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検索キーワードに見る清張作品の傾向と対策?

(その参●警察官)

清張作品の書き出し300文字前後からあぶり出すキーワード!


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「警察官」で検索すると2作品です。

「警察」で検索すると、10作品。

火神被殺」・草の径 第七話 「老公」・「生けるパスカル」・「留守宅の事件
憎悪の依頼」・黒の様式 第二話 「犯罪広告」・「日光中宮児事件」・「上申書」「神々の乱心(上)」・「告訴せず

やはり、「事件性」ぷんぷんのタイトルが並ぶ。

「警察官」では、

「司法研修所資料とか警察研修所資料」「証人尋問書」が直接的に
具体的に取り上げられている。

どちらにしても、事件と直接結びつく。


2007年9月12日


題名 「警察官」
●「老公(【草の径】第七話) 都内の各地域の中小の古書店が連合して神田の古書会館で展示即売会の「古書市」を催しているが、開催日三週間前くらいにその目録が送られてくる。わたしはある新聞社の文化部を定年退職してから三年になるが、たまに雑誌に雑文を書いている。去年の三月だった。それは目黒のほうの古書店連合の展示会目録だったが、四十ページばかりの小冊子にぎっしりとつまった活字の中に「西園寺公爵警備沿革史 静岡県警察部 1万円」というのが目にとまった。わたしの胸は針金で突かれたように動悸がうった。静岡県警察部編の西園寺公邸警備といえば興津の座漁荘にきまっている。非売品にちがいない。というのは、戦前に出た司法研修所資料とか警察研修所資料といったものはたいてい検事か警察官の執筆で、検事だと事例を引いての犯罪の分析とか、ときには外国の犯罪研究の翻訳が載ったりする。警察官だと著名犯罪を引用しての捜査の検討とか反省といったものが書かれている。表紙にはどれも「部外秘」の囲いが付いているが、面白いものもあれば、つまらないものもある。しかし、この『西園寺公爵警備沿革史』は必ず充実した内容にちがいないと思った。
●「上申書 証人尋問書                                東京都世田谷区××町××番地                       職業 ××生命保険株式会社 ××支店員  時村牟田夫(当年二十九歳)   (強盗殺人事件につき、昭和十×年二月十八日Q署において司法警察官警部補馬寄重竜は右証人に対し尋問すること左のごとし)                (問)昨日、二月十七日、そこもとが帰宅して妻句里子が絞殺されているところを発見した状態を詳細に述べよ。(答)私は、昨日、平常どおり出勤し、得意先回りをしましたが、何だか早く帰りたいような気持ちがしましたので、午後四時二十分ごろに歩いて帰宅して、門をあけて、さらに玄関の格子戸をあけましたところ、いつも出迎える妻が出迎えませぬから、私は気持ちを悪くして座敷に上がり、四畳半の茶の間を見ましたが、姿が見えませんから、ふしぎに思って奥の六畳間に入ってみますと、左隅の本箱と机の方を頭にして、句里子が仰向けに倒れておりました。  
●「火神被殺 ぼくの経験を書く。なるべく簡略な記述ですすめたい。まず、ぼくとは直接関係ない一つの出来事からはじめる。昭和四十年九月のことである。島根県の松江市内で或る事件が発生して、警察が市内の旅館を捜査した。その事件は、この話に関係がないから省くが、警察では宿帳から調べることになった。所轄警察署には各旅館から宿帳−−といっても伝票のような一枚ずつのものだが、その写しを届けさせるようになっている。事件というのは去る五月に起こったので、前から宿帳の名前を捜査員が虱潰しに見ていった。数多い旅館だから係員が手分けして検索した。旅館は四月から六月まではシーズンで、団体客も入るから人名は夥しい。Aという旅館の宿帳の中に、どうも怪しいと思われる客の名前があったので、署員はその旅館に行って元帳を調べることになった。旅館によっては、写しの文字を書き間違えるものがあるからである。
●「生けるパスカル 画家の矢沢辰生は、美術雑誌記者の森禎治郎がいう外国の小説の話を、近来これほど身を入れて聞いたことはなかった。矢沢より十ぐらい若い森は、美術雑誌記者になる前は文学雑誌の編集志望だった。矢沢は小説の方面に不案内である。話は銀座裏の飲み屋の二階だった。それはイタリアのノーベル賞作家ルイジ・ピランデルロの小説で「死せるパスカル」というのである。何からその小説の話になったのか、矢沢はあとまで覚えている。長い間郷里に帰らなかった東北の出稼ぎ農民が殺人事件の被害者に間違えられているのを知って、おどろいて郷里に帰ったというのが発端だった。その出稼ぎ農民は三年間も妻や親戚などに便りを出さなかった「のんき者」だったが、たまたま妻がテレビ報道で、殺された身元不明の男の特徴が夫に似ているところから警察に届け出た、それが新聞に載って彼の帰郷となったのだった。
●「留守宅の事件 交番の巡査は、事件捜査記録の「証人尋問調書」のなかに通報を受けたときのことを述べている。「問 君は何時から西新井警察署勤務となり、また大師前派出所勤務となったのは何時か。答 私は昭和四十二年九月から西新井警察署勤務../seityou_g/430_sei_niltukoutyuguusijikenn__01.html詰めとなったのであります。問 本年二月六日、西新井×丁目××番地、栗山敏夫より同人妻宗子が殺害されたと訴え出たのを受けた状況を詳細に述べよ。答 二月六日午後六時半ごろでありました。私は休憩時間に相当しておりましたので、所内の見張所の時計のところに腰掛けて見張勤務中の山口巡査と相撲の話をしておりましたら、一人の男が参りまして、山口巡査に向って『勤めから帰ったら、ぼくの妻が殺されていましたからすぐ来て下さい』と云ったので、山口巡査が『どうして殺されたのか』と訊ねましたら、『家の裏の物置小屋に横たわっている。どうして殺されたのかよくわからないが、とにかく殺されています』と申しました。
●「憎悪の依頼 私の殺人犯罪の原因は、川倉甚太郎との金銭貸借ということになっている。即ち、私が川倉に貸した金の合計九万円が回収不能のためということになっている。これは私の供述である。警察では捜査課長が念を押し、検察庁では係検事が首を傾けた。「たったそれだけの金でか?」とかれらは訊いた。私は答えた。「あなた方にとっては端た金かも分かりませんが、僕にとっては大金です」無論、私と川倉甚太郎との関係とか生活は、警察によって裏付け捜査されたが、私の自供を覆す何ものも出なかった。私は自供する原因によって起訴され、その原因による犯罪の判決を受けた。私は一審で直ちに服罪した。私は犯行の原因が単純であったせいか、刑量は軽い方である。だが、私は自己の刑量を軽くする企みのために、単純な原因を供述したのではない。実際は、本当のことを云いたくなかったからだ。
●「犯罪広告(【黒の様式】第二話) 阿夫里の町は、南紀の端、熊野灘に面している。人口七千。蜜柑と魚の町だが、若い者は大部分隣県の水産会社や造船所に通勤していた。密柑山に働くのも舟に乗るのも、女や年寄りが多い。四月のある日、町の重立った人びとの家に一枚の活版刷りの広告が投げ込まれた。新聞半ページの紙を二つ折りにした表、裏に九ホの活字がぎっしりとならんでいた。表題の「告知」という二文字を見た者は、野暮ったい広告と思い違いするくらい貧弱なチラシだったが、内容はたいそう変わっていた。「阿夫里町のみなさんにご案内します。私、末永甚吉は、当町字宇佐津の池浦源作を、殺人の疑いで世に告発いたします。警察が取り上げてくれない殺人事件です。法律では、殺人犯罪の時効が十五年です。だから、二十年前の殺人を、こういうかたちで皆さんに訴えなければならないのであります。......」という文句で始まり、以下、次のように長々と書かれてあった。
●「日光中宮児事件 この事件の小さい紹介は、警察図書の出版社から発行している雑誌「捜査研究」に掲載されている。私はこれを読んだとき興味をもった。いったい、この雑誌は月々一項はかならずこうした捜査ケースを載せているが、なかにはつまらないものがあるけれど、この事件だけはおもしろかった。筆者は東京近県の県警察本部刑事部長のK市である。去年の晩秋、私はたまたま紹介する人があって当のK市に会った。東京から電車で一時間とかからないでその県にはいるが、土地の古い料亭で、川魚料理をいっしょに食べながら話は聞いた。料亭の裏は釣堀になっていて、すでに寒そうな池の水にはいわし雲が映っている。掘をのぞきこんだ柿の枝には赤い実がついている。向こうの枯れた平野には家がまばらで、時おり、電車の音が聞こえてくるといった環境であった。
●「神々の乱心(上) 東武鉄道東上線は、東京市池袋から出て埼玉県川越市を経て、秩父に近い寄居町にいたっていた。武蔵野平野の西南部を横断しているかたちである。その途中に「梅広」という駅がある。昭和八年現在の東武鉄道の時刻表で池袋駅から所要時間が約一時間である。ここは埼玉県比企郡梅広町で、人口約一万三千。郡役所、裁判所出張所、警察署、比企郡繭糸同業組合支部、武州中央銀行支店、県立中学校、小学校などが備わっている。駅前通りには商店がならび、料理店も多い。旅館は六軒ある。駅前広場にタクシーが以前からみると相当ふえた。二つの自動車会社が一日平均三十台近くの車を動かして川越市、熊谷市、鴻巣町、玉川村方面へ客を運んでいる。昭和八年十月十日午後二時半ごろ、埼玉県特別高等警察課第一係長警部古屋健介が北村幸子を梅広警察署に呼び入れて参考人として尋問したのは、次のように偶然のことからだった。
●「告訴せず 容貌の程度も平均以下で、風采も上がらない四十半ばの男は、群衆の中ではただの夾雑物でしかない。その人間が歩いていても立ちどまっていても、近くの人々に眼にはその動作だけがぼんやりと眼の端に動いているだけで、顔や服装の特徴には何の印象も残らない。雑踏の中で立ちどまられると、通行人は行く手が塞がれて除けて通らなければならないので、その男の顔を瞬間ひと睨みはするが、それでいて、あとではさっぱり思い出せないといったふうなのだ。何かの犯罪が起こって目撃者から人相の証言を取るとき、その申し立てがきまってまちまちになるという警察泣かせの顔だった。それだからといって、そういう種類の顔がかならずしも平凡というのではない。よく見ると特徴はあるのだ。印象に残らないのは、人々が印象にとどめるほどには注目しないということなのだろう。そもそも注意を払わないというのは、その人間の容貌や風采のぜんたいが、ありふれ過ぎていて魅力を感じさせないことに帰するのだが。木谷省吾がそういう人間の一人であった。

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