(改題=岸田劉生晩景)
題名 | エッセイより 劉生晩期 |
読み | エッセイヨリ リュセイバンキ |
原題/改題/副題/備考 | 【重複】〔(株)新潮社=岸田劉生晩景〕 (改題=岸田劉生晩景) 1.「学歴の克服」(重複) 2.「実感的人生論」 3.「ほんとうの教育者はと問われて」 4.「碑の砂」(重複) 5.「「西郷札」のころ」 6.「作家殺しの賞」 7.「この10年」 8.「回想「酸素テントの中の格闘」」 9.「ヨーロッパ20日コースをゆく」●《改題=はじめてのヨーロッパ》 10.「"地の塩"地帯をゆく」 11.「ハバナへの短い旅」 12.「暑い国のスケッチ」 13.「南北であった女」 14.「瑠璃碗記」(重複) 15.「私のくずかご」 16.「占領「鹿鳴館」の女たち」 17.「政治と税金」 18.「現代のヒズミ−税金」 19.「小説でない「黒い霧」」 20.「政治家の税金」 21.「新権力論」 22.「「政治」とよど号」 23.「推理小説の読者」(原題=推理小説時代)(重複A) 24.「日本の推理小説」(原題=推理小説独言) (重複A) 25.「推理小説の発想/小説と素材」 (重複A) 26.「推理小説の発想/創作ノート」 (重複A) 27.「私の黒い霧」(病床推理文学随想) 28.「推理小説の題材」(講演) 29.「灰色の皺」 30.「私の小説作法」(重複) 31.「小説に「中間」はない」 32.「朝の新聞」 33.「小説のなかの「私」への疑問」 34.「大岡昇平氏のロマンチックな裁断」 35.「文壇小説の陥没」 36.「劉生晩期」●《改題=岸田劉生晩景》(重複) |
本の題名 | 松本清張全集 34 半生の記・ハノイで見たこと・エッセイより■【蔵書No0105】 |
出版社 | (株)文藝春秋 |
本のサイズ | A5(普通) |
初版&購入版.年月日 | 1974/02/20●初版 |
価格 | 880 |
発表雑誌/発表場所 | 「藝術新潮」 |
作品発表 年月日 | 1965年(昭和40年)2月号〜4月号 |
コードNo | 19650200-19650400 |
書き出し | 岸田麗子の書いた「父岸田劉生」には、次のような文章がある。少し長いけど引用になる。「京都での生活は大正十二年十月から大正十五年(昭和元年)二月までの二年四カ月である。この京都時代からさらに最後の鎌倉時代の二年九カ月というものの画家岸田劉生は、本当にはまだ研究されていない。父の初期から鵠沼時代までの行きとどいた研究に比べて、京都鎌倉に対するそれは、極めて粗末である。研究し、批評し、価値づけるなら何らの偏見や固定観念なしに、父の最後までの作品及び著書をあますことなく見てその上でなされなければならない。酒を呑んでも、遊んでも、古画の収集に没頭しても、それは父の全部ではない。ドストイエフスキーは賭博が好きであり金に追われて仕事をしたが、だからドストエフスキーは賭博者で金のためにいい加減な仕事をしたのだという人はいないであろう。 |
作品分類 | エッセイ |
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