松本清張_付論_私の万葉発掘

題名 付論 私の万葉発掘
読み フロン ワタシノマンヨウハックツ
原題/改題/副題/備考 【重複】〔大和出版=わが人生観 私のものの見方 考え方〕

付論
●古代史の空洞をのぞく
●高松塚壁画の年代推説
●高松塚の製作年代再論
●聖徳太子の謎
私の万葉発掘
●上毛野国陸行

本の題名 松本清張全集 33 古代史疑・古代探求【蔵書No0116】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1974/03/20●初版
価格 1200
発表雑誌/発表場所 「文藝春秋増刊」「万葉集の旅」
作品発表 年月日 1973年(昭和48年)4月号
コードNo 19730400-00000000
書き出し 私は『万葉集』をとくに勉強したものではない。古代史や考古学関係の本をわりによく読むので、それにかかわりあいのありそうなところを『万葉集』から捜索していた程度である。壬申の乱と『万葉集』とは密接だし、考古学でも遺蹟と『万葉集』とはきりはなせないものがある。末永雅雄氏(橿原考古学研究所長)が文芸評論家の某氏と話をしたとき、飛鳥の板蓋宮跡に小石が敷き詰められていることから、某氏が、当時はあのへんは泥濘だったので小石を敷いたんだろうな、と何げなく洩らした。それで、小石のバラスと湿地帯の関係にはじめて末永氏は気づいたそうである。巻十九の、                             大君は神にし坐せば赤駒の匐匍ふ田井を都となしつ(四二六〇)        という歌は末永氏も何度か読んで知っていたのに、某氏に言われるまで飛鳥地方が馬の匍匐するくらいに深い泥田だったことと右の小石の敷き詰めとが結びつかなかった、というのである。  
作品分類 随筆/古代史
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