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松本清張_女と僧正と犬 大奥婦女記(第六話)

No_296

題名 大奥婦女記 第六話 女と僧正と犬
読み オオオクフジョキトウボウ ダイ06ワ オンナトソウジョウトイヌ
原題/改題/副題/備考 ●シリーズ名=大奥婦女記
●全12話=全集(12話)
 1.
乳母将軍
 2.
矢島局の計算
 3.
京から来た女
 4.
予言僧
 5.
献妻
 6.女と僧正と犬
 7.元禄女合戦
 8.
転変
 9.
絵島・生島
10.
ある寺社奉行の死
11.
米の値段
12.
天保の初もの
本の題名 松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記【蔵書No0014】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1973/06/20●初版
価格 880
発表雑誌/発表場所 「新婦人」
作品発表 年月日 1955年(昭和30年)10月~1956年(昭和31年)12月
コードNo 19551000-19561200
書き出し 綱吉には男の子がなかった。まだ将軍とならないで館林邸にいる頃、お伝の方が男子を出生したことがある。名を徳松と名づけたが五歳で死亡した。それからは二,三侍妾が懐妊したが、ことごとく流産した。育ったのは紀州家に輿入れした鶴姫という女だけである。「男の子が欲しい」綱吉もお伝の方も願っていたが、とりわけそれを希求したのは母の桂昌院であった。「和子をお生みなされ」と時にふれお伝の方に云ってみるのだが、こればかりは人力では及ばなかった。こう上は神仏に頼るほかはなかった。それにつけても思い出すのは、桂昌院がまだ京の八百屋の娘として幼かった頃、彼女を一目見て、ゆくゆくは天下の上にたつ母君となられようと予言し、その後も彼女の懐妊を見て男子といい、それも将軍家をつぐ方だと予言して的中した護国寺の亮賢のことである。「偉い僧---」という尊敬に、今さら彼女は彼を思った。
あらすじ感想   蛇足的研究で
>綱吉は犬公方と呼ばれた。
>生類憐みの令をはじめとする、後世に“悪政”といわれる政治を次々と行うようになった
>(生類憐れみの令については、母の寵愛していた隆光僧正の言を採用して発布したものであるとされる。
>タイトルの「女と僧正と犬」が、書き出しで全て理解出来る感じがする。

「僧」については、四話の「予言僧」が思いでされるが、映像では、「かげろう絵図」(未紹介)、紹介作品では「鬼火の町」を思い出す。


話は、綱吉の時代で、桂昌院と隆光と「生類憐れみの令」

●以下は、「矢島局の計算」で示した、将軍の正室や乳母の関係です。

※注)以下に将軍と正室・乳母を示しますが必ずしも正確とは言えません。
 将軍  将軍名  母  正室(正妻)  乳母
初代将軍   徳川家康  於大の方  築山殿(ツキヤマドノ)・朝日姫  家康の乳母が内藤勝重(政重)の妻「まつ」である。
第2代将軍   徳川秀忠  西郷の局  江(ゴウ) 大姥局(オオオバノツボネ) 
第3代将軍    徳川家光  江与(崇源院) 鷹司孝子(タカツカサタカコ)   春日局(カスガノツボネ)
第4代将軍    徳川家綱  お楽の方(宝樹院)  浅宮顕子(アサノミヤアキコ)  三沢局・矢島局。当時の正確な記録は無い
第5代将軍    徳川綱吉 桂昌院(幼名玉)   鷹司信子  お伝の方
第6代将軍    徳川家宣 保良子  近衛 熙子(コノエヒロコ)  
第7代将軍    徳川家継 お喜代の方(月光院)   正室はなし(家継は6歳で死亡)  三人居たようだ。
家康は73歳・秀忠は52歳・家光は、46歳・家綱は38歳・綱吉は62歳・家宣は50歳・家継は6歳で没

女とは桂昌院で、綱吉の母です。
僧とは隆光ですが、桂昌院が、京の八百屋の娘として幼かった彼女を「ゆくゆくは天下の上にたつ母君になられよう」と予言した
護国寺の亮賢が、推挙した僧だったのです。「予言層」で語られています。
犬とは、「生類憐れみの令」で最も保護された動物でした。綱吉が戌年生まれだったようで、恐るべき「令」でした。
隆光が初めて推薦者の亮賢に伴われて、桂昌院と綱吉へ会ったのは、貞享3年の秋だった。
隆光は、般若心経を講義して覚えめでたきを得た。隆光が退出したあと、綱吉は桂昌院に言った。
>「なかなかの学僧です」

桂昌院の進言で隆光は権僧正(ゴンノソウジョウ)になった。
男子の世継ぎがいない綱吉に、桂昌院は亮賢が予言したように、隆光に祈祷をさせるように進言した。
桂昌院と綱吉の関係も言うがままの関係でもあり、隆光に傾倒する桂昌院はその意をくみながら綱吉へ進言するのだから
隆光の心の中に渦巻く欲望は実現に向かって大きく歩み出すのだった。
祈祷所の建立に動き出すが、隆光には別の思惑があった。
大和の辺陬の一寺の伴僧にすぎなかった隆光は上野の寛永寺を凌ごうとするひそかな目的があった。表向きはあくまで謙虚に。
神田橋外に上野東照宮と同様の東照宮を新築し七堂伽藍が完成した。
満足げに見て歩く隆光は、普請の不具合を発見したようだ。桂昌院に訴え、綱吉の耳に入った。
大久保忠高以下に処分が下った。三宅島へ流刑の者まで出た。

「知足院本坊の改造奉行は柳沢出羽守に決まりました」
桂昌院から内包を受けた隆光は我が意を得たりと喜び、野心の確かな足がかりが出来たとほくそ笑んだ。
柳沢吉保は、隆光と気脈を通じる仲になった。

明暦の大火で炎上した江戸城は、場所によっては狐や狸が徘徊する荒れた場所になっていた。
狐や狸よけに犬を飼うことでその場を凌ぐことになり、その効果は大いにありあまり見かけることはなくなった。

隆光の策略は、そのことに目をつけた。

かつては跡継ぎがないことを憂いた綱吉が、母桂昌院が帰依していた隆光僧正の勧めで発布したという説が知られていた。
ただし、隆光を発端と見る説は近年後退しつつある。
この説は太宰春台が著者ともされる『三王外記』によるものであるが、隆光が知足院の住侍として江戸に滞在するようになった
貞享3年(1686年)以前から、生類憐れみ政策は開始されている

清張はこの説を取り上げたとみられる。
世に言う、「生類憐れみの令」
●生類憐れみの令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)は、江戸時代前期、江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉によって制定された
「生類を憐れむ」ことを趣旨とした諸法令の通称。
捨て子や病人、高齢者、動物の保護を目的とした。動物については犬、猫、鳥、魚、貝、虫など多岐に及んだ。

隆光の進言は完璧以上に実行された。特に犬に対しての行き過ぎた扱いが面白おかしく記述されているが、庶民にとっては
とんでもない悪法だったのだろう。落語や講談のネタになるのは必然と言えた。
肝心なことであるはずの、綱吉に男子が誕生すべき祈祷は成就せず、得ることが出来なかった。
清張のまとめは
>隆光は詐欺漢として綱吉の怒りにふれるはずであった。が、そのことは遂になく、覚えは目出度かった。
>桂昌院が、この年下の大僧正に心も身体も帰依していたからである。

いかにも清張らしいまとめである。


2026年5月21日 記 
作品分類 小説(短編・時代/シリーズ) 9P×1000=9000
検索キーワード 生類憐れみの令・予言層・跡継ぎ・明暦の大火・祈祷・大僧正・隆光・亮賢・狐・狸・東照宮・七堂伽藍 
登場人物  ●「時代物」の登場人物はまとめて掲載
綱吉 徳松を幼くして亡くし、跡継ぎに恵まれなかった。後継に苦慮する。学問を好み、好色であったとされる。母の桂昌院に頭が上がらず言うがママだった。犬公方と呼ばれ、「生類憐れみの令」を発した。
桂昌院 綱吉の生母で、綱吉は、桂昌院の言うがままに操られる。隆光に心身ともに傾倒し、隆光の思いを綱吉に告げる。
隆光 大和の辺陬の一寺の伴僧にすぎなかったが、亮賢の引き立てで、桂昌院に認められる。桂昌院から綱吉への手づるが出来、引き立てられる大僧正まで上り詰める。「生類憐れみの令」の影の役割を果たす。
亮賢 桂昌院(玉・光子)がやがて将軍の子を産むことを予言する。「予言層」として大きな権力を得る。隆光を桂昌院に推薦する。
柳沢吉保 綱吉の側近で御用人。桂昌院の後ろ盾もあり権力を振るう。世事を読む事に長けており、処世術には天才的なところがあった。

女と僧正と犬




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