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検索キーワードに見る清張作品の傾向と対策?

(その二十二:事故)

清張作品の書き出し300文字前後からあぶり出すキーワード!
(登録キーワードも検索する)


ページの最後


●事故


●「混声の森
河北新報(1967年(昭和42年)8月13日~1968年(昭和43年)7月18日)

●「黒の図説 第一話 速力の告発
週刊朝日(1969年(昭和44年)3月21日号~5月16日号)

●「別冊黒い画集 第一話 事故
週刊文春(1962年(昭和37年)12月31日・1963年(昭和38年)1月7日号合併号~1963年(昭和38年)4月15日号)

このHpの「とにかく検索」で調べると、書き出しで検索した結果と少し違った。
箱根初詣で」「十万分の一の偶然」「交通事故死亡1名」「黒い樹海」「疑惑
基本的には交通事故が描かれている。多くが1960年代に書かれている。
交通戦争という、当時の世相を反映している。

■交通戦争(こうつうせんそう■
昭和30年代(1955年 - 1964年)以降、交通事故死者数の水準が日清戦争での日本側の戦死者数
(2年間で1万7282人)を上回る勢いで増加したことから、この状況は一種の「戦争状態」であるとして
付けられた名称である。


2020年10月21日

 



題名 「事故」
上段は登録検索キーワード 
 書き出し約300文字
混声の森 事故でもあったかな?」石田謙一はタクシーの運転手に声をかけた。「さあ?」運転手も首をかしげている。夜の十時ごろだった。権田原から神宮外苑に入った所で、タクシーが前に詰まってのろのろと進んでいる。向こうのほうで懐中電燈の灯がちらちらしているのは警官でも立っているらしかった。「事故ではなく、事件が起こったのかもしれませんね。検問のようです」運転手は、窓から少し首を伸ばして様子を見たうえで答えた。「酔っ払い運転の検査じゃないのか?」客はいった。「そうではないようですな。酔っ払い運転だと、主に白ナンバーを停めます。タクシーまでいっしょに停めるのは、やはり事件が起こったんでしょうね」車が進むと、運転手の言葉どおり、私服と制服とが六、七人立っている。制服の巡査は少し手前で車を停め、懐中電燈の光を座席に射しこんで客の顔を眺め、問題でないと思われる車はさっさと通していた。
速力の告発
「黒の図説」 第一話
「悪夢のような突然の不幸は去年の三月末の日曜日に起こりました」と、家庭電気販売店主の木谷修吉は書いている。「そのとき、私は神田の問屋に行って仕入れの商談をしていました。三時ごろでしたか、店の者から電話がかかってきて、すぐに××町のA病院に行ってくれ、奥さんと坊ちゃんが交通事故でケガをして担ぎこまれていると云うのです。たしかにそのときはケガだと云いました。妻は、静子といって三十二歳でした。子供は守一といい、三歳でした。その日は午前中からB町の親戚の家に集まりがあって出かけていたのです。交通事故と聞いて私はとっさに場所はR街道だと思いました。道幅がひろいのと、都内からはずれているために速いスピードで走る車の多いことで知られています。私はバスにトラックか乗用車が衝突し、帰りに乗っていた女房と子が負傷したとばかり思っていました。よくあることだからです。A病院に駆けつけると、女房も子供も死んでいました。
事故
「別冊黒い画集」 第一話
高田京太郎は、或る朝、寝床の中で朝刊を開いていたとき、「あ、やっている」と声を出した。高田は、新聞が来ると、まっさきに社会面を開く。これは、普通の新聞読者が興味本位に社会面を見る心理とは少し違って、彼の場合は職業的なものからだ。高田京太郎は、協成貨物株式総務課車輌係である。協成貨物はトラック十数台を持っている運送会社で、この中には・東京・松本の長距離運送も含まれている。高田は三十七歳で、前に保険会社の外交員をしていたのだが、六年前に現在の会社に替った。高田の職業的意識というのは、彼が自動車会社の総務課車輌係ということからで、この係は自動車事故の処理を専任としている。「トラック重役宅に侵入」というのが高田の眼を奪った見出しだった。「二月十一日午前零時二〇分頃、杉並区R町××番地会社重役山西省三さん(四二)方に突然深夜運送のトラックが突入し、同家の門を破り、五メートル離れた玄関先まで突進して停止した。そのため玄関内はメチャメチャとなった。このトラックの運転手は千代田区神田××町協成貨物株式会社の山宮健次(二一)で、路面が凍ったためのスリップと、居眠り運転による二重事故という珍しいもの、同家には負傷者はなかったが、山宮運転手は全治三日間の打撲傷」高田京太郎は、読み終わって、「しょうがねえな」と舌打ちをした。

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