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松本清張_元禄女合戦 大奥婦女記(第七話)

No_297

題名 大奥婦女記 第七話 元禄女合戦
読み オオオクフジョキトウボウ ダイ07ワ ゲンロクオンナガッセン
原題/改題/副題/備考 ●シリーズ名=大奥婦女記
●全12話=全集(12話)
 1.
乳母将軍
 2.
矢島局の計算
 3.
京から来た女
 4.
予言僧
 5.
献妻
 6.
女と僧正と犬
 7.元禄女合戦
 8.転変
 9.
絵島・生島
10.
ある寺社奉行の死
11.
米の値段
12.
天保の初もの
本の題名 松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記【蔵書No0014】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1973/06/20●初版
価格 880
発表雑誌/発表場所 「新婦人」
作品発表 年月日 1955年(昭和30年)10月~1956年(昭和31年)12月
コードNo 19551000-19561200
書き出し 綱吉の夫人は京都の関白鷹司家の女で信子といった。綱吉がまだ将軍となる前の寛文四年の秋に、京から東海道を下って江戸の館林邸に輿入れしたのであった。「関東は気風の荒いところ、まだ東えびすの気質が残っているそうな」十六歳の彼女は、そう聞かされて心に怖れを抱きながら下向したのであった。お付女中万里小路は、彼女の慰め役であり、勇気づけ役であった。神田の館林家の上邸での新婚の生活を経て、夫が将軍となり、江戸城に入っての生活となると、彼女の起居する大奥の女中どもの作法の荒々しいのは、聞いた以上であった。大奥の行儀は、春日局が遺した風習である。それは戦国の遺風であり、万事が質素堅実であるが、少しも女らしい作法は無かった。京の高貴で、典雅な雰囲気の家庭に育った彼女は、まるで数百人の男の世界の中にただ一人棲む思いがした。
あらすじ感想    タイトルからして想像できるが、大奥の人間模様が多彩な登場人物で描き出されている。

以下、登場人物(登場順):二つの潮流●
①桂昌院・お伝の方 ②信子・右衛門佐:黒字は中間的な立場
信子(綱吉の正室/関白鷹司家の娘)
万里小路(マンデノコウジ/信子のお付女中)
春日局(信子が江戸城入り前の大奥の権力者/戦国の遺風で大奥を支配)
桂昌院(綱吉の母/八百屋の娘)
お伝の方(綱吉の側室、綱吉からは寵愛を受けていた。下級旗本の娘/桂昌院とは親密)
常磐井局(後に右衛門佐(ウエモンノスケ)・水無瀬中納言の娘/万里小路から江戸城に呼び寄せられる)
柳沢吉保(二つの潮流から頼りにされていた)
喜多見若狭守重政((キタミワカサノマミシゲマサ)・お伝の方の弟と重政の弟が親友)
南部直政(右衛門佐に贔屓されるが、それが徒となりお伝の方に疎まれ、綱吉からも不興を蒙る)

町子(柳沢吉保の妾/京の正親町大納言実久の娘)
大典侍局((オオスケノトボネ)/桂昌院の元に落ち着く・綱吉の目にとまり「北の丸様」と呼ばれる)
寛順(醍醐報恩院/内外大小の蜜法を相承しているとされた老僧)
覚彦(カクゲン/仁和寺門主のもとにいる僧。柳沢吉保は、綱吉の命で江戸に呼び寄せる)
豊蔵坊(ホウゾウボウ/京都八幡宮別当。北の丸の願いで江戸に下った)




登場する「僧」たちは、大奥に利用されながらも己の欲望の実現も視野に「祈祷」を手段に権力に近づく。
大奥の権力争いは、綱吉の嫡男の誕生を巡っての憎愛であり、僧を巻き込んでの「女合戦」であった。
綱吉の学問好きと好色が輪をかけて混沌とした時代を形成していく。
背景は、春日局が権勢を振るっていた時代で万事が質素堅実、戦国の遺風を色濃く残していた時代から大きく変わろうとしていた。
後に、元禄時代と呼ばれる。
     元禄時代(一般に1688〜1704年)に在位していた将軍は、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉です。
     綱吉の治世全体(1680〜1709年)を広く「元禄期」と呼ぶ場合もあります。
大奥の暗闘は、①桂昌院・お伝の方 ②信子・右衛門佐
の権力争いとして繰り広げられる。綱吉の正室の信子は感じていた。
>京の高貴で、典雅な雰囲気の家庭に育った彼女は、まるで数百人の男の世界の中にただ一人棲む思いがした。
浅宮顕子から鷹司信子へと正室が、京女が続き、大奥の気風も変わっていった。

綱吉は
>「上様は学問が好き、それに、色好み」
常磐井局、後に右衛門佐(ウエモンノスケ))は、綱吉にぴったりの女だった。
右衛門佐を大奥へ向かい入れたのは、万里小路だった。大奥で孤立する信子の相手との理由で老中の許可を取ったのだった。
彼女は、才学を縦横に駆使し御台所(信子)に気に入られたことはもとより、綱吉の目にとまる。
綱吉は常磐井局を一目見たときから気に入った。夫人(信子)は、綱吉の所望を受け入れた。
常磐井は、大奥女中の総支配を勤めよの命を受け、名を右衛門佐(ウエモンノスケ)と改めた。
万里小路の目論見はまんまと成功したのだった。
大奥の二つの潮流が完成したと言える。
この潮流に挟まれて溺れる者が出てきた。
喜多見若狭守重政は、綱吉に覚えめでたく、異例の出世をしていた。ところが、重政の弟が酒と博打に溺れ身を持ち崩し、刃傷沙汰まで起こした。
この一件は、右衛門佐の耳に入り、綱吉まで伝わった。お伝の方憎しので、重政の出世を嫉妬した右衛門佐の告げ口がきっかけだった。
重政は、老中の任を解かれ他藩にお預けの身になった。
この逆の場合もあった。
南部直政は、右衛門佐に贔屓されていた。綱吉の側用人として寵愛を蒙っていたが、お伝の方の吹き込みによって役を召放された。

綱吉の寵愛は右衛門佐に向かうばかりだった。
桂昌院も
>「上様は学問が好き、それに、色好み」に頼ることになる。
柳沢美濃守吉保は、桂昌院とお伝の方から相談を受ける。
柳沢吉保は、両派から受けもよく、二つの潮流をうまく泳いでいた。
>「何とかしてみましょう」
吉保は、大典侍局を見つけ出し、大奥に送り込んだ。箔をつけ「北の丸様」と呼ばれるようになった。

しかし、北の丸は、右衛門佐にはかなわなった。桂昌院やお伝の方の悔しがりようはなかった。
苦しいときの神頼みではないが、仏頼り、僧頼りになった。
綱吉の側室にも懐妊の兆候が見られない。
かくなる上は、僧に祈祷させることになり、醍醐報恩院の覚順の紹介で覚彦(カクゲン)を江戸に下らせた。
覚彦の祈祷が効いたのか、右衛門佐はめでたく懐妊した。
ところが、右衛門佐は不慮の事故で流産をした。
これは、隆光の呪いの祈祷が効いたのか?

この顛末にどこか覚えがあった。
かげろう絵図」の映画に踏み台を踏み外し転倒する場面がある。「元禄女合戦」の結末と似ている。(うろ覚え/登場人物・時代背景は未確認)


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●万里小路局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
万里小路局(までのこうじのつぼね、文化10年(1813年) - 明治11年(1878年)5月7日)は、江戸時代後期から幕末の大奥女中(上臈御年寄)。
父は大納言・池尻暉房[1]。名は壽賀。
江戸幕府11代将軍・徳川家斉から14代将軍・徳川家茂までの4代に渡り大奥の最高位である筆頭老女を務めた。
生涯:大奥時代
文化10年(1813年)、大納言・池尻暉房の末娘として京都にて生まれる。
天保3年(1832年)、後に江戸幕府13代将軍となる徳川家定の正室として輿入れした当時8歳の
鷹司任子(信子)の世話役として江戸へ出仕。天保7年(1836年)、11代将軍・徳川家斉の寵臣である林忠英が宿元となり、家斉の将軍付小上臈として大奥に入る。
その後、徳川家慶が12代将軍に就任して以降、将軍付上臈御年寄に昇格、万里小路と名を改める。
この頃の大奥では、同じく上臈御年寄の姉小路が権力を握っていたとされるが、実際の筆頭老女は万里小路であった。

●右衛門佐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
右衛門佐(えもんのすけ、うえもんのすけ、慶安3年(1650年) - 宝永3年2月11日(1706年3月25日)は、江戸時代前期の大奥女中。公家・水無瀬氏信の娘。
はじめ宮中に仕え、奥入りする前は、常磐井の局という名であった。
1687年(貞享元年)5代将軍徳川綱吉の御台所鷹司信子(浄光院)は、学問のためにと霊元天皇中宮・新上西門院に依頼し、
常磐井を御台所付の上臈御年寄として奥入りさせる。
その後、綱吉の寵愛を受けて大奥総取締に任命された(最近の「大奥」作品では、春日局、絵島などの御年寄を大奥総取締と呼称されている。
そのため混同されがちなのだが大奥総取締というのは実際に存在した役名ではなく、当時の大奥の総支配者を表す造語である。
この項目では右衛門佐の立場が分りやすいようにこの呼称を用いて説明しているが、右衛門佐が御年寄に任命されたという訳ではない)。
その際に「右衛門佐」と改名したとされる。1000石を賜り、大奥で実権を握った。その後は大典侍、新典侍といった公家の姫を綱吉の側室として迎え入れた。
また、正親町町子も右衛門佐の紹介で大奥に入り、鷹司信子の斡旋により柳沢吉保の側室となった。偏屈者


2026年5月21日 記
 
作品分類 小説(短編・時代/シリーズ) 9P×1000=9000
検索キーワード 学問好き・色好み・二つの派閥・祈祷・僧侶・大奥の権力争い・京から呼び寄せられる僧 
登場人物  ●「時代物」の登場人物はまとめて掲載
綱吉 「上様は学問が好き、それに、色好み」と評される。犬公方と呼ばれ「生類憐れみの令」を発布する。母である桂昌院の言うことはことごとく聞く。
桂昌院 綱吉の母。元はといえば、八百屋の娘。預言僧の亮賢から将軍の子を産むと告げられ、綱吉を生む。隆光の言いなり。
お伝の方 桂昌院と親密。綱吉の側室。春日局の流れをくむ大奥の権力者。
信子  綱吉の正室。関白鷹司家の娘。 
万里小路 マンデノコウジ。信子のお付き女中。「学問が好き、それに、色好み」の綱吉を引き付けるために、常磐井局(後の、右衛門佐)を京から呼び寄せる策士家でもあった。
右衛門佐(常磐井局)  綱吉の寵愛の元大奥で権勢を振るう。学問に造詣が深く大奥で京都派の代表格になる。美貌と教養が抜きん出ていた。
水無瀬中納言の娘。万里小路から江戸城に呼び寄せられる)
柳沢吉保 二つの派の間をうまく渡る。綱吉にも信頼があり、世渡りが上手だった。
大典侍局(北の丸) 大奥に入り北の丸と名乗る。右衛門佐に対抗すべき人物として入場するが、右衛門佐にはかなわなかった。
覚彦  仁和寺門主の元にいる僧。醍醐報恩院の老僧覚順の推挙で江戸に下り、右衛門佐の懐妊の祈祷を行う。 
豊蔵坊 京都八幡宮別当。北の丸(大典侍局)の願いで江戸へ下る。

元禄女合戦




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