「松本清張の蛇足的研究」のTOPページへ

松本清張_理外の理 

No_189

題名 理外の理
読み リガイノリ
原題/改題/副題/備考  
本の題名 巨人の磯)■【蔵書No0031】
出版社 (株)新潮社
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1973/07/20●4版1974/09/30
価格 700
発表雑誌/発表場所 「小説新潮」
作品発表 年月日 1972年(昭和47年)9月号
コードNo 19720900-00000000
書き出し ある商品が売れなくなる原因は、一般論からいって、品質が落ちるか、競争品がふえるか、購買層の趣味が変わるか、販売機構に欠点があるか、宣伝に立ち後れがあるか、といったところに誰の結論も落ちつく。商業雑誌も−−−その「文化性」を別にすれば−−−やはり商品の範疇にはいるにちがいない。したがってその種の雑誌の売行きが思わしくなくなった場合、上記の原則に理由が求められるだろう。不振の商品売れ行きを挽回するには、品質の向上を図って競争品を引き離し、購買層の動向を察知して商品のイメージ転換をなすことが先決である。他の販売機構の不備とか矛盾とかは、商品が好評を博するとあとを追って自ら改まるものだし、宣伝も生々としてくる。利潤が増大すれば経営者は宣伝費を奮発するようになる。この一般論は営利を目的とする雑誌にも適用されよう。
あらすじ感想 書き出しから推測した、出版業界の話しとは趣が違っていた。
作家須貝玄堂は直感的に「賞」で登場する粕谷侃陸(カスヤカンロク)を思い出させた。
話は売れ行き不振の雑誌が社長の方針で、新編集長を迎え出直しを図る。
>新しい革嚢には新しい酒を、の道理で、古い酒と入れ替えなければならない。
まず執筆者の交代である。須貝玄堂も交代させられる運命にあった。

従来通りに採用してもらう為に、これまでの編集者である細井を訪ねる須貝玄堂。
須貝玄堂は本名を藤次郎と言った。頭は禿げているが、前から頭の毛はイガ栗に短く刈っていた。
もとは禅寺の僧侶だったと言うが定かではない。漢籍の白文を読み、古文書のひねくれた字体も速読できる
博覧強記の人である。編集者にかげで、玄堂翁と呼ばれていた。
須貝玄堂の作品は江戸期の巷説逸話を「J−−」誌むきにこなした読み物を書いていた。

須貝玄堂の作品が、作中作品として3点ばかりある。これがそれなりに面白い。

もともと編集者の細井は玄堂を買っていた。新編集長の方針でその採用を拒絶されるが、玄堂は作品に
自信を持っていた。だから編集者である細井に幾度か作品を持ち込む。

>「このお原稿を面白く拝見しました」

細井の言葉と共に返された原稿が、玄堂には石のように重く感じられた。
細井の言葉はまんざら嘘ではなかった。


作中作品その1
ある藩に弥平太という酒癖の悪い藩士がいた。藩中の剣術の師匠を中心に門人どもが酒盛りをしていた。
弟子ではない弥平太は、酒癖の悪さから、彼らの師匠とて剣術では自分の上に出るものではないなど暴言を吐く。
門人らが、それでは師匠とこの場で立ち会ってみろとけしかける。
門弟達は師匠に一撃される弥平太を見て溜飲を下げるつもりである。しかし、師匠はひたすら固持した。
師匠が臆したと見た弥平太はますます増長し、倣慢になる。門人の慫慂に師匠は固持する言葉もなくす。
かくて二人は対峙する。
年寄りの師匠は、弥平太の一撃に血を吐いて倒れたのである。
師匠は謙遜から試合を拒んだのではなかった。門人らは師匠を追い込み.....殺した結果になった。


短篇として面白い。

細井は玄堂の十二回目の原稿を預かる。
玄堂には二十以上も年下の女がいた。家政婦上がりの女で
>彼女はいい着物を着て鷹揚に坐り、編集者を何となく見下し顔の「夫人」気取りでいるように見えた。
玄堂は、その女にも逃げられる。

細井は憂鬱な気分で玄堂の十二回目の持ち込み原稿を見た。原稿は二回分あった。

作中作品その2
●「縊鬼」
麹町の屋敷がある組内に早瀬藤兵衛という同心がいた。酒を飲むと面白藤兵衛は組中の人気者であった。
組頭の家で同役の寄り合いがあった。夕刻から酒宴になったが約束した藤兵衛が現れない。
組頭の家人も楽しみにしていたが、待てど暮らせど当人は来なかった。
ようやく玄関に姿を現した藤兵衛。
ところがひどく急いだ様子で彼は家来に云う、実はやむを得ない用向きで御当家の門前で人を待たせている、
それで出席できないことを断りに来たいう。家来は許さず、主人に伝える。
無理矢理座敷に上げられた藤兵衛は、訳を聞かれる。
藤兵衛の言うには、実は喰違門内で首を縊る約束をしたから、ここにぐずぐずしてはいられない。
早くお放ちを、と云うなりひたすら中座を請うた。主人の組頭はすこぶるあやしんで、乱心したと見る。
この際酒を飲ませるに限ると七,八杯飲ませる。それでも正気に戻らないと、さらにまた七,八杯。
さらによってたかって大杯をすすめる。ようやく落ち着いたてきて、帰るとは云わなくなった。
その時家来が入ってきて、ただ今、喰違御門内で首縊り人があったと組合からいってきた、当家家人をさし出したものかどうか...
組頭はそれを聞いて膝を打った。
縊鬼(いき)は藤兵衛がここにいたため殺すことができなかった故、他の者を代わりに殺したと見える、も早、縊鬼(いき)は
藤兵衛から離れたぞ、と大声でいった。
組頭にたずねられた藤兵衛は、ぼんやりとした顔で答えた。
喰違門にさしかかった時一人の男がいて、ここで首縊れと云われた。
断ることが出来ず、組頭の所で寄り合いに出る約束がある。
そこで断りを入れて、ここで首を縊ろう。
するとその男は組頭の門前まで付いていくといい、早く断りを言うてこいといった。
その言いようが義理ある方の言いつけのような気がして、その人の言葉に背いてはならぬように思われました。
藤兵衛の話しを聞いた組頭が、今でも首を縊るつもりがあるかと訊くと、ぶるぶる、とんでもありませんと身を慄わせた。


作中作品その3
●「オデデコ人形の怨み」
宝暦年間のことである。江戸に「オデデコ」という見せ物人形が出て、たいそう流行った。
しかし流行廃りは早い。江戸っ子の気は変わりやすい。ほかに目先の変わったもの、新しい見せ物が出ると
「オデデコ」も廃れてしまった。オデデコ人形は物置に投げ込まれ、埃にまみれたままになっていた。
両国吉川町新道に弥六という見せ物師がいた。
この男がにわかに高熱を出し床に就いた。ただの風邪とは違う、狂人のようになりあらぬ言葉を口走る。
よく聞いてみると、しきりに詫びている。オデデコ人形に詫びているのである。
流行っているときはチヤホヤしてこき使い、廃ると物置にうっちゃておいて、身勝手を勘弁してくれ。
物置の方に向かって手を合わせている。人形でさえこの通りである。まして人間を使い捨てにするとは....



新編集長は山根という名で、他の雑誌を渡り歩いたベテランであった。山根は言った。
「オデデコ人形なんて俺たちの間のことをそのまま書いているじゃないか。」
「オデデコ人形の怨み」は玄堂の強烈な忿懣と怨みと皮肉である。

これが現代社会、とりわけ非正規労働者の首切り問題に直面する今日的問題に驚くべき符合の
仕方である。

山根は喰違門の鬼の話なんか面白いじゃないかという。細井はこちらだけでも使いますか?と聞く。
しかし、山根はそれを拒否する。老人には気の毒だが、致しかたがないと諦めてもらうんだな。

編集部内で玄堂の「縊鬼」の原稿が話題になった。

採用されなかった原稿を返却する細井に、玄堂がある提案をする。
「縊鬼」の実験である。「縊鬼」は一種の催眠術的な心理現象だと考えられる、
それを実験しようと言うわけである。
早瀬藤兵衛を細井にやれと言うのである。
そして続ける。藤兵衛の役だから首縊りの代人を誰か寄越して下さい。

「世の中に「縊鬼」の話のような理外の理があることがわかりますよ。」玄堂の不気味な予言である。

首縊りの代人は山根がすることになる。

結末は
後ろの風呂敷包みの上に玄堂が取りついて全身をかぶせた。
四十`の老人の体重が六`の本の包みの上にかかった。

《重い風呂敷包みを背負っている際に、包みの固い結び目が頸動脈を圧迫して窒息させた事故死の珍しい例である》
と法医学書の本は書いた。

風呂敷包みを背負っていたのは山根であった。


清張生誕100年今年は清張の年である。

2009年01月21日 記
作品分類 小説(短編) 21P×580=12180
検索キーワード 雑誌・編集長・執筆者・作家・巷説逸話・縊鬼・オデデコ人形・首くくり・風呂敷・作中作品・法医学書
登場人物
須貝 玄堂 本名藤次郎。作家。頭は禿げている、短く刈っていた。禅寺の僧侶だったと言う
細川 「J−−」誌の編集委員。玄堂の担当。玄堂の実力を評価している。
山根 「J−−」誌の新編集長。玄堂に殺される。
弥平太 作中作品の登場人物。酒癖が悪く、藩の武術の師匠を殺すことになる。
早瀬 藤兵衛 作中作品(縊鬼)の登場人物。縊鬼に取りつかれ、首縊りをさせられそうになる。
弥六 作中作品(オデデコ人形の怨み)の登場人物。見せ物師。「オデデコ人形」に怨みを買う
須貝玄堂の妻 家政婦上がり。収入と、些少の「名声」で玄堂の妻になる。玄堂より二十以上も下。

理外の理




■TOP■