研究室_蛇足的研究
2022年03月21日 |
清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!
研究作品 No_129 【骨壺の風景】 〔新潮〕 1980年(昭和55年)1月号 |
両親の墓は、東京の多磨墓地にある。祖母の遺骨はその墓の下に入ってない。両親は東京に移ってきてから死んだが、祖母カネは昭和のはじめに小倉で老衰のため死亡した。大雪の日だった。八十を超していたのは確かだが、何歳かさだかでない。私の家には位牌もない。カネは父峯太郎の貧窮のさいに死んだ。墓はなく、骨壺が近所の寺に一時預けにされ、いまだにそのママになっている。寺の名は分からないが、家の近くだったから場所は良く憶えている。葬式にきた坊さんが棺桶の前で払子を振っていたので、禅宗には間違いない。暗い家の中でその払子の白い毛と、法衣の金襴が部分的に光っていたのを知っている。読経のあと立ち上がって棺桶の前に偈を叫んだ坊さんの大きな声が耳に残っている。私が十八,九ぐらいのときであった |
自叙伝的作品の一つとされる。 登場人物が、自叙伝とされる『半生の記』と同じで、公表されている事実と一致する。 ただ、『半生の記』のあとがきで、 >私は、自分のことは滅多に小説に書いては居ない。いわゆる私小説というのは私の体質に合わないのである。 >そういう素材は仮構の世界につくりかえる。そのほうが、自分の言いたいことや感情が強調されるように思える。 人物名は別にして、「仮構の世界」の話の可能性はおおいにある。 祖母カネは、父峯太郎の養母だろう。 書き出しの部分だけでは、峯太郎の経歴については記述が無い。「峯太郎の貧窮さいに死んだ」と、書いているように その経歴は大方間違いないだろう。 自叙伝的な作品の中でも、最も新しい。祖母に焦点を当てた作品として興味が持たれる。 |