【彩色江戸切り絵図】の作品紹介完結に当たって:素不徒破人
シリーズ作品だが、作品が年代順に並んでいるわけではない。
年代順に並べてみると
@1782年【山椒魚】 A1783年【大山詣で】 B1845年【女義太夫】 C1849年【蔵の中】 D1862年【大黒屋】【三人の留守居役】
【大黒屋】と【三人の留守居役】は、同時代の設定だと思う。
作品内容から【大黒屋/三人の留守居役】と【蔵の中】の関係が面白い。
「三人の留守居役」に登場する岡っ引き、「惣兵衛」と「蔵の中」に登場する「平造」の関係が、「蔵の中」に書かれている。
戯作者の「柴亭魚仙」を「平造」に紹介したのは惣兵衛である。
神田松枝町に住む惣兵衛という御用聞きから捕物の話を聞いていたのが病みつきとなり、惣兵衛の紹介で平造のところに来たのである。
▼年代の記述▼
@ 1782年【山椒魚】(「天明元年は米価の高騰で、早々から騒がしかった。」)
A 1783年【大山詣で】(天明三年のことであった。利右衛門にはおふでという今年二十五...)
B 1845年【女義太夫】(明確な記述はないが、弘化年間の初期だと考えられる)
C 1849年【蔵の中】(「嘉永二年の十一月二十二日のことだった。」)
(神田松枝町に住む惣兵衛という御用聞きから捕物の話を聞いていたのが病みつきとなり、惣兵衛の紹介で平造のところに来たのである。)
※C以前に平造は、『柴亭魚仙』を惣兵衛から紹介されていることになる。
今回のシリーズでは書かれていないが、時系列から考えると何らかの作品が存在することになるのが自然である。
しかし、『惣兵衛』がはじめて登場するのは、【大黒屋】である。
D 1862年【大黒屋】(「文久二年正月一五日の八ツ(午後二時)ごろのことだった。」)
時系列から云えば不自然である。
E 1863年(推定)【「三人の留守居役】にははっきりした記述がない。
ヒントは、
(「当節は倹約のお布令もたびたび」)
の記述である。
●倹約のお布令
財政緊縮を目的とする倹約令は、幕府財政の消長とほぼ並行して享保(きょうほう)の改革(1716〜45)以後とくに顕著にみられ、
ことに1783年(天明3)に財政緊縮令が出てのちは、7年、5年、あるいは3年間の期限付きで次々に延長され、
この法令はほとんど切れ目なく幕末に至っている。
概して享保、寛政(かんせい)、天保(てんぽう)の、いわゆる三大改革期は、風俗取締令と絡めて、とくに厳重な倹約令が断行された。
以上から、【三人の留守居役】は、享保・寛政・天保年間と推察されるが、範囲が広すぎる。天保年間、1830年代か?
最初に書いたように、そもそも年代順ではないので、それぞれを推定することは難しい。
本来ならと云うか、素人考えでは、設定年代は順番として【大黒屋】(又は、【三人の留守居役】)で、次に【蔵の中】ではないだろうか?
それぞれの作品の順番はともかく、【蔵の中】は、【大黒屋】(又は、【三人の留守居役】)後でなくてはと思った。
ただ、これもシリーズで書かれた作品だけでの感想なので、大したことではない。
一応作品の中も書かれている内容を基準に考えてみたが、80年間に及ぶ年代が設定されている。
清張は、作品の順番には興味が無かったのだろう。
−−−−−−(蛇足的まとめ)−−−−−−
全体の構成は、痛快娯楽時代劇ともいえる。
名探偵の岡っ引きと子分が登場する作品では謎解きが鮮やかすぎるきらいがある。
(惣兵衛・幸八/平造・弥作)
女を巡る色と欲の刃傷沙汰。痛快娯楽劇
作品名 |
作品の時代 |
登場する岡っ引きと子分・主な登場人物 |
年代の判別 |
第一話『大黒屋』 |
文久二年 1862年 |
惣兵衛:幸八・権太・熊五郎●すて |
文久二年正月一五日の八ツ(午後二時)ごろのことだった。 |
第二話『大山詣で』 |
天明三年 1783年 |
(兵助・久太郎●おふで) |
天明三年のことであった。利右衛門にはおふでという今年二十五 |
第三話『山椒魚』 |
天明二年 1782年 |
(源八・庄太●お種) |
天明元年は米価の高騰で、早々から騒がしかった。 |
第四話『三人の留守居役』 |
文久二年 1862年 |
惣兵衛:幸八・権太/柴亭魚仙●長丸●蔦吉 |
※当節は倹約のお布令もたびたび |
第五話『蔵の中』 |
嘉永二年 1849年 |
平造:弥作・亀吉/柴亭魚仙●お露 |
嘉永二年の十一月二十二日のことだった。 |
第六話『女義太夫』 |
弘化二年 1845年 |
(与吉●与吉) |
※弘化年間の初期だと考えられる |
2021年9月21日記
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