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松本清張_北の火箭(改題) 隠花の飾り(改題)(第三話)

(原題=清張短編新集)

No_0136

題名 隠花の飾り 第三話 北の火箭
読み インカノカザリ ダイ03ワ キタノカセン
原題/改題/副題/備考 【清張短編新集】第三話として発表
シリーズ名=隠花の飾り
(原題=清張短編新集) 
●全11話=隠花の飾り(11話)
 1.
足袋(1134)
 2.狗
(改題=愛犬)(1135)
 3.北の火箭(1136)
 4.見送って
 5.
誤訳
 6.
百円硬貨
 7.
お手玉(1051)
 8.
記念に
 9.
箱根初詣で(1032)
10.
再春(1123)
11.
遺墨
● .
あとがき
本の題名 隠花の飾り【蔵書No0150】
出版社 (株)新潮社
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1979/12/05●初版
価格 800
発表雑誌/発表場所 「小説新潮」
作品発表 年月日 1978年(昭和53年)4月号
コードNo 19780400-00000000
書き出し 一九六八年三月一日の午後三時すぎ、ラオスのビエンチャン空港に旧式な四発のストラトライナー機がカンボジアのプノンペンからきて到着した。煤けた銀色の翼には国際休戦監視委員会の略字ICCの黒文字が大きく付いている。三十六人乗りの小さな胴体は地面に着くと、機首を上にむけて滑り台のように斜めに傾く。ほかに旅客機はなく、空港はひろびろとしたものだった。むこうの端にヤシの木立が横列にならび、高床式の民家の屋根が二、三のぞいていた。空港の片隅にはトンボのような軍用練習機が五つならんでいたが、その一つは損傷していた。兵隊の姿はなかった。ここからも見えるアンナン山脈を越えた向う側では、連日アメリカ空軍のB52爆撃機が爆弾を降らしているというのに、こちらのラオス側は嘘のように静かでのどかであった。
あらすじ感想 「北の火箭」解説すれば、北ベトナムの火槍とでもなるのだろうか?

「北の火箭」は、1978年4月に発表された作品で或る。(本ホームページの清張略歴)
【1978年発表作品】
二月十五日、放送文化の向上に功績があったとして、
NHKの第二十九回放送文化賞を受賞。
十月、映画監督の野村芳太郎らと、映画・テレビの
企画制作を目的とした霧プロダクションを創立し、
代表取締役に就任。
この年は海外旅行が多く、七月にはヨーロッパ、
八月三十日から九月二十日まではイラン、そして
十二月二十七日から翌年一月五日にかけて、
シンガポール、ペナン、バンコク、香港などを取材して
歩いた。
NHKテレビ「清張古代史をゆく」取材中のイランでは、
大地震とパーレビ国王退陣を求める反政府騒動に
遭遇した。

「清張略歴」によると、この年に海外旅行をしている。1969年頃から、1970年代に東南アジアへの海外旅行が目立つ。
書き出し部分の1968年には
   一月、キューバ政府主催の、「世界文化会議」に出席のため、前年大晦日に出国し、キューバに行く。
   一月十五日帰国。この旅行中に、ベトナム民主共和国対外文化連絡委員会から招待状がとどき、二月二十五日、北ベトナム各地の視察旅行に出発する。
   四月四日、ファン・バン・ドン首相との単独会見に成功し、四月七日に帰国。
上記の旅行でものにした作品ではなかろうか。

出だしでは、話の展開が見当も付かない。
国際休戦監視委員会(ICC)の三十六人乗りの機体がラオスのビエンチャン空港に降り立った。
二人の日本人がそれを眺めていた。岡谷七郎、四十九歳、評論家。原田平吉三十二歳、雑誌記者

飛行機から数人が降りてきた。金髪の女(ジネット・ド・せール夫人)、メガネの男(ジェームス・マートン博士)を岡谷と原田が眼にした。
双方が正式に名乗り合ったのは、日本人の婦人が経営する料理店の夜の庭だった。

ジネット・ド・せール夫人は、ベルギーの女流詩人であった。三十五,六歳くらい。ハノイからの招待なので反動的な人物ではなさそうだ。
ジェームス・マートン博士は、カナダのオタワにある大学の教授だった。社会学の専攻で、学生の平和運動委員会の顧問だと名乗った。
博士は、メガネの奥に思慮深い瞳をもち、憂鬱そうに見えた。口も重かった。岡谷の印象は最後まで変わらなかった。

彼らの目的はICC機でハノイに向かうことだったが、なかなかハノイに入ることは出来なかった。セール夫人やマートン教授は、二週間も足止めされていた。
二人は以前からの知り合いではなく、パリのオルリ空港で目的地が同じであることがわかり、教授がエスコートして来たらしい。

岡谷と原田は、セール夫人と教授と待ち合わせをしていて、ハノイに向かうのだと思っていたが違うようだ。
「百万の象」(ランサン)ホテルでは、セール夫人と教授は隣同士の部家。岡谷と原田は真向かいの隣り合った部家だった。
部屋の配置は、セール夫人達の希望というわけではないようだった。目的地が同じ、日本人の部屋とひとかたまりの配置にしたのはホテルの客室係だろう。

何時ハノイへ向かうことが出来るのか分からぬ滞在に、他の地域へ憂さ晴らしに出かけることもあった。
岡谷達が誘っても二人は気乗りしない表情で断った。それでいて、ホテルの一階にあるバーには満面の笑みでセール夫人通い、教授は後について行った。
そのバーは、CIAの要員達や、ラオスの将軍達が平服でスコッチウイスキーを飲みながら談笑していた。
見かけは談笑だが、情報収集の場でもあった。

岡谷達も夫人と教授達も場違いのように無視されていた。
岡谷は、バーにいるセール夫人と教授に話しかけるべきか、二人をを観察していた
  >心なしか閨秀詩人と教授のあいあだになにやら靉靆たる雰囲気のかもしだしているのがかんじとられるようで、よけいに寄りつきがたくなったのである。
突然難しい表現だ!
閨秀(ケイシュウ)=学問・芸術にすぐれた女性。才能豊かな婦人
靉靆(アイタイ)=雲や霞 (かすみ) などがたなびいているさま。気持ちや表情などの晴れ晴れしないさま。陰気なさま。


教授にはオタワに妻子が居る。セール夫人は,女流詩人でアンベルスに夫が居る。海運会社を経営しているらしい。

岡谷は二人があやしい(岡谷にはなんとなく両人の間が臭いような気がする)と感じていた。
面白いのは、岡谷の二人を見る眼で、特に教授について
>それはエスコートする者とされる者の間ではなく、夫婦のように傍の者には見えた。それを意識してか教授の表情にはいつも少年のようなはじらいがみえていた。
そんな疑問を持ちながらも、岡谷は原田には話さなかった。

ここまでで何も起こらない。
岡谷の眼からの観察が続く。眼から耳での観察になる。
寝静まった午前零時十分。向かいの部屋のドアが忍びやかに開く。
岡谷の疑いは事実となった。
岡谷達を含めて、四人の旅行の目的が今ひとつハッキリしないが
南国で、暇を持て余す環境で、積極的な閨秀詩人と初心な教授が旅先のアバンチュールを愉しんでいることが岡谷の報告される。

足止めがようやく解除され、ハノイ・ジアラム空港に向かった。
空港に降り立った招待客はトンニャット・ホテルに収容された。

収容されたホテルで、セール夫人と教授がどのような部屋の位置になったかは分からないが、食堂で一緒になることはあった。
しかし,二人は再婚した夫婦のように、誰にも邪魔されたくないようで、離れた場所で差し向かいで食事をした。
空襲時には、50人近くを収容できる防空壕があり、ホテルの泊まり客の殆どの顔を見ることが出来た。
セール夫人は派手なネグリジェをきて鉄兜をかぶっていた。教授はきちんと身支度をしていた。
二人が揃ってシェルターに駆け込んでくると言うことは、同じ部家か、隣の部家なのだろう。
教授は夫人をジャネットとファスト・ネームで呼ぶようになっていた。

まだ何も起こらない。予兆もない。

岡谷と原田はハノイから地方に出た。
地方の宿舎は完備していなかった。竹の柱にアンペラの壁
照明は蝋燭。ニッパハウスと少しもかわらなず、それよりか劣っていた。
アンペラ=(1)カヤツリグサ科の多年草。インド・マレー地方原産。茎は直立し1メートルほど,下部に数枚の鱗片葉がある。アンペラ藺。
       (2)(1)}の茎で編んだ筵(ムシロ)。
ニッパハウス=屋根をニッパヤシの葉でふいた家.東南アジアなどに多い。
トイレは、屋外で50メートルは離れていた。草の生い茂った小道を、ヘビを恐れながら、懐中電燈で行かなければならなかった。
米軍の爆撃は、「B52は無目標に爆弾を捨てていく」で、理解出来る。

そんな、地方の旅が三日ばかり続き、ハノイに帰ったが、セール夫人と教授はいなかった。
彼女らは、岡谷達の後から同じコースを回ったはずである。岡谷は、懐中電灯の光の中を歩く二人を想像していた。
岡谷は、サマセット・モームの書き尽くした状況を想像と妄想で頭の中で描いていた。
(私は、サマセット・モームを知らない.../「月と六ペンス」は聞いたことがある)

岡谷と原田は爆撃がもっとも激しいハイフォンに行き、ホンゲイを回った。

3月31日にアメリカは北爆を停止した。
4月5日、平和委員会のメンバーはICC機で、ビエンチャン空港に到着した。
女流詩人に電報が届いていた。
彼女の夫が、東京で待っているというのだ。
彼女は、パリ経由ブリュッセル行きを東京行きに変更したと岡谷に告げた。それも、満面によろこびの色をあらわしていた。
岡谷は、教授の顔色を覗った。初対面のときの顔に戻っていた。
セール夫人の夫、海運会社の社長マルセル・ランゲロワ氏は東京雄Tホテルに一週間滞在だという。
岡谷と原田は食事の招待を受けた。
マルセル・ラングロワは、60歳近い年齢で、白髪、背の低い紳士であった。

岡谷の眼は、セール夫人とマルセル・ラングロワ氏と、マートン教授を観察していた。
岡谷はマルセル・ラングロワの視線を感じた。彼は片目をつぶった。
笑顔のままで、「わたしには妻のしたことが全部分かっていますよ」のサインに感じた。

結局何も起こらなかった。
平和委員会は、何をしたのだろうか?

「北の火箭」とは、.....
岡谷は、食事後、一仕事終え夕方、Tホテルの近くでショーウンドウを眺めている教授を見つける。
彼が眺めていたのは「浮世絵の花火」の図である『大川端夕涼図』だった。

女流詩人であるセール夫人は、『戦火のベトナムを駆ける』を書き上げた。岡谷は、「カナダの大学教授」の名が一箇所出るのを見つけるのがやっとだった。


●サマセット・モーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィリアム・サマセット・モーム
William Somerset Maugham
Maugham retouched.jpg
カール・ヴァン・ヴェクテンの撮ったモーム
誕生 1874年1月25日
死没 1965年12月16日(91歳没)

ウィリアム・サマセット・モーム(William Somerset Maugham、1874年1月25日 - 1965年12月16日)は、イギリスの小説家、劇作家。
フランス、パリ生まれ。10歳で孤児となり、イギリスに渡る。医師になり第一次大戦では軍医、諜報部員として従軍した。
1919年に『月と六ペンス』で注目され、人気作家となった。
平明な文体と物語り展開の妙で、最良の意味での通俗作家として名を成した。
作品に『人間の絆』『お菓子とビール』や短編「雨」「赤毛」、戯曲「おえら方」など。
ロシア革命時は、秘密情報部に所属した情報工作員であった。同性愛者としても知られている。

●大川端夕涼図

江戸後期の浮世絵師、鳥居清長の筆による竪たて大判の錦絵。
川辺の床几しょうぎ台で夕涼みを楽しむ3人の女性の姿を描いたもの。
国の重要文化財に指定。版画大川端夕涼み図。





【隠花の飾り】のあとがきに
>この集に収めたのは、すべて三十枚の短篇である。三十枚という枠を雑誌社から決められると、とにかく身辺随筆のような、
>あるいは小話のような「軽い」ものが書かれる傾向がないでもない。三十枚でも、百枚にも当たる内容のものをと志向した。
>そのとおりになっているかどうか読者の判断に待つほかはない。(初出「小説新潮」)
私には、『随筆』に感じられた。何か物足りなさを感じた。



2022年09月21日 記
作品分類 小説(短編/シリーズ) 16P×580=9280
検索キーワード ICC・招待・平和委員会・北ベトナム・ハノイ・ビエンチャン・オタワ・エスコート・女流詩人・大学教授・海運会社・浮世絵・アバンチュール 
登場人物
岡谷七郎 四十九歳、評論家。北ベトナムの招待でこの旅行に加っわているようだ。ホテルの部屋で原稿など書いているようなので、作家(文化人)としての参加のようだ。
セール夫人とマートン教授の行動を興味深く観察している。「北の火箭」は彼が書き上げた旅行記でありエッセイなのかも知れない。松本清張を投影している。
原田平吉 三十二歳、雑誌記者。岡谷七郎に随行しているようだが、全く表面には出ない。
ジネット・ド・セール セール夫人。女流詩人。北ベトナム旅行で『戦火のベトナムを駆ける』を書き上げる。マートン教授との関係は単なるアバンチュールだったのか?
ジェームス・マートン ジェームス・マートン教授。カナダのオタワにある大学の教授。社会学の専攻で、学生の平和運動委員会の顧問。セール夫人のエスコート役から恋人に?
マルセル・ラングロワ 海運会社の社長。ジネット・ド・セールの夫。年齢差から再婚か?。妻の性格も、行動も全て手のひらの中の世界と許している様子だ。

北の火箭