事件簿B

清張分室 パンドラの過去? 清張分室

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『松本清張事件簿No03』

「松本清張と大岡昇平」


大岡昇平の松本清張批判は辛らつである。
よくある言い回しである。「私は彼の一種の反骨が好きである。」が、はじめに語られるのか
最後の一言なのかで印象は違う。
「あの人はいい人だよ。だけどだらしない」
「あの人はだらしない、だけどいい人だよ」
これは礼節ある批判なのだろうか...

>松本清張の推理小説は、これまで私の読んだ英米の傑作と比べては、至極お粗末なものだが、
私は彼の一種の反骨が好きである。
>味噌汁のぶっかけ飯が好きな老刑事なんて常套的善玉は少し鼻について来たが、とにかく彼が
>旧安保時代以来、日本社会の上層部に巣喰うイカサマ師共を飽きることなく、摘発し続けた努力は尊敬している。
>『日本の黒い霧』が「真実」という点で、いかに異論の余地があるとしても、私はこの態度は好きだ。
>どうせほんとの真実なんてものは、だれにもわかりはしないのである。
(「推理小説論」、「群像」1961年9月号)

摘発し続けた努力は尊敬している。
尊敬しているにしては、手厳しい批判である。
そして
>私はこの態度は好きだ。どうせほんとの真実なんてものは、だれにもわかりはしないのである。
とは? である。
摘発し続けた努力とは、「無駄」であることを断言しているのである。
なのに、努力を尊敬するというのか!

>私は松本清張や水上勉の社会的推理小説は、現代の政治悪を十分に描き出していない、
>彼らの描くものは一つの虚像であるという意見である。

「現代の政治悪を十分に描き出していない」
清張の仕事は尊敬に値するのであろうか?

清張は大岡昇平に何と反論してのであろうか....

「大岡昇平氏のロマンチックな裁断」(群像1962年1月号)
に、「飛んできた矢には、こちらからも一矢を報いるのが武士のたしなみだ。」
と、されて反論が成されている。
反論の内容は「私の松本清張論」(辻井喬)に「まことに当然の反論です。」とされている。同感です。
『日本の黒い霧』の批判は
『日本の黒い霧』が「最初に既成概念があって」書かれたものだとする点が共通しています。
反米思想の下で書かれているとか、「性格と経歴に潜む或る不幸なもの」=「ひがみ」を原因に挙げています。
清張氏の反論は
『日本の黒い霧』はアメリカ謀略関係の手の動いたものだけを集めたものだ。
です。
「同傾向の短編小説集を編むのとちっとも変わりない。」で十分でしょう。

最後に批評家と小説家の関係も面白い。
松本清張の放った一矢は、作家であり批評家である大岡昇平氏へ届いたのだろうか?



2011年1月30日 記

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