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検索キーワードに見る清張作品の傾向と対策?

(その三十二:課長)

清張作品の書き出し300文字前後からあぶり出すキーワード!
(登録キーワードも検索する)


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●課長
始は「課長補佐」を調べる予定だった。「課長補佐」では、『弱気の虫』だけしか、ヒットしなかった。
「課長補佐」は、汚職事件の実務者として登場して、最後に因果を含められ、責任を取って自殺に追いやられる。
小官僚の悲しい結末として葬り去られる。清張作品には多数出てきていると確信していたが、少なかった。
キーワードとして「課長補佐」を登録していたのは『点と線』だけだった。
では、「課長」ではと思い、検索したら、点と線・黒い画集 第二話 証言・黒の様式 第一話 歯止め・投影の4作品がヒットした。
ただし、キーワードは紹介作品が対象なので、分母自体が少ない。

では、書き出しに「課長」が登場する作品を紹介します。
眼の壁
死の枝:『ペルシャの測天儀
死の枝:『不在宴会
憎悪の依頼
黒の様式:『弱気の虫
ある小官僚の抹殺
危険な斜面
粗い網版
愛と空白の共謀
偶数

点と線』・『証言』・『歯止め』・『投影』の4作品は、書き出しでは「課長」が登場しないので驚いた。


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●「課長」は、職業ではない。中間管理職で、小説としては、職場で先が見えた人物として描かれるか、「部長」から「重役」へと上昇志向の人物か
分かれるところだ。「課長補佐」なら、実務家で、せいぜい課長止まりの人物だろうと想像してしまう。

小説の材題としては、「課長」は扱いやすいとも言える。それだけ実在の人物が多いとも言える。
いろいろの状況はあるとは思うが、社長はともかく、重役や部長など「課長」を経験しているだろうし、「課長補佐」を含めて、係長や主任もいずれは通る道とも言える。ある意味感情移入がしやすい。

書き出しで「課長」が登場しない作品の、 『点と線』・『証言』・『歯止め』・『投影』は、むしろ典型的な「課長作品」とも言えると感じた。
ベストスリーの「課長作品」を上げるとしたら、 『眼の壁』・『不在宴会』・『証言』を結論とします。

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2023年10月21日

 



題名 「課長 上段は登録検索キーワード 
 書き出し約300文字
眼の壁 昭和電業・手形詐欺・湯河原・パクリ屋・新興右翼・新聞記者・死亡時期・精神病院・薬品・ベレー帽の男・競馬
六時を過ぎても、課長は席にもどってこなかった。専務の部屋に一時間前に行ったきりである。専務は営業部長をかねていたが、部屋はこの会計課とは別室になっていた。窓から射す光線は弱くなり、空には黄昏の蒼さが妙に澄んでいる。室内の照明は夜のものになろうとしていた。十人ばかりの課員は机の上に帳簿をひろげているが、それはたんに眺めているにすぎない。五時の定時をすぎて、ほかの課は二三人の影があるだけだった。この会計課のみが島のように取り残されて灯がついているのだが、どの顔も怠惰しかない。次長の萩崎竜雄は、これは課長の用事はもっと長くかかるな、と思った。それで課員たちの方へ、「課長は遅くなるようだから、もうしまいにしようか」と言った。待っていたように、皆は生気をとりもどして片づけはじめた。 
ペルシャの測天儀
(死の枝第七話)
模造品・アテネ土産・窃盗常習犯・ペンダント・愛人・測天儀 
ある金属製品会社の課長をしている沢田武雄の家に泥棒が入ったのは、二週間くらい前であった。泥棒は留守をたしかめて入った形跡がある。田沢の妻は夕方きまって近くの市場に買い物に行くし、学校から帰った子供は遊びに出かけていない。午後五時から六時くらいの間は、いわばそうした家庭の魔の時刻であった。盗られたものは現金だけだった。これは妻がタンスの引出しの着物の間に挿んでいたもので、五万円ほどの被害額だった。タンスの引出しは下から上に向かって順次開けられていた。刑事の説明によると、これは常習の窃盗犯だそうである。また、妻の帯がタンスの上の引き出しからだらりと陳列品のように畳に垂れ下がっていた。刑事の話によれば、これは泥棒仲間の呪で、帯は体を縛るものだから、それをだらりと垂れ下げておくのは逮捕されないという意味だそうである。馴れた泥棒だとは、妻の着物や洋服などはいっさい手をふれていないことでも分かった。質屋に入れたり古着屋に持って行ったりするものは、どうしても足がつく。
不在宴会
(死の枝第十話)
視察・官庁・北九州・宴会・小心者・バアの女・不正事件
魚住一郎は中央官庁の或る課長だった。彼の省は民間企業の監督官庁であった。農林省でも、通産省でも、厚生省でも、どこでもいい。要するに企業に対して権力を持つと同時に特定業者の利益をも図れるという権利省であった。課長の魚住はしばしば地方に出張する。行政指導のためには遠路を厭わず回った。この出張は中央の役人にとってこたえられない醍醐味をもっていた。まず、彼はどこに行っても土地の工場や支店、出張所の幹部連によって下にもおかない取扱をうける。工場視察は東京の出発前からスケジュールが決まっているので、それに従って視て回ればよろしい。あまり細かいことを云うと、業者から好感を持たれないだけでなく、意外な方からクレームがつく。あの課長は好ましくないという指示が雲の間から洩れてくるのである。
憎悪の依頼
金銭トラブル・別の動機・殺人・自称詩人・立ちション・嫉妬・殺人犯の独白・報告の真実
私の殺人犯罪の原因は、川倉甚太郎との金銭貸借ということになっている。即ち、私が川倉に貸した金の合計九万円が回収不能のためということになっている。これは私の供述である。警察では捜査課長が念を押し、検察庁では係検事が首を傾けた。「たったそれだけの金でか?」とかれらは訊いた。私は答えた。「あなた方にとっては端た金かも分かりませんが、僕にとっては大金です」無論、私と川倉甚太郎との関係とか生活は、警察によって裏付け捜査されたが、私の自供を覆す何ものも出なかった。私は自供する原因によって起訴され、その原因による犯罪の判決を受けた。私は一審で直ちに服罪した。私は犯行の原因が単純であったせいか、刑量は軽い方である。だが、私は自己の刑量を軽くする企みのために、単純な原因を供述したのではない。実際は、本当のことを云いたくなかったからだ。 
弱気の虫
(黒の様式第五話)
川島留吉は或る省の役人をしている。或る課の課長補佐だった。留吉は私大を出るとすぐこの省に入った。友だちは、いかにも彼に似つかわしい職業を得たと思った。勤勉で、律儀で、地道で、いささかのハッタリもない男なのである。学校時代はガリ勉で、いい成績だった。国家公務員の試験成績もよかった。爾来、三十九歳の今日まで二十年近く律儀に役人生活を勤めている。彼の入省は敗戦後まもなくで、世の中が混乱している時だった。大学卒で役人になろうという者はあまりなく、時代の風雲に乗じてヤミ商売をはじめたり、それを発展させて会社をつくったりした者が少なくなかった。就職希望でも、ベース・アップの最も遅い官庁などを志す者はあまりなかったものだ。もっとも、今からふり返ると、風雲組で成功している者はわずかしかいない。彼らの野心のほとんどは失敗し、なかには行方知れない者もいる。

ある小官僚の抹殺
密告電話・贈収賄事件・岡山出張・熱海の旅館・第一発見者・自称弁護士・取調室・参考人・被疑者・首つり
昭和二十××年の早春のある日、警視庁捜査二課長の名ざしで外線から電話がかかってきた。呼び出しの相手を指名しているくせに自分の名前を云わない。かれた、低い声である。課長は受話器を耳に当てながら、注意深く声の背景を聞こうとした。電車の音も、自動車の騒音もなく、音楽も鳴っていなかった。自宅から掛けているという直感がした。話はかなり長く、数字をあげて、内容に具体性があり、聞き手に信頼性をもたせるに十分だった。重ねて名前を聞くと、都合があって今は云えないと、かれ声はていねいに挨拶して先に切った。ふだん話をするのになれた人間の云い方であった。いうところの汚職事件が新聞に発表されたとき、人は捜査当局の神のような触覚に驚く。いったい、どのようにして事件の端緒をかぎあてたのだろうかとふしぎな気がする。多くは、彼らの専門的な技能に帰納して、かかる懐疑を起こさないかもしれない。しかし、職業の概念に安心するのは、そのゆえにあざむかれているのである。 
危険な斜面
西島電気株式会社調査課長秋葉文作が、野関利江と十年ぶりに偶然会ったのは、歌舞伎座のロビーだった。そのとき、秋葉文作は会社の得意先関係の客を招待していた。会社側は彼のほかにも、販売部長や技術部長、宣伝部長などがいた。いや、調査課長である彼はむしろその末席であった。「今夜は、会長が来ているぜ」と、いち早く報告したのは、宣伝部長だった。「二号さんとだ」どれどれ、と部長連中は、開幕になってから、客席の前の方を眼で捜した。最前列より六つか七つめぐらいあとの、ちょうど、まん中あたりに、特徴のある西島卓平の禿頭が、半分後ろ衿の中にはめこんだようにうずくまっていた。西島金属工業、西島化学工業各株式会社の会長である西島卓平は、ひどい猫背である。その横に豊富な髪をした女が、濃い紫色の和服をきて、抜き衿のうなじを白々と見せていた。
愛と空白の共謀 勝野章子はふた月に一度ぐらいで、ひとりで一週間を過す。つまり、それは夫がそれだけの出張をしている期間であった。夫の俊吾は、電気器具製造会社の営業課長であった。東京が本社で、大阪は支社である。この会社では営業会議を東京と大阪と一回ずつ隔月に行なった。勝野俊吾がひと月置きに一週間の留守になるのは、その大阪行きのためであった。そのことは俊吾が課長になって以来、三年間続いた習慣である。秋の来たある朝、章子は主張する夫をバスの停留所に送った。そこに行くまで章子は夫の鞄を持ち、自分が整理して詰めた内容物の重さを感じながら、夫のあとに従った。夫はいつものように、あとを頼むよ、と言ったくらいであまり口数を言わず、煙草の青い煙を流しながら軽やかに歩いていた。バスが車体を小ゆるぎさせてやってき、待っていた他の人たちにまじって太った夫は内にはいった。
偶数
城野光夫は、その会社の調査副課長をしていた。調査課というのは、その会社ではそれほど重要な課ではない。会社は一流だったが、調査課はいわば閑職に等しかった。そこでは統計を取ったり、資料を蒐めたりしているが、ほかの業種と違って、その会社では、そんな仕事は社業にあまり関係しない。蒐める資料といっても、ほとんどは印刷されたもので、会社が必要とするものは、そんな平凡なものではなく、もっと高度な、秘密的なものだ。そんなものは調査課などを通さず、上のほうで蒐めている。城野光夫は、この会社ではもう十五年を勤めていた。出た学校もそれほど悪くないのだが、どういうものか出世が止まっている。それは、一つには彼に社交性がないことだった。彼は生来孤独型で、自分で他人との交際から離れている。

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