松本清張_小説日本芸譚(改題) 第十一話 雪舟

(原題=日本芸譚)

題名 小説日本芸譚 第十一話 雪舟
読み ショウセツニホンゲイタン ダイ11ワ セッシュウ
原題/改題/副題/備考 ●シリーズ名=小説日本芸譚
(原題=日本芸譚)

●全12話
 1.
古田織部
 2.
世阿弥
 3.
千利休
 4.
運慶〔(株)文藝春秋=全集26(第一話)(1973/03/20)〕
   
運慶〔(株)光文社=青春の彷徨〕
 5.
鳥羽僧正
 6.
小堀遠州
 7.
写楽
 8.本阿弥光悦
(光悦)
 9.葛飾北斎
(北斎)
10.
岩佐又兵衛
11.
雪舟
12.
止利仏師
●全集(全10話)
 1.
運慶
 2.
世阿弥
 3.
千利休
 4.雪舟
 5.古田織部
 6.
岩佐又兵衛
 7.
小堀遠州
 8.
光悦
 9.
写楽
10.
止利仏師
後記
本の題名 松本清張全集 26 火の縄 小説日本芸譚/私説・日本合戦譚【蔵書No0108】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1973/03/20●初版
価格 880
発表雑誌/発表場所 「藝術新潮」
作品発表 年月日 1957年(昭和32年)11月号
コードNo 19571100-00000000
書き出し 雪舟が、京都相国寺の春林周藤のもとに弟子入りしたのは、永享三年の秋、十二歳の時であった。この年、唐画をよくしたといわれる東福寺の殿司明兆が残した。雪舟は、無論、のちの号である。彼は備中の山奥、中国山脈の脊梁に近い狭隘な土地に藤原氏を名乗る家柄に生まれた。家柄だけで、さして富裕ではなかった。兄が数人もある。出家せねばならなかったのは、分けて貰う何ものも無かったからである。土地は相国寺の荘園であった。彼が幼い身体を運んで京に上がり、相国寺に入ったのはその理由からだった。禅僧として智識の名が高かった春林周藤は、この小さい弟子に己の諱に因んで等楊という名を与えた。藤は楊に通じるのである。等楊は喝食として春林に仕えた。春林は気難しい男であった。滅多に笑った顔を見たことがない。夜は深更まで塔頭の奥にひそんで、「文殊師利問経」や大部の「禅林宝訓」や「天童山景徳寺如浄禅師語録」などの難解な典籍を読むことに没頭していたし、昼間、食事の間でも眼を閉じて眠ったように瞑想していた。
作品分類 小説(短編・時代/シリーズ) 11P×1000=11000
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