清張作品の書き出し300文字前後からあぶり出すキーワード!
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| ●手紙 ①突然お手紙をさし上げてすまないということを謝した後、さて無躾なきき方であるが.....『九十九里浜』未登録 ②▲小説家の畑中利雄は、北九州小倉北区富野の工藤徳三郎という未知の人に手紙をもらった。『削除の復元』 ③その決着はこの手紙の最後まで書かないと今の自分には決心がつかない。『捜査圏外の条件』未登録 ④そのとき、金と一緒に同封した手紙には、彼女はこう書いた。--貴紙を購読いたします。『地方紙を買う女』 ⑤この手紙の主は詩や小説の原稿をみてくれというのではなかった。文意を要約すると、.....『或る「小倉日記」伝』 ⑥秀吉の滅茶苦茶な文法と下手糞な文字の手紙からくらべると、家康の人柄をうつしたように書風も重厚で知性が匂った。『武将不信』未登録 ⑦朝のながい小便をしながら、読まないでも知れている手紙の内容のことをぼんやり思った。『発作』 ⑧名前を聞いてくれと云うと、「手紙を持ってこられています。笠岡さんと書いてあります.....『点』未登録 ⑨▲突然、お手紙を差上げます。毎日、ご多忙のことと思います。あなたの著書は新聞の広告などでよく拝見しています。『閉鎖』 ⑩広子はこの話を唐沢未亡人の手紙で知った。夫の留守にきたその手紙は焼いた。『紙碑』 ⑪▲はじめて手紙を差し上げます。一面識もない私から、このような長い手紙、というよりも原稿小包便にして.....『よごれた虹』未登録 ⑫▲「はじめてお手紙をさしあげます。わたくしは、新劇の熱心なファンというほどでもありませんので舞台は見ていませんが.....『渦』未登録 ※▲は、書き出し冒頭からの記述である。 このホームページで作品の書き出しを300文字程度記述している。その部分を検索してみると、12作品がヒットした。 手紙に関係する内容が含まれているものは他にも多くあると思う。 最近の小説では手紙が中心になることは少ないのでは無いだろうか。 私など何十年もまともに手紙を書いていないかったが、思わぬ経緯があり、この2年に数通の手紙を書いた。 いつもは、メールで済ましている。電話は少し苦手だ。 生来のみっともないほどの悪筆故に、パソコンで印刷した。メールで済ませることも可能だったが、相手もありそうも行かなかった。 書き出し以外にも、キーワードとしての登録では以下の5作品がある。むしろ内容的にはこちらが本命かもしれない。 『火の記憶』 『足袋』 『顔』 『発作』は、共通 『渦』は、共通 さらに、作品を収録している「本」の帯に「手紙」の記述がある蔵書が、1作品。 『迷走地図』(下)未登録 紹介作品の中で、要約した紹介で 『陸行水行』を以下のように紹介している。 >郷土史家「浜中」は詐欺師か?旅先で渡した名刺が災いのもと?川田に舞い込む手紙は役場の吏員ではなくバッタ屋の浜中の人物を聞く。 >「魏志倭人伝」の邪馬台国を探す旅へ出たのか?醤油の醸造元の主人は村田は50万円をもって行方不明。浜中も同行している。 いちいち取り上げるには大変なので、手抜きになりますが、紹介作品として登録している作品はそちらに譲ります。 それ意外という意味で、 『陸行水行』は、キーワードとして覚えがあります。しかし、「手紙」をキーワードとして登録していませんでした。 今回追加することにしました。 お粗末ですが、私の登録内容のお粗末さを露呈してしまいました。その時の気分がかなり影響しているのでしょう。 言い訳ですが、手紙の部分はキッチリあらすじ&感想で記述しています。 手紙は、物語を説明するに便利で、あらすじ的に要約して経緯を読者に知らせることが出来ます。 登場人物の関係性も浮き彫りにすることが出来ます。 作品の中ではそれぞれ重要な役割を果たしていると思います。 2026年02月20日 |
| 題名 | 「手紙」 | 上段は登録検索キーワード |
| 書き出し約300文字 | ||
| 「九十九里浜」 | ※まだ紹介作品ではない | |
| 古月は、夏のある日千葉県九十九里浜町片貝、前原岩太郎という差出人の一通の封書をうけ取った。この地名にも名前にも、古月は一向に心当りがなかった。封を破って、きちんと折られた便箋をひろげてみると、わりに整った文字が、三枚にわたって書き込まれてあった。が、几帳面な字の割に誤字が多いのと、ペン先が悪いのか、字画が引っ掻いたように所々かすれていた。あまりうまいとはいえない。書簡文範例といったたぐいから応用したような美辞麗句がちぐはぐにうめ込まれたその文章は、読んでみると、大体こういうことであった。たいへん暑くなったという時候の挨拶と、突然お手紙をさし上げてすまないということを謝した後、さて無躾なきき方であるが、貴殿はもしや古月貞治氏の息子さんではないか、同氏は今から四十三年前まではたしかに広島に居られた人である。古月という姓は珍しい上に、試みに文化人名簿を調べてみると、貴殿の出身地が広島県となっている。それで斯くおたずねする次第である、というのが前半だった。 |
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| 「削除の復元」 | 森鴎外・婢・女中・小倉日記・夫婚・嫁ぎ先・虚言・毛筆・墓・童子・見栄・手紙 | |
| 小説家の畑中利雄は、北九州小倉北区富野の工藤徳三郎という未知の人に手紙をもらった。畑中はときおり自作のことで読者から手紙やハガキがくる。批判もあれば疑問の質問もある。賞められることはめったにない。工藤徳三郎という人の手紙は質問だった。しかし、畑中の書いたものではなく、I書店から出版された『鴎外全集』(決定版)の「小倉日記」についてだった。同書店では『鴎外全集』をこれまで昭和十一年版と昭和二十七年版と二回出しているが、三回目の『鴎外全集』は大型の装幀で「決定版」と銘打ち、「小倉日記」収録の第三十五巻は昭和五十年一月二十二日発行であった。 |
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| 「捜査圏外の条件」 | ※まだ紹介作品ではない | |
| .......殿 殿とだけ書いて、名前が空白なのは、未だに宛先に迷っているからである。あるいは警視庁の捜査官あての名前になるかもしれぬ。あるいはしかるべき弁護士の名を書き入れるかもしれぬ。もしかすると、このまま空白でおくかもしれない。その決着はこの手紙の最後まで書かないと今の自分には決心がつかない。そのうえ、これが手紙であるか、手記であるか判然としない。手紙とすればはなはだ蕪雑な字句で不遜である。手記とすれば、宛名の部分を設けて個人あての体裁にすぎる。宜なるかな、文章を両股に掛けているのは、もっと別な意味にもなろうかとの仮構である。これを書くにあたって、まず昭和二十五年の四月のことから記さねばならない。今から七年前である。当時、自分は東京××銀行に勤めていた。三十一歳であった。勤務先の銀行は日本でも一流であった。独身だし、環境に不足はなく、生活は面白かった。前途に人並みの希望をもった。自分は阿佐ヶ谷の奥に一軒家を借りて、妹とともに住んだ。今はどうなっているのか知らないが、当時はまだ近所に小さな雑木林が残っていて、無理に嗅げば、武蔵野の匂いがなくはなかった。自分は心たのしく通勤した。 |
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| 「地方紙を買う女」 | 甲信新聞・作家・野盗伝奇・連載小説・新聞購読・新大臣・帰郷演説・ピクニック・遺書・心中 |
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| 潮田芳子は、甲信新聞社にあてて前金を送り、『甲信新聞』の購読を申しこんだ。この新聞社は東京から準急で二時間半くらいかかるK市にある。その県では有力な新聞らしいが、むろん、この地方紙の販売店は東京にはない。東京で読みたければ、直接購読者として、本社から郵送してもらうほかないのである。金を現金書留めにして送ったのが、二月二十一日であった。そのとき、金と一緒に同封した手紙には、彼女はこう書いた。--貴紙を購読いたします。購読料を同封します。貴紙連載中の「野盗伝奇」という小説が面白そうですから、読んでみたいと思います。十九日付けの新聞からお送り下さい....。潮田芳子は、その『甲信新聞』を見たことがある。K市の駅前の、うら寂しい飲食店のなかであった。注文の中華そばができあがるまで、給仕女が、粗末な卓の上に置いていってくれたものだ。いかにも地方紙らしい、泥くさい活字の、ひなびた新聞であった。三の面は、この辺の出来事で埋まっていた。五戸を焼いた火事があった。村役場の吏員が六万円の公金を消費した。小学校の分校が新築された。県会議員の母が死んだ。そんなたぐいの記事である。 |
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| 「或る「小倉日記」伝」 | 森鴎外.KM.障がい者.福聚寺.東禅寺.護聖寺.広寿山.一人息子.コケットリイ.日記.採取 | |
| 昭和十五年の秋のある日、詩人K・Mは未知の男から一通の封書をうけとった。差出人は、小倉市博労町二八田上耕作とあった。Kは医学博士の本名よりも、耽美的な詩や戯曲、小説、評論などを多くかいていて有名だった。南蛮文化研究でも人に知られ、その芸術は江戸情緒と異国趣味とを抱合した特異なものといわれていた。こうした文人に未知の者から原稿が送られてくることは珍しくない。が、この手紙の主は詩や小説の原稿をみてくれというのではなかった。文意を要約すると、自分は小倉に居住している上から、目下小倉時代の森鴎外の事蹟を調べている。別紙の草稿は、その調査の一部だが、このようなものが価値あるものかどうか、先生にみて頂きたい、というのであった。田上という男は当てずっぽうに手紙を出したのではなく、Kと鴎外との関係を知っての上のことらしかった。 |
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| 「武将不信」 (別題=不審) |
※まだ紹介作品ではない | |
| 羽州山形城主最上義光は、秀吉の存生中からしきりと家康に慇懃を通じていた。それも信長の死後、秀吉の全盛に向かっているころであるから、彼は家康のどこかに恃むところがあると見抜いていたのであろう。家康がまだ岡崎にいたころから、七寸八分の川原毛馬で、左右自在、出羽奥州無双の早馬の故に両国と名づけたのを贈った。家康は大そう喜んで、その馬を秘蔵して乗馬とした。それから、毎年、義光は家康に、奥羽の駿馬と鷹とを進上した。「貴下の御厚意はまことに御奇特である。今後とも変わらずに、懇ろに願いたい」家康は律儀に必ず自筆の礼状をくれた。秀吉の滅茶苦茶な文法と下手糞な文字の手紙からくらべると、家康の人柄をうつしたように書風も重厚で知性が匂った。義光は争乱の出羽国を斬り従えて一国の領主となったいわば辺土の武人である。中央の様子もよく分らからぬ北の国にあって、赤光のような秀吉に幻惑されずに、地道な家康に眼をつけた直感は、あとになって己れをいたく満足させた。 | ||
| 「発作」 | 新聞社・愛人・競輪・調査課・高利貸し・共産党員・手紙・療養所・電車・鉛筆の文字・嘱託 | |
| 田杉は十時すぎて眼をさました。暖かいと思ったら、カーテンの合せ目の隙から射した陽が首の上まで来ていた。今日も暑そうな天気であった。六畳一部屋が、本だの古新聞だの茶碗だの果物の皮だので、足の踏み場がなかった。田杉は、便所に行くためドアをあけると、挟んであった新聞がばさりと落ちた。その下に白い封筒がのぞいて見えた。上書きの字だけで、どこから来たか一目でわかった。朝のながい小便をしながら、読まないでも知れている手紙の内容のことをぼんやり思った。廊下では、掃除しているよその部屋の女房が、歩いている田杉のだらしない恰好を、斜めに見送った。田杉は新聞を拾い上げて、もう一度床の中に寝転がると丹念に読み出した。べつに興味はなかった。興味がないから裏表を二度繰りかえして読んだ。頭に何も残らないのだ。それからようやく封筒を指につまんだ。 |
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| 「点」 | ※まだ紹介作品ではない | |
| 伊村は、冬のはじめ、足かけ四年ぶりに九州のK市に帰った。だが、家があるわけではなし、親類もなし、旅館に泊まりつづけであった。久しぶりだったので伊村は忙しかった。友だちと会ったり、知人と会ったりして、朝、旅館を出ると夜でないと宿に戻ってこない。一回か二回は出先から電話で旅館に連絡していた。夕方五時ごろ、電話をかけると女中が「U町からお嬢ちゃんが見えておられます」と云った。U町はK市から八里ばかり離れた漁村に近い小さな町である。この町には伊村の古い友人がいるので、彼の帰ってきたことを知って、娘でも使いによこしたのかと思った。「いくつぐらいの女の子?」念のためにきくと、九つぐらいと云う。友人にはそんな小さな子はいない。名前を聞いてくれと云うと、「手紙を持ってこられています。笠岡さんと書いてあります。あなたがお出かけになったあとすぐですから、九時ごろから待っておられます」と女中は答えた。 |
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| 「閉鎖」 | 心理学者・福岡・公会堂・農村・オーバー・ボタン・浮浪者・跡取り | |
| 突然、お手紙を差上げます。毎日、ご多忙のことと思います。あなたの著書は新聞の広告などでよく拝見しています。大変お忙しいところこういう長い手紙を差上げ、さぞかしご迷惑とは思いますが、もし、お暇ができましたら、ずっと最後まで通してお読みくださるようにお願いします。私の手紙は決して急ぎませんから、そういうお時間ができたときで結構です。私が心理学者であるあなたにこういう手紙を差上げるのは、べつに心理学に興味を持ったからではありません。またあなたの著書を買って読んだこともありません。ときたま、福岡の本屋であなたの本を見つけて、ぱらぱらっと頁をめくったことはありますが、失礼ながら、まあ、そんな程度です。ところが、こういうお手紙を差上げる気になったのは、実は去年の春でしたか、福岡の公会堂で開かれた或る雑誌社主催の文化講演会を聞きに行ったのがきっかけです。 |
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| 「紙碑」 | 画家・再婚・日本美術大辞典・記念碑・未亡人・教頭・校長・教育委員会・編集部・波濤会 | |
| A社から「現代日本美術大辞典」が出る。来年の昭和五十一年春という。全三巻で、目下編集中という。広子はこの話を唐沢未亡人の手紙で知った。夫の留守にきたその手紙は焼いた。広子は十五年前に死んだ画家、重田正人の妻だった。重田の死は四十六歳、広子が三十六歳のときであった。七年経って勧める人があり、子のいない広子は北野孝平と再婚した。北野は都立高校の教頭だった。広子とは七つ違いである。北野も三年前に妻と死別していた。彼にも子はなかった。北野は広子の前夫が画家なのをもちろん知っている。広子は北野といっしょになる前、彼と話した。--重田正人さんのお名前、うかつですが、ぼくははじめてうかがいます。ぼくは高校教師で、教科は数学一本槍なので、芸術とか画壇とかはまったく昏いのですが。 |
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| 「よごれた虹」 | ※まだ紹介作品ではない | |
| はじめて手紙を差し上げます。一面識もない私から、このような長い手紙、というよりも原稿小包便にしてお送りしたので、あなたはさぞかし、また地方の文学青年がよけいな原稿を送りつけてきたとお思いになって、書庫の片隅に抛り込まれるかも分かりませんが、これはそんな文学作品ではなく、私が今まで誰にも話さなかったことをあなたにぜひ聞いていただきたくて、下手な文章を綴ったのであります。お忙しいあなたですが、時間の余暇に最後まで眼を通していただければ幸甚です。まず、私の身分から申しますと、表記の通り西沢吉雄というのは本名です。生まれだとか、現在の境遇だとか、家族だとかいう戸籍関係は、この件には関わりがないので、一切省略させていただきます。ただ、私は元平福相互銀行頭取古屋勝義の秘書をしていたことだけは申し上げておきます。 |
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| 「渦」 (黒の線刻画/第二話) |
※まだ紹介作品ではない | |
| 「はじめてお手紙をさしあげます。わたくしは、新劇の熱心なファンというほどでもありませんので舞台は見ていませんが、あなたさまのテレビに出演されるお顔はよく拝見し、その演技力のすばらしさにはいつも尊敬しております。見も知らぬわたくしからこうしたお手紙をさしあげると、さぞたくさん寄せられるファン・レターの一つかとお思いになるかもわかりませんが、これはそういうことではなく、一つおねがい申しあげたいことがあって、思いきってしたためたのでございます。じつをいいますと、わたくしの兄(三十二歳)は或るテレビ局のプロデュサーをしております。これまでは大過なく仕事をしてまいりましたが、約一ヵ月前にテレビ局から現場の仕事をはずされ、いまは乾されております。そのわけを兄にきいてみましたが、はじめのうちはなかなか口をひらきませんでした。そのうち、ようやくわかったことは、兄のプロデュースした或る連続ドラマの番組が視聴率の低下のためにスポンサーから苦情がでたりなどして途中でうち切られ、あとの制作の仕事もあたえられないということでした。 |
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| 「迷走地図(下)」 | ※まだ紹介作品ではない 【帯】野村芳太郎監督作品 今秋公開!! 総裁禅譲の噂さの中で辣腕秘書の突然の辞任。腹心後輩の不可解な動揺。一束の手紙をメグリ揺れる政権。闇に消える人。 日本の運命を担う政界の暗部を描く!! |
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| 土井信之は、タクシーで浅草三丁目に向かった。雨の午前十一時ごろだった。ホテルの部屋で受けた外浦卓郎の電話による番地をタクシーの運転手に云ったのだが、この運転手は浅草の地理に不案内とみえて、碁盤の目になった町をうろうろと走りまわった。言問通りを北に入ったこの界隈はスナックバーと小料理屋とがやたらと眼につく。あいだあいだに普通の商店や小さなビルもはさまっているが、風俗営業は料亭を中心に集まっていた。その料亭も一カ所にはかたまらずに、とびとびに一軒か二軒ずつ散在していた。どれもがあまり大きくなかった。土井が運転手に渡したメモは、「浅草三丁目××番地、桐の家」というのだが、これがわからない。午前十一時という時間はこうした町では半分眠りからさめていない状態で、スナックバーも飲み屋もトルコもまだ表を開けていなかった。 | ||
| 「陸行水行」 (別冊黒い画集/第四話) |
魏志倭人伝・郷土史家・安心院・宇佐神宮・詐欺師・名刺・邪馬台国・伊都国・大学教授・広告・手紙 | |
| 九州の別府から小倉方面に向かって約四十分ばかり汽車で行くと、宇佐という駅に着く。宇佐神宮のあるので有名な町だ。この宇佐駅からさらに北へ向かって三つ目に豊前善光寺という駅がある。そこから南のほう、つまり山岳地帯に支線が岐れていて四日市という町まで行っている。この辺は山に囲まれた所で、さらに南に行けば、九州アルプスの名前で通っている九重高原に至る。四日市の駅で降りると、バスは山路の峠を走るが、その峠を越すと山峡が俄に展けて一望の盆地となる。早春の頃だと、朝晩、盆地には靄が立籠め、墨絵のような美しい景色となる。ここの地名は安心院と書いて「あじみ」と読ませる。正確には大分県宇佐郡安心院町である。正月をすぎたばかりの午後だった。一人の中年男がバスを安心院の町で降り、盆地の縁をなしている西の山の山麓に向かって歩いていた。風采は上がらない。それほど健脚ではないとみえて、ときどき田舎路で休んだ。ただの旅行客なら、こんな場所に来ることはない。といって農家相手の農機具や肥料の外交員でもなかった。 |
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