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真贋・花実・証言・混声/「森」

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清張作品の題名は「黒の...」とか「霧の旗」・「波の塔」など「の」が多く使われている。

ぼんやり題名の特徴などを考えていたとき、その特徴を整理してみようと思い立った。

まさに蛇足的考察である!


No003 04/01/08 真贋・果実・証言・混声/「森」

真贋の森」・「花実のない森.」・「証言の森」・「混声の森

「真贋の森」が、1958年(昭和33年)6月号/「別冊文藝春秋」《長編》

「花実のない森」(原題=黄色い杜)が、1962年(昭和37年)9月号〜1963年(昭和38年)8月号

/「婦人画報」《長編》

「証言の森」が1967年(昭和42年)8月号/「オール讀物」《短編》

「混声の森」が、1967年(昭和42年)8月13日〜1968年(昭和43年)7月18日/「河北新報」《長編》

「真贋」・「証言」は具体的で、内容を想像することが出来る。「混声」は抽象的である。

「花実のない森」は題とし抽象的であるが、言葉の意味としては、具体的である。

「森」としてひと括りにしたが、「花実のない森」は少々違うようだ。

「証言の森」と「混声の森」が同時期に書かれている。

「証言の森」は短編で、「混声の森」が長編である

短編の題は内容を表した物が多く、長編で、連載物は抽象的な題になりがちである。

これは、やはり事前に題名を決めなければならない為、先に抽象的な題名を出しているのだろう

言い切るにしてはサンプルが足りないし、少々心許ない。

とりあえず具体例を挙げておく。

短編では、「なぜ「星図」が開いていたか」・「奇妙な被告」・「支払いすぎた縁談」・「地方紙を買う女」

長編では、「時間の習俗」・「眼の壁」・「点と線」・「ゼロの焦点」

やはり我田引水かな?


2004年1月8日記(2017年3月30日改訂/果実花実:訂正していたつもりだったが...)