(原題=天城こえ)
〔(株)文藝春秋=全集4(1959/08/20)/発表時(サンデー毎日特別号に発表):【黒い画集】シリーズでは無かったが、全集には第四話として集録〕
題名 | 黒い画集 第四話 天城越え | |
読み | クロイガシュウ ダイ01ワ ソウナン | |
原題/改題/副題/備考 | (原題=天城こえ) ● シリーズ名=黒い画集 ●全9話 1.遭難 2.証言 3.坂道の家 4.失踪 5.紐 6.寒流 7.凶器 8.濁った陽 9.草 |
(原題=天城こえ) 全集で発表時の「失踪」と「天城越え」が入れ替え ●全集(9話) 1.遭難 2.坂道の家 3.紐 4.天城越え 5.証言 6.寒流 7.凶器 8.濁った陽 9.草 |
本の題名 | 松本清張全集 4 黒い画集■【蔵書No0055】 | |
出版社 | (株)文藝春秋 | |
本のサイズ | A5(普通) | |
初版&購入版.年月日 | 1971/08/20●初版 | |
価格 | 880 | |
発表雑誌/発表場所 | 「サンデー毎日特別号」 | |
作品発表 年月日 | 1959年(昭和34年)11月 | |
コードNo | 19591100-00000000 | |
書き出し | 私が、はじめて天城を越えたのは三十数年昔になる。「私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出かけて四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登ってきたのだった」というのは川端康成の名作『伊豆の踊り子』の一節だが、これは大正十五年に書かれたそうで、ちょうど、このころ私も天城をこえた。違うのは、私が高等学校の学生ではなく、十六歳の鍛冶屋の倅であり、この小説とは逆に下田街道から天城峠を歩いて、湯ヶ島、修善寺に出たのであった。そして朴歯の高下駄ではなくて、裸足であった。なぜ、裸足で歩いたか、というのはあとで説明する。むろん、袴はつけていないは、私も紺飛白を着ていた。私の家は下田の鍛冶屋であった。両親と兄弟六人で、私は三男だった。長男は鍛冶屋を嫌って静岡の印刷屋の見習工をしていた。一家七人、食うのには困らなかったが、父母とも酒飲みなので、生活はそれほど楽ではなかった。 | |
あらすじ&感想 | 前半は家出少年の天城越え行である。 下田の鍛冶屋の倅が、母親の口やかましさに家出を決意する。 両親と六人兄弟の三男坊、兄は鍛冶屋を嫌って静岡で印刷屋の見習い工 一家七人、食うに困らないが、父は酒飲みでそれほど楽ではない。 静岡の兄を当てにしての家出である。十六銭を帯に巻き付けて、朝の下田をでる。 天城峠のトンネルを出ると... >トンネルを通り抜けると、別な景色がひろがっていた。十六歳の私は、「他国」を感じる。 少年が出逢ったのは四人。 ●四角い風呂敷包みを背中に負っていた男。菓子屋 腹が減ったので菓子屋から五銭でパンを買う。残金は十一銭。 ●また背中に大きな荷物を背負った三十恰好の男。呉服屋 世間話をしながら同行する。「他人というものは恐ろしいから...」心細さが募る もう静岡へ行く元気がなくなっていた。湯ヶ島へ来たときは、もう夕方になっていた。 茶店で餅を食べる。 私は餅代に十銭を払った。呉服屋ともう少し道連れになりたいため、彼に餅をご馳走してやったのだった。 残金は一銭。 「兄ちゃん、すまんな」呉服屋は口先とは裏腹にすまない顔はしていなかった。 まだ引き返す決断も出来ていなかった。が、心の中では帰る気持ちになっていた。 そのとき ●向こうから一人の大男が歩いてきた。土工 背が高く、眉毛が薄い、目がぎょろりと光り、皮膚は垢でよごれ、額から顎にかけて無精ひげ 襟に「岩崎」という染め抜きの法被。方にトランクと風呂敷包みの振り分け荷物。左肩に番傘 >「あれは、土方だね」 呉服屋が言った。 >「ああいうのは流れ者だから、気をつけなければいけない。悪いことをするのは、あの手合いだ」 修善寺までいっしょのつもりが >「あばよ」 の声を残して、すたすたとそれて行った。餅をおごって損をした気分になる。 ●修善寺の方角から一人の女が歩いてくるのが目についた。酌婦、大塚ハナ その女は頭から手拭いをだらりとかぶっていた。着物は派手な縞の銘仙で、それを端折って、 下から赤い蹴出しを出していた。その女はひどく急ぎ足だったが、妙なことに裸足であった。 女は湯ヶ野か、下田の方へ行くのだと直感した。 私は下田へ引き返す決心をした。 女との道中が続く。 通り過ぎた土工に、追いつくことになる。 女=「あの人はなんだろう?」 私=「流れもんの土工ずら」 女=「お兄さん、悪いけど、あんた、先に行って頂戴」 私はびくくりした。唖然としていると、 女=「わたし、あの人に用事があるからね。ひまがかかるかもしれないから、あんた先に行ってよ」 私=「それでは、ここで待っている」 女=「待ってなくともいいから、あんたは、さっさと先に行きななさい」 声は、今までになく荒く、叱るような調子であった。私はふたたび驚いた。女は少し声の調子を変えて 女=「あの人にぜひ話があるんでね、先に行って頂戴。話がすんだら、また、兄さんに追いつくからね」 ここまでが前半である。私と女の道中が、私(十六歳の少年)の目線で語られている。 それは、少年にとって甘酸っぱい思いのあふれる経験であった。 それから三十数年。 少年は、印刷所の経営者になっていた。静岡県の西側の中都市では大きな印刷所である。 静岡県の警察部のある課から「刑事捜査参考資料」の印刷製本を頼まれていた。 何気なく読んだ中に私が天城越えのときに遭遇した土工と、きれいな女の子とが書いてあった。 そこには私自身も登場していた。 私は驚いた。 >あのときの淡い経験が文書に印刷され、しかも犯罪例の中にはいっていようとは思わなかった。 文章は以下の項目立てで綴られていた。 −−−天城山の土工殺し事件−−− 事件発生当時の状況 現場調査および捜査状況 雨傘の出所判明 被害者捜査 死体発見・検視等の状況 捜査ならびに手配の状況 犯人逮捕 捜査の反省 私はこれを読んで、三十数年の昔を回想せずにはいられなかった。 道連れの女が、酌婦という名の売春婦とはじめて知った。 >私は、これを読んで三四日は、仕事があまり手につかぬくらいにぼんやりした。 「あの印刷はできましたか?」 注文した警察部の人が来た。六十を越した老人で、田島という事件を担当した刑事あった。 今は刑事部の嘱託になっていた。 田島は私に事件の概要を話す。「...私の失敗談みたいなものです」 私=「失敗談?」 田島の話は事件の真実に迫る。 注文品を届けてくれと言いながら、いかにも長話をしたと言うように立ち上がる。 私=「毎度、ありがとうございます」 老人は行きかけたが、ふいと足をとめて言った 「そうそう、私にはどうしても分からんことが一つありますよ。それは動機です。もし、その氷倉に 泊まった少年が土工殺しの犯人だとすると、なぜ殺したのでしょう。もの盗りではない。 土工の死体はちゃんと手製の財布の中に九十八銭も残っていたのですからね。 ......この動機の疑問がどうしても解けませんよ。」 >私がそれに答えることはなかった。 >田島老刑事は、いくぶん前かがみの姿勢なり、私の店を出ると、のろのろあるいて去った。 私の回想が始まる。 事件の真相が明らかになる。そして動機も... >私は、なぜ、土工を殺す気になったのか。十六歳の私にも、土工と女が何をしていたのかおぼろに >察しがついていた。実は私がもっと小さいころ、母親が父でない他の男と、同じような行為をしていたの >を見たことがある。 >私は、そのとき、それを思いだし、自分の女が土工に奪われたような気になったのだ。 >それといまから思えば、大男の流しの土工に、他国の恐ろしさを象徴して感じていたのであった。 >田島老刑事は、あの時の”少年”が私であることを知っている。 >三十数年前の私の行為は時効にかかっているが、 >私のいまの衝撃は死ぬまで時効にかかることはあるまい。 類似性の発見? ●動機について 【天城越え】:私にはどうしても分からんことが一つありますよ。それは動機です。 【遭難】:槇田が江田に向かって、「ただ、ぼくに分からないことが一つあります」 「動機です。なぜ、あなたが秀雄を死なせばならなかったか、です。...」 ●原風景 【天城越え】:実は私がもっと小さいころ、母親が父でない他の男と、同じような行為をしていたの を見たことがある 【潜在光景】:浜島の記憶が、父亡き後の母と伯父の仲に及ぶ... 毎日、毎晩のように来た男がいます。それは父の実兄で私には伯父にあたる男です。 わたしは、その伯父が来るのが嫌で嫌でたまらなかった。 母が不潔になりそうで、たまらなく伯父が憎かった。 少年の、女(母)に対する感情は男への憎しみを増幅させる。 意識的な表現なのだろうか?田島刑事は様々に表現される。 1.老人 2.老刑事 3.田島刑事 4.田島老刑事 5.田島老人 2014年10月04日 記 |
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作品分類 | 小説(短編/シリーズ) | 20P×1000=20000 |
検索キーワード | 川端康成・トンネル・下田・鍛冶屋・少年・菓子屋・呉服屋・氷倉・土工・酌婦・売春婦・静岡・田島刑事・印刷屋 |
登場人物 | |
私(少年) | 鍛冶屋の倅。両親と六人兄弟の三男坊。母親の口やかましさを嫌って家出。十六歳 |
大塚 ハナ | 酌婦。頭から手拭いをだらりとかぶっていた。着物は派手な縞の銘仙。二十四、五歳 |
田島老人(刑事) | 六十を越した老人。土工殺しの担当刑事。今は刑事部の嘱託 |
菓子屋 | 風呂敷包みを背負い行商。少年がパンを買う。 |
呉服屋 | 三十恰好の男。少年に餅をご馳走になりながら修善寺まで同道せず別れる。 |
土工 | 背が高く、眉毛が薄い、額から顎にかけて無精ひげ。四十五、六歳 。 |