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検索キーワードに見る清張作品の傾向と対策?

(その十九:電話)

清張作品の書き出し300文字前後からあぶり出すキーワード!
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蛇足的研究&紹介作品で取り上げた作品が電話つながりだった。 
紹介作品No100【声】   蛇足的研究No101【詩と電話】
だが、【詩と電話】では、題として「電話」は登場するが、書き出しでは出てこない。
それにしても多数の作品がヒットした。予期した以上である。
ほとんどが、1950年代後半から1960年代に書かれた作品である。
当時の電話事情が背景にある。【声】・【詩と電話】は、何れも電話交換手が活躍していた時代で、その事が
筋書きの中心になっているとも言える。
電話交換手は、電話内容を傍受できる立場だった
小説の中で、犯罪の小道具として使われていた。通信手段の発展変化があってもその小道具としての役割は、
変わらない。
最近まで、と言っても15年近く前までですが、オペレーターという立場で、代表電話にかかってきたものを
内線に振り分ける交換手がいたと思います。

●電話交換手 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
交換手(こうかんしゅ 英:Telephone operatorまたはSwitchboard operator )とは、
電話通信の初期で手動の電話交換台が使用されていた1960年代頃まで、
一組の電話プラグを適切なジャックに差し込むことにより、電話回線を接続する業務を行っていた人のこと。

電話を手動でつなげていたのを知っていますか!?


①                                           ②

 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
①広島電話局市外交換室(1955年頃) ②構内交換機のオペレーター(1952年)
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●「」 1956年:短編

●「
なぜ「星図」が開いていたか」 1956年:短編

●「黒の図説 第一話 速力の告発」  1969年:中編(シリーズ)

●「絢爛たる流離 第十話 安全率」 1963年:短編(連作)

●「絢爛たる流離 第十一話 陰影」 1963年:短編(連作)


●「黒の線刻画 第一話 網(上)」 1975年:長編

●「黒の回廊」 1971年:長編

●「大臣の恋」 1954年:短編

●「地の骨」 1964年:長編

●「屈折回路」 1966年:長編

●「箱根心中」 1956年:短編

●「」 1958年:短編

●「ある小官僚の抹殺」 1958年:短編

●「証言の森」 1967年:短編

●「北京原人失踪(原作=クレア・タシジアン/訳=松本清張 



※上記では、長編で下巻は除いたが、以下の作品にヒットしました。
黒の線刻画 第一話 網(下) 上巻でもヒット
迷走地図(下)
風の息(下)
隠花平原(下)
雑草群落(下)
黒革の手帳(下)


※小説以外では以下の通り(エッセイも含む)
日本の黒い霧 第七話 征服者とダイヤモンド
昭和史発掘 第六話 三・十五共産党検挙
昭和史発掘 第八話 佐分利公使の怪死
昭和史発掘 第二十話 二・二六事件 五/占拠と戒厳令

随筆 黒い手帖 現在の犯罪/黒いノート
葉脈探求の人--木村毅氏と私--
エッセイより 回想「酸素テントの中の格闘」



2020年03月21日

 



題名 「電話」
上段は登録検索キーワード 
 書き出し約300文字
●「
電話交換手・新聞社・電話帳・社会部・石炭の粉末・ハンドバッグ・田無・小平・田端・ブローカー・麻雀
高橋朝子は、ある新聞社の電話交換手であった。その新聞社は交換手が七、八名いて昼夜勤が交代であった。三日に一度は泊まりが回ってきた。その夜、朝子は泊まり番に当たっていた。三名一組だが、十一時半になると、一名残して二人は仮眠する。これも一時間交代だった。朝子は交換台の前にすわって、本を読んでいた。一時半になったら、三畳に蒲団をのべて眠っている交代者と代わる。代わったばかりだから一時間近い時間があった。その間に三十ページぐらい読める。その小説が面白いものだから、朝子はそう意識しながら読んでいた。その時、電話が外部からかかってきた。朝子は本から眼を離した。「社会部へ」とその声は云った。声には聞き覚えがあったから、すぐつないで、「もしもし、中村さんからです」と、出てきた眠そうな声のデスクの石川に伝えた。それから眼をふたたび小説の世界に戻した。その間に、電話は切れた。 
●「なぜ「星図」が開いていたか  真昼は灼けるような暑さのつづく七月下旬のある夜、東京都世田谷区△町に住む倉田医師は、看護婦から電話を取り次がれた。「先生、急患でございます」「誰だ?」「×町一ノ四八六番地の藤井といっています」医師は読みかけの本を措いて、急いで頭の中でカルテを繰ったが、そんな名前は無かった。「もしもし、藤井さんと仰言ると?」電話口に出て医師は無愛想に訊いた。「はい。今まで病人ではなかったものですから、先生に診ていただいては居ませんが---」相手は澄んだ女の声で、医師の気持ちを忖度した言い方をした。「主人が只今、変でございます。多分、心臓麻痺だと思いますが、倒れたきりでございます。恐れ入りますが、お出で願えましょうか?」医師は腕時計を見た。八時二十四分であった。すぐ行く、と返事して電話を切った。鞄の中に死亡診断書の用紙を入れた。看護婦を乗せたトヨペットを自分で運転して、電話で聞いた地形をたよりに行くと、十分もたたぬうちに、その家を発見した。近所は暗かったが、その家の玄関だけが明るく灯がついていたので、すぐ分かった。
真昼は灼けるような暑さのつづく七月下旬のある夜、東京都世田谷区△町に住む倉田医師は、看護婦から電話を取り次がれた。「先生、急患でございます」「誰だ?」「×町一ノ四八六番地の藤井といっています」医師は読みかけの本を措いて、急いで頭の中でカルテを繰ったが、そんな名前は無かった。「もしもし、藤井さんと仰言ると?」電話口に出て医師は無愛想に訊いた。「はい。今まで病人ではなかったものですから、先生に診ていただいては居ませんが---」相手は澄んだ女の声で、医師の気持ちを忖度した言い方をした。「主人が只今、変でございます。多分、心臓麻痺だと思いますが、倒れたきりでございます。恐れ入りますが、お出で願えましょうか?」医師は腕時計を見た。八時二十四分であった。すぐ行く、と返事して電話を切った。鞄の中に死亡診断書の用紙を入れた。看護婦を乗せたトヨペットを自分で運転して、電話で聞いた地形をたよりに行くと、十分もたたぬうちに、その家を発見した。近所は暗かったが、その家の玄関だけが明るく灯がついていたので、すぐ分かった。 
●「速力の告発
(黒の図説 第一話)  
「悪夢のような突然の不幸は去年の三月末の日曜日に起こりました」と、家庭電気販売店主の木谷修吉は書いている。「そのとき、私は神田の問屋に行って仕入れの商談をしていました。三時ごろでしたか、店の者から電話がかかってきて、すぐに××町のA病院に行ってくれ、奥さんと坊ちゃんが交通事故でケガをして担ぎこまれていると云うのです。たしかにそのときはケガだと云いました。妻は、静子といって三十二歳でした。子供は守一といい、三歳でした。その日は午前中からB町の親戚の家に集まりがあって出かけていたのです。交通事故と聞いて私はとっさに場所はR街道だと思いました。道幅がひろいのと、都内からはずれているために速いスピードで走る車の多いことで知られています。私はバスにトラックか乗用車が衝突し、帰りに乗っていた女房と子が負傷したとばかり思っていました。よくあることだからです。A病院に駆けつけると、女房も子供も死んでいました。
●「安全率
(絢爛たる流離 第十話)

総学連・東亜鉄鋼・バー・コスタリカ・学生運動・反安保闘争・革命前夜・×印・ガラス・デモ・資本家
東亜鉄鋼会長加久隆平が初めて福島淳一の声を電話で聞いたのは六月十二日の夜だった。それは成城の自宅にかかってきた。ちょうど、会社から帰ったところで、妻も娘もどこかの招待で観劇に呼ばれ留守をしていた。だから、女中の取次ぎで加久隆平は気軽に電話口に出る気持ちになっている。人間いくらか孤独の状態になったとき、知らない人間の声でもつい聞いてみたくなるものらしい。「ぼく、福島と申します。御主人でしょうか?」相手は若々しいが大きな声を出した。「そうですが、あなたはどちらの福島さんですか?」加久隆平は福島という人間には瞬間でも十人ばかり思い当たる。加久はいま東亜鉄鋼の会長となっているが、もともと事業家出身ではなく、官僚上がりの政治家に近かった。 
●「陰影
(絢爛たる流離 第十一話)

ガラス切り・政治ゴロ・暗い秘密・ニューコスタリカ・手切れ金・ダイヤの疵・別れ 
男と女が別れる場合、愛情の冷めた方が何をきっかけにして起きるかである。それは、外的条件に影響されることも多い。その条件も著しく外に目立つ場合と、当事者同士の間だけにしか見えないことがある。加久隆平と津神佐保子の別れ方は、そのどちらの場合であろうか、二人だけの間で分かっている点ではあとの場合ともいえるし、条件の大きさからいえば前の場合ともいえる。「コスタリカ」のバーテンの君島二郎が殺されてから、加久隆平は津神佐保子に逢いにゆく積極性を失っていた。佐保子からあまり誘いがかかってこなかった。バーテンの死が二人の間の大きな隙間になったのは事実だった。しかし、この原因はほかの誰も知っていない。あれから二ヵ月が経った。正確には、君島二郎殺しの捜査本部が解散したと新聞に出てから二週間目だった。久しぶりに加久隆平は会社で津神佐保子からの電話を受けた。 
●「網(上)」 
(黒の線刻画 第一話)
 早春のある日、小説家小西康夫は一通の封書をうけとった。茶色の封筒で、裏に「中北新聞社」の大きな活字があり、N県N市の本社所在地名と代表電話番号とが小さな活字でならんでいた。N県は北陸地方にあり、N市は県庁のある都市である。社名の横には「沼田禎一」と、これは万年筆の、かなり枯れた書体で書かれてあった。小西には、中北新聞社にも沼田禎一の名にも心当たりはなかった。これは小さな地方紙らしい。小西は仕事の上で、大きな地方紙の名はだいたい聞いている。三大ブロック紙といわれるもののほかに、戦争中の統合紙のようなものが現在でもだいたいその県内で勢力を保っている。げんにN県では「H新報」というのが知られている。
●「黒の回廊」  窓の外は窓になっている。隣のビルも昼じゅう天井の蛍光灯が点け放しだった。秋の半ばから太陽の位置がずれて日陰がつづく。来年の春にならないと日射しが戻ってくれない。この王冠観光旅行社では二階の窓に陽が当たってくるのを日向の回帰線と呼んでいた。陽光は四階から順々に降りてくる。日照権が問題になるはるか以前の建物だった。京橋では目抜き通りであった。営業部企画課の谷村が文章を練っていた。窓際でも終日スタンドが必要で、ひろい机の上にはパンフレット類が散らばって、人口の光をうけ、ここだけは花をならべたようである。パンフレットは自社のもあるし、他社のもある。ヨーロッパの地図と、電話帳のような国際線の時刻表も横に開かれていた。片方にはカラー写真が積み上げてある。手もとの灰皿に吸殻が堆積してまわりを灰だらけによごしていた。原稿用紙の最初に小説の題名のように「ローズ・ツア」と大きくかいてある。わきに”RoseTour"--英字のほうがうまかった。
●「大臣の恋 その生涯記念すべき報せを布施英造は築地の高名な料亭で受けとった。折から三人の実業家に席を設けられて客となっていた。懇談というのが招待者の側の理由であったが、格別の話題は出ない。よほど場慣れた年増の鼓でも相槌に詰まるような臆面もない卑猥な話が一座に咲いたに過ぎなかった。このような話を口にするとき、布施英造は笑顔見せなかった。謹直な顔付きをして猥談を語るのが彼のコツのようであった。きき手はそれを察して笑ってやらねばならなかった。殊に今夜の実業家は、敏感に、急所々々に、声を上げて笑う義務があった。その時、襖が開いて女中が手をつかえ、布施に電話がかかっている旨告げた。もとよりこの高名な料亭に室内電話の設備がないわけではない。しかし客を前にしてどのような機密な内容かも分からぬ電話を通じて応答に困らすような無神経をこの料亭はしなかった。余人は知らずこれは日本でも最も有力な政党の領袖である布施英造が自分の位置を考慮して、かねてひいきにしているここの女将に決めた作法であった。 
●「地の骨 女中がきて、盆に載せた紙を出した。女は支度を終わって、横で眼を伏せている。稲木は五千円札を一枚女中に出した。「ありがとうございます」眉のうすい年増女中が頭を下げた。「ただ今、おつりを持って参ります。.....それから、お供が参っておりますけれど」「つりは出がけに貰います」部屋から女中がで出たあと、女と稲木は起ち上がった。稲木は軽く女舌先だけにふれる。口紅がつかないように用心した。「今度いつ?」と、女は閉じた眼をあけて訊いた。「さあ.....こちらから電話をするよ」「お忙しいの?」「入学試験がはじまるんでね」稲木は試験と言って、自分の提げている鞄をたしかめた。この部屋に入って、一度も中を開いていない。試験問題を作る作業で今朝の二時まで自宅で起きていた。女はまだ何か言いたそうだったが、出口のほうで女中の下駄の音がしたので離れた。
●「屈折回路 従兄の香取喜曾一が熊本で死んだという電報を私が貰ったのは、昭和三十七年の冬になりかけの頃だった。私は折返して香取喜曾一の妻江津子に返電して、葬式には行けない事情を断った。香取喜曾一とは長い間文通が途絶えていたので、彼が病気をしていたということは私は全然知らなかった。香取喜曾一は、私の母の妹の息子に当たる。彼はT大の医学部を出てから間もなく熊本県の県衛生試験所に入っていた。今まではそこで技師になっている。香取喜曾一と私とが最後に遇ったのは去年の春だった。彼は、ときどき、厚生省か何かの会議で上京してきた。いつも私に連絡しないで素通りで帰ることが多かったが、去年は私の勤めている学校に電話を寄越して、二人で銀座に出て飲んだことがある。それが最後だった。死の電報を貰ったとき、私はそのときの彼の様子を思い泛べたが、健康そうな顔色といい、仕事に対する抱負といい、どうも死の予想が彼にあったようには考えられなかった。彼は相当に飲むがおとなしい酒で、少し出歯の口を絶えず開けてにこにこしていた。こちらから話題をひき出さないと、彼のほうから積極的にものをいうタイプではなかった。私より一つ上だから三十六歳である。
●「 箱根心中 八時十分すぎに、中畑健吉は新宿駅の東口にきた。地下道を上がって、改札口の正面が待合わせ人たちの溜まり場のようになっているが、このような朝でも三人か四人がたたずんでいた。夜とちがって、その辺の空気が寒々としていた。やはり、喜玖子の姿はまだ見えなかった。予想したとおりだが、来る、という自信はあった。健吉は小田急の窓口に行って”特急”の切符を二枚求めた。九時の発車の分だった。ふだんの日だが、その日の切符が手にはいるのは珍しい。季節はずれのせいである。そこに突っ立っているのもてれくさいので、健吉は公衆電話室の方へ行ってみたり、二幸側の方をぶらぶらしてみたが、八時三十分になっても、喜玖子は姿を見せなかった。三日前、短い時間に忙しく約束したので、あるいは小田急の駅と間違えているかもしれない。そんなはずはないのだが、ふとそういう錯覚が起こってくるのは健吉の不安である。 
●「
伊村は、冬のはじめ、足かけ四年ぶりに九州のK市に帰った。だが、家があるわけではなし、親類もなし、旅館に泊まりつづけであった。久しぶりだったので伊村は忙しかった。友だちと会ったり、知人と会ったりして、朝、旅館を出ると夜でないと宿に戻ってこない。一回か二回は出先から電話で旅館に連絡していた。夕方五時ごろ、電話をかけると女中が「U町からお嬢ちゃんが見えておられます」と云った。U町はK市から八里ばかり離れた漁村に近い小さな町である。この町には伊村の古い友人がいるので、彼の帰ってきたことを知って、娘でも使いによこしたのかと思った。「いくつぐらいの女の子?」念のためにきくと、九つぐらいと云う。友人にはそんな小さな子はいない。名前を聞いてくれと云うと、「手紙を持ってこられています。笠岡さんと書いてあります。あなたがお出かけになったあとすぐですから、九時ごろから待っておられます」と女中は答えた。
●「ある小官僚の抹殺 昭和二十××年の早春のある日、警視庁捜査二課長の名ざしで外線から電話がかかってきた。呼び出しの相手を指名しているくせに自分の名前を云わない。かれた、低い声である。課長は受話器を耳に当てながら、注意深く声の背景を聞こうとした。電車の音も、自動車の騒音もなく、音楽も鳴っていなかった。自宅から掛けているという直感がした。話はかなり長く、数字をあげて、内容に具体性があり、聞き手に信頼性をもたせるに十分だった。重ねて名前を聞くと、都合があって今は云えないと、かれ声はていねいに挨拶して先に切った。ふだん話をするのになれた人間の云い方であった。いうところの汚職事件が新聞に発表されたとき、人は捜査当局の神のような触覚に驚く。いったい、どのようにして事件の端緒をかぎあてたのだろうかとふしぎな気がする。多くは、彼らの専門的な技能に帰納して、かかる懐疑を起こさないかもしれない。しかし、職業の概念に安心するのは、そのゆえにあざむかれているのである。
●「証言の森 その犯罪の発覚は、被害者の夫青座村次(当三十一歳)が附近の巡査派出所に昭和十三年五月二十日午後六時半ごろ出頭して、勤め先の神田××番地東邦綿糸株式会社より帰宅したところ、妻和枝(当二十七歳)が何者かに絞殺されている、と届け出たことからはじまった。派出所の巡査はすぐこのことを本庁に電話で報告すると同時に届人の青座村次の案内で同家に行った。そこは中野区N町××番地、N駅より西南一キロで、青座宅は二十五、六戸ばかりの住宅街の一軒であった。すでに同家の門前には、妻和枝の実父石田重太郎と実母石田千鶴が村次の報せを受けて到着していた。青座村次は帰宅して妻和枝の死体を発見し、妻の両親に電話で報せたあと、巡査派出所に届出たものである。所轄署より臨場した警部補大宮一民作成の検証調書によると、その模様がつぎのように記載されている。
●「北京原人失踪」
(原作=クレア・タシジアン/訳=松本清張
《ニューヨーク 一月二十七日-ジャマイカ湾鳥獣保護区の湿地地帯で、今朝早く、半ば腐乱した中年婦人の死体が、二人のバード・ウオッチャーにより発見された。その女性は絞殺されていて、完全着衣の死体は、ビニール製のバッグに詰め込まれていた。検死官は、長く続いた寒さのために腐乱が遅れたということもあるが、少なくとも死後二カ月は経過していると推定している。推定年齢は四十代はじめないし半ばで、身長五フィート八インチ、体重115ポンド、髪は赤で目は薄茶色、顔は色白である。白いナイロン製のブラウスとブルーのスーツを着、黄褐色のナイロン・ストッキングをはいていた。ブラウスは前が裂けていたが、暴行された形跡はない。ひどくいたんだ黒のアザラシ皮のコートと毛皮の縁取りのついた黒の革のブーツが別のバックに詰められて死体の付近で見つかったが、財布は発見されなかった。死体は、さらに詳しく検査するために死体公示所に移された。この女性の身元に心当たりのある方は(写真参照)、警察まで届け出てください。電話番号はマンハッタン東(9)5627》
状況曲線(上)
(禁忌の連歌 第二話) 
【帯】
業界の談合と中央官僚癒着の実態!都心のビル屋上から発見された男の他殺死体。
その日偶然聞いた奇妙な
電話、誘いに乗って出かけたラブホテルには女の絞殺死体
・・・・・・大手建設会社専務味岡に仕掛けらた罠の奥でほ北叟笑む人は誰? 

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