年代 |
清張略歴 |
日本・世界の出来事 |
1959年
(昭和34年)
50歳 |
【1959年発表作品】
執筆量の限界を試してみようと思い、
積極的に仕事をする。その結果、この年のなかば以後
書痙にかかる。そのために原稿は口述、清書された
ものに加筆するという方法をとり、速記者福岡隆を
約九年間にわたって専属とした。
七月二十二日、「小説帝銀事件」により第十六回
(昭和三十四年上半期)の文藝春秋読者賞を受賞と
決定。賞金十万円。
十一月二十八,二十九日、文藝春秋新社主催の読者
大会(東京宝塚劇場)において、文士劇「荒神山」に
斎宮清五郎の役で初出演。 |
01/01 キューバ革命勝利
01/10〜12
第4回中央委員会総会(第7回党大会)
01/23〜03/09
日本共産党代表団(団長委・宮本顕治書記長)
ソ連共産党21回大会に出席のため訪ソ、帰途
チェコスロバキア、朝鮮、中国を訪問
02/16 キューバ、カストロが首相に就任
03/01 「アカハタ」日曜版、発刊
03/20〜21
第5回中央委員会総会(第7回党大会)。
04/27 中国、第2期全国人民代表大会で劉少奇を
国家主席に選出
04/15 安保共闘第一次統一行動
04/23、30
第4回いっせい地方選挙
04/23・30
第4回いっせい地方選。共産党は
都道府県議12人、市町村議386人当選
06/02 第5回参院選(共産全国区1、地方区0、
自民22、49、社会17、2、緑風4、2
諸派1、0、無所属7、3)
06/02 第5回参院選、党は、全国区55万票、1人
当選、地方区100万票、当選者なし
06/03 シンガポール独立
06/29〜07/09、07/31〜08/01
第6回中央委員会総会(第7回党大会)
08/10 最高裁、松川事件で有罪判決を破棄、差戻し
09/15〜27
フルシチョフソ連首相が訪米、キャンプ
デービット会談、アメリカ帝国主義への
接近すすむ
10/25 西尾末広ら社会党を離党、院内団体社会
クラブ結成
11/08 第一回アカハタt祭(東京・浜離宮、2万人)
11/17〜18
第7回中央委員会総会(第7回党大会)。
安保改定阻止と廃棄を中心とする当面の
大衆闘争、党勢拡大などについて決定
12/11 三井鉱山が三池炭鉱で1200人の指名解雇
通告、全民主勢力の支援を受けて合理化
反対闘争
12/16 最高裁、砂川事件で東京地裁判決を
破棄差戻し |
1960年
(昭和35年)
51歳 |
【1960年発表作品】
この年に執筆した「日本の黒い霧」によって、現代日本
の病根をあばきだすノンフィクションの分野に本格的に
進出し、以後、”黒い霧”は流行語となった。 |
01/19 新日米安保条約、地位協定の調印
(ワシントン)
01/22〜26
第8回中央委員会総会(第7回党大会)
01/25 三井鉱山が三井三池炭鉱にロックアウト、
労組は無期限ストに突入
02/13 仏、サハラ砂漠で初の原爆実験
03/02〜03
第9回中央委員会総会(第7回党大会)。
日本民主青年同盟の拡大強化のための方針を
決定、同盟の飛躍的発展をたすける
04/03 「アカハタ」日曜日も発行、完全日刊化、
「アカハタ」日曜版10ページ建てとなる
04/05〜09
第10回中央委員会総会(第7回党大会)。
「三井三池労働者の英雄的闘争の勝利のた
めに全民主勢力の奮起を訴える」を採択
04/16 中国共産党機関誌『紅旗』が論文「レーニン
主義万歳」を発表、事実上のソ連共産党批判を
開始
04/28 沖縄県祖国復帰協議会結成
05/12 安保反対、第16次全国統一行動に460万人
が参加
06/01 社会党代議士会が議員総辞職の方針を決定
06/17 社会党顧問川上丈太郎が右翼に刺される
06/18 30万人国会包囲デモのなか、19日午前零時
新安保条約が自然成立
06/29〜07/01
第11回中央委員会総会(第7回党大会)。
当面の安保闘争の発展と党建設についての
幹部会報告を確認、訴え「愛国と正義の旗の
下 に団結し、前進しよう」などを採択、安保反
対の民主連合政府を提唱
07/14 岸首相が右翼に刺され、負傷
07/15 第二次岸内閣総辞職
07/19 第一次池田勇人内閣成立
07/31〜8/01
第12回中央委員会総会(第7回党大会)。
08/03〜8/05
全国活動者会議
(第七回大会後1回目 世田谷)
08/12 韓国大統領に尹?善が当選
08/17〜8/18
第13回中央委員会総会(第7回党大会)。
10/12 社会党浅沼委員長が日比谷公会堂で演説中、
右翼に刺殺される
11/08 第二回アカハタ祭(武蔵野市、3万人)
11/08 米、ケネディが大統領に当選
11/20 第二九回総選挙。
党は115万票、三人当選
12/08 第二次池田勇人内閣成立
12/18〜28
第14回中央委員会総会(第7回党大会)。
12/20 南ベトナム解放民族戦線結成
この年、コンゴ、ナイジェリアなどアフリカで
17ヵ国が独立アフリカ独立の年といわれる
12/27 閣議で国民所得倍増計画を決定、高度経済成
長政策へ |
1961年
(昭和36年)
52歳 |
【1961年発表作品】
この年五月一日、国税庁発表の一九六〇年度所得額
(収入より必要経費を引いた額)で作家部門の
一位となる。
38、426、639円。このうちから、
国税2000万円、地方税500万円を支払う。
以後、ほとんど毎年納税額のトップを占める。
杉並区上高井戸4−1762
(のちに地番変更、高井戸東1−22−3)
に自宅を新築し九月に移転する。
この年度より直木賞の選考委員となる。
|
01/23 沖縄人民党機関誌「人民」発刊
02/06
第15回中央委員会総会(第7回党大会)
03/01〜13、25〜28
第16回中央委員会総会(第7回党大会)
綱領草案、第八回大会への政治報告の
採択など03/06〜08
社会党大会、委員長に河上丈太郎を選出
04/12 ソ連宇宙船ヴォストーク一号(ガガーリン搭乗)
が地球一周飛行に成功
04/19 駐日米大使ライシャワー着任
05/09〜11
全国活動者会議(二回目、世田谷区)
05/16 韓国で軍部の反共クーデター、7/3朴正照が
国家再建最高会議長に就任
06/03〜04
フルシチョフ・ケネディ会談(ウィーン)
06/09〜10
第17回中央委員会総会(第7回党大会)
07/20〜22
第18回中央委員会総会(第7回党大会)
反党分派活動を開始した春日庄次郎、山田六
左衛門などを除名
07/25〜31
第八回党大会(東京・世田谷区民会館)
07/31〜08/02
第1回中央委員会総会(第8回党大会)
議長野坂参三、書記長宮本顕治らを選出
08/08 仙台高裁、松川事件差戻審で全員無罪判決
08/13 東独、東西ベルリンの境界に壁を構築
09/20 米ソ軍縮共同宣言
10/17〜31
ソ連共産党22回大会、フルシチョフがアルバ
ニア労働党を非難
10/19
周恩来がフルシチョフに反論
11/25
ソ連がアルバニアと国交を断絶
11/05 第三回アカハタ祭り(東京・浜離宮、4万人)
12/18〜20
第2回中央委員会総会(第8回党大会) |
1962年
(昭和37年)
53歳 |
【1962年発表作品】
一月、広告代理店電通の顧問となる。三月十三日、
父峯太郎八十九歳で死去。
四月、日本文芸家協会理事に選ばれる(任期二年)
六月、眼病のため赤坂・山王病院に一ヵ月間入院する。
作家平林たい子が韓国の雑誌『思想界』
(一九六二年八月号)で、作家にゆとりができると
作品創造の面でも変わるのではないかとの質問に
「そうですね。そういう作家は思考というものがないんで
す。」朝から晩まで書いているんですけど、
何人かの秘書を使って資料を集めてこさせて、
その資料で書くだけですからね。だから例をあげると
松本清張のような作家は相当反米なんですけど、
その理由が自分の秘書の中に共産主義者がいるん
ですね。そういうことがあるんで、そういう資料を集めて
くるわけです。それで松本と言えば人間ではなく
『タイプライター』です」と発言した。これに対して
「事務処理をする手伝いのひとが一人いるのみで、
事実に反し、文壇歴の長い先輩が、外国において
匿名欄にでもありそうな発言をする心境がわからない」と
日本読者新聞紙上で反論した(「平林たい子さんに訊く
−−南朝鮮誌『思想界』での断定について」
十月二十二日)。
この年、母校の小倉市天神島小学校にピアノを
寄贈した。 |
01/29〜31
全国活動者会議(三回目、世田谷区)
参議院選勝利をめざして
02/03 米、ケネディ大統領が対キューバ
全面禁輸指令
02/15〜28 第一回中央党学校が開校(党本部)
03/22 韓国、尹?善大統領が辞職、24朴正照代行
04/11 日本宗教者平和協議会結成
04/26 全日本労働総同盟組合会議(同盟会議)結成
06/23 ラオス連合政府(首相ブーマ)の成立
07/01 第六回参議院選挙、党は三議席
(全国区二、地方区一)
全国区112万票、地方区176万票
07/13
第3回中央委員会総会(第8回党大会)
「日本共産党創立四十周年にあたって」を採択
「四つの旗」を定式化
07/13 党創立四十周年記念祝賀集会(東京・文京区)
07/13
第4回中央委員会総会(第8回党大会)
08/06 第八回原水禁世界大会
10/19 新日本婦人の会結成
10/22 キューバ危機、ケネディ米大統領がキューバに
ソ連ミサイル基地建設中と発表、海上封鎖声明
11/05 第四回アカハタ祭り(多摩湖、5万人)
11/13〜15
全国活動者会議
(四回目、目黒公会堂、大田区民会館)
11/27〜29
社会党第22回党大会、江田書記長辞任、
書記長に成田知巳を選出
12/11
恵庭事件(自衛隊の実弾演習被害に反対した
酪農民を自衛隊法違反とした事件)起こる |
1963年
(昭和38年)
54歳 |
【1963年発表作品】
六月、「象徴の設計」を歴史をゆがめる作品として
批判した林房雄の「文芸時評」に対して、朝日新聞
紙上で再度にわたって反論した。
八月、「日本の黒い霧」「深層海流」「現代官僚論」など
の業績により、第五回日本ジャーナリスト会議賞を
受ける。同月、日本推理作家協会理事長に就任、
四期八年間つとめる。
九月十二日、最高裁において松川事件被告全員無罪
の確定判決があった。
この年は、二つの戯曲を書いた。七月に松本幸四郎
(八代目)たちによって読売ホールで上演された。
「鬼三味線」と、十一月東宝劇団により明治座で上演
された「誘殺」である。 |
01/09 ライシャワー米大使、原子力潜水艦の日本
寄港申し入れ
02/13〜15
第5回中央委員会総会(第8回党大会)
「全世界の共産党・労働者党はかたく団結しよ
う」を採択し、志賀、神山らの主張するソ連中心
主義等の重大な誤りをもちこむ
04/17・30
第五回いっせい地方選
04/17・30
第五回いっせい地方選
党は、都道府県議22人市町村議682人当選
05/15〜17
第6回中央委員会総会(第8回党大会)
08/05〜06
第九回原水禁世界大会(広島)
08/05 米英ソ三国、部分核実験停止条約調印
09/01 安保反対国民会議、原潜寄港反対で横須賀、
佐世保で統一行動
09/12 最高裁が松川事件再上告を棄却、被告17人
全員の無罪確定
10/15 韓国、朴正照が大統領に当選
10/15〜18
第7回中央委員会総会(第8回党大会)
「国際共産主義運動にかんする諸問題に
ついて の決定」を採択し、五中総の誤りを
全面的に訂
正し党の原則的国際路線を発展さす
10/20 第五回アカハタ祭り(多摩湖、6万人)
11/09 三井三池鉱でガス爆発、458人死亡
11/21 第三十回総選挙
(共産5、自民283、社会144、社民23、
無所属12)
11/21 第三十回総選挙
党は164万票、5人当選
11/22 ケネディ米大統領が暗殺され、副大統領
ジョンソンが昇格
12/09 第三次池田勇人内閣成立
12/20 札幌高裁、芦別事件で無罪判決
12/26 最高裁、砂川事件再上告を棄却 |
1964年
(昭和39年)
55歳 |
【1964年発表作品】
四月十二日、初めての海外旅行に出発し、
コペンハーゲン、アムステルダム、パリ、ロンドン、
ジュネーブ、ローマ、カイロ、ベイルートを歴訪して
五月三日帰国。
十一月、米国の推理作家E・S・ガードナーが来日し、
会談した。
前進座のために執筆した「細川の茶碗」が十二月の
新橋演舞場で上演された。 |
02/15〜5/18
宮本書記長、中国の南海島で病気療養
03/27〜29
新日本文学会第11回大会、部分核停止条約
を支持しない党員文学者の組織的排除を強行
04/08 重要幹部不在のなかで、4・17ストライキの
問題で誤った声明を発表
04/18
ソ連共産党が日本共産党を非難する
書簡を送る
05/03 創価学会池田大作会長、本部総会で
王仏冥合のために衆院へ進出と言明
05/15 志賀義雄が島の決定にそむいて衆院で部分
核停条約に賛成投票、反党声明を発表、
鈴木市蔵も同調を発表
05/16 国際金属労連日本協議会(IMF・JC)結成
05/21 第8回中央委員会総会(第8回党大会)
志賀、鈴木の除名を決議
05/25 党を除名された鈴木市蔵が参院で部分核停条
約に賛成投票
05/27 インド、ネール首相死去
06/11 渡部義通が佐多稲子、野間宏、丸木位里、
丸木俊子ら12人の党員文化人を組織し、党
中央をひぼうした文書を中央役員に個別に送付
06/30 志賀義雄、反党集団としての政治結社「日本
のこえ同志会」結成を表明
07/03 政府の憲法調査会、最終報告を提出
07/13〜15
第9回中央委員会総会(第8回党大会)
4・17問題での誤りを自己批判
07/30〜08/02
第10回原水爆禁止世界大会国際会議、
51ヵ国、8国際団体が参加
08/02 米駆逐艦、トンキン湾fで北ベトナムの哨戒艇を
攻撃(トンキン湾事件)
08/04 米海軍機、北ベトナム海軍基地を爆撃
08/07 米議会、大統領に戦時権限を付与、米の
北ベトナム侵略が本格化
08/16 南ベトナム、グエン・カーンが大統領に就任
08/23〜27
第10回中央委員会総会(第8回党大会)
原潜「寄港」問題決議採択、党勢拡大月間を
決定
09/01〜14
宮本書記長ら、インドネシア、中国を訪問
09/13 宮本書記長、中国共産党毛沢東主席と会談
09/25〜30
第11回中央委員会総会(第8回党大会)
志賀らと組んで反党活動を開始した神山茂夫、
中野重治の除名を決定
09/27 第六回アカハタ祭り(多摩湖、6万人)
10/14 渡部義通、国分一太郎らが反党声明
10/14 ソ連共産党中央委員会総会、フルシチョフを
第一書記から解任、ブレジネフを第一書記に
選出
10/15 ソ連最高会議幹部会、フルシチョフを閣僚会議
議長(首相)から解任、新議長にコスイギンを
選出
10/16 中国、初の原爆実験
10/10 新日本文学会、江口渙、霜多正次、津田孝ら
四人を除籍
10/10〜24
東京オリンピック(第18回)
11/03
米、ジョンソンが大統領に当選
11/09 第三次池田内閣総辞職
第一次佐藤栄作内閣成立
11/09 統制委員会、渡部義通、佐多稲子、野間宏、
丸木位里、丸木俊子ら10人を分派活動による
規律違反で除名
11/12 右翼労組が結集して全日本労働総同盟(同盟)
発足
11/12 米原潜シードラゴンが佐世保に入港
11/17 公明党結成大会、委員長・原島宏治、書記長・
北条浩を選出
11/20〜22
第12回中央委員会総会(第8回党大会)
第9回党大会への中央委員会報告を決定
11/24〜30
第9回党大会
(東京・大田区民会館、世田谷区民会館)
綱領にもとづく党路線の正しさの実証、ソ連共産
党の現代修正主義と大国主義を批判、50年分
裂の打撃をほぼ回復し、十数万の党員と二十
万近い「赤旗」日刊紙読者、六十万の日曜版
読者、大衆闘争の三つの観点(要求の獲得、
大衆の自覚の成長と組織の強化、党勢拡大)を
定式化、中央委員会、中央統制監査委員会を
選出
11/30〜12/01
第1回中央委員会総会(第9回党大会)
議長野坂参三、書記長宮本顕治らを選出
12/11〜12 全学連再建大会 |
1965年
(昭和40年)
56歳 |
【1965年発表作品】
四月十五日より五月五日まで中近東に取材旅行。 |
01/08 韓国、ベトナム派兵決定
01/21 インドネシア、国連を脱退
02/06 ソ連のコスイギン首相がハノイ訪問
02/10 第二次朝鮮戦争を想定した日米共同作戦体制
にかんする防衛庁の極秘文書(三矢作戦研究)
が衆議院予算委で暴露、追及される
03/03 宮本書記長宅(東京・杉並区)の電話引込線の
盗聴器を摘発
03/06 憲法改悪阻止各界連各会議結成
03/23〜24
第2回中央委員会総会(第9回党大会)
05/06 社会党第25回臨時大会
(委員長・佐々木更三)
06/14 自民党都議会議員17人が逮捕された都政の
腐敗、汚職事件により都議会解散
07/04 第7回参院選挙(共産全二、地一、自民二五、
四六、社会一二、二四、社民、二、一、
公明、九、二、無所属、二、一)
07/04 第7回参院選、党は全国区163万票、2人当
選、地方区261万票、1人当選。
07/10〜10
平和と民族独立と軍縮のための世界大会
(ヘルシンキ)
07/23 東京都議選(共産九、自民三八、社会四五、
公明二三、社民四、無所属一)
07/23 東京都議会選挙、共産党は2議席から
9議席に
07/27〜08/08
第11回原水爆禁止世界大会
07/30 沖縄小笠原返還同盟結成
08/26 日本民主主義文学同盟結成。機関紙『民主文
学』を12月に創刊
09/29〜10/04
第3回中央委員会総会(第9回党大会)
10/17 第七回アカハタ祭り(多摩湖、8万人)
11/12 新日本体育連盟結成
11/23〜25
全国活動者会議
(五回目、三鷹市公会堂)
12/04 日本科学者会議結成
12/19
仏、ドゴールが大統領に再選 |
1966年
(昭和41年)
57歳 |
【1966年発表作品】
十二月、「砂漠の塩」が第五回婦人公論読者賞を受賞
(発表は1967年二月号)。
賞金十万円と記念品。
ワシントン・ポスト紙に掲載するベトナム反戦広告募集
の呼びかけ人の一人となる(六七年四月三日掲載)。 |
01/03〜15
第一回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連
帯会議(ハバナ)
01/08 仏、第三次ポンピドー内閣成立
01/19〜22
社会党大会、佐々木更三が江田三郎を破って
委員長に再選
02/01 「アカハタ」を「赤旗」と改める
02/07〜04/04
日本共産党代表団(団長、宮本顕治書記長)
が反帝国際統一戦線問題協議のため
ベトナム、中国、朝鮮訪問
03/30 共産、社会、公明三党が憲法擁護、小選挙区
制粉砕、物価値上げ反対の連絡会議を結成
04/05 英、第三次ウイルソン内閣成立
04/28〜29
第4回中央委員会総会(第9回党大会)
ベトナム、中国、朝鮮を訪問した代表団の活動
についての幹部会報告を承認
05/30 米原潜、横須賀に初めて入港
06/29 米、ハノイ、ハイフォンを爆撃
07/01 仏、NATO統合軍から正式に脱退
07/13〜14
第5回中央委員会総会(第9回党大会)
07/20 中央、全国実行委の共催でアメリカのベトナム
侵略反対、ハノイ、ハイフォン爆撃抗議全国
統一行動
07/21 毛沢東、講話で日本共産党を主敵の一つと
する「四つの敵」論を定式化
08/27〜30
第6回中央委員会総会(第9回党大会)
09/05 党山口県委員会、毛沢東に盲従し党破壊活動
をおこなった福田正義ら五人を除名
09/27 共和製糖への不正融資問題、国会で問題化
09/28 インドネシア、国連復帰
10/14 中央・全国両実行委の共催でベトナム侵略
戦争反対、10・21スト支援の中央総決起
大会
10/21 ベトナム侵略戦争反対、10・21統一ストライキ
、総評、中立労連など91単産、547万人が
参加
10/17 第八回アカハタ祭り(多摩湖、8万人)
10/13 第7回中央委員会総会(第9回党大会)
反党分派活動をおこなったことで西沢隆二の
除名を決定
10/22
第8回中央委員会総会(第9回党大会)
第十回党大会準備の諸案件について決定
10/23
劉少奇、ケ小平が中国共産党中央工作会議
で自己批判
10/24〜30
第十回党大会
(世田谷区民会館、大田区民会館)
10/30〜31
第1回中央委員会総会(第10回党大会)
議長野坂参三、書記長宮本顕治らを選出
11/22〜24
第2回中央委員会総会(第10回党大会)
12/01
西独、キージンガー内閣成立
12/06〜09
社会党大会、佐々木更三を委員長に三選
12/16
国連総会、国際人権規約採択
12/27 佐藤内閣、共和製糖事件などの追及をさけ
国会冒頭に解散強行(黒い霧解散) |
1967年
(昭和42年)
58歳 |
【1967年発表作品】
三月七日、「昭和史発掘」「花氷」「逃亡」などの作品と
幅広い作家活動に対して、第一回吉川英治文学賞が
与えられることに決定。
授賞式は四月十一日におこなわれ、賞碑と副賞
百万円を受けた。
四月、文芸家協会理事に再任
(以後、一九九二年まで留任した)。
「火の嘘舟」について山本健吉の「文章の粗とは、
内容の粗である」などの批評に関して、八月、
「的はずれの批評である」として、
読売新聞紙上で反論。
1967年(昭和42年)〜1975年(昭和50年)
江戸川乱歩賞の選考委員を務める |
01/09 米、国防省がベトナム」参戦米軍を47万3千
人と発表
01/29 第三十一回総選挙
(共産5,自民277、社会
140、民社30、公明25、無所属9)自民の
得票が初めて50%を割る
01/29 第三十一回総選挙、党は219万票、五議席
01/30 統制委員会、西沢隆二らと党破壊活動を
はじめた斉藤庫治の除名を決定
02/11 初の建国記念日、各地で反対運動
02/13 公明党第四回党大会、委員長に竹入義勝、
書記長に矢野絢也を選出
02/16〜18
第3回中央委員会総会(第10回党大会)
02/17 第二次佐藤栄作内閣成立
03/11 本書記長、社会党成田書記長が東京都知事
選の「政策協定」、「組織協定」に調印。
大内兵衛ら13人連名で「明るい革新都政を
つくる会」の呼びかけを発表
03/16 明るい革新都政をつくる会結成
03/29 札幌地裁、恵庭事件で憲法問題にふれずに
無罪判決
04/07 仏、第四次ポンピドー内閣成立
04/15、28
第六回いっせい地方選、東京都知事で革新
統一の美濃部亮吉が当選
04/15、28
第六回いっせい地方選、長野県塩尻市で高砂
政郎共産党員市長誕生、党は道府県議37
人、市区町村議891人当選
06/06〜09
第4回中央委員会総会(第10回党大会)
06/12 新潟水俣病で被害者、昭和電工を提訴。
全国に公害反対闘争おこる
06/17 中国、初の水爆実験
06/19〜21
民社党第九回党大会、西を末広の委員長辞
任にともない、委員長に西村栄一を選出
07/15 「日本共産党の45年」を「赤旗」に発表
07/23 米、デトロイト市で黒人暴動各地に波及
08/03〜04
北京空港で反党分子と紅衛兵らが砂間一良
党代表と紺野淳一「赤旗」特派員に集団暴行
08/19〜20
社会党第二十九回党大会、委員長に勝間田
清一を選出
09/03 南ベトナム、グエン・バン・チューが大統領に
当 選
10/04〜06
第5回中央委員会総会(第10回党大会)
世界の共産主義運動、大衆宣伝、大衆運動、
機関紙拡大などについての幹部会報告を承認
10/06 共、社、公、民四党書記長懇談会、沖縄・小笠
原早期返還をもとめる共同の見解を発表
10/08 第九回赤旗祭り(多摩湖、8万人)
10/09 ボリビア陸軍がゲバラの死を発表
11/13 全国借地借家人組合連合結成
12/02 共、社、公、民四党書記長懇談会から民社
が脱落 |
1968年
(昭和43年)
59歳 |
【1968年発表作品】
一月、キューバ政府主催の、「世界文化会議」に出席
のため、前年大晦日に出国し、キューバに行く。
一月十五日帰国。この旅行中に、ベトナム民主共和国
対外文化連絡委員会から招待状がとどき、
二月二十五日、
北ベトナム各地の視察旅行に出発する。
四月四日、ファン・バン・ドン首相との単独会見に
成功し、四月七日に帰国。
この月来日したエドガー・スノウと対談
(『潮』六月号に発表)。
七月一日、十二指腸穿孔に腹膜炎を併発し、
東京女子医大病院に四十日間入院する。
十月十七日、オランダ、ベルギー、イギリスへ
取材旅行に出発し、十一月五日帰国。 |
01/09 アラブ石油輸出国機構(OAPEC)結成
01/19 米第七艦隊の原子力空母エンタープライズが
佐世保に入港
01/30 南ベトナム解放武装勢力が全土でテト攻勢。
02/20 0共産党が多喜二、百合子賞を創設
02/29〜03/01
第6回中央委員会総会(第10回党大会)
「労働戦線の階級的統一を目ざす、労働
組合運動のあらたな前進と発展のために」、
参院選をめぐる六大政策と活動方針の決定
など
03/16 南ベトナムのソンミンで米軍による虐殺事件
03/30 東京高裁、青梅事件で、差し戻し審被告全
員に無罪判決
03/31 ジョンソン米大統領が北爆の部分的停止と
大統領選不出馬を発表
04/04 米黒人運動指導者キング牧師が暗殺される
04/05 小笠原諸島返還の日米協定調印
04/09〜11
全国活動社会議(6回目、大田区)
05/01 共産党記者クラブ創立。本部内にクラブ室を
つくる
05/13 パリでベトナム民主共和国、アメリカの
ベトナム平和会談はじまる
05/24 経団連会長に植村甲牛郎が就任
06/05 沖縄の三大選挙で、民主勢力103団体による
「明るい沖縄をつくる会議」結成
06/26 小笠原諸島が日本に復帰
07/01 米英ソなど六二ヶ国が核拡散防止条約調停
07/07 第八回参院選挙(共産全3、地1、自民21、
48、社会12、16、民社4、3、公明9、4、
無所属2、3)
07/07 第八回参院選、党は全国区215万票、三人
当選、地方区357万票、一人当選
07/12 仏、クーブドウミュルビル内閣成立
07/27 長野県山ノ内町長選で共産党杵渕茂候補が
当選
07/29〜31
第7回中央委員会総会(第10回党大会)
参院選の結果と当面の任務について、八〜
九月の学習教育月間などについて決定
08/20 ソ連など五ヶ国がチェコスロバキアに侵入
08/24 仏、南太平洋で初の水爆実験、五番目の水
爆保有国になる
09/11〜14・10/04
社会党第三十一回大会、委員長に
成田知巳、書記長に江田三郎を選出
09/18 中国共産党機関誌「人民日報」社説、日本共
産党を「マルクス・レーニン主義の恥ずべき裏
切り者」と非難
10/27 第十回赤旗祭り(多摩湖、8万人)
10/31 ジョンソン米大統領が北爆全面停止とパリ
会談へサイゴン政権、南ベトナム民族解放
戦線の参加を発表
11/01 北爆全面停止
11/05 米、ニクソンが大統領に当選
11/10 沖縄初の主席公選で革新統一の屋良朝苗
が当選、立法院議委員選挙で沖縄人民党が
1議席から3議席へ
12/01 那覇市長選挙、革新統一の0平良良松が
当選 |