松本清張_付論_聖徳太子の謎

題名 付論 聖徳太子の謎
読み フロン ショウトクタイシノナゾ
原題/改題/副題/備考 【重複】〔大和出版=わが人生観 私のものの見方 考え方〕

付論
●古代史の空洞をのぞく
●高松塚壁画の年代推説
●高松塚の製作年代再論
聖徳太子の謎
●私の万葉発掘
●上毛野国陸行

本の題名 松本清張全集 33 古代史疑・古代探求【蔵書No0116】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1974/03/20●初版
価格 1200
発表雑誌/発表場所 「太陽」
作品発表 年月日 1972年(昭和47年)10月号
コードNo 19721000-00000000
書き出し 『日本書紀』に見える聖徳太子の生誕と逝去の記事は超人讃仰の説話に飾られている。用明天皇の皇后の穴穂部間人皇女が臨月の身で禁中を巡行し、諸司を監察して馬官(うまのつかさ)に至ったとき、思わず厩の戸に突き当たり、そのはずみで無痛分娩した。これが厩戸皇子である。下に記すように豊耳聡聖徳ほかいくつもの別名がある。生まれてすぐ能くものを言った。聖の智識があった。壮年になってからは、いちどきに十人の訴えを聞いて、少しも混乱することがなかった。将来のことに判断が正しいかった。壮年とはこの皇子が皇太子となり、政治を総摂する地位についたときのことをいう。その逝去は『書紀』による推古二十九年(六二一)春二月五日、斑鳩宮であった。上は諸王から下は百姓にいたるまで、老人は愛児を失ったように塩酢の味、口にあれど嘗めず、少年の者は慈父母を失ったように泣き、みなみな仕事が手につかず「日月光りを失い、天地はすでに崩れた、これからのちは誰を頼りとすればいいのか」と嘆き悲しんだ。
作品分類 随筆/古代史
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