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松本清張_絵島・生島  大奥婦女記(第九話)

No_299

題名 大奥婦女記 第九話 絵島・生島
読み オオオクフジョキトウボウ ダイ09ワ エジマ・イクシマ
原題/改題/副題/備考 ●シリーズ名=大奥婦女記
●全12話=全集(12話)
 1.
乳母将軍
 2.
矢島局の計算
 3.
京から来た女
 4.
予言僧
 5.
献妻
 6.
女と僧正と犬
 7.
元禄女合戦
 8.
転変
 9.絵島・生島
10.ある寺社奉行の死
11.
米の値段
12.
天保の初もの
本の題名 松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記【蔵書No0014】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1973/06/20●初版
価格 880
発表雑誌/発表場所 「新婦人」
作品発表 年月日 1955年(昭和30年)10月〜1956年(昭和31年)12月
コードNo 19551000-19561200
書き出し 六代将軍の家宣は病気勝ちであったが、正徳二年九月に齢五十一で死んだ。どういうものか生まれた彼の子は二人とも亡くなり、無事に育ったのは鍋松という庶子だけであった。ようやく四歳になったばかりのこの幼児が将軍職を嗣いだ。家継である。幼い将軍の生みの母は、家宣の愛妾であった左京の方である。彼女は家宣の死後、習慣に従って髪を薙した。月光院といった。将軍の実母という立場は強い。家宣の御台所も月光院の前には存在が薄くなった。前将軍の正室であっても当代と血縁がないから地位が弱まるのも仕方がない。御台所はそのため悲しんで京都の実家に帰ると云い出したほどだった。それにくらべると、たとえ側妾であっても月光院は家継の母であるから大奥では実力第一となった。その上、家継は幼児であるのでしぜんと将軍の後見ということにもなった。仕置(政治)のことは前代からのお気に入りの側用人間部詮房が一切をとりはからった。
あらすじ感想   蛇足的研究で書いたが
無知なるが故に、はじめは、生島を大奥の女と勘違いしていた。結果がタイトルの「絵島・生島」を大奥の権力争い...
話は、「絵島(江島)・生島事件」だった。生島とは、生島新五郎という歌舞伎役者。

見当違いからの読み始めてしまった。「絵島(江島)・生島事件」は聞いたことがあった。
絵島(江島)生島事件(えじま いくしま じけん)は、江戸時代中期に江戸城大奥御年寄の絵島(江島)が歌舞伎役者の生島新五郎らを
相手に遊興に及んだことが引き金となり、関係者1400名が処罰された綱紀粛正事件。絵島生島事件、絵島事件ともいう。

事件にまつわる諸説
当時の江戸城大奥に6代将軍・家宣の正室である天英院派と、7代将軍・家継の生母・月光院派の二大勢力があった経緯から、
本事件は月光院の失墜を狙った天英院の陰謀であったと言われているが、事件後における月光院の影響力や、大奥勢力の相関関係などが不明であり、
また天英院による謀議を裏付ける史料もないため、憶測の域を出ていない 。
さらに、この陰謀説に関しては小説や映画などから生まれた創作である可能性もあり、山岸良二も天英院が代参制度を利用して事件化することは、
その後に代参が規制対象となる危険性もあり、現実的ではないとしている。
月光院が家継の学問の師である新井白石や側用人の間部詮房らと親しく、大奥において月光院派が優勢であったことが(天英院派との関係も含めて)
事件の経緯として語られがちだが、江戸幕府の公式史書である『徳川実紀』及び、間部詮房の『間部日記』の記録には、当時の大奥の首座は天英院、
月光院は次席であったことが記されており、天英院の首座の地位は徳川吉宗が八代将軍就任後も変わっていない。
江島が生島を長持の中に入れて大奥に忍び込ませ、逢瀬を繰り返したという話があるが、ただの俗説に過ぎず、当時の史料には書かれていない。
生島新五郎については、享保18年(1733年)に流刑地の三宅島で死去したとする説もあり、墓も三宅島にある。

しっかりした、史実があるのかどうか不明だが、小説に沿って進めてみる。
病気勝ちの六代将軍家宣は、正徳二年九月に五十一歳で死んだ。彼の子が二人居たが、二人とも亡くなっていた。
鍋松(マベマツ)と言う庶子がいて、四歳になったばかりのこの幼児が将軍職を継いだ。家継を名乗った。
家継の母は、家宣の愛妾左京の方だった。家宣の死後は、慣例に従って、髪をおろして月光院を名乗った。
将軍の実母は強い。御台所も月光院の前には影が薄くなった。
月光院は、将軍の母であるだけでは無く家継が幼いだけに、貢献という立場もあり、一層強い立場であった。
政治のことは、前代からの関係で、間部詮房が一切を取り仕切った。三年間も城中に寝泊まりし一度も帰宅しなかった。
間部詮房は、能役者上がりの美男子で、妻子が無かった。
「山王外紀」に言う。(全集には「記」と記載)
>「家継幼くして月光院の所にあり。すなわち昼夜となく詮房独り之に従う。因って夫人と通ず」
家継が、間部は将軍家のようじゃなと言うほどであった。
「山王外紀」の記述によって話が進む。



「山王外紀」によれば、大奥の風紀は乱れ、淫風と賄賂と−−−目に余る状況だったと言える。
奥医師の奥山交竹院が、浅草に住む御用商人栖屋善六(スミヤゼンロク)から
>「大奥のしかるべき女中衆をお紹介下さるまいか」
と、相談を受けた。

大奥に取り入ろうとする栖屋善六。悪知恵の働く奥山交竹院
奥山交竹院は巨額の賄賂で策略を考える。
狙いは、絵島の局であった。女盛りと言える絵島の肉体を思い浮かべながら、栖屋善六に策略を話した。
栖屋善六はその話に満足した。
絵島の局は、はじめは身分の低い御使番だったが、利発で、今日の方と名乗っていた頃の月光院に目を掛けられ
出世していった。今では、月光院付き上揩セった。 (上掾<Wョウロウ)

奥山交竹院の出した絵島の局に対する対策は
絵島の局クラスになると、金品での籠絡は難しい。
少々金はかかるが、芝居小屋の...例えば、山村屋の市川團十郎など芝居を見せることを提案した。
芝居を見せるとは表向きの話で、美男役者の新五郎をあてがう話なのだ。
色仕掛けである。
奥山交竹院が絵島の了解を取り付け、事は進んでいった。
山村座の山村長太夫も大喜び、栖屋善六も「金はどのようにでもします」

手筈が整い絵島が山村屋に向かう。
私用にかこつけての「微行の形式」で山村屋に着いた。(「微行の形式」=こっそりと出かけること。身分の高い人などが、他に知られないように身をやつして外出すること。)
奥山交竹院の案内で、桟敷に納まった。簾が垂れていて誰が客なのか分からない。
三十一歳の絵島だが、二十四、五くらいにしか見えない。
絵島と三、四人の若い女中達が接待を受ける。
座元の長太夫や、清五郎、交竹院、善六が取り持った。
ところが、絵島はさほど楽しんでいるようには見えなかった。あくびを一つした。
場を読み取った、清五郎は、座元の長太夫に耳打ちをした。
>「早う、団十郎と新五郎を呼んで来なされ」
幕開け前の団十郎や新五郎はその願いを断った。団十郎は言った。
>「どのような大事な客か知らなねいが、またにして下せえ」
一幕を見ただけで、絵島は「疲れた」「帰る」と言葉をつないだ。

栖屋善六は、落胆した。
奥山交竹院に助けを求めた。交竹院も金品をもらっている手前、責任を感じて「まて、まて考えがあると」その場を逃れた。
交竹院には、その考えがあったのだ。
絵島の芝居見物が不機嫌のまま終わった事に、交竹院はある確信を持っていた。
絵島・生島事件の始まりである。
色仕掛けである。お城勤め、それも大奥の絵島に生島新五郎を取り持つ算段をしたのだった。
奥山交竹院の仕掛けは、栖屋善六によって実現し、絵島、生島新五郎の面会が実現する。
大奥女中の女ばかりの単調な世界で暮らす絵島は、生島新五郎と遭うことは心躍る出来事になるのだった。
生島新五郎は、はじめは高級な客の一人として相手をした。
絵島はけして淫蕩な女では無かったが、生島新五郎は、その手練手管になれていた。
役者は売られる身でもあったのだ。

生島新五郎には暗い血があった。生島大吉という弟が居た。
有名な話であるが、大吉が長持ちの中に隠れて尾張侯の未亡人に会いに行く話で、結果投獄されている。この話は、【事件にまつわる諸説】でも書いたが、
生島とあるが、生島大吉の話なのでは...。

生島大吉(初代) いくしま-だいきち
1675−1706 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者。
延宝3年生まれ。生島新五郎の弟。元禄(げんろく)はじめごろ若衆方として江戸の市村座に登場。
宝永2年江戸若女方の巻頭となったが,尾張(おわり)侯の未亡人と通じて投獄される。出獄後に発狂し,宝永3年4月24日死去。32歳。大坂出身。


絵島は、生島新五郎の手に落ちたと言える。
絵島は、新五郎を忘れることが出来なくなった。初めて男を知った三十女の血が狂いだした。
新五郎も絵島に夢中になった。女については経験豊富な新五郎だったが、今までは町家の後家や新造や娘が相手だった。それが一足飛びに大奥の高貴な女中。
二人は、大吉の長持ちをまねたわけではないのだろうが、新五郎は菓子屋の饅頭の蒸籠(セイロウ)の中に忍び込み大奥へ入ろうとした。
ある夜、新五郎が蒸籠の中へ忍び込んだ。死罪になることも覚悟の決死の、命がけの恋路であった。
妖艶な二人の逢瀬の描写が続く。

自由に遭うことも出来ない絵島に絶好の機会が訪れる。
芝増上寺の家宣の廟へ月光院が参詣する予定だったが、取りやめになって、絵島へ代参の命があった。
絵島はこの時を逃がしてなるかと、新五郎に会うための準備を始めた。
代参は早朝に行う。
ご馳走の儀は一切無用。
増上寺の時間は最小限として
山村屋の場所取りをさせた。
増上寺以後の時間を自由にとれるようにしたのだった。

山村屋では大奥女中の一行は簾の中で外からは窺い知れないのだが、絵島の高ぶる気持ちは場を陽気にせざるを得なかった。
高揚する開放感の中で、酒も回ってきた。簾も邪魔になり、誰かがするすると巻き上げた。
芝居の見物客は、二階桟敷の様子に薄々感じてはいたが、階下からは丸見えの状況になった。
事件が起きた。
酒の回った絵島が盃を階下に落とし、それが芝居見物をしていた国侍の頭に当たった。
国侍は薩摩藩の谷口新平という男だった。二階での傍若無人の振る舞いを苦々しく思っていた谷口新平は顔色を変えて二階に上がろうとした。
さすがに絵島は驚き、事が面倒になるのを避けるため、御徒目付の岡本平右衛門に耳打ちして事を治めようとした。
しかし、大刀をひっさげ二階に上がろうとする谷口新平は岡本平右衛門に対峙した、「まず、お鎮まり下れ」の挨拶に答えた。
>「武士たる者が頭から盃を落とされ、しかもご覧のように酒を浴びせかけられては、面目が立ち申さぬ。
>しかるを、ただ鎮まれ、とは何事か、先さまがどのような方か存ぜぬが、新平、屹とご挨拶を承りたい」
岡本平右衛門は平伏する以外無かった。
岡本平右衛門の立場を理解できない絵島のお共女中たちは嘲笑しながら二階から見下ろしていた。
平右衛門は、絵島一行の不作法を詫びるだけでは無く、己の手落ちに責任が及ぶ下級史としての危惧だった。
谷口新平は、本気で怒っていた。「...然るべき方のご挨拶を承りたい。...」
もはやこれまで、岡本平右衛門は大小を脱ると、目の前において、額を廊下に擦り付けた。
谷口新平も予期せぬ岡本平右衛門の行動に言葉を失った。
「さようなれば」新平は、二階の座敷をジロリと見上げると、捨て台詞を残して、そのまま肩をそびやかして足音高く立ち去った。

岡本平右衛門は、胸をなで下ろし安心した。が、それは早すぎた。
見物客の中には、徒目付松永弥一左衛門と小人目付岩崎忠七が居た。彼らはこのことを筆記していた。

岡本平右衛門は、絵島の元に戻り、この場を早く退散すべきと進言した。
絵島は、平右衛門の気遣いを知ってか知らずか
>「大事ない。気遣うに及ばぬ」
と、言った。この場で絵島に帰れとは無理だった。絵島の傍には新五郎がいるのだ。

「疲れた」
絵島の言葉を合図のように受け取ったのは、交竹院。
交竹院は聞き逃さなかった。休憩の場所を別に用意して、絵島と新五郎を山村長太夫の別宅の離れへ案内した。
狂宴はさらに続いた。
百三十余人の多勢では長太夫宅は狭すぎた。山村座の裏に山屋という茶屋があった。そこを借り切っての酒宴をするというのだ。
御徒目付岡本平右衛門は仰天した。
絵島は「大事ない心配はいらぬ。
酒宴は狂宴として二時間以上続いた。御徒目付岡本平右衛門の何度目かの催促をしたときは、外は昏れなずんでいた。
「帰る」絵島も、時間に驚いて、立つことの出来なくなった体を抱えられながら運ばれた。城に帰り着いた時刻は五ッ半(9時)を廻っていた。

この芝居遊びの一件を絵島は気に掛けていなかったが、世間は違った。
薩摩藩の谷口新平の一件は世間の俎上に載った。
町人達だけでは無い。膨れ上がった話は、徒目付松永弥一左衛門によって町奉行坪内能登守に報告されていた。
町奉行坪内能登守は、もともと大奥の振る舞いを不快に思っていた、老中秋元但馬守の意を受けていた。

処分が始まった。
絵島(33歳)は、永々遠流(エイエイオンル)
奥山交竹院(42歳)は、永々遠流 三宅島 高九百石
長太夫抱役者新五郎(生島)(44歳)は、流罪 三宅島
材木屋 浅草諏訪町 栖屋善六は、流罪 三宅島
奥女中 宮地・梅山・吉川は宿元へお預け
永のお暇となった女中は三百余人。
芝居関係者の処分は千五百余人にん
山村屋は取り潰し

秋元但馬守の処分は容赦なかったとは言え、死罪は出さなかったようだ。
月光院は、己が寵愛した絵島の処分にもの申した。
秋元但馬守をよびつけて
月光院と間部詮房の間は知らぬ者は居ない。その後ろめたさは、絵島の処分を流刑では無くどこぞの藩に預けることは出来ないかと掛け合った。
勇気を振り絞って、秋元但馬守は、はっきり断った。

「頼まぬ」月光院は最後の手段を考えた。
月光院は将軍の母である。
老中阿部豊後守が将軍に呼び出された。
子供の将軍は6歳。
>「絵島の島流しは止めよ。どこぞに預けるがよいぞ」
将軍の横でにっこり笑った月光院は、我が子が教えたとおり云ったことに満足した。
絵島は、信州高遠内藤清枚(ナイトウキヨカズ)にお預けになった。






2026年7月21日 記 
作品分類 小説(短編・時代/シリーズ) 17P×1000=17000
検索キーワード 長持ち・蒸籠・奥女中・芝居見物・歌舞伎役者・桟敷・代参・国侍・流刑・三宅島・盃・酒宴 
登場人物
絵島 奥女中。月光院の贔屓寵愛を受け、大奥で権勢を振るう。材木問屋栖家善六の大奥への浸入手段の標的にされる。
大奥という特殊な社会に生きていた絵島の隙を突くように交竹院の手が伸び、歌舞伎役者生島新五郎に夢中になる。絵島・生島事件の張本人。
生島新五郎 山村屋の歌舞伎役者。絵島の相手をするが、絵島の魅力にはまっていく。絵島との密会が表沙汰になり最後には島流しに処せられる。
月光院 六代将軍家宣の死後月光院となる。七代将軍家継の生母。先代 からの関係で、間部詮房を寵愛し、二人で側近政治の一翼を担うことになる。
家継(鍋松) 四歳で将軍になる。家継を名乗る。七歳で死亡。最年少将軍、将軍として最年少で死亡。母は、母は側室・於喜世之方。
間部詮房 マカベアキフサ。四歳になったばかりの「鍋松」が家継となって将軍を継いだので、前代からの関係で、間部詮房が政治の全般を取り仕切る。
独身、月光院と通じる。
栖屋善六 スミヤゼンロク。浅草の材木問屋。大奥に納入する薪炭の便宜を図ってもらうため策略を練る。奥山交竹院の知恵を借りながら、絵島に近づく。
奥山交竹院 奥医師。栖屋善六(スミヤゼンロク)の依頼で絵島との仲を取り持つ。多額の賄賂を得ている。絵島と生島新五郎の仲を取り持つ。影の策士。
岡本平右衛門 奥女中絵島らの一行の御徒目付役。絵島の粗相を解決すべく谷口新平に対応する。谷口新平の強い怒りに土下座で許しを請う。
谷口新平 薩摩藩の国侍。山村屋で芝居見物中に、絵島らの乱行に接する。絵島の酔ったあげくの行為で、盃の酒を掛けられる。立腹して、供の岡本平右衛門に詰め寄る。
山村長太夫 山村屋の座主。生島新五郎や団十郎などの役者を抱えていた。
松永弥一左衛門 徒目付。岩崎忠七と山村屋の芝居を見物していた。絵島らの一行の一部始終を見ていた。見聞は、町奉行坪内能登守に報告していた。
岩崎忠七 小人目付。松永弥一左衛門と山村屋の芝居見物をしていた。絵島らの一行の一部始終を見ていた。
坪内能登守 町奉行。秋元但馬守の意向を受けて、絵島・生島事件の捜査を担当する。山村屋の出来事は、松永弥一左衛門から報告を受けていた。
秋元但馬守 老中。絵島・生島事件の審議を担当する。関係者に死罪こそ命じなかったが、厳罰に処した。
阿部豊後守 老中。将軍家継の命で、秋元但馬守の下した裁可を変更した。幼子の将軍といえど、月光院の後ろ盾があり、将軍の命には逆らえなかった。

絵島・生島




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