松本清張_付論_高松塚壁画の年代推説

題名 付論 高松塚壁画の年代推説
読み フロン タカマツヅカヘキガノネンダイスイセツ
原題/改題/副題/備考 付論
●古代史の空洞をのぞく
高松塚壁画の年代推説
●高松塚の製作年代再論
●聖徳太子の謎
●私の万葉発掘
●上毛野国陸行
本の題名 松本清張全集 33 古代史疑・古代探求【蔵書No0116】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1974/03/20●初版
価格 1200
発表雑誌/発表場所 「世界」
作品発表 年月日 1972年(昭和47年)6月号
書き出し 明日香村字平田というのは、北の大和盆地にむかって南の吉野方面から低い丘陵が舌状に出た一帯である。東の飛鳥川の上流と、西の高取川の上流に挟まれ、この二川はそれぞれ山峡のなかから出ている。丘陵は田や畠とまじり合うほどに低く、百メートルにも足りない。この北端の低地に天武・持統合葬陵があり、台地上には文武天皇陵、中尾山古墳、少し西寄りに阿武山古墳などがある。こんどの壁画が発見された高松塚古墳もこの間にある。朝鮮からの渡来人が多く住んだという檜隈のあたりである。天武・持統合葬陵を除くと、あとは小さな円墳で古墳時代の終末期に当たる。天武・持統陵は外見は円墳にみえるが五重塔にならったといわれる八角五重(「阿不幾乃山陵記」)の墳丘で、持統は天皇として最初の火葬だったように、この時代の墳墓には仏教の影響があらわれ、やがて火葬墓となっていく。 
作品分類 随筆/古代史
検索キーワード