松本清張_付論_高松塚の製作年代再論

題名 付論 高松塚の製作年代再論
読み フロン タカマツヅノセイサクネンダイサイロン
原題/改題/副題/備考 【重複】〔日本放送出版協会=清張 古代史記〕


付論
●古代史の空洞をのぞく(600__01)(原題)(重複@)
●高松塚壁画の年代推説
高松塚の製作年代再論(602__01)(重複@)
●聖徳太子の謎
●私の万葉発掘
●上毛野国陸行
本の題名 松本清張全集 33 古代史疑・古代探求【蔵書No0116】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1974/03/20●初版
価格 1200
発表雑誌/発表場所 「朝日新聞」夕刊
作品発表 年月日 1973年(昭和48年)6月29日
書き出し さきごろの朝日新聞は、今回来日した中国歴史学者一行と橿原考古学研究所所長末永雅雄氏ら日本側考古学者とが高松塚の壁画について討議した内容を報道している。それによると、壁画の男子がかぶっている帽子は唐風のもので、その帽子が山型になっているのは唐では七一〇年ごろに流行し、七一二年に玄宗皇帝が即位した後、官僚から一般民衆にいたるまで、この型の帽子に統一するようにとの命令が出ているので、その時期を考えて高松塚壁画は平城京遷都(七一〇年)以後であろうと中国学者側が指摘したという。この指摘はまだ検討を要するので決定的ではないが、中国側の年代の推定がわたしには興味深く思えた。というのは、私も「高松塚壁画の制作は八世紀の前半とはいわないがそれに近いところまで下げてよい、すなわち文武天皇の没後、奈良期に入ってから」(朝日新聞四十七年四月十九日付の拙稿)と書き、「七一〇年に都が平城に遷る。そのあとの七二〇年から三〇年代としたほうが適当ではないかと思う」(四十七年九月、中央公論社刊『高松塚古墳と飛鳥』所収(シンポジウム)と発言しているからである。
作品分類 随筆/古代史
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