事件簿E

清張分室 パンドラの過去? 清張分室

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『松本清張事件簿No06』

「松本清張と筒井康隆」


筒井康隆は清張嫌いなのか?
同じSF作家で先輩である星新一の影響ではないかと言う説がある。
星新一の清張嫌いは有名らしい。星新一も大好きな私としては複雑である。
では、筒井康隆の清張評であるが具体的にはよく分からない。しかし
著書の『大いなる助走』、新装版のためのあとがきより...
>...連載中からすでに、「あの連載をやめさせろ」といってモデルにされた選考委員のひとりがいちばん
>おおきな唇で「別冊文藝春秋」編集部へ怒鳴り込んできたこともある、という話はもう何度か書いたことである。...

>...小生と同時に直木賞候補になってみごと受賞した井上ひさし氏が新人文学賞の選考会の席上しばしば
>「この人に受賞させないと、『筒井康隆に直木賞をやらなかった』ようなことになる」と発言されていることを
>仄聞するのは、ひさしさんもこの作品を読んでいるからであろうし、その意味ではこれを書いた意義は少なくとも
>文壇に対していささかなりとも存在したことになる。


少々えげつない書き方である。井上ひさし氏の発言も仄聞で、なんだかあさましい書き方ではないか?
どうやら文学賞(直木賞)を巡る怨念が基本にあるようだ。
文壇というやっかいな存在が、「賞」を巡って魑魅魍魎の世界を見せている。
清張の筒井康隆評は、「直木賞」選考時に発表された候補作品の言質がある。

●直木賞第58回候補 初出『オール讀物』昭和43年/1968年3月号「アフリカ・ミサイル道中記」(アフリカの爆弾)
「前候補作の「ベトナム観光公社」よりずっと出来がよかった。」「着想は凡でない。」「ただ軽妙な才筆にまかせて、
あまりにも多くのものを設定しすぎたために、ごちゃごちゃしてドタバタの感じがする。」「もし、授賞作を出すとしたら、
この作品にきめても不満はないと書面回答をした。」「筒井氏の筆致から「軽さ」を消すように望みたい。
軽妙と軽量とは違うのである。」

●直木賞第59回候補 昭和50年/1975年2月・新潮社/新潮文庫『家族八景』
「家政婦の霊感と各家庭の描き方とがいささかちぐはぐな感じである。」「筆が少々リアリスティックで几帳面に
すぎたと思う。私には前回の候補作で、未整理の面が多かったが、「アフリカの爆弾」の傾向にこの作家の本領が
あるように思う。」


清張は筒井氏をかなり評価している。
真相?の秘密は、筒井氏の『大いなる助走』の中にあると感じ、購入したが未読である。
2ちゃんねるでこんな文章を見つけたが
>筒井のあとがきから、あとで何かしらのイチャモンをつけたことは察せられるが、
>おちょくられたのは清張だけではないし、そこは大人の作家らしくさらりとスルーして欲しかった。
おちょくった」のも大人の作家なので、両成敗がよいところであろう。
おまけだが、『大いなる助走』の解説は大岡昇平氏である。

今回の、「松本清張と筒井康隆」に登場する作家がすべて、私の興味のある(関心のある)方々であった。
筒井康隆氏を除いて。


※辞書
そく‐ぶん 【×仄聞/側聞】
 [名](スル)少し耳にはいること。人づてやうわさなどで聞くこと。「―したところでは」



※2014年10月18日(追記)
松本清張と筒井康隆は対談をしている
「カッパまがじん」1977年(昭和52年)1月号であるから、対談の時期は1976年であろう。問題の『大いなる助走』は、1978年
頃に書かれたようで、微妙な時期である。対談内容はそれなりに面白い。

2014年8月30日 記

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