清張作品の題名は「黒の...」とか「霧の旗」・「波の塔」など「の」が多く使われている。
ぼんやり題名の特徴などを考えていたと、きその特徴を整理してみようと思い立った。
まさに蛇足的考察である!
No009 | 05/01/30 | ●清張作「火曜サスペンス劇場」... 「なぜ「星図」が開いていたか」・「一年半待て」 |
火曜サスペンス劇場 >(1月25日・「箱根湯河原温泉交番芸妓の涙・記憶喪失の娘が夢見るおでん屋台 >と肝っ玉女将が弾く因縁の純愛三味線」) ではないが、題が直接的に内容を表している。 清張作品では比較的珍しいものである。珍しいというより特別である。 内容を具体的に示し、テーマを直接小説の題としている。 少し調べてみた。比較的近い作品として 無宿人別帳の第五話「俺は知らない」1958年月 隠花の飾りの第四話「見送って」1978年5月 隠花の飾りの第八話「記念に」1978年10月 草の径の第八話「夜が怕い」1991年2月 などが上げられる。これらは、「ゴロ」が似ているのであって内容は確認していない。 「なぜ「星図」が開いていたか」は、1956年8月の作品 「一年半待て」 は、1957年4月の作品 どちらも題名が「そのまま」、小説内に出てくる。この二つに入れるとすると、「俺は知らない」 だろう。1950年代の作品である。 「清張的」な題の付け方ではないが、興味深い。いずれも短編やシリーズ物なので 発表後、単行本として出版されることはないし、直接に本の題名にはなっていない。 直接題にするにはふさわしくないのか。 「なぜ「星図」が開いていたか」は「遠くからの声」 「一年半待て」も他の物に収録されている。 インパクトが強すぎるのか? 2005年01月30日記 |