(原題=死神)
題名 | 青春の彷徨 | |
読み | セイシュンノホウコウ | |
原題/改題/副題/備考 | 【重複】〔(株)新潮社=共犯者〕 (原題=死神) |
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本の題名 | 青春の彷徨■【蔵書No0066】 | |
出版社 | (株)光文社 | |
本のサイズ | 新書(KAPPANOVELS) | |
初版&購入版.年月日 | 1964/04/20●7版1978/12/20 | |
価格 | 580 | |
発表雑誌/発表場所 | 「週刊朝日別冊」・時代小説傑作集 | |
作品発表 年月日 | 1953年(昭和28年)6月 | |
コードNo | 19530600-00000000 | |
書き出し | 四人がマージャンをしていた。夜更けのことである。主人は医者。客は友人。宵の口からはじめて徹夜覚悟で、もう何荘めかである。急に犬が吠えだすと一緒に玄関の扉がどんどんと叩かれた。「なんだろう、電報か。」と、男の一人が自模った杯を宙に持ったまま主人の顔を見た。主人は少し渋い顔をして苦笑した。「ばかだな。今時分、医者の戸を叩くのは急患にきまっている。」夜食の用意を台所でごとごとしていた奥さんが出ていって、玄関で二言三言話していたが、やがて座敷に入ってきた。「あなた、Tさんからですよ。病人が苦しそうですから、お願いしますって。」「よしよし。すぐ行くと言って帰せ。」主人はもう覚悟を決めていたらしい。こう言って三人の顔を見まわしていった。「どうもすまんな。なに、注射を打ってくれば、おさまる病人だ。ちょっと失敬するよ。」「薬九層倍もたいていではないね。」と、男の一人が軽口を言った。 | |
あらすじ&感想 | 2023年6月19日に吉祥寺シアターで【松本清張朗読劇】があった。 当日の演題は、一部が『ゼロの焦点』、二部が『駅路』『青春の彷徨』で、三部が『「或る「小倉日記」伝』でした。 二部以外は過去に鑑賞していたので目的は二部だった。 『駅路』は、紹介作品にも取り上げていて、記憶にもあったが、『青春の彷徨』は余り記憶になかった。 会場まで電車で二時間近く掛かるので、電車の中で読んでみようと思い持ち出した。幸い本は、新書(KAPPANOVELS)で携帯できた。 以上は、蛇足的研究で書いたが、朗読劇前に読んだため、筋書きが頭に残っていた。 朗読劇自体は見事に脚色されていて、読後感とは少し違って清張作品にしてはハッピーエンドとして終わり、 始めに上演された「駅路」と比べても 異色な感じがした。「青春の彷徨」は、「死神」が改名されたのだが、「死神」の方が相応しい感じがした。 終わり方が、ハッピーエンドで清張作品で異色と書いたが、「投影」を紹介作品で取り上げたときも、 同じような感じで、「左の腕」も同様に感じたと 書いていました。朗読劇も結末は鮮やかにハッピーエンドでした。 私の読後感は、皮肉の効いた作品で、作品の骨格は、「情死傍観」を彷彿とさせた。作品としては、 「情死傍観」が1954年(昭和29年)9月だから 古いと言うことになる。 書き出しは、場面転換として使われているだけで、殆ど意味をなしていない。蛇足的研究は無駄だったと言える。 話は、医者の主人に席を外されたため、残された三人と妻の、ある意味暇つぶしの話なのだった。 暇つぶしの無駄話が始まった。 登場人物は、二十一歳の娘で、佐保子と言った。父親は、国文学の大学教授。 相手の男は木田と言って、教授の教え子で、教授の家に出入りしているうちに親しくなった。 教授はこの男が物足りなかった、娘婿にするには不足で、家への出入りを止めた。 父親は、娘と男の仲を裂くために娘に縁談をすすめた。 木田は、佐保子から縁談の話を聞き、「ぼくらは死ぬほかないね。」昂ぶった声で言った。 >世間が灰色でなく、甘い色彩に見えだした。 話の展開が急で、如何にもと言った感じである。 ただ、この話は、医者の相手をしていた麻雀仲間の男の話なのでこの程度の作り話?で良いのだろう。 話は、死に方に移っていく。 清純で美しい死に方を考える二人であった。醜悪な死屍を人眼にさらさない事が条件になる。 結局、噴火口に投身することを選択する。 何処の噴火口に飛び込むかが問題になる。三原山では卑俗に思えた。 阿蘇にしよう。東京駅から心中の旅立ちが始まる。 ここまでの思考回路がなんとも幼く、少女趣味というかお気楽である。でも、これでいいのだ。 京都と大阪を見物して阿蘇に着いたのは五日後であった。 阿蘇の火口で投身場所を探す二人。 火口に向かって投身したからと言って、煮えたぎっている火のるつぼへ身を投げ入れられるとは限らない。 凄まじい噴煙を上げながら鳴動している火口を見ると躊躇する二人だった。 写真屋が近づいて声をかけてきた。記念に写真をどうぞと言うのだ。 写真屋の言うに任せて、記念写真を撮りそれぞれの自宅に送ることにした。 死に場所を決めあぐねている二人は一巡して元の場所の戻った。 客があまり居ないと見えて、先ほどの写真屋が近づいてきた。 写真屋は、二人が自殺をしようと考えているとは思ってもいないのだが、話しかけてきた。 写真屋が言うには 今から、飛び込み自殺者の救助演習があるというのだ。 写真屋は自殺者の実態をリアルの話し始める。 バスの終点にある茶店の老人が今まで二十年間、何千人という投身者を助けた。だいたい見物人の様子を見ると自殺しそうな 見物客は分かるそうだ。 人知れず飛び込んで、途中でひっかかり、全身が血だらけ、夜中に茶店に助けを求めて来る者もある。 救助演習は、写真屋が話した自殺者の末路を情けなく示していた。美しい幻想などと無縁の訓練を目の当たりにするする。 二人は下山した。 「東京に帰ろうか。」木田の言葉に佐保子もうなずいた。 心中旅行を決行しながら、死に直面したとき無様な最後を具体的に突きつけられると、生への執着が擡げてくる。 >「どうせ、ここまで来たのだから、少し見物して帰ろうか。」 >「そうね、また来られるかどうかわからないものね。」 徹底的に、お気楽だ。 別府は木田が学生の時来た、鹿児島は遠すぎる。耶馬溪に行くことにする。 もはや、心中行ではない。観光旅行だ。 バスで耶馬溪に出て、門司に抜けるコースがある。耶馬溪、深耶馬溪と進み、一目八景と呼ばれる景勝地に着いた。 深耶馬溪には、ひなびた宿が二軒しかない。その一軒の鹿鳴館という宿に入った。 百姓然とした老夫婦が営む旅館は、名産の椎茸料理でもてなしてくれた。 宿には年頃の姉妹がいて、東京の話をしてやると目を輝かせて聞いた。 木田と佐保子は居心地の良さから二泊して、翌日帰る前に、渓流を辿って見晴らしの良い高原を目指した。 軽い気持ちで散策のつもりだったが、思わぬ体験をすることになる。山は想像以上に深かったのだ。 >「この道でもないな。」 >「違うわ。来るときはこんなところ通らなかったわ。」 道に迷ったのだった。帰りのバスに間に合わなくなった。 日が暮れ、宿の者が心配する中、二人は宿にたどり着いた。もう一泊することになった。 作中小説のような感じで、話の中の話が宿の主人の口から語られる。 如何にも仲の良い老夫婦が宿に泊まった。 「おじいさんや」「おばあさんや」と呼び合う二人は、宿の者や村人までも仲の良さを振りまいて、バスに乗って帰るのでは無く、 林の中へ入っていった。 まさか心中とは誰も思わなかったが、不思議に思い最後に見た付近を一応探した。 一週間後、老人の息子という紳士が訪ねてきた。紳士は宿の前のポストから出したらしい遺書を手にしていた。 消防団も出て捜索が行われたが、見つからなかった。 この話を聞いた、木田と佐保子に心境の変化が起きる。 ここで、「青春の彷徨」の原題である「死神」らしい人物が登場するが、ここでは省略する。 最後の「青春の彷徨」が始まる。 正直、話の展開が陳腐な感じがして、木田と佐保子ににどうしても同意出来ない気分であるが、そんなことはどうでも良いのだろう。 それが読後感でした。 心中行を企て、阿蘇まで行き、無様な自殺者の実態を知ることで、心中を中止する。 しかし、思わぬ事から、死にそうになってしまう。未練タラタラ、命からがらで宿に帰り着く。そこで聞く「美しい心中」の話。 二人は、死神に導かれるように、林に分け入る。死を覚悟しての入山である。 清張の話は、ここでもう一ひねりある。 「青春の彷徨」は、光文社(KAPPANOVELS)の短篇集6巻に収められているが、本のタイトルが『青春の彷徨』になっています。 「捜査圏外の条件」「地方紙を買う女」など秀作が収められているにもかかわらず、『青春の彷徨』がタイトルに選ばれている意味が、 最後の一ひねりだろうと思います。 最後は、端折って結末らしいことは書きませんでしたが、急患に呼び出され、診察を終えた医者が帰ってきます。 暇つぶしの無駄話で時間を過ごしていた三人に「待たせて悪かった、さあ再開だ」とばかりに張り切って声をかけた。 みんなが笑い声を上げて麻雀は再開される。医者は無駄話の内容は知らない。 朗読劇では、暇つぶしの無駄話をしたのは、心中行をした木田本人と言うことになっていました。 登場人物の設定も違っていましたが その家の主人が、「そう言えば、君の奥さんは佐保子さんと言ったね」で謎解きが終わり、当家の娘さんの 結婚話が丸く収まりそうに 展開していく事を示唆して笑い声で終わった。なかなか面白い脚本になっていたと思う。 -------------------------------------------------- ※阿蘇山での茶店の話(写真屋の話)は、『情死傍観』そのものである。 2023年07月21日記 |
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作品分類 | 小説(短編) | 22P×680=14960 |
検索キーワード | 阿蘇山・火口・心中行・耶馬溪・写真屋・救助訓練・鹿鳴館・老夫婦・大学教授・医者・急患・麻雀・暇つぶしの話・劇中劇 |
登場人物 | |
木田(作中劇の登場人物) | 恋人の佐保子の父親に結婚を反対され、心中行に出かける。阿蘇の火口に飛び込むことにするが怖くて止める。行動は余りにも幼く軽薄である。 ただ、話の内容は作中劇的なもので、深刻なものではなく、小説としては、心中行をする二人の気持ちの変化が主題と言ってよいだろう。 |
佐保子(作中劇の登場人物) | 木田の恋人。父は大学の教授で、結婚に反対している。阿蘇の噴火口を死に場所として、木田と心中行に出かける。 ただ、話の内容は作中劇的なもので、深刻なものではなく、小説としては、心中行をする二人の気持ちの変化が主題と言ってよいだろう。 |
大学教授(作中劇の登場人物) | 佐保子の父親。木田との結婚や付き合うこと自体反対で、佐保子に縁談を持ち込む。 |
宿の主人(作中劇の登場人物) | 心中行に出た二人(木田・佐保子)が最後にたどり着いた宿の主人。作中劇の中にもう一つのエピソードを語る。二人に大きな影響を与える。 |
医者 | 麻雀仲間と卓を囲んでいるとき、急患に呼ぶ出され、往診で掛ける。平凡な開業医と言った感じである。 残された者達が暇つぶしに話を始める。往診から帰った医者は何も知らずに麻雀を再開しようとする。 |
医者の麻雀仲間 | 麻雀仲間。その一人が、この小説の作中劇的な話を始める。話自体は陳腐であると言えなくもないが、結末は蘊蓄のある「哲学的」な内容と言える。 |