〔(株)光文社=遠い接近(1972/07/15):【遠い接近】〕
題名 | 遠い接近 | |
読み | トオイセッキン | |
原題/改題/副題/備考 | ●シリーズ名=黒の図説 ●全12話 1.速力の告発 2.分離の時間 3.鴎外の碑 4.書道教授 5.六畳の生涯〔(株)文藝春秋=松本清張全集10〕 六畳の生涯〔(株)光文社=生けるパスカル〕 6.梅雨と西洋風呂 7.聞かなかった場所 8.生けるパスカル 9.遠い接近 10.山の骨 11.表象詩人 12.高台の家 |
●(株)光文社=遠い接近 (遠い接近) |
本の題名 | 遠い接近■【蔵書No0043】 | |
出版社 | (株)光文社 | |
本のサイズ | 新書(KAPPANOVELS) | |
初版&購入版.年月日 | 1972/07/15●51版1976/02/10 | |
価格 | 580 | |
発表雑誌/発表場所 | 「週刊朝日」 | |
作品発表 年月日 | 1971年(昭和46年)8月6日号~1972年(昭和47年)4月21日号 | |
書き出し | 夏が過ぎ、九月にはいると,どこの印刷所もぼつぼつ活気を帯びてきた。連日徹夜をしてもまだ足りない一二月の忙しさがこのころからぼつぼつはじまる。自営の色版画工の山尾信治には夏でも仕事の切れ間がなかった。小川町の裏通りにすんでいる彼は、神田から四谷にかけて二つの大きなオフセット印刷所と三つの小さな石版印刷所を顧客に持っている。戦争がしだいに激しくなってきていたが、信治の仕事は、減らないばかりか、かえって忙しくなっていた。色版画工は、二色以上の印刷物の原版を描く。原画を見ながら、色別に分解して描き分ける。多色刷りの場合は、三原色の版に補色が二版、それに墨(クロ)版を入れて六色の版を描き分ける。濃淡やボカシにはフィルムの網目をこすりつけて調子を出す。中間色は三原色混合の法則に従って、色と色とをかけ合わせる。 | |
あらすじ&感想 | 前編と後編に分けられる。.前編は山尾信治(32歳)の軍隊生活、佐倉の第57聯隊へ入隊。山尾は佐倉から九州へ そして、朝鮮へ。 書き出しは入隊前のエピソードであるが、それは重要な伏線である。 「ハンドウを回された」の「ハンドウ」とは.... ※福岡県弁護士会(弁護士会の読書/松本清張への召集令状より) 反動を回すとは、大砲を撃ったときの砲身の反動から来た言葉であり、 ものごとが 行き過ぎた場合に逆方向に戻すという意味。 軍隊で受けた理不尽な私的制裁は、清張 を終生、強い反軍傾向をもつ人間としたのです。 過酷な軍隊生活は古参兵安川の私的制裁が壮絶に描かれている。NHKでドラマ化されたドリフターズの荒井注が 適役で狂気を見せる。かつて見た、山本薩夫監督の「戦争と人間」を思い出させる。 後半の前半は、終戦後、朝鮮から引揚げて安川に再会、安川の手下となってヤミ屋を手伝う。 後半の後半、最後は山尾の復讐劇である。復讐劇のきっかけは原爆で家族が全滅したことか? 「ハンドウを回された」正体が明らかになる。清張らしい悲しい結末である。 山尾は教育招集という名目で招集される。令状を持って小学校の講堂に行く。 身体が丈夫でなく、高齢の山尾は招集に疑問を持っていた。 受付は顔見知りであったが、話したことはない白石という男だった。 白石は少し驚いた顔をして 「あんたは、ここの教育訓練には、よく出るほうでしたか?」「いえ.....」 「ははあ。......じゃ、ハンドウを回されたな」 白石はちょっと気の毒そうな眼つきをして呟いた... 軍医の「よし。...つぎ」の一言で合格し、入隊が決まる。 教育招集の衛生兵として軍隊生活が始まる 入隊2日目から、軍隊内の私的制裁を見、体験することになる。そして「ハンドウ」なる言葉を再び聞くことになる。 制裁を受けた補充兵は荒々しい息づかいで信治の隣に倒れ込む。そして憤怒に胸を沸らせて言った。 「畜生、俺たちの除隊にヤキモチを焼きやがって、ハンドウを回しやがったな」 前後の脈絡から「ハンドウ」の意味が理解できた。「ハンドウ」を回したのはだれなのか! 私的制裁は理不尽で滑稽でもあるが、それが大まじめに行われるので始末が悪い。 山尾は古兵の安川から兵長の褌を洗濯しろと命を受ける。 「兵長殿。山尾に兵長殿の褌を洗濯させていただきたくあります」 「いや、いいんだ。それは、おれがやるよ」さすがに、兵長は慌てたようにことわる。 「山尾。ぐずぐずするな。早く兵長殿から褌を頂戴せんか?」 命令を実行できないと言うことで制裁を受けるのである。 山尾は、安川への悔しさはもちろんだが、このような理不尽な軍隊生活への怒りを募らせる。 期待と不安が交錯する中、3ヶ月の教育招集が終わろうとする頃、中隊長の夜間訓示とかで集合が掛かる。 命令が下る。 加藤豊太郎、小林喜市、吉沢利雄、平野安男、後藤忠吉、村井省吾、杉村謙次、田村豊造、村上源三郎、飯田茂、 金子正己、足立勉治、豊田文治郞、山崎英夫、あの山崎が呼ばれた。(山崎は優等生として軍務に精励していた) 山尾信治!「山尾信治.....山尾はいるか?」山尾はやっと返事をした。呼ばれた者はすぐ返事をする。よいな。 村上勘次...その後五,六名呼ばれたが、山尾はほとんど聞こえなかった。 これで青紙から正式に赤紙招集となった。懸念は現実の物となった。 こんどは何処に送られるのか心配になった。南方か... 面会に来た妻の良子からの話で「ハンドウ」を回した人間に見当を付けた信治は、内密に探すことを頼む。 父の英太郎は、除隊が不可能になった信治をあきらめて、従弟を頼って広島行きを打ち明ける。 次の面会を約束して分かれたが、それは出来なかった。 信治の所属する聯隊の二個中退は、佐倉から九州に移動した。12月下旬だった。 部隊は福岡から朝鮮の竜山へ。 山尾信治は二十二部隊の第六中隊に配属。山尾はここで安川と会うことになる。 「安川哲次」と、准尉が言った。「はい」と低い声で返事、「呼ばれた者は大きな声で返事をする」准尉は、 気むずかしい顔で言った。安川の横着な態度だった。「以上呼ばれた者は一班にはいる」 次に呼ぶ者は二班に入る、准尉は続けた。終わりの方で信治も呼ばれた。 信治はとっさに思いつく。 「自分は石版画工でありますが...」准尉のまえに進み出て、棒げ銃をして言葉を続けた。 「...石版画工はというのは、文字をきれいに書く仕事でもあります。中隊長事務室に使っていただきたい のであります」 信治は、佐倉の聯隊で特技を持っていた兵は重宝がられ肉体的な労働の勤務から免除されて居たのを見聞していた。 なりふり構わない信治の行動を准尉が聞き及んでくれたかはわからない。 信治は良子からの手紙で稲村重三に男の子が生まれたことを知る。 金星印刷の河島課長さんが元気なことを知る。 良子との打ち合わせ通りで暗号での返事である。 兵事係の稲村重三。兵事係長は河島。信治は頭に刻んだ。 兵舎の中で信治は安川に会う。緊張の再会であるが、以前山崎が言っていたとおり、安川は変わっていた。 「うむ。お前らといっしょに野戦部隊に転属だ。...よろしく頼むよ」意外な愛想のよさに信治の方が困った。 陸軍病院にいた向井上等兵(兵長に昇進)の情報を山崎が持ってくる。山尾や山崎はらは、向井からも安川同様、 私的制裁を受けた。二人は向井に会うが安川と同じく「もう、気合いは入れんから安心せい」と言う。 二、三日で南方行きが決まっているらしい。 前線に向かう兵隊に銃弾は前から飛んでくるとは限らない。特に私的制裁をした当人達は、怨みの弾丸が後から 飛んでくる恐怖に苛まれることになる。 向井は南方に向かう輸送船ごと撃沈され果てる。 山尾信治は良子からの手紙で家族が広島へ疎開したことを知らされる。 首尾良く座骨神経痛の仮病で安川は弱兵整理で除隊になる。安川は衛生兵である山尾の計らいが大であると勘違いして 大いに感謝する。 安川は、除隊の挨拶で山尾への私的制裁を詫びる。軍隊の習慣を言い訳にたびたび謝った。 それは二人の特別な関係が原因とも言える。 「いえ、古兵殿。そんなことは自分はもう忘れております」 この時になってまで何を言うかと信治は自分に腹が立った。 信治は駿河台下、安川は小川町、トラックの運転手をしていたことが安川の口から聞かれた。 釜山の市役所の吏員をしていたという細川という男を知る。信治は痔の治療で医務室を訪れた細川に近づく。 目的は赤紙の招集過程を兵事係だったという細川から聞き出すためである。犯人の尻尾をつかむことが出来た。 信治は、昭和二十年八月の敗戦まで、竜山に残っていた。 大本営発表 一、八月六日広島市は、敵B29の攻撃により、相当の被害を生じたり 二、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも、詳細は目下調査中なり 神田小川町は、畑になっていた。信治は二十年秋に帰還していた。 信治は麦を踏んでいる女と目を合わせる。「山尾さんではありませんか?」「はぁ」文具屋のおかみと会う 「...奥さんや子供さんはお変わりありませんか?」 「...みんな死にました」「広島に行っていましたから。去年の八月の原爆にやられたのです」 何時原爆で家族が死んだことを知ったのか書かれていない。 ヤミ市で安川に会う。 小説はこのあたりで半分過ぎであるが、先を急ぐことにする。 「あっ、安川古兵殿!」 ヤミ屋をしている安川の手下として働くことになる。 以後は山尾の復讐劇である。河島をさぐり当てた山尾は、安川を利用して河島に迫る。 安川を殺し、河島に罪を着せて首つりの自殺に見せかけ河島を殺す。 首つりの自殺に見せかける作為は、衛生兵時代の法医学書の知識による。 この作為が後で捜査課長に足元をすくわれることになる。 遺書のトリックは筆跡によって墓穴を掘る。 山尾が殺害を実行するまでの経緯は読んでのお楽しみとすることにする。 感想として幾つかの疑問が残る。 山尾の赤紙の発行者への怒りである。その執念深さは常軌を逸している。家族が広島で原爆により全滅したことで 増幅した感がある。河島という個人に向けられた怒りは山尾の日常生活から理解されなければならないのだろうか? 復讐は殺された河島が、なぜ殺されなければならなかったを知らないのでは道半ばの感がある。 安川の私的制裁の描写などは「真空地帯」を連想させる。 軍隊という組織がもたらす権威をバックにした私的制裁は、個人的報復を可能に出来なかったのか? 闇夜に乗じて安川に報復など無理なのだろうか? 話はそれるかも知れないが、昨今話題の電通の 長時間労働による過労死の自殺事件を考えるとき、自殺を考えるまで働かなければならないのだろうか? そんな会社辞めてしまえば...と思う心は、安川に「月夜の晩ばかりではないぞ」と脅しの一つも言えないのだろうかと おもう。 読後感として、限りない同情と共感の反面、沈殿する鬱積を感じる。 登場人物が多い。長編であるからそれぞれの人物も短いながら具体的に書かれている。 機会があれば再度洗い直してみたい。 ※蛇足:色版画工と石版画工の使い分けは? 2016年10月21日 記 |
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作品分類 | 小説(長編/シリーズ) | 270P×820=221400 |
検索キーワード | ハンドウ・色版画工・衛生兵・兵事係・佐倉聯隊・私的制裁・古参兵・ヨーチン・医学書・首つり・竜山・ヤミ市・鈴鹿・隠匿 | |
【裏】東京・神田の色版画工・山尾信治は、昭和17年、佐倉の第五一七聯隊に衛生兵として教育招集を受けた。徴兵検査第二乙種、32歳の彼には意外な招集だった。彼はそのまま本招集に切り替えられ、朝鮮に送られた。招集のとき”ハンドウを回されたな”と言われた山尾は、それが教練を怠けて懲罰的に招集されたという意味で、彼にハンドウを回したのは区役所兵事係長河島であることを知った。山尾は朝鮮で終戦を迎えたが、広島に疎開していた家族は全滅した。彼は神田の焼跡に悄然と戻ってきた・・・・・・。 |
登場人物 | |
山尾 信治 | 32歳。色版画工(石版画工)。両親と妻良子、子供が三人駿河台下で色版画工を自営。教育招集を受け、本招集となる。 |
山尾 良子 | 山尾信治の妻。信治の依頼で信治に赤紙を出した人物を探る。愛想が良く話術はうまい方だった。 |
安川 哲次 | 古兵。山尾信治を狙うように私的制裁を繰り返す。仮病で弱兵整理を受け除隊になる。戦後はヤミ屋。山尾と再会し行動する。 |
河島 佐一郎 | 兵事係長。山尾信治に教育招集の青紙?をだす。山尾に「ハンドウ」を回した張本人とされる。 |
細川 | 釜山の市役所の吏員をしていた。山尾から徴兵の仕組みを聞かれる。細川もハンドウを回された一人である。 |
山崎 英夫 | 山尾の戦友でもある。元銀行員。要領よく立ち回るが、結局朝鮮に渡ることになる。 |
捜査課長 | 魚屋(魚屋の親爺という感じ)。自殺と見せかけた他殺の首つりを解明する。 |