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松本清張_悲運の落手

●松本清張未刊行短編集

No_738

題名 悲運の落手
読み ヒウンノラクシュ
原題/改題/副題/備考 ●松本清張未刊行短編集
任務】(重複709)

危険な広告
筆記原稿
鮎返り
女に憑かれた男
悲運の落手
秘壺
電筆
特派員】(重複686)
雑草の実】(エッセイ)
本の題名 任務 松本清張未刊行短編集 【蔵書No0224】
出版社 中央公論新社
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 2022/11/10●初版
価格 2000円+税(200円)
発表雑誌/発表場所 週刊新潮 1957年5月~6月
作品発表 年月日 1957年5月~6月 
コードNo 19570500-19570600
書き出し 升田幸三が、大山康晴に勝って第十期名人戦の挑戦者に決定したのは、昭和二十六年二月、大阪での対局であった。
NHKは早速、東京、大阪の二元放送で、名人木村義雄との対談をやらせた。木村はまず、
「升田君。今回は挑戦者になられて、おめでとう」
と云った。おだやかな祝辞である。だが、知らない者には柔和に聞こえるこの挨拶も、実は複雑な内容があった。
二年前、木村と升田は読売の将棋で金沢で対局したとき、二人は些細なことから口論をはじめた。その揚句、升田は木村に向かって、「名人いうたかて、塵味みたいなもんや」
と悪態を吐いた。木村は忽ち顔を赭くして怒った。
「おれがゴミなら、きさまは何だ!」
と呶鳴った。当時、升田はどのように苦闘しても、名人戦の挑戦者になれなかったときだ。
升田は、べろりと舌を出さんばかりにして、上眼使いに木村を見て、「わしは、ゴミにたかる蠅みたいなもんかな」と、いなした。
「升田君、君も他の将棋では、強いと云われているんだから、一度くらい挑戦者になったらどうだい」
あらすじ感想 >あえて言えば、プロレスの試合前のリングパフオーマンスとも言えるが、これから始まる試合は、
>ボクシングやプロレスの真反対で、盤上の格闘技である。
と、蛇足的研究では書いたが、場外乱闘でもある。

将棋界で、升田幸三と言えば伝説的な人物です。坂田三吉に匹敵する人物でもある。
升田 幸三は、将棋棋士。実力制第四代名人。
棋士番号18。 木見金治郎の弟子であり、木村義雄・塚田正夫・大山康晴と死闘を演じ、木村引退後は大山と戦後将棋界で覇を競った。
名前は正しくは「こうそう」と読むが、将棋界では「こうぞう」で通した。-Wikipedia

坂田 三吉 または阪田 三吉 (さかた さんきち、1870年7月1日(明治3年6月3日) - 1946年(昭和21年)7月23日)は、
明治から昭和初期の将棋棋士。贈名人・王将。
小林東伯斎八段門下、もしくは小野五平十二世名人門下。大阪府堺市出身。
姓については「坂田」と「阪田」の表記があり、一定しない(後述、読みは同じ)。
なお「吉」の正確な表記は「𠮷 」。

はじめは、場外乱闘だが、名人戦の様子が書かれている。
升田は木村名人をさして怖いとは思っていなかった。それだけの実績を残していた。
大阪で、五番勝負をやり、香落ち、平手、平手と三曲を棒で快勝している。
※この記述は誤植ではと思った。「三曲を棒で快勝...」は、「三局を棒銀で快勝...」では...
当時の対局は、全て平手ではなかったようだ。

木村は、升田を苦手にしていたと云ってもよいだろう。
木村を名人位から蹴落とすのは、升田だと自負していた。
ところが、木村を名人位から先に落としたのは、塚田正夫だった。

●実力制歴代名人
実力制名人位となった後、名人位を初獲得した順に代数が与えられる。
実力制第一代名人 木村義雄(十四世名人)
実力制第二代名人 塚田正夫(称号としての実力制第二代名人)
実力制第三代名人 大山康晴(十五世名人)
実力制第四代名人 升田幸三(称号としての実力制第四代名人)
実力制第五代名人 中原誠(十六世名人)
実力制第六代名人 加藤一二三
実力制第七代名人 谷川浩司(十七世名人)
実力制第八代名人 米長邦雄
実力制第九代名人 羽生善治(十九世名人資格者)

宿敵を失った升田は酒に溺れた。
木村は、塚田から名人位を恢復した。
升田は名人位を取り戻した木村に闘志を湧かせていた。木村名人に挑戦するためには眼の前の大山を倒さなければならない。
「升田君、おめでとう」は、そんな背景のあった升田に対する挨拶でもあった。

木村、升田の名人戦第一局は、東京高輪の「泉岳」で始まった。
清張の書く名人戦は、木村の精神状況に立ち入る。
名人位を転落した、木村は名人位を長く続けた結果、生活がひどく膨張していた。
木村は経済的に苦労した。
不世出の名人と言われる木村は、塚田に敗れたが、再び立ち上がる。棋界では余り例のないことである。


塚田を破り、大山を退け、闘志満々木村に向かってくる升田に木村は歯を食いしばっても負けられない。
不遇の二年間を経験している木村は骨身に染みていた。傍若無人、罵詈雑言を吐いてくる升田に負けるわけには行かない。
顔面蒼白の木村だった。

長考の木村は、何時も残り時間をギリギリまでつかう。「木村の一分将棋」である。
相手は、木村が長考すると、とにかく早く指そうとする。自分が長考すると相手に考えさせる、それが木村を延命させると考えてしまうのである。
しかし、木村はそんな作戦が升田に通じるとは思っていなかった。
棋勢はは、木村に悪くなっていく。ほくそ笑む升田。

記録係は残り時間を告げると、升田は「昼過ぎには済んでしまうな」とうそぶく。

途中で木村が優勢に見えたが、夜になると升田の勝利が決定的になった。「しゅう、しゅう、しゅう」と口で調子を取りながら指す升田。
敗北を覚悟する木村だった。

升田の心に穴が開いた。思考の線がぽつんと切れた。
「しまった」
心で叫びを上げて眼をむいた。

名人木村は、升田のポカを見逃すはずはない。

第二局目は、四月四日
升田は初手に2分費やした。升田は人が変わったように慎重だった。7六歩。
木村も65分後に、3四歩と応じた。

凡人には考えられない思考回路なのだろう。1~2時間の長考など本当に考えているのかと疑いたくなる。
互いの初手など、私が指しても変わらないだろう。木村の65分なんて前代未聞だと思う。
長考に長考を重ねる木村に対して、升田は記録係に聞いた。
「おい、俺の時間は、あと何んぼあるか?」「6時間以上あります」「そうか」
このやりとりは、木村に聞かせるためでもある。
二局目は升田が押し切って勝った。

第三局目は兵庫県売布。
筋違いの角戦法で、木村のペースで進む。
病気以来、禁煙している升田にぷかりと煙草の煙を吐く木村。そのように見える。
升田は投了。

第四局目は大阪。
普段の升田ではなく、長考を重ねる。互角の展開から升田は有利に持ち込み、二日目の夜には、勝ち筋が見えた。
>升田は、ほっと安堵した。
>その空隙に、またも大ポカが潜入して悪魔の笑いを洩らした。
>6五桂と跳ねた瞬間、吾にかえって駒を放した手を震わした。

升田の落手である。
木村は見届けると、便所に立った。
升田は、木村を処刑者を待つ受刑者の気持ちで待つことになる。

第五局は,東京の渋谷
腰掛銀で相対する事になる。千日手模様になるが、木村は打開に苦労する。
「ええい、もう、いっちゃえ!」
木村は、7五歩と突いた。千日手は回避された。
升田は、飛びついた。「しゅう、しゅう、しゅう」升田の口から音を出しながら、攻撃した。
木村は投了した。

三対二木村のリード。第六局は、東京代々木の旅館「初波奈」


 



先手は升田、一分考えて、2六歩。木村は、七分で、8四歩。
第五局と同じ相腰掛銀。升田は封じ手に2時間14分かける。
木村に疲労の色が見える。木村は46歳、升田は33歳だった。
今では対局中の食事やスイーツが話題になる。
木村は砂糖水を欲した。升田は、塩水を頼む。
木村は疲れていたが、気力は充実していた。闘魂は名人位と生活がかかっていたのだ。絞り出す気力は悽愴であった。
残り時間が53分になったとき、「えい、いっちゃえ」木村は動いた。9五歩。
9五歩は、升田が創案した手筋だった。木村は「君、指したことあんお、ほほう」空とぼけた。
将棋を指しながら、こんなに会話をするものだろうか?今のタイトル戦はテレビなどで中継されるが、会話はない。
「これは、まずい手を指したな」
「まずいやの権八か。まず権か」
このやり取りが面白いのだが、「まずいやの権八か。まず権か」の意味が分からない。(権八?西麻布?)
木村の挑発には乗らなかった升田だが、へらず口をたたきながら手数を進めた。形成は升田に有利に進んでいた。
升田は落ち着こうとするが心が躍っていた。勝ちを意識すると心の動悸が制御できなかった。

8六馬。を指した升田は「あっ」と気づいて声を呑んだ。【右上の棋譜が8六馬(95手目)7八歩成に対しての手順です】

清張流観戦記だ。
盤上のドラマ(棋譜)と番外ドラマが、交錯する。超人と呼ばれる人間が見せる人間くさいドラマは面白い。
最近のタイトル戦で、藤井五冠と羽生九段の王将戦(第5戦)・渡辺名人と藤井五冠の名人戦(第三戦)は、静かなる闘いだったが
清張に観戦記を書いて貰いたいような気がしてきた。

●らく‐しゅ【落手】読み方:らくしゅ
1 手紙・品物などを受け取ること。手に入れること。落掌。「お手紙―しました」
2 囲碁・将棋で、悪い手。



2023年03月21日 記
作品分類 小説(短編) 15P×850=12750
検索キーワード 将棋・名人戦・長考・塚田・大山・升田・木村・兵庫県売布・高輪泉岳・代々木初波奈・8六馬・まず権
登場人物
升田幸三 升田 幸三は、将棋棋士。実力制第四代名人。
棋士番号18。 木見金治郎の弟子であり、木村義雄・塚田正夫・大山康晴と死闘を演じ、木村引退後は大山と戦後将棋界で覇を競った。
木村嘉雄 木村 義雄(きむら よしお、1905年(明治38年)2月21日 - 1986年(昭和61年)11月17日)は、将棋棋士。
十四世名人。棋士番号は2。東京府東京市本所区本所表町(現:東京都墨田区)出身。最初の実力制による名人、かつ最初の永世名人である。
塚田正夫 塚田 正夫(つかだ まさお、1914年(大正3年)8月2日 - 1977年(昭和52年)12月30日)は、将棋棋士。名誉十段。実力制第二代名人。日本将棋連盟会長(1974年 - 1976年)。勲四等旭日小綬章(追贈、1978年)。紫綬褒章(1975年秋)。花田長太郎九段門下。棋士番号は11。東京府東京市(現:東京都文京区)出身。
大山康晴 大山 康晴(おおやま やすはる、1923年(大正12年)3月13日 - 1992年(平成4年)7月26日)は、将棋棋士。十五世名人。棋士番号26。木見金治郎九段門下。
主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代2位)、通算1433勝(歴代2位)等がある。永世名人・永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将の5つの永世称号を保持。順位戦A級に在籍しながら、1976年(昭和51年)12月から1989年(平成元年)5月まで日本将棋連盟会長を務めた。

悲運の落手




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