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検索キーワードに見る清張作品の傾向と対策?

(その十五:美人)

清張作品の書き出し300文字前後からあぶり出すキーワード!
(登録キーワードも検索する)


ページの最後


文字として、「美人」は、よく登場すると思うが、表現の仕方で真逆になってしまう。

不美人・美人ではない・不美人とは思えない...

「結婚式」:美人に見えた。
「確証」:それほど美人ではないが
「黒革の手帖(上)」:決して美人ではないが
「鬼畜」:さして不美人とも思えない

すべて表現が違った。「美人」と断定もしていないし、少しひねって書かれている。

それぞれ意味合いが違っていて、ではどっちなんだと思ってしまう。
>美人に見えた.....が、たいした美人ではない
>それほど美人ではないが....愛嬌があり好ましく思えた
>決して美人ではないが.....可愛いという感じだ。
>さして不美人とも思えない.....が、少しきつい感じがした
「美人」を否定的に書いた場合(美人ではないがとか)、愛嬌があるとフォローしている。

誰が見ても「美人」といえる、とか.....
その顔は醜悪と言えた、とか.....
断定的な表現が無いのも特徴的だ。書き出しだけキーワードとして
取り上げたが、女性の表現としては多様な表現があったと思う。



●「結婚式
●「確証」 (影の車 第一話)
●「黒革の手帖(上)
●「鬼畜



2019年03月21日

 



題名 「美人」
上段は登録検索キーワード 
 書き出し約300文字
●「結婚式 新聞社・広告会社・良くできた妻・事務員・時計・靖国神社・修善寺・受付の女・切り出しナイフ・宴会場
ホールの金屏風を背にして、花婿・花嫁は、少しうなだれて立っていた。花婿のそばでは、仲人が客に新夫婦の紹介をしていた。仲人は、自分の演説にユーモアを混ぜるつもりか、時折、わざと滑稽なことを交えた。多分、前夜から、その文句を考え抜いていたのであろう。客は、その個所になると、お義理に少し笑った。私はそれを聴いて、早く仲人の紹介の辞が終わればいいと思っていた。このあと、次々に、テーブル・スピーチがつづくに違いない。それを聴くだけでもかなりな時間を要する。私の指定された席は、そのメーン・テーブルを正面に見るところだった。新郎は少し痩せ、花嫁は少し肥えていた。薄い紗の垂れた花嫁の顔は、この広いホールの上に吊り下がっている見事なシャンデリアを装飾にこよなく美人に見えた。   
●「確証」 (影の車 第一話)  不貞・田村町・陶器会社・世話女房・夜の行為・出張・性病・ステーキ・肉屋
大庭章二は、一年前から、妻の多恵子が不貞を働いているのではないかという疑惑をもっていた。章二は三十四歳。多恵子は二十七歳だった。結婚して六年になる。多恵子は、明るい性格で、賑やかなことが好きである。これは、章二が多少陰気な性格だったから、妻がかえってそうなのかもしれない。章二は、他人がちょっと取りつきにくいくらい重苦しい雰囲気を持っていた。人と逢っても、必要なこと以外は話をしない。自分では他人の話を充分に聞いているつもりだが、相槌もあまり打たないので、対手には気難しそうに見えるのだった。何人かの同僚と話し合っていても、彼だけは気軽に仲間の話の中に入ってゆけなかった。また、好き嫌いが強いほうだから、嫌な奴だと思うと、すぐ、それが顔色に現れる。多恵子の方は、誰にも愛嬌がよかった。それほど美人ではないが、どこか笑い顔に人好きのするようなところがあって、それなりの魅力を持っていた。  
●「黒革の手帖(上)  「クラブ・燭台」は銀座の並木通りを土橋近くへ歩く横丁で、このへんに多いバア・ビルの一つにあった。五階まで全部クラブとかバアとかの名のつく店で占められていた。ママの岩村叡子は大柄な、背の高い女で、けっして美人ではないが、あっさりとした愛嬌がある。三十四,五くらいで、鼻の先が少し上向いている。頭の回転も早い、開店して十年以上になるが浮沈の多い銀座の世界では人なみ以上の経営才能を要する。女の子が三十人くらいで、半分以上入れ替えがかなり激しい。十一月のある晩、絵描き仲間が三人寄った。向こうのテーブルに顔の小さなホステスがついている。小紋の肩も細い。こちらから眺めても三十を二つか三つは出ているように思われる。「あのひと、新顔だね?」「はい。ハルエさんというの」画家はAの視線に瞳を合わせた千鶴子というのが教えた。「半月前からよ」Aがハルエという女を煙草の煙の中でときどきそれとなく監察すると、なんだかぎこちないところが見える。前から居る女たちが客とふざけていても、ハルエは上体を棒のようにして座っていた。顔は精一杯の愛想笑いをしていたが。  
●「鬼畜  竹中宗吉は三十すぎまでは、各地の印刷屋を転々として渡り歩く職人であった。こんな職人は今どきは少なくなったが、地方には希にあるのだ。彼は十六のときに印刷屋の弟子入りして、石版の製版技術を覚え込むと、二十一の時にとび出して諸所を渡り歩いた。違った印刷屋を数多く歩くことを、技術の修行だと思っていたし、実際そうでもあった。宗吉は、二十五,六になると立派な腕の職人になっていた。殊にラベルのような精密な仕事がうまく、近県の職人仲間の間で彼の名を云えば、ああ、あの男か、と知らぬ者が無かった。それくらいだから雇い主は、彼に最上の給金を払って優遇した。彼は酒もあまり飲めず、女買いも臆病な方で、剰った金は貯金通帳にせっせと入れた。将来、印刷屋を開くつもりはあったのである。二十七のときに彼は女房をもった。お梅という女で、働いていた印刷所の住み込みの女工であった。痩せていて、一重瞼の目尻が少しつり上がっているほかは、さして不美人とも思えない。 

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