紹介作品 No_147  【微笑の儀式】


 

紹介作品No 147

【微笑の儀式 【週刊朝日】1967年(昭和42年)3月3日号~4月21日号
春の終わりから夏の初めに移る季節だった。鳥沢良一郎は、奈良から橿原神宮方面行きの電車に座っていた。車窓に動く午前の明るい陽射しは彼の白髪をきらめかせた。彼は、その陽のぬくもりを肩に愉しみながら本を読んでいた。鳥沢良一郎博士は、ある大学の法医学教授を二年前に退職した。今では別の大学にときどき講義に行く以外、べつに忙しい仕事も持たない。いや、もう一つ、大学の講義以外に、警視庁の科学捜査研究所の嘱託という名で、十日に一回ぐらい、警視庁に話をしに行っているが、これは前に関係の深かった法務関係の人たちから特に頼まれたもので、いわば余生の片手間だった。鳥沢博士は教授のころ、裁判の鑑定をずいぶん頼まれた。彼は血液型の研究が専門で、その方面では世界的な学説を出している。鳥沢理論というのは、現在でも法医学に業績を固定させている。遺伝も彼の専門となっている。鑑定もそうした方面が多いが、もちろん、それだけに限定されたのではない。裁判鑑定はあらゆる分野のものを引き受けなければならなかった。●蔵書【松本清張全集9】(黒の様式)文藝春秋社●「週刊朝日」1967年(昭和42年)4月28日号~6月30日号

読み始める前にとんでもない勘違いをしていた。
清張に「喪失の儀礼」と言う作品がある。テレビドラマにもなっている。私はそれを見ていた。
なんとなくだが筋書きを覚えていた。
「微笑の儀式」が「喪失の儀礼」と混同していたのだ。内容的には全く関係ないし、共通点も見いだせない。
ただ、字面が似ている。無理矢理の言い訳だが、発音が同じように聞こえる。
少し読んでみて違うなと感じた。「微笑」が気になり調べると、「式場の微笑」があった。こちらには全く覚えが無い。
奇妙な先入観から読むことになった。

鳥沢良一郎は、法医学の教授。奈良法隆寺への気ままな旅行のようだ。
しかし、職業柄なのか電車の中で広げている本は専門の雑誌だった。
最初は専門誌の内容が紹介されていて、プロローグと言える。
事件の説明で、自殺であろう女性の使用した毒物が特定されていない。(なんだか、「帝銀事件」を思い出させる)
>博士はここで日本のある著名な裁判の判決文に
>「被告がかねてより所持し居たる毒物」という文句のあるのを思い出し、毒物の入手経路がわからないときは、
>洋の東西を問わず同じような表現を用いるものだと思った。
>アメリカの雑誌の報告例は自殺だが、日本のその判決は他殺事件であった。


法隆寺へ向かう。
「金堂」「釈迦三尊像」「伝法堂」「八角堂」等の説明は、鳥沢良一郎の眼を通して、清張の知識が存分に語られている.
止利様式」とか「古抽の笑い」とかなかなか馴染めない。
しかし、それが博士が電車の中で読んでいた専門書と繋がるのだ。

その内容は、プロローグが大きく発展していくための助走になっていくのである。
助走は軽くジャンプすることになる。
仏像を眺める、鳥沢博士に声をかける者が居た。
>「素晴らしいですね」
>「まったく立派なものですね」 鳥沢博士は、同意して答える。
背の低い、三十五,六歳のがっちりした体格の男。
鳥沢博士は、男から仏像の「微笑み」について蘊蓄を訊かされる。

男は、「古寺巡礼」の一節を暗唱していた。それは、博士に訊かせるともなく、呟いているようでもあった。
>「あなたは古い仏像がお好きですか?」
鳥沢博士の問いに「好きです」と仏像に目を向けたまま答えた。
男は、仏像の「微笑み」にとり憑かれていると言うのだった。
男の蘊蓄は続く、モナリザの微笑みなどに比較しながら、それこそ、憑かれたように熱弁を振るう男だった。
男に付き合っていた鳥沢博士だが、「お先に」と声をかけて、別れた。

三日後に東京に帰った鳥沢博士は、警視庁の科学研究所に出掛けた。そこで講演する予定があった。
聴講生に警察大学のしきたりにならって、講師として講義をするのだが、奈良での仏像について講義する
訳にもいかないが、犯罪学雑誌の報告書にある「ミス・コーラミヤ」の微笑に繋がる話になることは避けられなかった。
ミス・コーラミヤ事件について三点に絞って話した。
①死者は、その状況から判断して、自殺か、他殺か
②死者の微笑は、医師の診断では「笑筋痙攣」とされたが、ストリキニーネとの相互関係の説明
③死者の口辺を汚染していた、赤い物質の正体とスプーンに付着していた同様の赤い物質は?

秋になった。
新聞記事に、展覧会開催の記事を見つける。「微笑」と言う名の作品が眼に止まる。
作者は、新井大介。批評の中に「古抽の笑い」の文字を見つけ、法隆寺での出来事を思い出した。
「微笑」と呼ばれる作品は、かなりの高評価で、讃えられていた。
鳥井博士の中で、「背の低い、三十五,六歳のがっちりした体格の男。」が新井大助と結びつく。
家族には散歩と称して、展覧会に出掛けることにした。

「微笑」とされる作品の前に立ち見入っている博士の耳に、感嘆する観覧者の声が聞こえる。
突然肩を叩かれる。
振り向くと、予期した顔が映った。
>「やはり、いらしていただけましたね」 新井大助
>「やっぱりあなたでしたか」 鳥沢良一郎
鳥沢博士は、「おめでとう」と、初入選を祝った。
※実は、何度か出てくる、「古抽の笑い」が理解出来ない。
(読み方も分からない/アーケイック・スマイルのルビを頼りに調べる)

鳥沢博士は、心から賛辞を送ったが、問題はこのような作品が再生産されるかどうかだろうとも思った。
作者の新井は、友人から声をかけられ、頭を下げながら離れていった。

鳥沢博士は、また、声をかけられた。「失礼ですが」
振り向くと、顔の長い、痩せぎすの、背の高い、三十五,六の男が立っていた。眉の薄い頬骨の張った顔だった。
男は、話しかけるとき、先生と呼んだ。
鳥沢は、顔に覚えは無かったが、先生と呼んだのは、作者の新井と話していたので、
美術評論家とでも勘違いしているのだろう。
男は、素人らしくいろいろ話しかけてくる。
博士は、その場をそっと立ち去ろうとしたが、男はひきとめるように話を続けた。
>「先生、この彫刻家はこのモデルをどこから探してきたんでしょうかね?」
如何にも素人らしい質問に
鳥沢博士はモデルを問われたので、岸田劉生の「麗子微笑」に似ていると思い当たった。
博士は、この場を立ち去る目的もあって、時計をのぞいた。
男は、「先生、先生」と博士の気配を感じながら続けた。
>「.....実は、ちょっと内密にお話したいことがあるんです」
語調は丁寧だが、博士をつかまえて離さない力を感じさせるものがあった。
男は、「微笑」の作品がデスマスクから型盗ったものでは無いかとの噂を話し始めた。
さらに、「微笑」の像に似た顔の女性がこの夏に死んでいるのだと話した。
話は、法医学の鳥沢良一郎の分野につながり始めた。
男は自己紹介をした。
>「先生、実を申しますと私はこういう者です」
差し出す名刺には、「共福生命保険株式会社調査室 島上忠太郎」となっていた。
島上忠太郎は、鳥沢博士の素性を確認もせず、話し始めた。
「似た顔の女性」の死亡保険の支払いに関して、調査しているようだった。
島上の話に迷惑そうな鳥沢博士だが、話を続ける内容は、鳥沢博士の職業柄釣り込まれていくような内容だった。

話の内容は、三段跳びで言えば、ホップからステップに移る内容と言えた。
「微笑」の作者、新井大助と死亡した、宅間添子(ソイコ)という女、米兵のオンリーらしいのだが、
関係は発見されていない。死因は窒息死らしい、ドライアイスが原因とされている。
話が進むにつれて、博士の専門分野になっていく。
>筋肉の硬直はどうだったのかな?」
博士の言葉に、調査員の上島の目つきが変わった。
さすがに、鳥沢博士は、このまま勘違いをさせておく訳にはいかず、名刺を出した。
保険調査員は博士に改めて頭を下げ、「たいへん失礼しました。
わたしはすっかり美術関係の先生だと思っておりました」
調査員の上島は、鳥沢博士の正体を知ると別の意味で関心が湧いてきた。
それは、ある意味、鳥沢博士も同じだった。
宅間添子の死亡状況や保険金についても上島から話を聞く。
宅間添子は、二十六歳、新潟生まれ、東京の某女子大を卒業したが、どういうわけか、米兵のオンリーになる。
受取人が、父親で、六十七歳になる。散々親不孝をしてきたから、せめてもの気持ちで生命保険を掛けた。
調査員の上島は、彫刻家の新井を疑っているようだが、まだ新井には会っていないと言った。
鳥沢博士は、新井に聞いたところで、デスマスクをとったなど否定するに決まっている。
それより、有らぬ疑いを掛けられて、才能ある
若者の作家的生命を奪うことになりかねないので、穏便に済ませてくださいと上島に頼んだ。

鳥沢博士は、警視庁のいつもの会合に出席していた。鑑識課の石井警部補を引き留めて、
彫刻の展覧会を見ることを勧めた。余り積極的で無い石井警部補に、展覧会で出逢った上島との話を聞かせた。
そして、神奈川県警管轄の事件だが、詳しいことを調べてくれと頼んだ。
警察内の話だからだろうが、仕事は早かった。
石井警部補から報告に覗いたいと連絡が入り、二人は目白の鳥井博士の家で会った。
宅間添子の相手がリッチモンドという航空将校で、ドライアイスの炭酸ガスの件も詳しく報告してきた。
基本的には、上島から聞いた話と大差なかった。
しかし、話の内容は、宅間添子の周辺の関係者を詳しく調べていて、新しい事実がいろいろ語られた。
アパートは、桜アパート。管理人は沢村正太郎。近くの部家に岡島という会社員。
警察は保険金のことまで調べ上げていた。
鳥沢博士の興味を惹いたのは、管理人の沢村が岡島に宅間添子の死に顔を写真に撮らせたことだった。
死に顔がほほえんでいたので、父親に見せてやりたくて岡島に撮らせたというのだ。
沢村は、添子の父親が添子を訪ねて来たこともあり
顔見知りであった。写真を警察は見ていないという。
鳥沢博士の想像は、その写真を元に新井が「微笑」を制作したのではないかと言うことだった。
すると、岡島と新井はかねてから知り合いと言うことになる。
博士の興味は尽きない。岡島の職業を問う。彼は広告代理店に勤めていた。
広告代理店という職業から、彫刻家の新井との関連を夢想する博士は、さらに岡島について聞こうとするが、
神奈川県警のことで石井警部補もそれ以上の情報は持ち合わせていなかった。
二人の話が行き詰まったとき、石井警部補は、遠慮そうに話を継いだ。
博士の講演で聴いた、アメリカの事件、「ミス・コーラミヤ」の件を持ち出した。
彼は、その事件が今度の宅間添子の死亡事件に似ているというのだ。さらに思わぬことを言い出した。
宅間添子の死に顔の写真を神奈川県警の鑑識の人間に頼んであると言った。「なに、写真を?」
博士は驚いたが、考えてみれば、行政解剖をしているので当然警察は死体の写真を撮っているのだ。
見たいと思った。それはすぐに実現した。

話はジャンプした。
石井警部補から手紙が届いた。
先日の報告からさらに詳しい内容だった。
管理人の沢村庄太郎について...五十四歳、妻は春子。世話好き。
岡島初男...二十七歳、独身。評判もよくもうじき係長だと言われていた。カメラ狂
宅間平造...六十七歳、田舎で一人農業をしている。妻には五年前に先立たれている。
子供は、二人だが長男は10年前に死亡。添子だけ。
宅間添子...新潟で育つが、成績も良く、東京の女子大へ進む。英語が得意で、貿易商社に勤める。
失恋から米兵のオンリーになる。

鳥沢博士は少し長い散歩に出掛ける。小田急線で向かった先は、桜アパート。厚木駅を降りた。
タクシーで向い、近くで降ろしてもらった。運転手は桜アパートを知っていた。
アパートは、建物を外から眺めただけであった。運転手を待たせていた。
運転手は、博士を待っている間に、ベレー帽の男と立ち話をしていた。
鳥沢博士は、それが気になり、聞いて見た。運転手は「ええ、あの男は彫刻家ですよ」 「なに、彫刻家?」
近くに住んでいるらしい。窪田亀一といった。窪田は、親のスネかじりで仲間が東京からやってくる。
鳥沢の質問は続いた。新井という男を知らないか? 運転手は新井を知っていた。
女の出入りは無かったようで、宅間添子も知らなかった。ただ、桜アパートで女が死んだことは知っていた。

再び石井警部補から手紙が届いた。
確信に近づいている内容だった。新井大助は、窪田亀一の所へ遊びに行っている間に、宅間添子を見かけていた。
そしてモデルの依頼をしていたのだった。
石井警部補の手紙は、宅間添子の死に疑問を抱いていて、捜査に着手している証拠でもあった。

宅間添子の死は、事件として結末に向かって進む。着地に向かうのだった。
石井警部補は鳥沢博士の家にやってきた。
新井大助は、宅間添子の死に顔の写真を管理人の沢村庄太郎から貰ったと白状した。沢村も認めた。
それは、余りにも新井が添子に熱心だからに他ならなかった。
鳥沢博士は、多少疑問に思っていた。それは、宅間添子の死に、新井大助が関与しているのではないかという疑問だった。

石井警部補が、神奈川県警捜査課元田警部補を伴い、鳥沢博士の家を訪ねてきた。
関係者の事件当日の行動が詳しく話された。管理人の沢村、新井大助、窪田亀一、宅間添子等の行動が時系列に話されただ
少し矛盾が残った。

最終的な結末までには一、二転する。ドライアイス・プロパンガス・笑気ガス・デスマスクそれらの関連性が明らかになる。

再び、石井、元田両警部補が鳥沢博士の家を訪れる。
ふたりは、事件解決のお礼を言った後、先生は何故「ガスについて気づかれたのですかと聞いた。
博士は、「微笑」について、微笑を浮かべながら話し始めた。
謎解きは、「微笑」にまつわるトリックと言って良かろう。
最後に、鳥沢良一郎博士は、『微笑の儀式』という言葉を口の中で呟く。


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▲理解のための事典▲
ストリキニーネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(−)-ストリキニーネ
ストリキニーネ (strychnine) はインドールアルカロイドの一種。非常に毒性が強い。
IUPAC許容慣用名はストリキニジン-10-オン strychnidin-10-one。ドイツ語ではストリキニン (Strychnin)。
1948年にロバート・バーンズ・ウッドワードにより構造が決定され[1]、1954年に同じくウッドワードにより全合成された。
化合物の絶対配置は1956年にX線結晶構造解析により決定された。

止利様式(トリヨウシキ)
「止利様式」の特徴は際立っており、他の「彫刻」とは「鮮明に識別」できるという。「止利様式」の最も代表的な作品は、「朝鮮渡来人」の
「蘇我氏」の「氏寺」である「飛鳥寺」の本尊「飛鳥大仏」である。また、「法隆寺」の金堂に安置されている「釈迦三尊像」である。
いずれも「重要文化財」「国宝」に指定されている。

■「古抽の笑い」(アーケイック・スマイル)
アルカイク・スマイル(アルカイック・スマイル、英: Archaic smile)は、古代ギリシアのアルカイク美術の彫像に見られる表情。
紀元前6世紀の第2四半期に例が多い。顔の感情表現を極力抑えながら、口元だけは微笑みの形を伴っているのが特徴で、
これは生命感と幸福感を演出するためのものと見られている。写実主義の視点で見ると不自然な微笑であるが、
前時代に比べれば自然主義に近づいている。アルカイク・スマイルの典型例として有名なクーロス像(英語版)は、
クロイソス・クーロス(英語版)である。アイギナ島のアパイアー神殿で見つかった瀕死の戦士の像も、興味深い例である。


アルカイク(archaic)は古代ギリシア語のarche(古い)から派生した語で、意味は「古拙」に近い。
古代ギリシア(およそ紀元前600年 - 紀元前480年)期を通じてアルカイク・スマイルが彫刻が見られるが、
広く彫刻されたのは紀元前5世紀中頃から遡って2世紀ほどの間である。ギリシアだけではなく、エーゲ海周辺で広く見つかっている

アテネのアクロポリスで見つかったモスコフォロス (en) 。紀元前570年頃
アルカイック時代はいかに静止像に動きを与えるかが造形課題であった。そのため、生命感の表現としてアルカイック・スマイルが
流行したと考えられる。クラシック時代になり直立不動の立像から、体重がかかる支脚ともう一方の遊脚によってコントラポストと
呼ばれる自然で生命感のある表現が可能となると、アルカイック・スマイルは自然と消えていった。

アルカイック・スマイルはまた、古代日本の飛鳥時代の仏像にも見られ、例えば弥勒菩薩半跏思惟像の表情はアルカイク・スマイルであるとされることが多い。

弥勒菩薩半跏思惟像【広隆寺の宝冠弥勒】


   


※微笑について
三つの微笑みの違いがなんとなくだが分かる気がする。分かった気がしているだけかもしれない。

■『古寺巡礼
『古寺巡礼』(こじじゅんれい)は和辻哲郎の著作。
「この書は大正7年の5月、2,3の友人とともに奈良付近の古寺を見物したときの印象記である。」
と、著者による昭和21年7月付けの改版序文にある。


登場人物

鳥沢良一郎 法医学の教授。趣味で法隆寺の仏像を見に行く。仏像を見学中に新井大助から声をかけられる。展覧会で新井大助と再会する。
法医学の専門家として新井の作品である「微笑」に興味を持つ。
小説では、探偵役で事件を見届けることになる。
新井大助 背の低い、三十五,六歳のがっちりした体格の男。彫刻家。自ら「微笑」に取り憑かれていると言うほどのめり込んでいる。
「古抽の笑い」を追及する中で、宅間添子に巡り会うが、モデルの希望は断られる。偶然宅間添子の死に遭遇しデスマスクを取ることになる。
デスマスクは、彼の作品「微笑」に反映される。作品は展覧会でも高評価を得るが、命取りになる。
上島忠太郎 共福生命保険株式会社調査室の調査員。展覧会で鳥沢博士と出会い、勘違いから声をかける。
顔の長い、痩せぎすの、背の高い、三十五,六の男。眉の薄い頬骨の張った顔
鳥沢博士を美術関係の先生と勘違いするが、「法医学博士」である事を知りむしろ興味を持ち話をする。
宅間添子 女子大を卒業しながら、失恋を契機に米兵のオンリーになる。桜アパートで暮らす。新井大助のモデルの依頼は断る。
大量のドライアイスで事故死?をする。死に顔が微笑んでいるように見えることが事件を複雑にしていく。
新潟に父親が居る。自分に、多額の死亡保険を掛け、受取人は父親にしていた。
宅間平造  添子の父親。妻には10年前に先立たれ、一人で農業をしている。添子が死亡したことにより保険金の受け取りを請求する。
自殺の可能性も有り、保険金がなかなか受け取れない。
添子の生前、訪ねていくが相手にされない。添子には、米兵のオンリーになってしまった事への負い目があるのだろう。
村沢庄太郎 桜アパートの管理人。五十四歳、妻は春子。世話好き。様々な職業を経験しながら今は、管理人として生活している。
アパートの住人である宅間添子に関心を寄せている。新井大助とも顔見知り。宅間添子の死亡や新井大助の関係など事件の鍵を握る。
岡島初男 桜アパートの宅間添子の隣室に住む。二十七歳、独身。評判もよくもうじき係長だと言われていた。カメラ狂
管理人に頼まれて、宅間添子の死に顔を撮る。添子とは特別な関係は無かった。
石井警部補 警視庁鑑識課の警部補。鳥沢博士の兼ねてからの知り合いで、警視庁の会合で、鑑識課の石井警部補を引き留めて、彫刻の展覧会を見ることを勧めた。
石井は、美術や彫刻には興味は無かったが、鳥沢博士の話には興味を持った。
仕事上でも親密な付き合いがるようだ。鳥沢博士の情報から神奈川県警の事件だが調べていく。博士の要望に的確に応えながら真相に迫る。
窪田亀一 新井大助の彫刻家仲間。親のスネかじりで、芸術家気取りで生活している。

研究室への入り口