NSG(日本清張学会) 徹底検証シリーズ No07NSG(日本清張学会)

「半生の記」自叙伝について

完結
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松本清張は本格的に、自叙伝を書いていません。「半生の記」は、回想的自叙伝が原題ですが、本格的に書かれたものでは無いと思います。
「半生の記」のあとがきで
私は、自分のことは滅多に小説に書いては居ない。いわゆる私小説というのは私の体質に合わないのである。
そういう素材は仮構の世界につくりかえる。そのほうが、自分の言いたいことや感情が強調されるように思える。
>それが小説の本道だという気がする。独自な私小説を否定するつもりはないが、自分の道とは違うと思っている。
>それでも、私は私小説らしいものを二、三編くらいは書いている。が、結局は以上の考えを確認した結果になった。

と,記述している。

小説の名を借りて「父系の指」・「骨壺の風景」・「田舎医師」・「暗線」などが多少自伝的な装いで書かれています。
清張作品を通じて、松本清張の両親と家族を改めて深掘りして見たいと思います。
例によって大言壮語ですが...

(素不徒破人)

徹底検証【07】
2022年06月21日登録

ページの最後

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比較表

-------自叙伝的作品を年代順に並べると-----------

「父系の指」は、1955年の作品
「田舎医師」は、1961年の作品
「暗線」は、1963年6月の作品
「半生の記」は、1963年8月~1964年1月の作品
「恩義の紐」は、1972年の作品
「骨壺の風景」は、1980年の作品


『半生の記』を基準に考察
(左から右へ、発表順)
父系の指  田舎医師  暗線  半生の記  骨壺の風景
作品概要 ナイフを当てながら、くりくりとリンゴをまわしている従弟の指に、ふと眼を止めた。
それは長い指だった。
わたしのゆびにそっくり似た指だった。
父系の指への嫌悪と憎悪の感情は、同じ血への反発であり、相手に対する劣等感であった。
書き出し部分など事実が書き込まれているようだ。
芸備線の沿線風景は正確。
清張の自叙伝的作品だが、小説として書かれているので人間関係、姻戚関係は曖昧な部分が多い。
清張は私小説は体質に合わないと言っていたが、『父系の指』は、私小説に近いと、『半生の記』に書いている。 
「仮構」を交えて一番小説的である。
清張の父、峯太郎がなぜ養子に出されたかは詳しく書かれていませんが、その経緯は具体的に書かれています。
『半生の記』・『父系の指』に比較しても具体的である。 
自叙伝   祖母(松本カネ)の遺骨を求めて、小倉・下関を旅する。
登場人物は殆ど実名。
峯太郎の養父だけ少し違う
米吉→健吉
貧乏生活が克明に描かれている。どこまで「仮構」なのか?
作品発表時の雑誌・時期等
作品の形態
 【新潮】
1955年(昭和30年)9月号
 【婦人公論】
1961年(昭和36年)6月号
 【サンデー毎日】
1963年(昭和38年)6月
 【文藝】
1963年(昭和38年)8月号~
1964年(昭和39年)1月号
 新潮】
1980年(昭和55年)1月号
 ●松本清張  私  杉山良吉  私
篤志家の援助で京都大学を出る。
 私  私(清さん)
四祖母の松本カネに「清さん」と呼ばれる・
 ●登場人物(「半生に記を基準として」)
①松本峯太郎
(清張の実父) 


※共通する【峯太郎】
生まれてすぐに里子に出され、そのまま養子となっている。
養家は貧乏で、峯太郎は一生苦労する。それは、峯太郎の性格にも因っていたのだろう。
死亡する場所が違う。

 父  杉山猪太郎  黒井利一  松本峯太郎  松本峯太郎
伯耆(ホウキ)の山村に生まれた父。生まれた家はかなり裕福だった。
七ヶ月ぐらいで貧乏な百姓夫婦のところへ里子に出される。

父の一生の伴侶として正確に肩をならべて離れなかった”不運”は、はやくも生後七ヵ月にして父の傍に大股でよりそってきたようである。


なんとも、父の生涯を一行の文で表現しているようだ。
書き出し部分だけで、父の不遇を全て語り尽くしている感があるが、清張自身は深い哀れみを持って父を見ている感じがする。 
良吉の父、猪太郎の生い立ちが続く。
土地では一,二を争う地主の子の長男に生まれた猪太郎は、幼児期に他家に養子にやられた。
長男でありながら養子にやられ、その家が没落して、猪太郎の出奔となる。
猪太郎には三人の兄弟がいた。跡取りの次男がいたが死亡したため、三男が家を継いだ。
この三男は、東京に出て、事業を興し成功したが、十年前に死亡している。
猪太郎の生涯は、不幸な環境と、その性格から来るのであろうが、
.....いまにお前を石見に伴れてってやるけんのう。...
の言葉が実現できないまま、生涯を果てた。
もう少し具体的に云うと、祖母の国子は須知家で父を妊り、生家の安積家に還って生み、すぐに広瀬の黒井家に養子に出したことになります。
父の利一は須知家の長男でありながら他家に出されたのです。

六十八歳まで生きた父ですから、島根の故郷に帰ることは出来たはずです。

なぜか帰らなかった。貧乏故に帰れなかったのか。
父の実父は、須知綾造。実母は、国子。国子は、利一を生んだ後、復縁して、弟と妹を産んだ。利一は二人の弟妹を見たことはなかった。
養父は、黒井治作という。
峯太郎は生後間もなく松本家に里子に出される。
後に松本家の養子となる。松本家は貧乏だった。
里子(養子)に出されるときにすでに貧乏だった。
父(峯太郎)の生家は、西田と言った。
父を産んだ実母は一時婚家を離れたことがあった。
なぜ、峯太郎の実母が婚家を離れていたのだろうか?
後によりを戻したのか、婚家に戻り、子供をもうけている。
清張の自叙伝的作品の一つである。
書き出し部分での登場人物、暮らしぶりが自叙伝的である。
両親の墓は、東京の多磨墓地にある。
と、書かれているが、松本清張の墓は、八王子市の富士見台霊園にある。

祖母カネは、昭和のはじめに小倉で老衰のため死亡した。
カネは父峯太郎の貧弱のさいに死んだ。墓はなく、骨壺が近所の寺に一時預けにされ、いまだにそのままになっている。
出だしは、簡潔な文章で、題の『骨壺』の存在を明らかにしている。
そして、祖母カネ、父峯太郎が、誰に対してなのかの記述がない。二人は実名である。
祖母カネや父峯太郎は、松本清張の祖母(戸籍上)であり、父である事に疑いは無い。後から母タニも登場する。
祖母カネは、峯太郎にとっては、養母である。(自叙伝では、峯太郎は十七,八で出奔すのだが、なぜ同居するようになったのか?)
祖母カネは、峯太郎の養母だろう。松本カネ。
峯太郎の名は登場しない。
生まれた家はかなり裕福な地主でしかも長男である。
七ヵ月くらいで貧乏な百姓夫婦のところに里子に出される。そのまま、養子として育つ。
生まれ故郷は、島根県仁多郡葛城村。猪太郎は、六十七歳の生涯を終えるまで、故郷を忘れたことは無いし、故郷に帰ったことも無い。
杉山良吉の父。故郷を出奔して諸国で放浪、東北の地で亡くなる。
養家先の黒井家は、父が八歳の時四国の宇和島に移住した。父の生涯はほとんど宇和島で終わった。 小倉で死亡している。   
②松本タニ
(峯太郎の妻・清張の実母) 
 母      松本タニ  松本タニ
③松本米吉
(峯太郎の養父) 
     黒井治作  松本米吉  松本健吉
④松本カネ
(峯太郎の養母) 
       松本カネ  松本カネ
⑤田中雄三郎
(峯太郎の実父) 
     須地綾三
三浦健亮の可能性を示す
 田中雄三郎  
⑥田中とよ
(峯太郎の実母)  
     須地国子  田中とよ  
父を産んだ実母が一時婚家を去っていたということを父が洩らした。         
⑦田中嘉三郎
(峯太郎の弟) 
 西田民治
私(清張)の父の弟。父(峯太郎)が養子に出された後に生まれた弟で、私(清張)の叔父に当たる。出版社の社長
     田中嘉三郎
清張の叔父
「父系の指」の西田民治
 
         



2022年06月21日 素不徒破人
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