松本清張_私説・日本合戦譚 第一話 長篠の合戦

題名 私説・日本合戦譚 第一話 長篠合戦
読み シセツ・ニッポンカッセンタン ダイ01ワ ナガシノノカッセン
原題/改題/副題/備考 ●シリーズ名=私説・日本合戦譚
●全9話(全集)
1.長篠の合戦
2.姉川の戦
3.
山崎の戦
4.
川中島の戦
5.
厳島の戦
6.
九州征伐
7.
島原の役
8.
関ヶ原の戦
9.
西南戦争
本の題名 松本清張全集 26 火の縄 小説日本芸譚/私説・日本合戦譚【蔵書No0108】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通) 
初版&購入版.年月日 1973/3/20●初版
価格 880
発表雑誌/発表場所 「オール讀物」
作品発表 年月日 1965年(昭和40年)1月号
コードNo 19650100-00000000
書き出し 天正三年五月、武田勝頼の一万五千の兵と、信長・家康の連合軍三万八千の兵とが三河設楽原で激突したのが、長篠の合戦である。設楽原というのは、愛知県豊川の東北約十二キロの高原で、長篠から二キロ西に当たる。正確には設楽原の合戦だが、徳川方の長篠籠城につづいて行われた戦闘だから、この名で呼ばれている。徳川方が参加している戦争はすべて徳川幕府の記録本位で名がつけられている。その意味でも権力者の歴史である。天正三年は一五七五年で、長篠の戦のあった年はシェクスピアが十一歳だった。昭和三十九年は、シェクスピア生誕四百年だったから、即ち、この戦はざっと三百九十年前である。信玄は長篠の戦の三年前、元亀三年西上の宿志を遂げるため、府中(甲府)から遠江に入り、三河、美濃を経て京都に赴くはずだった。そのときの兵数二万五千。家康は浜松城にいたが、信玄が浜松の北方僅か四キロの地点三方原を通過すると知り、わが庭を敵軍が踏むのに黙視はできぬと云って城を出、犀ヶ谷に陣し、武田勢の通過を待った。自衛権の発動である。
作品分類 小説(短編・時代/シリーズ) 20P×1000=20000
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