付いているが、面白いものもあれば、つまらないものもある。しかし、この『西園寺公爵警備沿革史』は必ず充実した内容にちがいないと思った。
あらすじ感想   残念ながら、小説としては全く興味が持てなかった。したがって、関連した事項を列挙しながら紹介とさせて頂く。
「老公」とは、西園寺公望(サイオンジキンモチ)。
古書の「「西園寺公爵警備沿革史」を巡っての話しのようだ。
西園寺公望は、
明治,大正,昭和3代にわたり首相,元老として天皇制政権の中枢にあり,立憲主義の確立,維持に努めた公卿出身の政治家。
右大臣徳大寺公純の次男で,幼時に西園寺家を継いだ。 ともに摂家につぐ清華の家柄である
二番目の妻である、お花さんにまつわる話しが主題か?
お花さんは奥村花子といい、明治28年(1895)に滋賀県大津市の貧しい農家に生まれ、口入屋(注)の紹介で西園寺さんの女中になりました。
お花さんは、二番目の奥さん?
公望は、正妻は持っていなかったようだ。内縁関係らしいが、最初の妻は、お菊さん(小林菊子)。二番目は、中西房子。
お花さん(奥村花子)は、三番目の妻とも言われている。が、女中頭の身分だったようだ。

●「古書」
古書と云えば、以下の作品が思い浮かぶ。
二冊の同じ本」・「相模国愛甲郡中津村」・【隠花の飾り】第十一話「遺墨
まだ他にもありそうだ。

●西園寺公爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西園寺 公望(さいおんじ きんもち)
西園寺公望【嘉永2年10月23日〈1849年12月7日〉~ 昭和15年〈1940年〉11月24日)】は、日本の公家、政治家、教育者。
位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒
父は、徳大寺公純
  座漁荘

坐漁荘(ざぎょそう)は、元老であった公爵・西園寺公望が1920年(大正9年)に静岡県庵原郡興津町(現在の静岡県静岡市清水区)に建てた別邸。
建屋の老朽化が著しくなった1968年(昭和43年)に、博物館明治村への移築話が纏まり、1970年(昭和45年)に明治村での移設公開が始まった。
その後、2003年(平成15年)には登録有形文化財に登録され[9]、2012年(平成24年)5月23日より建物保存のため大規模工事が行われた。
2017年(平成29年)2月には、数寄屋造住宅の貴重な現存例として、重要文化財に指定された[10]。


現在、静岡市清水区興津清見寺町115番地に存在するものは2004年(平成16年)に復元されたものであり、興津坐漁荘の名称で一般に公開されている。
「興津坐漁荘」は、1919年(大正8年)、70歳になった西園寺公が老後の静養の家として、興津清見寺町に建てた京風の純和風建築の別荘です。


●荻外荘と座漁荘(テキガイソウとザギョソウ)
全くもって中途半端な知識と記憶です。
「荻外荘」と「座漁荘」が何時しか混同していました。
「荻外荘」は、杉並にある。近衛文麿の邸宅であった荻外荘(てきがいそう)の敷地を公園として整備した施設である。
作品には直接登場しないが、「眼の壁」で登場人物の『舟坂英明』が住む邸宅の描写がある。
私はその邸宅が杉並に位置する描写にそれらしき屋敷を撮影したことがあった。(杉並区中央図書館前
それは、眼の壁の中に次の記述があった。
>車は荻窪の邸町(やしきまち)の方へ。もと近衛公別荘の萩外荘付近に停まった。上崎絵津子は舟坂英明邸に入っていった。
写真は、「荻外荘」とは全く関係ないのだが、妙に印象に残っていた。
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2025年09月21日 記 
作品分類 小説(短編/シリーズ) 61P×630=38430
検索キーワード 西園寺公望・花子・房子・菊子・座漁荘・古書・西園寺公爵警備沿革史・沼津 
登場人物
西園寺 公望 明治,大正,昭和3代にわたり首相,元老として天皇制政権の中枢にあり,立憲主義の確立,維持に努めた公卿出身の政治家。
お花さん(奥村花子) 奥村花子といい、明治28年(1895)に滋賀県大津市の貧しい農家に生まれ。口入屋の紹介で西園寺の女中。
女中頭の身分だったようで、西園寺公望の二番目の妻とか三番目の妻とか言われた。

老公




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