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松本清張_雨の二階 絢爛たる流離(第五話)

No_105

題名 絢爛たる流離 第五話 雨の二階
読み ケンランタルリュリ ダイ05ワ アメノニカイ
原題/改題/副題/備考 ●シリーズ名(連作)=絢爛たる流離
●全12話=全集(全12話)
 1.土俗玩具
 2.小町鼓
 3.
百済の草
 4.
走路
 
5.雨の二階
 
6.夕日の城
 7.

 8.
切符
 9.
代筆
10.
安全率
11.
陰影
12.
消滅
本の題名 松本清張全集 2 眼の壁・絢爛たる流離【蔵書No0021】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1971/06/20●初版
価格 800
発表雑誌/発表場所 「婦人公論」
作品発表 年月日 1963年(昭和38年)4月号
コードNo 19630400-00000000
書き出し 京城の部隊から新しく篠原憲作という主計大尉が、南朝鮮の沿岸防備師団司令部に赴任して来た。大尉はまだ三十三歳で、南方の激戦地を歩いているうちにマラリヤに罹り、送還されて京城の陸軍病院に入っていたのである。それが快癒してこの野戦病院に転属となった。篠原主計大尉は、鈴木物産の社宅に間借りしたが、それは死んだ柳原高級参謀が借りていた伊原寿子の家ではなく、山田勝平という採金所の技師長の家だった。山田技師長はもうここに六年間も居すわっていて、夫婦の間に男の子が二人いる。篠原主計大尉はこの社宅から徒歩でてくてくと師団司令部に通う。この司令部は、農学校の校舎を接収しているので、教室がそのまま師団長室や、参謀室や、軍医部などに分かれていた。
あらすじ感想    舞台は、終戦から戦後へと移る時期へ。
戦後と言っても、闇市時代と言うべき混乱期である。

畑野寛治は、軍需省の雇員で運転手だった。当時、畑野は三十三歳。
二十二歳から六年間兵役で自動車隊として大陸で転載したことがある。除隊後二度と兵隊にとられたくなく
軍需省の雇員になったのである。
将校たちのくすねた、軍用物品のおこぼれを頂戴したしていたので時代が異なる所に住んでいるような生活をしていた。
野は結婚していて、妻の秋江と福岡市の外れに、小さな家を借りて住んでいた。
>「おれの家にいくら物があるからといって近所の者に裾分けしてやったり、自慢したりしてはならんぞ」
畑野は妻に言い含めていた。
一度だけ、秋江が遠い親戚に軍隊用の毛布を分けてやったことがあった。
畑野は、血相を変えて妻を叱った。
>「こんなことがほかの者に分かってみろ。おれは憲兵隊に引っぱられ、軍法会議にかけられるんだぞ」
軍需省倉庫の将校たちの横領を見て見ぬふりをし、おこぼれと同時に、自らもくすねていた
畑野寛治自身にも後ろめたい現実があるのだった。
寛治は、妻の秋江に、衛戍監獄の苛酷さ、憲兵隊の暴力的な取り調べのあげくに、虐め殺されても
病死と言うことで闇から闇に葬られることを、言い聞かせた。
秋江は身震いし、泣いて謝った。
>「もし、あんたがそうなったら、わたしははどうなるの?いっそ海川へでも身を投げて死んでしまうわ」
秋江の言うことには及ばない、わずかな偶然さえあれば、焼夷弾で黒焦げになる時代だった。

畑野寛治は5日ぶりに家に帰ると、秋江に言った。
「おまえは、すぐに家をたたんで神奈川の実家に行け」
もうじき戦争が終わる。日本が負けるというのだ。持ち前の要領の良さから畑野は、戦火の状況を把握していたのだ。
秋江は、神奈川の丹沢山塊の麓にある実家に帰った。
その後すぐに、寛治は憲兵隊に捕まった。軍需省倉庫の将校たちの横領
>畑野は憲兵隊の二階にある柔剣道場に正座させられて、木刀、竹刀で、打擲(チョウチャク)され、指と指の間に
>鉛筆を挿まれて揉まれ、縛られたまま天井から逆吊りにされた。
>「おまえなんざ、非国民だからの。どうせ死刑だ。ここで死んでもかまうまい」

寛治が秋江に言って聞かせた通りの仕打ちを受けたのだった。
寛治の拷問の場面は、小林多喜二が描いた小説「『一九二八年三月十五日』」の拷問の場面にそっくりだ。
 【松本清張_昭和史発掘 第十四話 小林多喜二の死】 それは、小林多喜二が受けた拷問でもあった。
同じ拷問でも、子悪党の寛治と、多喜二を同列にするつもりもないが、清張が「憲兵隊の拷問」を、描くに当たって
多喜二が描いた場面を意識し、多喜二に加えられた拷問を意識しているように感じた。

寛治は横領の全部を認めた。それは、憲兵隊の掴んでいた量より少し少なかった。
そして、度重なる拷問に対しても、自分一人での仕業だと言い張った。隠匿物資は空襲で焼かれたと主張した。
憲兵隊の追及は、空襲によって中断しながらも続いた。
珍しく敵機がこない或る日だった。八月の燃えるような太陽が中天にあったときだった。
大勢が会議室に集まっているようだ、ガーガーと雑音が聞こえてきた。寛治は、ラジオを聞いているのだなと思った。
留置場から取調室に出された寛治だったが、憲兵の様子がおかしかった。取り調べの仕方もおかしかった。
曹長は突然眼から涙を流しはじめた。 「よし、戻れ」

勘の良い畑野寛治は、敗戦を知った。寛治は夜明け前に留置場を脱走した。
半年後、寛治は妻の秋江の実家(神奈川県愛甲郡)へ帰った。
隠匿物資の、毛皮の防寒服、防寒帽、将校の長靴、外套で身を固めた寛治だった。
眼を見張って迎えた秋江に言った。「さあ、これからがおれの本当の戦争だ」

男が戦争を始めるのだ、女房など足手まといだ。
当分神奈川へ残れという寛治に、秋江は、「女でもつくるんじゃあるまいね?」と聞いた。
そんな秋江に寛治はダイヤの指輪を見せた。「まあ」と呼吸を呑み、「どうしたの」。
寛治は、「買ったのだ」とこともなげに言った。
終戦時のどさくさにまぎれて、朝鮮から逃げ帰った将校の持ち物らしい。
どうせ、朝鮮から連れてきた女の持ち物をせしめたに違いない。
女は、将校が適当に始末したのだろう。寛治の推測だ、この話は、前作の「走路」に続くものである。
寛治は、その推察からダイヤを持ち込んだ将校を脅して安く買いたたいたと話した。
『絢爛たる流離』の主人公である【ダイヤの指輪】が登場した。

畑野寛治は、新橋の焼ビルに「興国商事」の看板を上げて商売を始めた。
ヤミ屋に物資を流しす寛治の商売は、成功した。彼の事務所の机には百円札の束がごろごろしていた。寛治は三十四歳
そんなとき、四十歳ばかりの古びた戦闘帽と長靴の男が寛治を尋ねてきた。
「やあ、大尉殿」
大尉と呼ばれた男は、軍隊で寛治の上官であり、物資をくすねていた一人でもあった。
寛治は彼が脅しに来たと思った。同じ穴の狢ではあるが、寛治の方が腹が据わっていた。
>「なんですって?」
>「大尉殿、あんたはよくもそんことをわたしのところに言ってこられたもんだね、ええ」

憲兵隊の拷問にも耐え、口を割らなかった自負がある。わずか三分一も足りない分け前で
我慢していたのだ。
>「...わしのところになきついてきてもはじまらんよ。いや、泣きついてきたんじゃない。
>あんたはわしを嚇かしに来たんだな」
>「いや、決してそんな」

軍隊時代とは立場は完全に反対になっていた。
寛治は、百円札の束を一つ投げだし「これを持って帰んなさい。もう二度とここに来たって相手にしないからね...」
大尉は帰ったが、しばらく日を置いて元軍曹が潮垂れた格好で事務所のにやって来た。
元軍曹もまた、元大尉と同じ運命だった。

畑野寛治は、麻布に一軒家を持った。
妻の秋江を丹沢の山塊から引き寄せた。
>「おれの実力が分かったか?」
>「ほんとうに女は亭主次第だわね。わたし、あんたのような働き者を亭主に持って仕合わせだわ

ヤミ物資を動かし荒稼ぎをして、羽振りの良い寛治に女が出来た。
福岡のヤミ市場でほしいもの買いかねてもうろうろしている女に声を掛け、買ってやり手に入れたのだ。
女は、礼子と言い、二十七、八歳。礼子の夫は海軍士官で、すでに三年も一人暮らし。戦争未亡人なのだろう。
礼子には、妻の秋江とは違った育ちの良さがあった。
>女は、夜でもその育ちの良さを見せた。
畑野は、礼子に、彼自身が溺れてしまった。
仕事でも福岡に用が無くなると、福岡を引き払い、礼子を東京に呼び寄せた。大森に部屋を借りさせ住まわせた。
礼子に打ち込み始めた寛治は、礼子の指にダイヤの指輪をはめることを思いついた。
>「どうするの?」
と聞く秋江を言い含めて、秋江から指輪を取り上げた。
今の寛治ならその程度の指輪なら買うこと出来た。それをしないのが寛治の性格でもあった。
結果、寛治の絶頂期だったかも知れない。
妻の秋江は、寛治に女が出来たことに気がつく。
秋江は、寛治にむしゃぶりついて喚いた。
>「いい加減にしろ」
>と、彼は秋江を殴打した。ときには秋江の顔が腫れあがるくらいに打擲したり、階段から逆さ吊りにしたりした。

今で言えば、凄まじいDVなのだが、秋江のヒステリーも、相当なものだった。
無知で従順な女も、ひとたび切れて反撃を始めると手に負えない。
寛治は秋江と別れる決心をした。
>「わたしゃ死んでも動かないからね。さ、早くその女のところに連れてってちょうだい。話をつけるから」
寛治は礼子だけを守っているわけでは無かった。
女はいくらでも手に入る。しかし、秋江と別れる事は簡単ではない。
逆上する秋江は
>「あんたを殺してわたしも死ぬからね、殺されないように用心しなさよ」
殺されかねない寛治は、秋江に殺意を抱きはじめる。

>雨の日の夕方だった。畑野寛治は焼ビルの二階にいた
焼ビルは、二階が事務所、三階は倉庫。階下に管理人がいた。
秋江が焼ビルを訪ねてきた。「まだ二階に居ますか?」
しばらく静かだった二階は、二十分ばかりするとどたばた音がした。
管理には、また秋江のヒステリーが始まり、夫婦げんかが始まったと感じた。
>「おい、おれはちょっと出て行くからな」といった。
>「奥様は?」と、管理人が上に顎をしゃくった
寛治は、秋江のヒステリーで手がつけられない、おさまるまでマージャンでもしてくる。
物音がしても見に行かない方がいよ。と、言い残して出かけた。
管理人も、秋江のヒステリーに手を焼いたことがあり「分かりました」と、合点した。
伏線が書かれている。畑野寛治は雨の中、短靴で出かけたのを管理人は不思議に思った。

二,三分すると二階で急に物音がした。
荒れ狂う音はしばらく続いたが、急に静かになった。

一時間ばかり経って寛治は帰ってきた。「どうだい?」
>「さっきまでは、なんだかガタガタと音が聞こえていましたが、今は静かです」
畑野寛治が二階へ上がって五,六分経つと管理人を呼ぶ寛治の声がした。
>「秋江が殺されている」

畑野寛治は、管理人に現場を保存させ、自ら警察に駆けこんだ。
検視が行われた。
窒息死らしい、現場にあったフランネルの布が猿ぐつわにされたのか、犯人の足跡を調べたが不成功に終わった。
畑野寛治も疑われる立場だが、現場に居なかったことは管理人も知っていた。マージャン屋の裏付けもとれていた。
長靴について警察に聞かれた寛治は、現場にあった長靴に履き替えて警察に知らせに行ったと、答えた。
結局、迷宮入りになった。

それから一年が過ぎた。
畑野寛治は射殺された。犯人は元上官の軍曹だった。
この事件を担当したのは、寛治の妻が殺された事件の担当刑事だった。
殺された畑野は、足にゴムの長靴を穿いていた。十六文はあるだろう大きな長靴だった。

ここから長靴の秘密が解き明かされる。
それは畑野の妻、秋江殺しの方法である。詳細は省略する。
畑野にとっては、秋江殺しが発覚しなくて幸いだったが、それは幸福か不幸か分からない。
もし、バレても死刑になることは、なかっただろう。せいぜい懲役二十年ぐらいだ。
娑婆に居たばかりに射殺されてしまった。


読後感としての結論
●二つの皮肉
その① 秋江は、寛治にうっとりした顔で話していた。
 
 >「ほんとうに女は亭主次第だわね。わたし、あんたのような働き者を亭主に持って仕合わせだわ」
 仕合わせな結婚生活だったのか? 皮肉でもあるが、結果は男次第であるという結論も導き出される。
その② 絶頂期から予期せぬ死を迎える。
 彼の人生は、突然に終わりを告げられるのだが、秋江殺しは、バレることなく、幸か不幸か皮肉な結果に終わってしまった。
 自業自得のような、哀れなような...


----言葉の事典----
●打擲(チョウチャク)
 :人をたたくこと。なぐること。
●衛戍監獄(エイジュカンゴク)
 :最初の衛戍監獄は、東京鎮台に設けられたもので、
  旧虎ノ門徒刑場の建物を代々木練兵場(現代々木公園)に移設して使用した。
  1908年には陸軍監獄令(明治41年勅令第234号)と海軍監獄令(明治41年勅令第235号)が制定され、
  以後の軍事刑務所運用の基本規定となった。1922年には、「陸軍衛戍監獄」は「陸軍刑務所」へと改称している。


2019年02月21日 記
作品分類 小説(短編/連作) 20P×1000=20000
検索キーワード 軍需省。運転手・拷問・隠匿・福岡市・丹沢山塊・ヤミ市・興国商事・焼ビル・長靴・札束・ヒステリー・フランネル
登場人物
畑野 寛治 軍需省の雇員で運転手だった。三十三歳。軍隊時代にくすねた物資で商売を始め、成功する。
が、妻の秋江とは壮絶な夫婦生活になる。
畑野 秋江 畑野寛治の妻。上手くいっているときは、「ほんとうに女は亭主次第だわね。」と言っていた。
女を作った寛治に狂気のヒステリーを起こす。
大尉 畑野寛治の元上官。軍事物資をくすねる。戦後落ちぶれて、畑野に恐喝まがいで助けを求める。が、畑野に軽くあしらわれる。
元軍曹 大尉同様、畑野寛治の元上官。畑野の対応に怒り結局ピストルで畑野寛治を射殺する。
管理人夫婦 畑野寛治の「興国商事」が入っている焼ビルの管理人。夫婦で住み込みらしい。秋江のヒステリーをよく知っていた。

雨の二階




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