松本清張_古代史疑_稲の戦い

 (株)文藝春秋=全集33(1974/03/20)〕:【古代史疑・古代探求】

題名 古代史疑_稲の戦い
読み コダイシギ_イネノタタカイ
原題/改題/副題/備考 【重複】〔中央公論社=古代史疑〕
◎古代史疑
三世紀の日本
大和か九州か(簡単な学説史)
私はこう考える
魏志の中の五行説
卑弥呼とはだれか
卑弥呼論
稲の戦い
「一大率」「女王国以北」
結語
本の題名 松本清張全集 33 古代史疑・古代探求【蔵書No0116】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1974/3/20●初版
価格 1200
発表雑誌/発表場所 「中央公論」
作品発表 年月日 1966年(昭和41年)6月号〜1967年(昭和42年)3月号
コードNo 19660600-19670300
書き出し 稲の戦い
稲の伝播   卑弥呼が生きていた時代は弥生式文化の後期である。稲作の時代であることはいうまでもない。『魏志』「倭人伝」にも「禾稲・紵麻を種え」とある。かは栽培された穀物の意味だから、この「禾稲」は水田による耕作であった。静岡県の登呂遺跡でも分かるように、すでに卑弥呼の時代の三世紀前半に、水田耕作は当時辺陬の地であった中部地方にまで及んでいた。この米の栽培法が九州から東漸したのは疑いない。『魏志』「倭人伝」は、九州においてどのような水田耕作が行われていたかを明白に書いていないから、正確に知ることができないにしても、北九州には、前一世紀ごろに渡来したという説が有力である。そうすると、卑弥呼の時代には栽培技術もよほど進んでいたとみなければならない。いわゆる「女王国」の北九州には、筑紫平野、肥前平野などがあり、特に筑後川河口一帯の筑後平野は広い沖積地帯で、今でも水田耕作にはもっも適している。
作品分類 古代史 131P×1000=131000(合計)
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