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検索キーワードに見る清張作品の傾向と対策?

(その壱:タクシー)

清張作品の書き出し300文字前後からあぶり出すキーワード!

ページの最後


「タクシー」で検索すると17作品です。

混声の森」 ・「いきものの殻」 ・「数の風景」(【歌のない歌集】第一話)
・「美しき闘争(上)」・ 「湖底の光芒」(原題=石路)
・「モーツアルトの伯楽」(【草の径】第五話)
・「分離の時間」(【黒の図説】第二話)
・「水の肌」(原題=沈下) ・「雑草群落(上)」(原題=風圧) ・「眼の気流
・「馬を売る女」(【黒の線刻画】第三話)(原題=利)
・「土偶」(【死の枝】第十一話) ・「彩霧」・「神々の乱心(上)
・「行者神髄」(【文豪】1.)・「夏島」・「不運な名前

「タクシーの運転手」では5作品。
「混声の森」「いきものの殻」「数の風景」「湖底の光芒(改題)」「雑草群落(上)」

「運転手」単独は、「雨の二階」(【絢爛たる流離】第五話)
・「事故」(【別冊黒い画集】第一話)・「虚線の下絵
・「神と野獣の日」 です。
運転手が必ずしもタクシーの運転手を指すとは限りません。

清張は、「創作ノート(二)」で
>私は機会があれば出来るだけ他人の話を聞くようにしている。
>タクシーに乗れば、事故をおこさない程度に運転手の背中に話しかける
>ことにしている。
>相手が多くの人間に接する職業であればあるほど、ヒントを得ることが多い。

創作活動の姿勢でも、

清張は、タクシーの中での会話を楽しみのしているようだ。

その観点は、作品の中にも現れている。

あくまで、「書き出し300文字前後」での検索結果ですが、

これ以外にも多くの作品があるはずだ。

2006年6月18日


題名 「タクシー」
●「混声の森 「事故でもあったかな?」石田謙一はタクシーの運転手に声をかけた。「さあ?」運転手も首をかしげている。夜の十時ごろだった。権田原から神宮外苑に入った所で、タクシーが前に詰まってのろのろと進んでいる。向こうのほうで懐中電燈の灯がちらちらしているのは警官でも立っているらしかった。「事故ではなく、事件が起こったのかもしれませんね。検問のようです」運転手は、窓から少し首を伸ばして様子を見たうえで答えた。「酔っ払い運転の検査じゃないのか?」客はいった。「そうではないようですな。酔っ払い運転だと、主に白ナンバーを停めます。タクシーまでいっしょに停めるのは、やはり事件が起こったんでしょうね」車が進むと、運転手の言葉どおり、私服と制服とが六、七人立っている。制服の巡査は少し手前で車を停め、懐中電燈の光を座席に射しこんで客の顔を眺め、問題でないと思われる車はさっさと通していた。
●「いきものの殻 タクシーは、門を入って、しばらく砂利道を徐行した。片側の斜面に紅葉が見える。前栽培にも、紅葉がある。その蔭から、玄関に立て看板のように出された「R物産株式会社社人会会場」の貼紙が見えてきた。白服のボーイが二人、大股で寄ってきて出迎えた。溜まり場には自家用車が夥しくならんでいた。波津良太は、タクシーの運転手に賃金を払って降りるのが恥ずかしくなった。正面に設けられた受付の席から、係りが五,六人、波津の方を見ている。波津は、弱みを見せない足取りで、受付の前に行った。若い人ばかりで、波津が知っている顔は一つも無い。「どちら様ですか?」立派な洋服を着た青年が、丁寧に聞いた。向こうでも波津の顔を識っていない。
●「数の風景
(歌のない歌集 第一話)
板垣貞夫は東京から米子空港に午前十一時ごろに着いた。着陸の前、厚い雲の下から現れた街は白く、大山は裾野のほうだけぼやけている。夜見ヶ浜の海は黒い。一月の末である。松江に入り、決められた旅館の名をタクシーの運転手に云うと、そこは城山公園の近くで、濠端沿いだった。ここを指定したのは、明日大森の石見銀山跡を案内する太田市の有志だった。板垣の職業は土木建築関係の設計士で、自分の事務所を持ち、二,三の大手土建会社の顧問もしている。お城の天守閣も松林も雪はうすい、昼食を終わって、予定どおり鰐淵寺へ行くことにし、宿にタクシーを頼んだ。鰐淵寺は宍道湖の北西岸の平田市にあるが、西へかなり離れている。市内から出雲大社まで行く一畑電鉄の途中、平田市駅からバスが出ているが、案内書によると、一日一便というから、車で行くしかない。
●「美しき闘争」(上) 井沢恵子は門を出た。この辺の路は暗い。小さな家が多かったが、それでも住宅街だった。外灯がまばらに路を照らしている。恵子はタクシーの走っている通りへ向かって脚を大きく運んでいた。もう、バスは終わっているだろう。賑やかな通りに出るまで、まだかなりの距離があった。風が冷たかった。その冷たさが熱した頬にこころよい。わずか紙一枚の手続きだった。いや、、判コを捺すことだけで米村恵子に変わったのだ。実に何でもない瞬間だった。この手続きのために、なんと一年間、苦しんできたのだ。泪は出なかった。まだ怒りが胸にたぎっている。たった十五分前までは夫だった木村和夫と姑のミネ子に、引返して怒鳴りたくなる。大きな声で腹の底から罵倒したかった。が、彼女はその離婚届に判を捺したとき、「長らくお世話になりました」と、冷静に両人に挨拶できた。理性に勝った動作だった。その冷静さが今になって腹が立ってくる。
●「湖底の光芒(原題=石路) ケーアイ光学の債権者会議は午後三時からだ。三月九日は土曜日である。遠沢加須子の乗った車が池袋の繁華な通り抜けたのは三時一五分前だった。交通渋滞で思わぬ遅れとなった。「運転手さん、志村まであと十五分で行けるかしら?」「さあ、急いで行ってぎりぎりでしょうね」タクシーの運転手も中仙道に出てほっとしたように云う。もう少し早く出ればよかったと加須子は思った。開会には遅れるかもしれない。成り行きに任せるより仕方がない。時間に遅れたように、これから先の債権者会議の成り行きも半ば諦めている。絶望的な気持ちになってはいけないとは思いながらも、相手のケーアイ光学の倒産状態を聞くにつれて、中間程度の下請けは回収を諦めなければならないようだ。怒りがこみ上げてくるが、腹を立てるだけでは仕方がなかった。これまでケーアイ側の無理はずいぶん聞いたし、そのためにじゅ業員の徹夜もつづいた。夜勤料の支払いが一ヵ月分の賃金の八割ぐらいに上がったことも珍しくない。そのやり繰りに苦労したが、それでもあとでケーアイからまとめて金が貰えることを思えばこそだった。
●「モーツアルトの伯楽
(草の径 第五話)
午前十時、日本人の女がタクシーでブルク劇場近くのホテルに男を迎えに来た。男は東京から来た旅行者である。片手にコートを抱え、もう一方の肩にベルトのついた重たげなカバンのようなものをさげていた。二人は昨夜シュヴェヒャー空港で初めて顔をあわせた。彼が一ヵ月前に東京の旅行社に対して申し込んだ通訳の希望は、ウィーンに長く住んでいる日本女性で市内の地理にあかるい人というのだ。旅行社からの回答は、ウィーンに十年以上住んでいて、在留邦人にはドイツ語を、オーストリア人にはイタリア語を教えているというのだった。ウィーンでイタリア語を習っているのはたいてい音楽家のタマゴで、オペラ歌手を志している手合いかもしれないと男は思った。十一月の初めで、空は黒い雲がまだらに濁って、いまにも雨が降りそうであった。寒かった。タクシーの座席に女を先に乗せた男は、肩からベルトをはずして、鼠色のズックに包んだものを膝の上に置いて抱いた。タクシーは夕方までの約束でチャーターしていた。
●「分離の時間
(黒の図説 第二話)
四月末の午後六時ごろ、その日とくに気温の高かったのを広告代理店外交員の土井俊六はおぼえているが、麻布狸穴の近くでタクシーに手をあげた。ドアがゆらりと開いたので、片足をかけて中をのぞきこむと顔をこっちにねじむけた運転手は三十歳前後、中肉中背のおとなしそうな人物だった。まずは、よし、と乗りこんだ。近ごろはヤクザのような運転手が多いので、一応は見きわめないと安心ができない。「どちら?」運転手はドアを閉めてきいた。「京橋六丁目」運転手は返事も、うなずきもしないで車を走り出させた。俊六は見込みがはずれて警戒が湧いた。思わず眼が運転席の上にある表示板の名に走った。《−−9426。共立タクシー株式会社。運転手、吉田庄治》俊六は仕事の上でよくタクシーを使うが、それだけ不愉快な経験を多く持っている。乗車拒否はすでに日常的である。ガソリンを補給に行かねばならない、飯を食いに行く、営業所に帰るところだから方向が違う−−これが運転手の口実だ。乗ってから行き先を告げると、営業所に帰るところだから下りてくれと強制する。
●「水の肌(原題=沈下) 企業から頼まれた興信所や私立探偵社の個人身許調査報告書は、女遊びとか金使いが荒いとかいう素行内偵調査とは違って、およそ内容の面白くないものである。企業が依頼する調査の対象は、個人の場合だと、経営側にとって好ましくない社員だとか、入社を予定している新人に行われることが多い。後者の場合は依頼の目的がはっきりしているけれど、そのほかは依頼主が目的を明瞭に示さず、ただ調査だけを委嘱することがある。調査側によけいな先入観を与えないで、客観的な資料を得たいからであろう。調査報告書も、その通りに無味乾燥な字句で綴られる。もっとも浮気の調査報告でも「×日午後×××分頃、××××殿は××駅前で×××子殿と落合い、タクシー×町の温泉旅館××荘に入る。×××分に至も両人は出てくる様子はなく、調査員は本日の張り込みを解く」といった式の文句だ。
●「雑草群落」(上)(原題=風圧) 雨は昼間より激しいものに見えた。ヘッドライトの先の舗道に白い水煙が立ち昇っている。「すっかり梅雨だね」高尾庄平はタクシーの運転手の背中に話しかけた。運転手は返事をしない。車を止めて煙草を吸っている。前に車の列がつかえているので、不機嫌だった。新宿から甲州街道へ抜ける西口のあたりはことに混雑する。夜の九時ごろだが、いつもだと、すいているのに、雨のせいで、数も多く、容易に進めない。ワイパーだけがフロントガラスにいそがしく回転していた。遠くの信号が青に変わっても車はわずかに進んだだけだった。運転手は舌打ちして煙を吐く。「雨が降ると、君たちも忙しいね」高尾庄平は愛想を言った。「いくら忙しくても、こう走れないんじゃ商売にならないよ」運転手は、いらいらした声を投げた。庄平は、雨滴れの流れている窓から外をのぞいていた。商店街の明るい灯の下では無数の傘が動いていた。
●「眼の気流 「恵那タクシー」の運転手末永庄一は、配車係から峡西館に行くように云いつけられた。三月に入った朝である。「お客さんは上諏訪までだ」と配車係は云った。岐阜県恵那市から長野県上諏訪までは大体百四十キロくらいある。列車のほうがずっと楽だが、ときたま、こういう車の客がないでもない。しかし、雪解けの中仙道の悪路を走るのは決して快適ではない。恵那から上諏訪の温泉にドライブしようというのだから、どうせ結構な身分の客に違いない。メーターも一万円近く出るだろう。汽車で行けば一等でも八百円くらいで済む。「おーい、チェーンを用意して行けや」配車係は注意した。(今から行くと、ここへ戻ってくるのは夜の十時ぐらいになるな)
●「馬を売る女(原題=利)
(黒の線刻画 第三話)
〔日本経済新聞社=馬を売る女〕
画家の石岡寅治は一週間に二回ぐらいのわりあいで銀座に出かける。家は杉並区久我山の何丁目かである。久我山というところは杉並区の西の端で、同時に東京都二十三区の最西端でもある。げんに画伯は三鷹市の井の頭公園を散歩する。銀座には何とか会合があってでかけるのだが、酒の好きな画伯はその帰りにはもちろんのこと、バアにはわざわざでも飲みに行く。当然、帰り時間はそう早くない。帰りはタクシーである。霞ヶ関のランプから高速に入るのだがたいてい十一時ごろで、ときには零時をすぎることもある。この時刻だと高速道路も同じ方向へ行く車が多い。さすがにトラックはないが、マイカー、ハイヤー、タクシーの赤い尾灯が輝きながら連な../seityou_g/614_sei_fuunnnanamae__01.html壮観である。
●「土偶
(死の枝 第十一話)
汽車の中は立っているだけがやっとだった。ほとんどが買出し客か米のヤミ商人だった。時村勇造と英子のように発車前から座っていないと、座席に腰を下ろせる状態ではなかった。それも十時間近く乗りつづけてきた。駅からやっと出たとき勇造は、まだ自分の身体でなかった。手枷足枷で閉じこめられたものが俄に解放されたら、こういう気持ちになるだろう。身体に感覚がなかった。立ちつづけも辛いが、座ったまま身動きできないというのも責苦である。駅前からは、今度は立ちづめのバスに乗った。まだタクシーはなかった。ハイヤーでもタクシーでもそこにあったらどんな高い料金でも出すところである。金はふんだんに持っていた。古いバスは長いこと傷んだ道路を走った。坂道にかかると、渓流が横手に見えるのだが、立っているのが精いっぱいでは窓からのぞくどころの算段ではなかった。バスも買出し客でいっぱいだった。目的地の温泉の町に降りたとき、もう一度人心地が戻るのに時間がかかった。
●「彩霧 午後四時半に銀行を出た。なま暖かい早春の土曜日であった。スモッグで朝から太陽が白く濁っている。いつもは六時過ぎまで残るのだが、今日は営業が午前中の上、出納との帳尻もいつもより早く合った。安川信吾は使い古した黒皮の手提鞄を面倒臭そうに持っている。映画館に入り、二時間かかって外に出ると食事を摂った。百円のチキンライス。八時近くになっていた。ふらりと街を歩く。少し重そうな鞄であった。有楽町界隈は、人で混み合っている。彼は銀行マンらしく調髪には気をつけるほうである。二十八歳。ぶらぶらと歩いて洋品店に入った。下着が一通りと、セーターと替ズボンを一つずつ買った。ついでにスーツケースを求めて、買った品をその中に突込み、総計八千円を払った。財布の中は残り少なくなっている。二つの荷物を両手に提げてタクシーに乗り、東京駅前の小さな果物屋に入った。横では稲荷ずしや巻きずしを売っている。汚い店だ。
●「神々の乱心」(上) 東武鉄道東上線は、東京市池袋から出て埼玉県川越市を経て、秩父に近い寄居町にいたっていた。武蔵野平野の西南部を横断しているかたちである。その途中に「梅広」という駅がある。昭和八年現在の東武鉄道の時刻表で池袋駅から所要時間が約一時間である。ここは埼玉県比企郡梅広町で、人口約一万三千。郡役所、裁判所出張所、警察署、比企郡繭糸同業組合支部、武州中央銀行支店、県立中学校、小学校などが備わっている。駅前通りには商店がならび、料理店も多い。旅館は六軒ある。駅前広場にタクシーが以前からみると相当ふえた。二つの自動車会社が一日平均三十台近くの車を動かして川越市、熊谷市、鴻巣町、玉川村方面へ客を運んでいる。昭和八年十月十日午後二時半ごろ、埼玉県特別高等警察課第一係長警部古屋健介が北村幸子を梅広警察署に呼び入れて参考人として尋問したのは、次のように偶然のことからだった。
●「行者神髄
(【文豪】1.)
一月下旬から伊豆の伊東に仕事を持って行っていたわたしは、一週間ぶりに宿をひきあげることになった。伊東駅から電鉄に乗らずタクシーで熱海に向かったのは、電車待ちの退屈をきらったのでもなく、一刻も早く熱海駅から新幹線の「こだま」をとらえて帰京を急ぎたいからでもなく、伊東の宿に滞在している間に果たせなかった熱海市の水口町に行っててみたかったからだ。宿では締切の迫った原稿を書いていたので、近くなのにその時間がなかった。二月初めのその日は朝から小雨が降ったり熄んだりして、海岸沿いを走るタクシーの窓からは近くの波しか見えず、沖合は灰色の海霧が黒い斑ら雲につづき、東の空ほど暗くなっていた。「熱海はどこですか?」
錦ヶ浦を越えたところで運転手は髭の濃い顔を半分横にしてきいた。
●「夏島 横浜に用たしのついでに夏島に行った。かねてから見たいところだったが、こういうときでもないと機会がない。五月の半ばの日曜日だった。京浜急行の金沢八景駅前からタクシーに乗った。運転手は三十前だった。「夏島町のどのへんですか?」シャツ着の運転手はきいた。十一時ごろだが、もう初夏の陽であった。「島のような小さな山なんだけど」「山は、いっぱいありますよ」お宮の前に車をとめて運転手は南の方角を指した。ずっと向こうになだらかな丘陵が伸びていた。伸びた先は海のである。三浦半島の地図を頭に浮かべると、ここはその真ん中の東側であり、東京湾を隔てて房総半島の富津あたりと対い合わせになっているはずである。「戦時には海軍の飛行場があって、敗戦後はアメリカ軍が使用していたところがあるね?」
●「不運な名前 三月末の或る雨の日、安田は岩見沢の駅で降りた。昨夜泊まった札幌を今朝早く発ったので、着いたのが午前十時ごろだった。手提鞄一つを持ち、タクシー発着場にならんで三十分くらい待った。雨降りのため客の列が長い、安田は肌寒いなかで駅前商店街の雨で暗い風景を眺めていた。岩見沢は前に旭川へ行くとき通過したことはあるが、降りたのは初めてであった。ようやく順番がきて、走り戻ったタクシーに歩み寄った。雨滴が首筋に冷たかった。行き先の月形町の名を云うと、運転手はアクセルを踏んだ。方角は西だった。ヒーターの暖気と雨で白く曇った窓に朦朧とした町なかが過ぎると、広い田園についた直線道路が流れてきた。フロントガラスをワイパーが拭いた透明な扇形の中に、耕された冬枯れの原野がどこまでも続くが、山らしいものはまだ見えなかった。地図では丘陵の裾が目的地であった。
●「迷走地図」(下) 土井信之は、タクシーで浅草三丁目に向かった。雨の午前十一時ごろだった。ホテルの部屋で受けた外浦卓郎の電話による番地をタクシーの運転手に云ったのだが、この運転手は浅草の地理に不案内とみえて、碁盤の目になった町をうろうろと走りまわった。言問通りを北に入ったこの界隈はスナックバーと小料理屋とがやたらと眼につく。あいだあいだに普通の商店や小さなビルもはさまっているが、風俗営業は料亭を中心に集まっていた。その料亭も一カ所にはかたまらずに、とびとびに一軒か二軒ずつ散在していた。どれもがあまり大きくなかった。土井が運転手に渡したメモは、「浅草三丁目××番地、桐の家」というのだが、これがわからない。午前十一時という時間はこうした町では半分眠りからさめていない状態で、スナックバーも飲み屋もトルコもまだ表を開けていなかった。
●「隠花平原」(下) 修二は、翌朝十時ごろ、東京駅に行った。電車に乗る前に構内から、R新聞の城西支局の吉田に電話した。まだ出社していないかとも危ぶんだが、その吉田の声がいきなり受話器に出た。「いま、あなたのほうに電話しようと思っていたところです」と、吉田は弾んだ調子で云った。その精力的な顔が浮かぶような声だった。「え、何かありましたか?」修二は訊き返した。「例のタクシーのことですが、あれはやはり嘘らしいですね。下諏訪に行ったことですよ。こちらから下諏訪の支局に頼んで、あの辺の宿を全部調べてもらったんです。東京から運転手付きのタクシーが来て四月六日に泊まったとなると、すぐに分かりますからね」「なるほど」「ところが、そうした旅館は一軒もないということです。運転手は泊まった旅館の名を云ってないし、出鱈目だったことはほぼ確実です」

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