〔(株)文藝春秋=松本清張全集9(1971/12/20):【黒の様式】第七話〕(●発表雑誌=「小説宝石」1969年3月号)
題名 | 死んだ馬 | |
読み | シンダウマ | |
原題/改題/副題/備考 | ●シリーズ名=黒の様式 ●全集(7話) 1.歯止め 2.犯罪広告 3.微笑の儀式 4.二つの声 5.弱気の蟲 6.内海の輪 7.死んだ馬 (初出の【黒の様式】シリーズでは対象外) |
●発表雑誌=「小説宝石」1969年3月号 〔(株)文藝春秋=全集09(1971/10/20)で 【黒の様式】第七話として収録〕死んだ馬 |
本の題名 | 松本清張全集 9 黒の様式■【蔵書No0087】 | |
出版社 | (株)文藝春秋 | |
本のサイズ | A5(普通) | |
初版&購入版.年月日 | 1971/12/20●初版 | |
価格 | 880 | |
発表雑誌/発表場所 | 「小説宝石」 | |
作品発表 年月日 | 1969年(昭和44年)3月号 | |
コードNo | 19690300-00000000 | |
書き出し | 和風建築の設計で、池野典也は日本でも指折りのひとりにはいるだろう。その第一に挙げる人もある。この道が古いだけに、有名な点では他にヒケをとらない。実際、池野典也がこれまで設計した日本建築家は、住居といわず料亭といわず会館といわずすべて「名品」となって残っている。現代和風名建築集といったものが編まれたら、彼の作品は、その三分の一まではゆかないにしても、四分の一くらいはスペースを得るだろう。なかには、すでに「古典」化しているのもある。それだけ彼の履歴は長い。池野典也の作風を一口にいうと、和風建築に近代感覚を与えたことである。当然それが合理的設計となっている。たとえば、これまでの日本建築の間取りにはいかにも無駄が多かったが、彼はそれを切り詰めた。日本建築における特徴的な余裕の存在は決して非難すべきことではない。ゆっくりとした居住は人間にくつろぎを与え、余韻を味わわせる。無駄と見える室内のひろい空間は、実は水墨画における空白の効果と同じ美的な価値を持っている。 | |
あらすじ&感想 | はじめは、日本建築のことが中心に語られ、筋書きにもかなり影響があるのではと思っていたが、そうでは無かった。 清張作品には、清張の興味の事柄が作品の味付けとしてかなり書き込まれることが多い。考古学等その良い例である。 池野典也という建築家の設計事務所の話が続く。 名もあり実績もある池野典也は一級建築士を12,3人抱える建築事務所である。 建築事務所としては小さいのだが、施工主は金持ちばかりで、仕事は忙しくしていた。 ただ、建築家としての彼の閲歴は長く、しかも名声も長年に亙っているので、莫大な蓄財と評価されるのも無理はなかった。 >芸術家がその藝術よりも財産を問題にされるようになるのは、 >ある意味ですでに過去の人間になりつつあるということでもある。 池野典也の設計事務所に秋岡辰夫という二十三歳の二級建築士がいた。池野は彼の才能に目を付けていた。 池野は自らの作風が古くなり、時代に遅れるのではとの不安を抱えながらの仕事だった。 そんな中で秋岡は事務所を引き継ぐ人材と感じていた。 池野典也は再婚した。 石上三沙子は、銀座の裏のビルでバーのマダムをしていた。 他の店のホステス上がりだったが、店を構えるに至った。独立するには金が掛かるが、自己資金で借金を抱えて開業したと言っている。 誰も信用しないが、金の出所は分からない。ホステス時代の三沙子は、その方面の能力は持ち合わせてい。 三沙子は、背の高い大柄な女で店を持ったときが二十八歳だった。 >古典的な美人ではないが、官能的な容姿で、濡れたような瞳と厚みのある大きな唇に色気があった。 メリ-(メアリー)・ビックフォードという女優に似ているらしい。(全く分からない) アメリカ映画の女優らしい。 池野典也は、バーで三沙子に会ったとき、「どこか似ているね」と声をかけた。 池野が最初に店にやってきたのは、知り合いの料亭の主人の紹介だった。 池野典也が上客であることを知った三沙子は、二回目の来店を大歓迎した。 二回目は、池野が二人の所員を連れてやってきた。 五度目の来店時には、後を店の子に任せて、池野を食事に誘った。 食事は口実で、食事後はホテルに向かった。 >石上三沙子は池野典也に最後の火をかき立てさせた。 五十過ぎまでは、収入も増え、妻以外の女とも交渉があった。 >三十歳年下の女、しかも女盛りの精力と体躯に池野は圧倒されたが、 >三沙子は彼を緩急自在に誘導した。 >彼女はそうしたことのできる技巧を持っていた。 彼女の相手が池野だけとは限らなかった。しかし、彼女が池野だけを替えなかったのは目的があった。 池野の病妻が亡くなり、美沙子はその後釜に座ることを目論んでいた。 彼女の経営するバーは余り巧くいっていなかった。 再婚に当たっては、財産分与をキチンとした。石上三沙子は、池野三沙子になった。 池野の財産が意外に少ないのにガッカリした。 しかし、三沙子は、絶望した訳ではない。バーのマダムから、著名な建築家の夫人になる事は彼女の虚栄心を満足させていた。 次第に池野の設計事務所に出入りしながら事務所の様子を監視する様になっていた。 樋渡忠造は、経理主任。五十八歳で税務署に勤めていたが、定年前に池野の懇請で事務所に移ってきた。 事務所の経営の実態を把握するためにも、三沙子は、樋渡を手懐けようとした。 色気では無く、身の回りの品を贈るなど懐柔することで、味方に付けた。 もう一人は、秋岡辰夫である。 結婚して2年を過ぎ、三沙子は、最近池野典也に不安を感じていた。 六十五歳になろうとしている池野の体力の無さが気になり始めていた。 池野の存在がない設計事務所は閉鎖に追い込まれる可能性がある。 いまさら、相続の金を当てにして水商売を始める気もない。 三沙子自身が設計事務所を引き継ぐなら、その屋台骨になる建築士が必要だった。 三沙子は思案しながらも、池野も認めている、秋岡辰夫に掛けることにした。もちろん、そんな企みは池野も知らない。 三沙子は若い秋岡にその触手を伸ばした。 >三沙子はほかの所員の居ないところで彼にささやいた。 >秋岡は赤い顔になった。内緒の招待が、彼に誇りと秘密のよろこびを与えた。 秋岡辰夫は決して色男では無い、若い女にはもてないタイプだった。身体も小さく風采の上がらない男だった。 三沙子はとうとう、秋岡をものにした。秋岡にとっては三沙子は初めての女だった。 いきなり、愛欲に溺れる関係に入り込んだ秋岡は、三紗子の言いなりと言っても良かった。 秋岡の「それで、奥さんがひとりになれるのですか?」 に対する三紗子の答えがは、 >「たとえば、池野が死ぬことね」 思わず「死ぬ?」と声を上げた。 三沙子は、池野が六十五歳じゃないの、わたしより三十も年上よ..... 三沙子は無難な答えをしたが、本音は違うところにあった。 秋岡が自分のもとから絶対逃げ出さない頑丈な錠前を彼女は用意しなければならなかった。 三沙子は、秋岡との仲を池野の感づかれているらしいと秋岡に話した。 それも三沙子の作戦であった。 若い秋岡が三沙子に夢中になり、前後の見境がなくなる状況を利用していると言えた。 池野典也が自宅で強盗に殺害された。妻の三沙子は助かった。 犯人は見上げる様な大男であったと三沙子は証言した。殺人現場の状況は三沙子の口から語られるが、果たして事実なのか? 死体は解剖に付され、凶器は、錐のようなものと推定された。 犯人は三十五,六歳の身長180センチぐらいの男。 頭髪は角刈り、無精髭、眉も髭も濃い、頬骨の張った赭ら顔、労務者風、東北弁の訛りがあった。 凶器も指紋も見つからなかった。 三沙子の供述に特段の矛盾は無かった。 池野典也が死亡したが、池野設計事務所は運営されていった。未亡人の三沙子が所長として座った。 秋岡は一年前に一級建築士の資格をとっていた。 池野の死亡で旧い所員の多くは辞めていったが、秋岡を中心にした事務所の運営は軌道に乗った。 三沙子の所長としての運営は如才なかった。 経営については、会計係の樋渡忠造を手懐けていたので万全だった。 女性の設計事務所は珍しがられ、マスコミにも取り上げられたりした。 彼女の思い通り著名人になりかけていた。こうなってくると、秋岡辰夫が気になり始める。 三沙子は、秋岡辰夫に対して用心深く密会を重ねていた。 >「わたしたちの間は、もうこれきっりよ」 三沙子は秋岡に告げる。それもやさしいが、きびしく言った。 「誤解しないで」と言いながら、共犯者として二人の関係を話すのであった。 警察が、秋岡でないかと疑ってくる可能性を言うのだった。しかも、池野を殺した犯人を知っているのは美沙子だけであると付け加えた。 共謀を自白する美沙子であるが、二人の間では紛れのない事実であった。 池野が殺された状況の説明は、全くの架空の話である事が明らかにされる。犯人とかけ離れた人物を描いていた。 共犯者は、共通の目的で共同して事を進めるのだが、真実を知っているのは互いの存在である。 最も危険な人物と言える。 三沙子は、秋岡に言い聞かせる。 わたしは、水商売上がりの女で、親も子供も兄弟も居ない。刑務所に入ることさえ恐くわない口ぶりで話す。 秋岡は、三沙子が初めての女で、三沙子を失う喪失感は、美沙子の設計事務所を退所する方向で解決しようと考えた。 >「それは絶対許さないわ」 三沙子は、秋岡が私の事務所と一体なのと宣言し、「わたしが生きている限り、私とコンビなのよ。そう、わたしの生涯じゅうね」 「愛情のないコンビでゆくんですか?」秋岡の力の無い反論は、心の中で持っていれば良いと言い、 「奥さん、それは無理です」の返事に 「所長と呼んでちょうだい」とピシャリと言い放った。 三沙子は、池野が亡くなってからは適当に遊び回っていた。秋岡もそれは承知していた。 「ねえ、あんた、この際、結婚しない?」 最早秋岡は、三沙子の肉欲の対象では無くなっていた。 秋岡辰夫は、山口菊子と結婚した。 菊子の父親は、相当な企業の社長だった。 菊子と結婚したことによって秋岡は三沙子の面影を忘れようとしていた。 若くて清純な菊子と、中年太りは往年のメリ-・ビックフォーの面影は無かった。 順調な結婚生活は、秋岡に独立の夢を抱かせてきた。 菊子の父親から独立のための資金は必要なだけ出してもらえる環境に有った。 問題は三沙子が独立を受け入れてくれるかだったが、それは適わなかった。 秋岡は決意して、三沙子に独立の話を切り出すと、自宅に来てくれと言われた。 秋岡が三沙子の自宅を訪れる。 共犯者の修羅場が始まる。共犯という意味では同格だが、実行犯には少し負い目がある。 そそのかされての犯行であったが、彼の情婦は、したたかであった。役者が一枚上であった。 「妙な気を起こさないでね。エコブラーはわたしの手にあるんだから」 三沙子は、秋岡の恐喝者になっていた。 所長の三沙子と秋岡の間にこのような内紛が存在していることなど誰も想像していなかった。 三沙子の様子を観察していた秋岡は、樋渡忠造が三沙子の家に行くことを突き止めた。 樋渡が、三沙子の家を出たすぐ後から、秋岡は三沙子の家の玄関に立っていた。 美沙子は樋渡に会っていたばかりなので驚いたが、「独立の話」だろうと思った。 「また、例の話?」「そうです」なぜか秋岡は手袋を嵌めていた。 「どうしても許してくれませんか」 三沙子の拒絶は、秋岡の想定通りであった。 「奥さんともとの関係に戻りたいのです」秋岡の二の矢だった。 三沙子は勘違いしたのだった。「樋渡がここから出て行ったのを見たのねね。」「見ました」と答える秋岡 >「それで、興奮したのね。独立したい話をしにきたのが、樋渡を見たので気が変わったのね」三沙子は勝手な解釈をした。 傲慢な情婦は、かつての若い未熟な男が追い詰められていたことを知らなかった。 そして、醜く肥った己を自覚していなかった。 故池野邸で二件目の殺人事件が起きた。 共通点は、犯人が無理に侵入した形跡がないことだった。 関係者として、樋渡忠造が調べられるのは時間の問題だった。勿論無関係を主張する。 秋野辰夫も関係者として調べられる。 池野殺害事件の凶器が特殊な物で、設計者が使う製図道具が使われていた。 結末の記述がタイトルを現していた。 >一時生き返りそうになった「死んだ馬」(デッド・ホース)は沈黙した。 >「まったく惜しいね、君は、せっかく,天才的な才能を持っていながら.....」 ※理解出来ない言葉 「妙な気を起こさないでね。エコブラーはわたしの手にあるんだから」 【エコブラー】とは、??? 調べても分からない。前後の関係から、「生殺与奪」(せいさつよだつ)の権利的な意味なのだろう。 2024年01月21日記 |
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作品分類 | 小説(短篇/シリーズ) | 37P×1000=37000 |
検索キーワード | 設計事務所・銀座のバー・建築士・会計係・殺人の教唆・利用される男達・初めての女・共犯者・著名人・増長・エコブラー・生殺与奪 |
登場人物 | |
池野典也 | 日本建築の建築家。実力もあり成功を収めている。 大きくは無いが、上客を有していて順調に設計事務所を経営している 妻の死後、バーのマダム(石上三沙子)と関係が出来、再婚に至る。 三沙子の欲望により殺されてしまう。 |
池野三沙子(石上三沙子) | ホステスから、銀座の裏通り店を持つ。自己資金と借金で開業したと言っているが何人かのそれらしい男がいた。 バーのママになってから池野典也と知り合う。三沙子は、池野の名声財産に目を付ける。手練手管で池野の後妻になる。 池野設計事務所の内情を掴むと欲望を膨らませる。二級建築士の秋岡辰夫と会計の樋渡忠造を手なずける。 秋岡には色仕掛けで、樋渡には贈り物で...女としての魅力を最大限利用して強かに生きるが、墓穴を掘る結果になる。 |
秋岡辰夫 | 池野典也の妻(三沙子)が最初の女になる。誘われたとは言えのめり込んでいく。 殺人を教唆され実行してしまう。建築家のしての才能は開花していくが、過ちから逃れることは出来ない。 三沙子の世話で結婚して、順調な結婚生活を送っているが、独立の夢を抑えきれない。 独立を認めてもらえず、三沙子との関係も終わることを考えると、共犯者である三沙子さえ居なければと考える様になる。 共犯者は最大の敵となって行く手を遮る。二つ目の殺人事件を起こしてしまう。 |
樋渡忠造 | 前所長の池野典也に引き抜かれる様にして税務署から定年を前にして、会計担当として池野設計事務所に勤める。 地味で真面目な人物だが、三沙子の手に掛かって手懐けられる。可哀相な男と言える。 |
秋岡菊子 | 三沙子の世話だが、秋岡辰夫と結婚する。 清純で、秋岡にとっても満足できる妻だった。父は相当な会社の社長だった。 秋岡の独立には、父の援助は必要十分な後援が期待できた。菊子は、秋岡に独立をせかせる様な妻では無かった。 |