門札に「生駒才次郎」と典雅な筆蹟で書かれてあった。
才次郎の姉である、桃世の手で揮毫されたものだった。
少ない登場人物であるが、容貌の描写は詳しい。
生駒才次郎:その人物の特徴は彼の横顔に著しい。髪はうすくなっているが、いつもきちんと櫛目が
入っていた。
面長な顔の真ん中に、秀でた額と高い鼻梁があった。眉も目も優しいし、唇のかたちもいい。
もっとも、その容貌は老いを加えていた。皮膚が弛んで、皺が多い。秀でた眉の間にも深い
縦皺が走っていたし、目の下には垂みが出ていた。頬は窄み、顎のほうは、皮膚のゆるみの
加減で皺が重なり寄る。
...さらに続いて、無残な凋落を深めているのである。
...そして、美男子ほど老いの哀れさを容貌に見せるものである。とつづく。
生駒桃世:六十ばかりの上品な老婆がいるが、...老婆は色が白く、身体が華奢で、背がすんなりとして
いた。銀のような白い髪を切下髪にし、絶えず上品な微笑を面上に漂わせている。
老婆の目鼻立ちは女だけにずっと優しい。近所の人と遇って話をするときは、口を窄め、目を細
めて話しかける。
...言葉も美しかった。今日ではすでに稚語となっている、いわゆる「あそばせ」調でだった。
外に出るとき、必ず紫色の被布を着ていた。今では、大正の風俗雑誌でしかお目にかかれない
被布も、今の若い人が首を傾げるくらい、生地がよく判らなかった。...「この衣装は」の質問に
「これはみんな、わたくしが若いときに、奥方さまから頂戴した物です。そのほか、殿様からも戴き
物がありましたが、今ではこれだけになりましたよ」
「十六の年に、御殿に奉公に上がりましてね」...
お染(生駒お染):この家にはもう一人の老婆がいた。五十七歳で、才次郎は彼女のことを「おねえさま」と
呼んでいるが、実際の姉弟ではない。(才次郎の亡兄の嫁)
...この老婆はお染と云った。このほうは普通の老婆の顔つきである。額が広く、眼が
窪み、頬骨が張って下唇が突き出ている。桃世と並べると、まるで付き添いか、雇い
婆やとしか見えない。
おもな登場人物は、三人以外には家政婦の村上光子と才次郎の友人(橋村)、近所の人、最後に事件の
捜査関係者だけである。
なんとなく「横溝正史」の世界を彷彿とさせる。生駒家のたたりじゃ!...
しかし、作品は清張の世界に入っていく。
近所の噂話と家政婦の村上光子の話で生駒家の内情が明らかになる。
桃世は、他人に話すとき、お染の名前を云わなかった。「うちの嫁が」と話す。才次郎の嫁の意味ではない。
「うちの嫁は、どうも言葉や行儀が悪うございましてね」と云うのが口癖だった。
才次郎は独身。銀行勤めでかなりの高給らしい、才次郎の稼ぎで暮らしているようだ。
桃世は、近所では
「才次郎が可哀そうでございましてね。わたくしは何とかいい嫁をもらってやりたいとおもっているのでござい
ますよ」と話す。これも桃世の口癖だった。
近所の世話好きな人が縁談を持ち込むこともあったが、見合いまでは行くが才次郎は断ってきた。
その拒絶が一再でなかったため、噂が立つ。
「才次郎さんは不能者ではないか」「不能者か半陰陽(ハンナリ)では」
噂は尾ひれをつけて広がる。
生駒家ではお染がすべての炊事を受け持っていた。
>ただ、五十七歳ではさすがに買物など間に合わず、近くから三十七、八の通いの手伝い女を雇った。
村上光子である。
登場人物の年齢が今日の状況と違和感がある。十歳程度上乗せをして考える必要がありそうだ。
村上光子の登場で、光子の眼から生駒家の内状が明らかにされる(紹介者の感想)。
毎日の炊事を受け持つお染への、桃世の叱責である。
さほどの不始末でもないのに、お染は三つ指をついて謝らされた。
>「しょうがない人ですね。あなたのご両親は、そんなだらしない行儀だったのですか?」
>五十七歳の老婆は小女のように叱られるのだった。
お染は口応え一つしなかった。桃世の反駁を恐れてのことである。
ただ、お染は密かな楽しみがあった。
桃世と才次郎の姉弟喧嘩である。普段は仲のよい姉弟が喧嘩をするのである。
桃世はお染を叱責する時のようになるのである。
ひとたび喧嘩が始まると、激しい闘争になった。
>桃世は甲高い声を出して才次郎に喚き散らす。罵詈雑言する。日ごろの典雅な言葉は、彼女の
>語彙から放逐される。どうしようもないといった格好で暴れ狂うのだった。
諍いの原因の多くは、
彼女が庭に馴らしているトカゲのことだった。夏になると、カエルがこれに加わる。
桃世の狂気が次第に裏付けられる。
才次郎は爬虫類が嫌いである。
二人の喧嘩の場面が壮絶である。が、ユーモラスでもある。
桃世は昼間、近所を歩き
「お宅にハエはいませんかね?ハエがいたら、分けて下さいまし」
トカゲの餌を集めているのである。
最初は、何のことだか分からなかったが、目的が分かると、どの家でも怖気をふるった。
生駒家にはハエがほとんどいなくなり、近所回りは村上光子の仕事になった。
桃世では御免であるが、女中である村上光子なら歓迎である。
生駒家への興味から内部の事を知りたいのである。
問われれば、村上光子は、「顔にうすら笑いを泛べ、遠慮がちに話し出す。遠慮がちといっても、
それは一応体裁だけで実はしゃべりたくてしょうがないふうだった。...」
生駒家の内状は筒抜けである。
桃世の独裁ぶり、才次郎も手を焼く。気の毒なお染
しかし、お染もしたたかである。
桃世と才次郎の姉弟喧嘩が、お染の楽しみであった。それは村上光子も同じである。
『熱い空気』(家政婦は見た)のようなシュチエーションである。
生駒家には見事な茶碗や皿類などがあった。
皿など組み物で、たまに、お染がその一枚を壊すと、桃世は激怒して残りをすべて庭石にたたきつけるの
である。桃世には組物が一枚でも欠けることは我慢ならないのである。
土下座をして謝るお染であるが、村上光子には、せせら笑って云う。
「あの婆さんは狂気だからね。そのうち、このうちの皿をみんな割らせ見せますよ」
桃世の狂気は、お染に毒を盛られて殺されると光子が話す。猫を飼い毒味をさせる始末である。
近所のものは無遠慮に聞く。
「才次郎さんは、どうして奥さんを貰わないのですか?」
噂話にかこつけて、「才次郎さんは不具者じゃないかって」
光子は曖昧な笑いを泛べて、「さあ、そんなことはよく分かりません」と答える。
...人間が何かを知っているときの特別な表情−−−をしながら。
桃世は近所の人と道で出逢うと、
「忙しくて忙しくて、仕方がないんでございますよ」と云う。何が忙しいのか、見当がつかない。
桃世の狂気は、これでもかこれでもかと描かれる。
才次郎が産婦人科医院へ入っていくのが目撃される。
事件が起きる。
桃世が殺された。
電報を使ったトリックである。
今日で考えられないトリックなので割愛する。
推理小説のトリックは、時代を直接的に反映する。種も仕掛けも時代そのものなのである。
清張作品といえども古びてくるのは仕方がない。
おもしろみという意味では半減するが、それでも清張作品が支持されるのは、時代背景には左右され
ない人間の営みに根ざした『動機』が書き込まれているからであると考える。
トリックの小道具は、電報と名古屋から上京してくる友人の松村である。
電報と云えば『時間の習俗』『葦の浮船』にも登場するし、清張作品には時々小道具として使われる。
動機が考えられるのは、お染である。が、犯人は才次郎である。
才次郎に持ち込まれる縁談を断っていたのは桃世だった。
才次郎に女(妊娠)ができる。桃世がいる限り結婚できないと考える才次郎。
事件の取調官は村上光子の話などから、桃世と才次郎には一種の近親相姦の関係があったと想像した。
才次郎は顔を赤らめそのことには答えなかった。
考えてみれば、主な登場人物(女)は誰も不幸だともいえる。
桃世にしても、十六の歳から奉公に出る。お染は未亡人、義弟の才次郎にやっかいになる。
村上光子も夫に先立たれ、子持ちの未亡人。
才次郎の女は中絶をさせられる。
むしろ、才次郎だけが...
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●1960年代の鳥居坂上(六本木5丁目)から望む ●2014年4月の鳥居坂下(麻布十番)より望む
※上、左側の写真(1960年代の鳥居坂)より
写真は左右が逆転しているが、写真を見てびっくり、人通りが多い。
車は今日の方が多いが、道幅など同じだと思う。
以下は「薄化粧の男」(「影の車」第三話)の登場人物(草村卓三)である。
>若いときの美男子が年を取って衰えたときほど哀れなものはない。 >かつての美貌には皺が波立ち、皮膚がたるみ、衰弱が到るところに顕れている。 >ところが、草村卓三自身は、まだ自己の美貌に自信をもっていた。これは滑稽な話話だが、 >頭髪を黒く染めただけではなく、彼は淡い色の着いた眼鏡を掛け、ときには己れの顔に
>薄化粧を施したりした。
2014年04月25日 記
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