松本清張_昭和史発掘 第十四話 小林多喜二の死

〔(株)文藝春秋=昭和史発掘(全13巻)(1974/12/30):【昭和史発掘(5)小林多喜二の死】〕

題名 昭和史発掘 第十四話 小林多喜二の死
読み ショウワシハックツ ダイ14ワ コバヤシタキジノシ
原題/改題/副題/備考 シリーズ名=昭和史発掘●全20話

 1.陸軍機密費問題〔昭和史発掘1〕
 2.石田検事の怪死〔昭和史発掘1〕
   
石田検事の怪死〔全集32〕
 3.
朴烈大逆事件〔昭和史発掘1〕
   
朴烈大逆事件〔全集32〕
 4.
芥川龍之介の死〔昭和史発掘2〕
   
芥川龍之介の死〔全集32〕
 5.
北原二等卒の直訴〔昭和史発掘2〕
   
北原二等卒の直訴〔全集32〕
 6.
三・十五共産党事件〔昭和史発掘2〕
   
三・十五共産党事件〔全集32〕
 7.
「満州某重大事件」〔昭和史発掘3〕
 8.
佐分利公使の怪死〔昭和史発掘3〕
   
佐分利公使の怪死〔全集32〕
 9.
潤一郎と春夫〔昭和史発掘3〕
   
潤一郎と春夫〔全集32〕
10.
天理研究会事件〔昭和史発掘4〕
   
天理研究会事件〔全集32〕
11.
『桜会』の野望〔昭和史発掘4〕
12.
五・十五事件〔昭和史発掘4〕
13.
スパイ”M”の謀略〔昭和史発掘5〕
   
スパイ”M”の謀略〔全集32〕
14.小林多喜二の死〔昭和史発掘5〕
15.
京都大学の墓碑銘〔昭和史発掘6〕
16.
政治の妖雲・穏田の行者
〔対談:昭和史発掘1〕
17.
天皇機関説〔昭和史発掘6〕
18.
「お鯉」事件〔対談:昭和史発掘1〕
19.
永田鉄山刺殺(陸軍士官学校事件)
〔昭和史発掘6〕
20.二・二十六事件〔昭和史発掘7〜13〕
   1.
相沢事件軍閥の暗闘
   2.
相沢公判北、西田と青年将校運動
   3.
安藤大尉と山口大尉二月二十五日夜
   4.
襲撃「諸子ノ行動」
   5.
占拠と戒厳令奉勅命令崩壊
   6.
特設軍法会議秘密審理
   7.
判決終章
●全13巻〔昭和史発掘=(株)文藝春秋〕
 1.
陸軍機密費問題
   
石田検事の怪死
   
朴烈大逆事件
 2.
芥川龍之介の死
   
北原二等卒の直訴
   
三・十五共産党事件
 3.
「満州某重大事件」
   
佐分利公使の怪死
   
潤一郎と春夫
 4.
天理研究会事件
   
『桜会』の野望
   
五・十五事件
 
5.スパイ”M”の謀略
   小林多喜二の死
 6.京都大学の墓碑銘
   
天皇機関説
   
陸軍士官学校事件
 7.二・二十六事件 一
   
相沢事件
   
軍閥の暗闘
 8.二・二十六事件 二
   
相沢公判
   
北、西田と青年将校運動
 9.二・二十六事件 三
   
安藤大尉と山口大尉
   
二月二十五日夜
10.二・二十六事件 四
   
襲撃
   
「諸子ノ行動」
11.二・二十六事件 五
   
占拠と戒厳令
   
奉勅命令
   
崩壊
12.二・二十六事件 六
   
特設軍法会議
   
秘密審理
13.二・二十六事件 七
   
判決
   
終章
本の題名 昭和史発掘 5【蔵書No0125】
出版社 文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1974/08/25●26版
価格 750
発表雑誌/発表場所 「週間文春」
作品発表 年月日 1966年(昭和41年)8月15日号〜10月3日号
コードNo 19660815-19661003
書き出し 小林多喜二のことは、すでに多くの研究や考証がなされて、ほとんどこれに加えるものがない。三十歳にして拷問によって殺されたこのプロレタリア作家は、今日もその作品の評価を色褪せることなく持ちつづけている。多喜二は短い生涯に終わっただけ彼について研究されるものはすべて出つくしている。さまざまな単行本のほか、「多喜二と百合子」という雑誌さえ発行されて、彼の作品のモデルや生活まで精緻な考証がなされている。私は、ここで小林多喜二の文学論を書くつもりはない。また、かつての拙稿「潤一郎と春夫」(第三巻所収)でしたような方法を用いようとも思わない。ここでは昭和史の進行途上に浮かんだ小林多喜二という特異な作家を浮かばせて当時の雰囲気を描こうとするだけである。芥川龍之介と小林多喜二とには何となく似通った点がある。文学的傾向も環境も性格ももとより正反対だ。しかし、どちらも年少にして名を成したこと、若くして死んだこと、どちらも自然死でないこと、昭和初期における二つの傾向の文学がこの両人によって代表されていることなどで、どこか似た感じがする。
あらすじ感想  小林多喜二の小説『一九二八年三月十五日』で、渡が拷問され場面を少し書き出してみる。

「おい、いゝか、いくらお前が拷問が免疫になったって、東京からは若し何だったらブッ殺したっていいッて云ってきているんだ」
「それァいゝ事をきいた。そうか。−−−殺されたっていゝよ。それで無産階級の運動が無くなるとでも云うのなら、
俺も考えるが、どうしてどうして後から後からと。その点じゃ、さらさら心残りなんか無いんだから。」
次に渡は裸にされて、爪先と床の間が二、三寸位離れる程度に吊し上げられた。
「おい、いゝ加減にどうだ。」
下から柔道三段の巡査が、ブランと下がった渡の足を自分の手の甲でかるくたたいた。
「加減もんでたまるかい。」
「馬鹿だなァ。今度のは新型だぞ。」
「何でも云いゝ。
「ウフン。」
彼は、だが、今度のにはこたえた。それは畳屋の使う太い針を身体に刺す。
一刺しされる度に、彼は強烈な電気に触れたように、自分の身体が句読点位にギュンと瞬間縮まる、と思った。
彼は吊されている身体をくねらし、くねらし、口をギュッとくいしばり、大声で叫んだ。
「殺せ、殺せ−−−ぇ、殺せ−−−ぇ!!」
それは竹刀、平手、鉄棒、細引きでなぐられるよりひどく堪えた。


「渡」のモデルは? 渡辺〔利右衛門・小樽合同労組組織部長〕とされている。

清張は、「小林多喜二の死」で以下のように書いている。
>私は、ここで小林多喜二の文学論を書くつもりはない。
>また、かつての拙稿「潤一郎と春夫」でしたような方法を用いようとも思わない。
>ここでは昭和史の進行途上に浮かんだ小林多喜二という特異な作家を浮かばせて
>当時の雰囲気を描こうとするだけである。


その清張は、「小林多喜二の死」の中で、上記の拷問のシーンを引用している。
兎にも角にも、特異な作家小林多喜二を浮かばせて当時の雰囲気を描くには欠かせなかったからだろう。
「雰囲気」とは何か!
治安維持法が天皇の名の下ですべての国民へ襲いかかっている世情ではないだろうか。

多喜二は、彼が「一九二八年3月15日」で描いた、渡に襲いかかった特高に同じ方法で殺された。
多喜二を殺したのは直接的には特高警察ですが、その背景には天皇制政府の制定した弾圧法がありました。
悪名高き『治安維持法』とは、直接的被害者になった日本共産党の文献(赤旗読者への回答)から説明します
治安維持法は創立まもない日本共産党などを標的に、1925年に天皇制政府が制定した弾圧法です。
「国体を変革」「私有財産制度を否認」することを目的とする結社の組織・加入・扇動・財政援助を罰するとしました。
「国体」とは天皇が絶対的な権力をもつ戦前の政治体制で、「私有財産制度を否認」とは社会主義的な思想や
運動をねじまげて描いた政府の表現です。
 この法律は、結社そのものを罰する点でも、思想や研究までも弾圧する点でも、前例のないものでした。
そのうえ28年には大改悪が加えられました。
 まず、最高刑が懲役10年だったのを、国体変革目的の行為に対しては死刑・無期懲役を加え
天皇制批判には極刑でのぞむ姿勢をあらわにしました。
 また「結社の目的遂行の為にする行為」一切を禁止する「目的遂行罪」も加わり、自由主義的な研究・言論や、
宗教団体の教義・信条さえも「目的遂行」につながるとされていき、国民全体が弾圧対象になりました。
 さらに41年には、刑期終了後も拘禁できる予防拘禁制度などの改悪が加えられました。
 治安維持法の運用では、明治期制定の警察犯処罰令など、一連の治安法規も一体的に利用し現場では令状なしの
捜索や取り調べ中の拷問・虐待が日常的に横行しました。
 日本共産党は28年3月15日や29年4月16日の大弾圧など、治安維持法による、しつような弾圧を受け、
拷問で虐殺された作家の小林多喜二や党中央委員の岩田義道をはじめ、獄死者、出獄直後の死亡者など、
多くの犠牲者を出しています。

 政府発表は治安維持法の送検者75,681人、起訴5,162人ですが、一連の治安法規も含めた逮捕者は数10万人、
拷問・虐待による多数の死者が出ました。


物事は突然やってくるように見えて、実はその裏に必然が隠れています。
戦争もある日突然始まるわけではありません。
『治安維持法』も突然やってきて、すべての国民を対象に、その権力に屈服させようとした訳ではありません。
初めは、共産党が対象でした。
やがて、労働運動も対象に、自由主義的な研究・言論、そして宗教も...
すべてを飲み込んでいったのです。

「共謀罪」は現代の治安維持法だと指摘されています。テロ対策の口実は、最初は共産党が対象だった治安維持法
と同じ事です。拡大解釈は時の権力者の得意技です。

素朴な疑問ですが
小林多喜二を虐殺した特高は罪に問われなかったの?を参考にして下さい。


警察当局は「心臓麻痺」による死と発表したが、翌日遺族に返された小林の遺体は、
全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。
しかし、どこの病院も特高警察を恐れて遺体の解剖を断った。




●遺体を検査した作家・江口渙の「作家小林多喜二の死」による描写です。
「…首には一まき、ぐるりと深い細引の痕がある。よほどの力で締められたらしく、
くっきり深い溝になっている。そこにも、無残な皮下出血が赤黒く細い線を引いている。
左右の手首にもやはり縄の跡が円くくいこんで血がにじんでいる。だが、こんなものは、
からだの他の部分とくらべるとたいしたものではなかった。
さらに、帯をとき、着物をひろげ、ズボンの下をぬがせたとき、小林の最大最悪の死因を発見した私たちは、
思わず『わっ』と声をだして、いっせいに顔をそむけた…」

●遺体を前にして多喜二の母親(小林セキ)の嘆き
母親は多喜二の身体に抱きすがった。
「嗚呼、痛ましい…よくも人の大事な息子を、こんなになぶり殺しにできたもんだ」。
そして傷痕を撫でさすりながら「どこがせつなかった?どこがせつなかった?」
と泣いた。やがて涙は慟哭となった。
「それ、もう一度立たねか、みんなのためもう一度立たねか!」

  
 

清張の昭和史発掘の「小林多喜二の死」から少しそれましたが

「小林多喜二の死」の紹介です。

小林多喜二は、1903年12月1日生まれ。清張は1909年12月21日生まれ。
多喜二が六歳上ということになる。
多喜二は、1933年2月20日死去(虐殺)。清張が24歳の時である。
ちなみに、当時の清張は、版下工の技術をみがくため、半年間、福岡市の嶋井オフセット印刷所で
見習いとして修行していた。
29歳で短い命を終えることになった多喜二だが、作家として数々の作品を残している。
一方清張は、41歳で作家デビュー。当時は版下工、文学青年だったが作家志望だったわけではない。
1920年3月(清張20歳頃)清張は、3月、文学仲間がプロレタリア文芸雑誌『文芸戦線』『戦旗』
などを購読していたので、”アカ狩り”の小倉署に検挙され、十数日拘留された。
父は驚きおそれて、蔵書をことごとく焼き、読書を禁じられた経験を持つ。

清張は、当時の様子を書いている。
>昭和八年、私は八幡製鉄所の労働者数人とつきあっていた。二一、二歳のころである。
>その労働者は非合法の出版物を購読していた。彼は雑誌の「戦旗」をこっそり読んでいて、いかにも人目にふれるのを
>恐れるように、雑誌を私に見せるときも用心深く窓の外に眼を配ったりした。
>ある日、彼の家に遊びに行くと、彼か、その友人かが、「小林多喜二が拷問で殺されたらしい」と
>暗い顔をしてささやいおていた。
>「あんな立派な作品を書く作家を拷問で殺すとはひどい」と、彼は長い髪をかき上げながら呟くようにいっていた。
>彼らはひどいショックを受けていた。そのころ、北九州の労働者でも小林多喜二は偶像であった。


『昭和史発掘』(第一話:陸軍機密費問題)を発表したのが1964年7月。
「小林多喜二の死」を1966年(昭和41年)8月15日号〜10月3日号 (週刊文春)に発表した。
多喜二の死後33年である。
「小林多喜二の死」は昭和史発掘の14話ですが、その前の13話は、「スパイ”M”の謀略」である。

「小林多喜二の死」の冒頭で、
>小林多喜二のことは、すでに多くの研究や考証がなされて、ほとんどこれにくわえるものがない。
と綴り、さらに
>三十歳にして拷問によって殺されたこのプロレタリア作家は、
>今日もその作品の評価を色あせることなく持ちつづけている。


最後に
>もし、小林多喜二が居なかったら、日本文学史の上でプロレタリア文学のスペースは、
>はるかに狭いものになっているだろう。


【当時の雰囲気を描こうとするだけである】
と、した清張だが、最初の数行と最後の数行で語り尽くされているように思う。
清張も認めているように、多喜二の生涯は短かっただけにこれまでに語り尽くされている感がある。
目新しい事が記述されているわけでもない。「多喜二と百合子」という研究雑誌も発行されているくらいだから...

参考までに、個人的興味で関連登場人物を上げてみる。

田口たき:戦後になって事業家と結婚し、102歳で亡くなったらしい。
伊藤ふじ子(森熊ふじ子):森熊猛氏と結婚(森熊氏は小林多喜二とのことを理解していた)70歳で死去。

志賀直哉
蔵原惟人
芥川龍之介
宮本百合子
宮本顕治
江口渙
手塚英孝

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 @  A  B   C  D   E   F   G  H   I  J   K  L   M   N
              

●小林多喜二関係の蔵書

   

  


●1933年(昭和 8年)の出来事
01/10〜12
       大塚金之助、川上肇ら検挙
02/20 小林多喜二、築地署に検挙、拷問により虐殺される(29歳)
03/05 独、国会議事堂放火事件
03/09〜06/16
       アメリカ特別議会でルーズベルトのニューディール政策の諸立法
03/09 独、共産党を非合法化
03/27 日本が国際連盟を脱退
05/02 独、労働組合を禁止
09/−  日本労農弁護団、モップルなど検挙される。
11/−  米、ソ連を承認
11/05 片山潜死去(モスクワ 74歳)
12/26 宮本顕治、スパイの手引きで検挙される。


2017年2月20日 記 
2021年2月20日 杉並・中野・渋谷 第33回多喜二祭  に参加しました。(中野ゼロ小ホール)【ポスター

■□■ 多喜二の母、小林セキの詩 ■□■多喜二祭で紹介されました。

三浦綾子の小説「母」(小林多喜二の母のこと)の物語の最後に、
多喜二が殺された二月が来るたびに湧き出る悲しみを、セキが自分で書いた詩を近藤先生に見せる場面があります。
セキは貧しくて学校に行けなかったので文字を学ぶ機会がなく、年を取ってから
獄中の多喜二と手紙をやり取りしたくて習ったので、たどたどしいものでありました。


 あーまたこの二月の月かきた
ほんとうにこの二月とゆ月か
いやな月こいをいパいに
なきたいどこいいてもなかれ
ないあーてもラチオて

しこすたしかる
あーなみたかてる
めかねかくもる



2021年2月20日 追記
作品分類 ノンフィクション(短編/シリーズ) 90P×510=45900
検索キーワード 治安維持法.共産党.1928年3月15日.拷問.虐殺.特高警察.天皇制.田口タキ.伊藤ふじ子