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検索キーワードに見る清張作品の傾向と対策?

(その二十一:事務所)

清張作品の書き出し300文字前後からあぶり出すキーワード!
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●事務所

数の風景1986年(昭和61年)3月7日号~1987年(昭和62年)3月27日号 (週刊朝日)

小説 3億円事件「米国保険会社内調査報告書」1975年(昭和50年)12月5日号~12月12日号 (週刊朝日)

霧の旗1959年(昭和34年)7月号~1960年(昭和35年)3月号 (婦人公論)

拐帯行1958年(昭和33年)2月号 (日本)

やさしい地方1963年(昭和38年)12月号 (小説新潮)

事務所にもいろいろあるが、設計事務所(数の風景)・探偵事務所(3億円事件)
弁護士事務所(霧の旗)・会社(拐帯行)・弁護士事務所(やさしい地方)
が、舞台。

事件が起こり、新たな展開を見せる場所として納得のいく?場所である。


2020年08月21日

 



題名 「事務所」
上段は登録検索キーワード 
 書き出し約300文字
数の風景 石見銀山・鰐淵寺・拐帯犯人・温泉宿・ウィーン・カノチエ帽・高圧送電線・霊仙寺・五輪塔・砂鉄・テストコース
板垣貞夫は東京から米子空港に午前十一時ごろに着いた。着陸の前、厚い雲の下から現れた街は白く、大山は裾野のほうだけぼやけている。夜見ヶ浜の海は黒い。一月の末である。松江に入り、決められた旅館の名をタクシーの運転手に云うと、そこは城山公園の近くで、濠端沿いだった。ここを指定したのは、明日大森の石見銀山跡を案内する太田市の有志だった。板垣の職業は土木建築関係の設計士で、自分の事務所を持ち、二,三の大手土建会社の顧問もしている。お城の天守閣も松林も雪はうすい、昼食を終わって、予定どおり鰐淵寺へ行くことにし、宿にタクシーを頼んだ。鰐淵寺は宍道湖の北西岸の平田市にあるが、西へかなり離れている。市内から出雲大社まで行く一畑電鉄の途中、平田市駅からバスが出ているが、案内書によると、一日一便というから、車で行くしかない。
小説 3億円事件
「米国保険会社内調査報告書」
 ニューヨーク。---           スミス火災海上保険株式会社査定部(クレーム・デパートメント)。   H・S・スチムスン部長宛。    東京  G・セーヤーズ発。 1975年12月10日 本日午前0時をもって、1968年(昭和43年)12月10日午前9時20分東京郊外で発生せる294,307,500円の盗難事件の時効は成立した。東京の各紙朝刊は一斉にフロントページに大見出しをつけてこれを報じ、社会面は2ページにわたってその事件の回顧を揚げているが、日本人の大半は、たいそう出来のよいミステリアスなドラマが予定の時間に終了したベルの鳴り渡る音を聞く思いで、衝撃のかわりに感慨に耽っている。セーヤーズ私立探偵事務所長である私が、貴社よりこの世紀的な巨額の強奪事件---日本人の言う「三億円事件」の調査依頼を正式に受けたのは約一年半前であって、貴社はこの事件が当時すでに解決に至らないことを予想されていた。すなわち、日本火災海上保険会社はその加入契約によって日本信託銀行に支払った被害金額約3億円を国内20社の保険会社に再保険をなし、これを日本側はさらに貴社をはじめアメリカの保険会社数社に再保険をなしていたため、アメリカ側は約50ドル(注、3億円は当時の円交換レートで約83万ドルだが、再保険を分担した外国保険会社の負担額はその2/3だった)を損失し、よって貴社がアメリカ各保険会社を代表して事件の独自調査をスチスムスン査定部長の名でセーヤーズ私立探偵事務所に依頼されたものである。
霧の旗 老女殺し・弁護士・弁護料・雑誌記者・レストラン経営者の愛人・職業野球(プロ野球)・左利き・バー「海草」・リヨン
柳田桐子は、朝十時に神田の旅館を出た。もっと早く出たかったが、人の話では、有名な弁護士さんは、そう早く事務所に出勤しないだろうということで、十時になるのを待っていたのだ。大塚欽三というのが、桐子が九州から目当てにしてきた弁護士の名であった。刑事事件にかけては一流だということは、二十歳で、会社のタイピストをしている桐子が知ろうはずはなく、その事件が突然、彼女の生活を襲って以来、さまざまな人の話を聞いているうちに覚えたことである。桐子は一昨日の晩に北九州のK市を発ち、昨夜おそく東京に着いた。神田のその宿にまっすぐに行ったのは、前に中学校の修学旅行のとき、団体で泊まったことがあり、そういう宿なら何となく安心だという気がしたからだ。それから、学生の団体客を泊めるような旅館なら、料金も安いに違いないというつもりもあった。
拐帯行 森村隆志は外から会社に帰ってきた。事務所はビルの内にあった。廊下を歩いていると、硝子戸に幕を下ろしているよその事務所がいくつか目についた。今日は土曜日である。三時過ぎた今は、昼までで帰った会社が多い。隆志は自分の事務所のドアを押した。ここはまだ社員が居残っている。それだけに小さな会社だなと土曜日になると彼はいつも思うのだ。ドアが開くと同時に、熱気が顔に当った。外はもうオーバーが重たくなったのに、ストーブを相変わらず焚いている。スチームの設備の無いビルだった。社員が四、五人、ストーブを囲んで懶惰な恰好で腰かけていたが、森村隆志の顔を見て、お帰り、と云った。隆志はオーバーを脱ぎ、手提鞄をもって会計のところに歩いて行った。会計部は腰までの板で仕切られ、開き戸がついている。現金の取扱のため、一般の机から隔離された、檻のようであった。檻の中では、頭の毛の薄い会計主任が背を屈めて新聞を見ていた。
やさしい地方 今から十三年前、沼地恭介はある高名なA弁護士の事務所に所属していた。その頃、彼は三十歳だった。今でもそうだが、当時から女房も居ず、酒も呑めなかった。だが、女好きで、事務所もとかく怠けがちだった。彼は目先が利く性質で、カンもよかった。事件の弁護を担当させられると、記録書類を概略見ただけで要点をつかんだ。また奇妙にそこからアナを見つけ、有利な弁護の足がかりにした。その点はほとんど天才的だった。法廷では、胸を張って堂々たる弁論をぶった。大きな声で美辞麗句を連ね、壮麗な論旨を展開した。しかし、このようなやり方をA先生は好まなかった。どちらかというと地味で堅実なA先生は、沼地恭介の方法をハッタリだと批判した。そんなことで、沼地恭介は一緒に働いているほかの同僚よりはぱっとしなかった。しかし、彼は弁護士として将来大成する意志はなかったから、高名な弁護士のもとで冷遇されても、その方面で腐ることはなかった。それよりも彼はもっと派手な世界を眼前に描いていた。

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