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福神漬けのないカレー/「△△のない○○」

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清張作品の題名は「黒の...」とか「霧の旗」・「波の塔」など「の」が多く使われている。

ぼんやり題名の特徴などを考えていたと、きその特徴を整理してみようと思い立った。

まさに蛇足的考察である!


No005 04/05/09 福神漬けのないカレー/「△△のない○○」

文字のない初登攀」・「花実のない森.」・「獄衣のない女囚」 ●「歌のない歌集」●「名札のない荷物
「文字のない初登攀」は、1960年11月16日号/女性自身《短編》

「花実のない森」は、1962年9月号〜1963年8月号/婦人画報《長編》

「獄衣のない女囚」は、1963年7月15日号〜1963年10月14日号/週間文春《長編》

「歌のない歌集(全2話=数の風景・黒い空)」は、1986年3月3日号〜1988年3月25日号/週間朝日《長編》

「名札のない荷物(全6話=怨霊のなぐさめ・天正十年のマクベス・「兵隊王」の丘から

・立ちどまる賢人・日記メモ1968.2・日記メモ1968.3)」は、

1990年6月8月号〜1991年3月9月10月号/新潮45《連作》
(未購入)

「△△のない○○」は、ふつう「あるべき物がない」というような意味で、「福神漬けのないカレー」

(こんな喩えでいいのかナ?)のような使われ方が標準的だろう?

前後の言葉は何らかの関係があると解りやすい。

その意味で、「獄衣のない女囚」・「歌のない歌集」・「名札のない荷物」が言葉としては標準的である。

題として考えたとき、「文字のない初登攀」は、題からその内容を容易に想像することが出来ない。


「花実のない森」は、意味深で、何となく「小説の題的」?である。


「歌のない歌集」は、「数の風景」「黒い空」としてそれぞれ長編であり、単独で単行本として刊行されている。


シリーズの題との関連は感じられない。

「名札のない荷物」も、シリーズ物のようだが(未購入なので内容が不明)

全6話の題からしても意味不明である


年代別に考えると、
「文字のない初登攀」「花実のない森」「獄衣のない女囚」と続き、「歌のない歌集」

「名札のない荷物」とシリーズ物になっている。偶然であろうが、一定の流れも感じることが出来る。

2004年05月09日記