研究室_蛇足的研究

紹介作品・研究室:完成登録

2022年02月21日


清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!




研究作品 No_128
田舎医師
(シリーズ作品/影の車:第六話)

杉山良吉は、午後の汽車で広島駅を発った。芸備線は広島から北に進んで中国山脈に突き当たり、その脊梁沿いに東に走る。広島から備後落合までは、普通列車で約六時間の旅である。良吉は、この線は初めてだった。十二月の中旬だったが、三時間ばかり乗りつづけて三次まで来ると、初めて積雪を見た。●蔵書【松本清張全集 1 点と線・時間の習俗:「婦人公論」1961年(昭和36年)6月号
〔婦人公論〕
1961年(昭和36年)6月号



杉山良吉は、午後の汽車で広島駅を発った。芸備線は広島から北に進んで中国山脈に突き当たり、その脊梁沿いに東に走る。広島から備後落合までは、普通列車で約六時間の旅である。良吉は、この線は初めてだった。十二月の中旬だったが、三時間ばかり乗りつづけて三次まで来ると、初めて積雪を見た。三次は盆地になっていて、山が四方を囲んでいる。昼過ぎに出た汽車もここまで来ると、夕闇の中を走ることになった。三次駅では大勢の乗客が降りた。白い盆地の向こうに、町の灯りが見える。汽車から降りた黒い人の群は、厚い雲の垂れ下がった黄昏の中を急ぐ。汽車は駅ごとに停った。その駅名のなかに、良吉が父から聞かされた地名もあった。庄原、西城、東城などがそうである。この辺りまで来ると、広島を発つときは一ぱいだった乗客もほとんど降りてしまって、その車輌には良吉のほか五,六人が座っているにすぎない。
●芸備線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
芸備線(げいびせん)は、岡山県新見市の備中神代駅から広島県三次市の三次駅を経て広島県広島市の広島駅に至る
西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。

書き出しは、もっぱら沿線風景。
登場人物は、杉山良吉。タイトルが「田舎医師」だから、彼は医者なのだろうか?

芸備線を広島駅から、備後落合まで、「普通列車で約六時間の旅」。相当の長旅である。
杉山良吉は、清張と全く関係ないが、良吉の目線は明らかに清張の目線であり、
良吉が父から聞かされた地名もあった」は、清張に置き換えることが出来る。父系の指』に通じる。

※芸備線


広島の中心地から、山陰にかけてのコースは清張の得意?な地方だと思う。
紹介作品として、最近取り上げた『駅路』も「可部」が登場する。芸備線から伯備線に回れば、備中高梁。備中高梁なら『蔵の中』。
芸備線から木次線では『砂の器』の「亀嵩」。
出雲、石見銀山方面では『数の風景』、『火神被殺』も上げることが出来る。


松本清張氏の父が矢戸出身であり、小説『父系の指』には松本清張さんの心のふるさととして「矢戸」が紹介されている。
>私の父は伯耆の山村に生れた。中国山脈の脊梁に近い山奥である。
>生れた家はかなり裕福な地主でしかも長男であった。
>それが七ヶ月ぐらいで貧乏な百姓夫婦のところに里子に出され、
>そのまま実家に帰ることができなかった。


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